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海堂翔二の事件ノート~神奈川県警捜査一課の息子~  作者: ぽち
第三章 神隠し殺人事件
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第14章 生い立ち④

 茂の部屋にあった拓也の出生届書を見て、拓也が存在していた事を確信した慎太郎は、さいたま市内にある市役所に令状の請求をさせてほしいと上司に相談した。

 「お願いします!!この写真が拓也ちゃんが存在していたという何よりの証拠です!!」

 「なるほどね・・・。」伊佐美が写真を見た。隣で伊佐美同様、慎太郎の上司、上村が眉間に皺を寄せながら一緒になって写真を見ていた。

 「どう思います?上村君?」

 「・・・・伊佐美課長が・・・宜しければ私は何も言いません。」上村が承諾したのだ。

 「あ、ありがとうございます!!伊佐美課長!!上村警部!!」慎太郎は頭を下げ直した。

 そして、来る日が来た。慎太郎をはじめとする、伊佐美、上村が他の捜査員を引き連れて市役所へと向かって行った。そして、職員達に令状を見せつけた。

 「神奈川県警の者です。今からこちらの役所を調べさせて頂きます。」

 「な、何の為に・・・!?」市役所内はざわついた。

 「もちろん、今すぐと言えば今すぐですが、御社がまず監視カメラを私たちに見せて頂ければその監視カメラを拝見した後に捜査するかしないか判断させて頂きます。」

 「か、監視カメラ・・・?」責任者らしき男が身構えながら聞き返した。

 「えぇ。今年の7月19日の1日の映像が映った物を全て、我々に見せて頂けませんか?」

 「・・・し、7月・・・19日の・・・?」

 「えぇ。朝、ここが開く時間から閉まる時間までの一日中の監視カメラ全部です。」

 監視カメラの映像が見れる部屋へと案内され、一緒に部屋に入るのは科捜研の捜査員たちだった。カメラの映像を貰い、すぐに科捜研の捜査員は映像の点検を始めた。さすがに見つけるのは早かった。

 「海堂刑事、この人・・・橋本茂さんです!!」映像を拡大して、多少、顔がぼやけているところをパソコンで訂正し、顔をはっきりとさせた。その後、高瀬がくれた茂の写真とデータ上で映像の人物が同一人物か照合し、比較。パソコンのデータが85パーセント一致した。

 「この男性は橋本茂さんで間違いありません!!」その他、他の監視カメラの映像を検索し、彼が呼び出された窓口まで映像を見つけ、窓口の従業員を探しあてた。この時に担当した女性の従業員が呼び出された。

 「この、橋本茂さんから出生届書を受け取ったのは、あなたですね?」慎太郎が女性従業員に問いただす。一つは茂の顔がはっきり見える位置のカメラの映像、もう一つは従業員の顔がはっきり見える位置の映像を2つ、女性従業員に見せて、問うた。

 女性従業員は顔を青ざめていた。

 「この男性に見覚えはありませんか?」

 「・・お、覚えていません・・・。」

 「・・・そうですか?」慎太郎が質問しても従業員は慎太郎の目を見ない。

 「でも、カメラに映っているから・・・来ているはずですね・・・。」責任者の男性が言った。

 「いつも、出生届書は提出されてから処理とかをするかと思いますが、それが終わりましたら、どこに保管するんですか?」

 「町内順に保存しているはずです。」そう言って保管されているというファイルを持ってきてもらったが、やはり、拓也の分の出生届書はどのファイルを探しても見当たらなかった。

 「君、この男性から出生届書を受け取った後、どうしたんだい?」

 「い、いつも通りの処理を・・・したはずです・・・。」

 「じゃあ、何でないんだ!?」

 「し、知りませんよ!!」

 「知らないで済むか!!う、うちのせいで一人の男性が・・・犯罪者扱いされているんだぞ!?」上司である男性の責任者が怒鳴った。女性従業員はビクッとする。女性従業員はまだ、若い。20代前半かそこそこだろう。新入社員だろうかと慎太郎は思った。化粧が当時の今どきの若い子の化粧の仕方だった。

 「分かりました。それでは、隅々まで調べさせて頂いて宜しいでしょうか?」バッと、令状を慎太郎は見せつけた。そして、一斉に捜査員が区役所内を調べ始めた。たった一枚の出生届書を探すために・・・。

*

 捜査員が探し始めて4時間は経過した。だが、一向に出生届書が見つける事が出来なかった。慎太郎もいい加減、頭が痛い顔をした。もう、慎太郎が考えられるのは一つだけだった。この、顔を真っ青にしている若い女性従業員が何か知っていると。

 慎太郎は女性従業員の所まで足を運び、そして、前でかがんで女性従業員の目を見た。女性従業員は慎太郎に見られ、目を逸らした。

 「私の顔をしっかり見てくれませんかね?」慎太郎が言ったが、女性従業員は目をつむり、下を向いたまま動かない。

 「今、埼玉県警で、一人の男性が妹を殺した罪で埼玉県警に捕まっております。不十分な証拠で。その男性は無実を訴えております。」そして、慎太郎は茂と拓也と貴子が写っている写真と・・・そして、茂の部屋で見つけた出生届の写真をその女性に見せた。

 「一人の母親が亡くなり、そして、一人の赤ちゃんが行方不明です。この出生届はきっと、この赤ちゃんが産まれた記念にきっと、この出生届書を写真に収めたんでしょう。この子が産まれるのをきっと、母親以上に待っていたのかもしれませんよ・・・?」慎太郎が写真を見せると女性従業員はちらりと、写真に目を通した。そして、目を通した瞬間・・・女性従業員は泣き出した。

 「け、警察が来た時・・・本当になかったんです・・・でも・・・!!その後、出生届書は出てきました・・・!!」

 「じゃあ、それを今すぐ出してくれませんか?」慎太郎が懇願すると、女性は首を横に振った。

 「もう・・・ないんです・・・!!」

 「え・・・?」慎太郎が聞き返す。

 「こ、怖くなって・・・わ、私・・・・それを・・・シュレッターに・・・処理・・・・してしまいました・・・・申し訳ございません!!」この瞬間・・・区役所中がシンと静まり返った。絶句した。慎太郎は悔しい顔をし、近くにあった壁を1回殴った。

 その後、女性従業員は神奈川県警へ連れて行かれた。重要書類を無断で破棄し、捜査を混乱させた事により、書類送検になるだろう。

 慎太郎は悔しさと怒りで頭を抱えた。埼玉県警がもっとちゃんと調べればこんな事にはならなかったし、もし、この事件の捜査が自分の担当だったらこんな事にはしなかった。慎太郎はそう思わざるをえなかった。

 「伊佐美課長・・・・。このまま高瀬の所へ行ってもいいですか?この事・・・報告しないと・・・。」

 「いいよ。私も一緒に行こう。それから・・・、橋本さんの実家にもこの事は報告をしよう。それからだね。海堂君、埼玉県警へ行ってくれるかい?」伊佐美に言われ、慎太郎は顔をあげた。

 「・・・え?」

 「埼玉県警の署長には私が話をしとく。君は・・・いち早くこの事を橋本さんを取り調べている刑事に知らせ、橋本さんをすぐに釈放するように促してくれ。君のやり方で構わない。」悔やんでいる暇はない。まだやるべき事は残っている。慎太郎は上司にそう言われた気がした。

 「分かりました。」こうして・・・今に至るのだった。

*

 埼玉県警の取調室内に重たい沈黙が走った。拓也は存在していたのだ。しかも、埼玉県警が最初に調べに来た頃にはまだ、出生届書はあったのだ。その真実がどれほど埼玉県警の捜査が杜撰なものだったか、はっきりしてしまったのだった。茂を取り調べていた刑事は顔を蒼白させていた。

 「今回我々が調べて分かった事は・・・拓也ちゃんは存在していたとの事、橋本貴子さんが亡くなられた死亡推定時刻は橋本さんがしっかり職場にいた事、そして・・・・橋本さんが仕事でいない時間であり、尚且つ貴子さんが亡くなった日に茂さんでもない人物が橋本さんの自宅に貴子さんと一緒にいた可能性があるという事。そして、その人物が貴子さんを殺害し、拓也ちゃんを誘拐したという事。あなた方もこれほど念入りに調べていればすぐに分かった事実ではありませんか?」慎太郎は埼玉県警の取調室にいる茂を取り調べている刑事達全員を睨みつけた。そして・・・。

 「我々警察は殺人事件の捜査上で第一に考えるのは被害者であり、そして被害者遺族の為に一日も早く犯人を捕まえる事だ!!だが、捜査方法を間違えると何の罪もない人を犯罪者にしてしまうんだ!!俺達警察は!!犯人を捕まえる為になら諦めずに捜査を続ける事は当たり前!!でもそれ以上に・・・真実を見誤り、間違った真相を作り上げ、何の罪もない人を不幸にすること・・・一番やってはいけない捜査方法だろう!!

 あんたらは何を考えて毎日刑事事件の捜査を行っているんだ!?こんなふざけた捜査方法で一人の人間の人生を狂わしているんだぞ!?そんな事を起こさない為にちゃんとした捜査をするのが俺達刑事の仕事じゃないのか!?」埼玉県警刑事全員に慎太郎は怒鳴りつけた。

 「この事はあんたたちの上司に全て報告済みだ!!さっさと橋本さんを釈放し、この事件を一から洗い直せ!!」慎太郎の怒号は埼玉県警内に響き渡っただろう。刑事達は硬直してしまった。だが、茂を取り調べていた刑事はまだ言い返す元気があった。

 「な、何を偉そうに!!若造が・・・!!」

 「おやおやおやおやおや!!その若造にここまで言われて悔しいのであればちゃんと捜査を洗い直して真実を私にお聞かせ願いませんかね!?」睨んできた刑事を更に鋭い目つきで慎太郎は睨み返した。慎太郎の怒りに満ちた目つきがこの刑事を黙らせた。

 そして、刑事をひと睨みした後、慎太郎は茂の方へと体を向けた。そして、何枚もの紙にホッチキスで留めたどこかの住所や会社名、電話番号が書いてある書類を机に置いた。

 「あなただけは・・・拓也ちゃんを諦めないでください・・・。諦めたらそこで試合終了なんでしょう?」慎太郎の言葉に茂は顔を上げて慎太郎を見上げた。

 「これは・・・微量ではありますが、行方不明者を探してくれる探偵の事務所の資料です。一読しておいてください。何か頼りになりそうな探偵があったら、その探偵に拓也ちゃんの捜索を依頼すればいいでしょう。

 あぁ、あなたには埼玉県警を訴える義務があります。探偵に払う料金は埼玉県警に支払ってもらえばいいでしょう。本当ならば、埼玉県警に再度捜索をさせればいいんでしょうが・・・今のあなたじゃ・・・警察は信頼出来ないでしょう・・・?」そう言って慎太郎は取調室を立ち去った。茂は何かを言おうと立ち上がったが緊張で声が出なかった。その変わり、嗚咽だけが取調室で響いたのだった。

 そして、それから何週間か後になった頃・・・。埼玉県警の茂への誤認逮捕がメディア中に知れ渡り、その日から毎日そのニュースでテレビやラジオ内は持ちきりになってしまった。

 埼玉県警は茂を釈放し、茂を取り調べていた刑事を懲戒免職処分にするしかなかった。毎日県警はメディアからの電話対応に追われる事になった。茂が県警から出て来たときには、工場の仲間たちである高瀬達の他に報道陣が県警前に待ち構え、一斉に茂へ取材を行おうと茂を取り囲んだのだ。

 工場長が気を遣ってくれ、何とかその場は工場の仲間たちが用意した車に乗って交わす事が出来た。

 「拓也ちゃんを・・探そうな!!」工場長が茂の背中をさすり、励ました。

 「はい・・・・!!」茂は泣き崩れた。そして、ふと思い出したように茂は慎太郎の事を口にした。

 「あの・・・神奈川県警の刑事さんは・・・今はもう神奈川に帰ったのかな・・・?」その言葉にいち早く反応したのは高瀬だ。

 「慎太郎はまた神奈川で起きた殺人事件で忙しいみたいなんだ。まぁ、そのうち会えると思うよ・・・。それよりも・・・橋本さん・・・お帰り・・・。」高瀬が言った。

 「・・・その人にお礼がしたい。今度・・・会わせてほしい・・・。」茂が泣きながら言った。

 「うん、分かったよ。連絡しておく。」だが・・・、それ以降、慎太郎も事件で大忙しとなり、ましてや1月には翔二が産まれたりと多忙な毎日を過ごしていた結果、それなりに高瀬と連絡は取っていたものの、慎太郎と茂が会う事はなかったのだ。2人が再会を果たしたのはそれから9年後の事だった。

*

 そして、9年後・・・。神奈川県横須賀市。赤い屋根の大きな家の庭に少し小さい物置小屋があった。安藤佳奈はそこへ行き、その物置小屋のドアをどんどん叩いた。

 「起きな!!朝だよ!!いつまで寝ているんだい!?さっさと起きな!!」ドア越しにいる人物を怒鳴り声で起こす。

 「あと1分以内に起きなかったら風呂場だからね!!」一言、またそう怒鳴りつけて佳奈は物置小屋から立ち去った。

 物置小屋の中には当時小学校3年生でこの時8歳、厳密に言うと7月に9歳になる安藤拓也がいたのだ。

 時期は5月だと言うのに、たまに真夏の様な暑さがくるような気候だった。そんな時期に拓也はボロボロの冬用トレーナーを着ていた。

 部屋から出て、拓也はよろよろ歩きながら家の中へと入って行った。傍から見て、拓也はガリガリに痩せていた。身長も小学校3年生というよりは、3歳児の様な身長だったのだ。

 拓也には3人兄と姉がいた。兄が2人、姉が1人だ。義理母の佳奈も3人の兄や姉たちももともと横須賀市にいた自分達が住んでいた家と学校を拓也が来たことにより引っ越さなくてはいけなくなった為、父親と拓也をひどく憎んでいた。父親の安藤裕也も罪悪感はあったのだろうか、同じ横須賀市内に引っ越したものの、引っ越してから子供達にはろくに口を聞いてくれない生活を送っていた。

 そんな中で、裕也が拓也に愛情を注ぐわけでもなかった。拓也の面倒は結局、佳奈に見させていた。

 佳奈は憎しみから拓也の面倒をまともに見てはいなかった。拓也が産まれて9年間、まともな食事も与えていない。拓也は9年間、佳奈から与えられていた食事は賞味期限が切れたカップ麺のみだった。

 3人の兄と姉が美味しい手作りの料理を食べている中、拓也は一人だけ、カップ麺を渡されていた。

 最初に渡された時、漢字も読めなかった拓也は義理母に聞いた。

 「お母さん・・・どうやって食べるの・・・?」

 「自分で読みな!!」そう言われてカップ麺の食べ方すら教えてもらえず、拓也は中の麺をお湯に入れずにバリバリ音をたてながら食べていた。更に、小学校に上がって字が読める様になっても、お湯の沸かし方が分からず聞いても教えてもらえず、この食べ方は今でも継続しているのだった。拓也はそんな生活を9年間もしていたのだった。もちろん、父裕也はそんな拓也を見て見ぬふりを9年間続けていたのだ。

 更に拓也が孤独を感じていたのは、家庭内だけでもなかったのだ。学校でも、拓也はクラスで孤立していた。

 「くっせー!」

 「安藤暗い~!!俺仲良くなりたくなーい!!」等と、クラスメイトからも避けられたり、気味悪がれ、心無い言葉を言われ続けた為、友達も出来なかったのだ。

 そんな拓也を唯一気にかけていたのは担任の先生だった。

 「こら!!拓也君に意地悪すると先生が許さないぞ!!」生徒たちに怒り、拓也を一人の人間として優しくしてくれたのは担任の先生である、佐倉先生だった。佐倉先生は、拓也に目線を合わせてしゃがみこみ、言葉を発した。

 「拓也君、今日、夏みたいにあっついから、このトレーナー脱ごうか?」優しく声をかけてくれたが、拓也にとって地獄の言葉だった。

 「い、嫌です・・・!!」拓也は青ざめ、せっかく話しかけてくれた佐倉先生からも逃げてしまった。この時すでに、この先生は気づいていたのかもしれない。拓也の他の生徒とは違う異変に・・・。

 学校から帰ると、拓也はすぐに家から離れている自分の部屋である物置小屋へと引きこもった。義理母の顔を見るのが怖いのだ。だけど、父には話しかけたい。物置小屋で宿題をして、父の帰りを待っていた。だけど、今まで父に話しかけても父が拓也の目を見て自分の話を聞いてくれた事など、一度もなかった。だけど、拓也は諦めたくなかった。どうしても、家族の誰かに愛してもらいたかったのだ。

 夕飯が終わった後、こっそり父の書斎へと向かった。部屋が明るかった為、父がいると思った拓也は父の部屋へと入って行った。

 「パパ!!あのね!!今日ね学校でね、担任の先生に褒められちゃった!!僕ね、かけっこクラスで一番だったんだよ!!」元気よく話しかけた。だけど、父の言葉はいつも決まってこうだ。

 「拓也・・・お父さんは忙しいんだ。」冷たく、顔を拓也に向けないままそう言った。

 「ご、ごめんなさい・・・でもね・・パパ・・・。」拓也が話を続けようとすると、次の瞬間、拓也の体は凍り付いた。

 「拓也。」その言葉を聞くたびに、体がビクッと強張り、震えあがった。

 「あんた・・・・何してんの?」義理母の佳奈が、拓也を鬼の様な形相で見下ろしていた。拓也は一瞬で体が震えあがった。

 「あ・・・あの・・・。」ガタガタと震えながら拓也は恐る恐る振り向く。

 「お父さんは忙しいって言っているのが聞こえないの?」

 「ご、ごめんなさい・・・お母さ・・・。」謝罪をしようとした瞬間、拓也は髪を鷲掴みされた。

 「あんたは!!何度言っても分からない子だね!!さすがあの阿婆擦れの息子だよ!!

 来な!!お仕置きだよ!!」髪を鷲掴みにされ、ズルズルと風呂場へと拓也は連れて行かれる。

 「お、お風呂は嫌です・・・お風呂は嫌です・・・お母さん・・・許して下さ・・・。」その瞬間、今度は顔をグーで殴られた。

 「お母さんって呼ぶな!!私はあんたみたいなクズを産んだ覚えはないよ!!」拓也に佳奈は怒鳴りつけた。顔を殴られた拓也は口から血を出していた。

 風呂場へ連れて行かれ、拓也は体を床へ投げつけられた。すぐ横にはデッキブラシがあった。拓也は強引に上半身を裸にさせられ、そのまま背中を足で踏みつけられた。

 「この汚らわしいガキ!!あんたの中にこびりついた汚い血を洗い流してあげるよ!!」そう言って佳奈は拓也の背中にデッキブラシを当て、こすりつけた。拓也の背中はたちまち血で真っ赤に染まった。

 「ご、ごめんなさ・・・!!」謝ろうとしたが、拓也は背中の激痛に耐えるのが精一杯でその後、声を出せなくなった。

 ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい・・・・!!

 心の中で何度も謝罪した。気を失った頃には佳奈はデッキブラシを最後に拓也の背中に投げつけ、風呂場のドアをぴしゃりと閉めたのだった。

 これが、拓也の9年間の日常であった。

 拓也は気を失う前、必ず佳奈に言われている言葉があり、それが耳の中で呪文のようにこびりついて離れないのだ。拓也自身、その言葉をずっと心の中で言っていた。

 僕はふりんで産まれた子。生きてはいけない存在・・・。

*

 最近、嫌なニュースばかりが目についた。海堂慎太郎はコーヒーを飲みながら眉間に皺を寄せてニュースを見ていた。

 大阪府で子供の変死体がマンションのベランダで発見された。検死した結果、親から受けた虐待が原因で、栄養失調、それから体中にあった痣から日常的に身体的な虐待もあったとされていて、母親と内縁の夫が逮捕されたというニュースだった。

 「全く持って腹ただしいニュースだ。」そう言って慎太郎はコーヒーを飲み干し、椅子から立ち上がってタンスの方へと向かった。ネクタイを締め直し、スーツを着た。

 「そう言えば・・・神奈川でもありましたね。子供が虐待されて遺体で発見されたニュース。」妻の翔子が言った。

 「あぁ。それを担当したのは俺だ。子供の遺体がゴミ捨て場で発見されたやつだ。すぐにウラを取ったら、やっぱり親が虐待しやがって動かなくなったからゴミ捨て場に捨てただと。ふざけた親が多いぜ。」と、慎太郎が答えた。そして、慎太郎は息子の部屋へ向かった。

 「翔二!!もう7時だぞ!!起きろ!!」自分の部屋で寝くさっている息子の翔二を起こしに来た。

 「あと5分~~~。」翔二がそう言って毛布にくるまった。

 「ほぉ?」慎太郎はニヤリと笑い、翔二の脇腹をくすぐった。

 「うわっはっはっはっはっ!!」

 「おらおらおらおらおら!!」

 「や、やめてよパパ!!」翔二が大笑いした。これが、当時8歳、小学校3年生の翔二だ。まだ髪は真っ黒で可愛らしく父をパパと呼んでいた。(今は知っているかと思うが、親父と呼んでいる。)

 「今日は逮捕に取り調べだ。ちょっと遅くなるかも。」慎太郎が妻に言った。どうやら、担当している事件に犯人が割り出され、逮捕状が発行された為、逮捕状を持って犯人の所へ行くようだ。それから、取り調べを行うらしい。今回慎太郎が行う取り調べは、神奈川県海老名市で起こった男性がバラバラ死体となって発見された事件だ。犯人が捜査で割り出され、知人の男が犯人である証拠を掴み、その男の逮捕状を取り、本日逮捕する見込みだという。

 「じゃあ、行ってきます。」翔二の頭をグリグリ撫でて、玄関の外へと出て行った。

 「さぁ、翔ちゃんも支度して。」母に言われ、翔二は目をこすりながら私服に着替えて学校の準備をした。

 翔二の朝ご飯は、白米と母特性の卵焼きに昨日のご飯の残りの切干大根、わかめと豆腐の味噌汁だった。翔二は朝食を食べ、ランドセルをしょって8時には家を出た。これが、翔二の朝の日常であった。

*

 「お母さんずるい!!」そう言ったのは安藤家の長男、裕介だ。

 「拓也を痛めつける時は俺も呼んでって言ったじゃん!!」

 「それを言うなら私だって!!」

 「俺も同じ気持ちだよ!!」続いて長女、次男も母に言った。

 「ごめんなさいね、裕介、真奈、裕斗。あなたたちは学校の部活や受験やらで忙しいと思って。」ニコニコ話しながら佳奈が言った。この3人の息子、娘たちの前では見た感じは優しい母親なのだ。だがこの会話、普通の親子の会話には聞こえはしない。

 「拓也は!?」次男が言った。

 「まだ学校から帰ってはないわよ。あいつ、最近怖いのか帰りが遅いのよ。」佳奈が言った。

 「そのままどっかで死んでてくれればいいのにね!!」長女が言った。

 「全くだよ。いなくていいよあいつ。」長男が言った。日常的にこんな会話がある事、裕也だって知っていた。だが、何もこの家族に言えない裕也は聞こえないふりを続けていた。自分達に裕也が何も言えない事、この4人は分かっていた。

 「でも、いないといないであなたたちストレス発散できないでしょう?」佳奈が言うと、

 「そりゃそうだ!!」と、3人の子供達は大笑いをした。

 その頃拓也は、学校の教室で席に座ったまま、動けないでいた。もう少しで、下校時間を知らせる放送が流れる。早く帰らなくちゃ。そう思ってはいるのだが、体が動かない。

 帰ったらまた、義理母、もしくは義理の兄や姉たちに暴力を振るわれる。そう思っていた。

 「拓也君?」声をかけられてビクッとなった。担任の佐倉先生だ。

 「どうしたの?もう・・・。」声をかけようとしたが、拓也はランドセルを持って足早に教室を出た。

 「ご、ごめんなさい・・・帰ります!!」教室をまるで逃げる様に出て行った拓也を佐倉先生は拓也のその後ろ姿を見ていた。

 (あの子は・・・何をそんなにおびえているの・・・?)この疑問が佐倉先生を悩ませた。

 足早に学校を出たものの、拓也は帰りたくはなかった。誰よりも、きっと亀よりも遅く歩いていた。でも途中で足早に歩くようになり、また家が近づくと亀のように遅く歩く。この繰り返しだった。

 帰りたくない。でも、帰らないとその後のお仕置きがまたひどい。だから帰らないと。拓也の中にそんな葛藤が心の中で渦巻いていて苦しかった。誰か、この地獄から手を差し伸べて逃がしてくれないだろうか?何度も自殺を考えた。でも、死ぬのは怖い。毎日そんな事を考えながら暮らしている。

 「・・・・ただいま・・。」誰にも聞こえないような小さな声で拓也は言った。そろりと足音を立てないように家から離れた物置小屋へと向かう。リビングがある家にはまず入らない。

 物置小屋のドアを開けた瞬間、義理母が仁王立ちして自分の帰りを待っていた。拓也はその瞬間、体をビクッと強張らせた。

 「・・・・あ・・・・。」

 「拓也?あんた今何時だと思っているの?」まるで悪霊の様な形相で佳奈は拓也を見下ろしていた。

 「ご、ごめんなさい・・・。」体をガタガタ震わせながら拓也は謝罪した。

 「あんたがね、帰らないとご飯の準備が遅くなるの!!それ分かってるの!?」佳奈が拓也に怒鳴りつけた。もちろん、拓也の晩御飯の準備なんて、この9年間、1回も用意した事がない。でも、佳奈は何かと理由をつけて拓也を虐待したいのだ。こんな嘘っぱちを平気で言って、拓也を殴る口実を作る。

 風呂場での虐待が終わると、拓也は傷だらけの体に鞭を打ち、風呂場から出て来て歩いた。向かった先は、父、裕也の部屋。

 「ぱ・・・パパ・・・。」ズルズルと傷だらけの体を引きずりながら父の部屋の中へと入って行った。

 裕也は一度は振り向いたが、拓也の痛々しい姿を見たからなのか、それとも完全に拓也への愛情を覚めてしまったからなのか分からないが、一度拓也を見た後はまた、拓也から視線を外した。

 「お、教えてください・・・。ぼ、僕は・・・僕を産んだ本当のお母さんは・・・な、何で・・・僕を産んだんですか・・・?」その質問をした瞬間、父が豹変した。

 「そ、そんなの俺が知るか!!いいか拓也!!こんな質問二度とするな!!

 さぁ、出て行くんだ!!自分の部屋へ戻れ!!」そう言って傷だらけの拓也を自分の部屋から追い出し、突き飛ばした。拓也は涙を流しながら閉め出された父の部屋のドアを絶望した顔をして見ていた。

 「ご、ごめんなさい・・・パパ・・・ごめんなさい・・・お願い・・・・。」拓也がドアにしがみつき、泣き出した。

 お願い・・・僕を嫌わないで・・・!!

 ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい・・・・・・!!!

 どんなに心の中で謝罪しても、父がドアを開けてくれることはなかった。本当は、声を出して謝罪をしたかった。でも、拓也はもう怖くて怖くて声を出せなかった。そして、そんな事をしているところを今度は兄たちに見られてしまう。

 「父さんに何したんだよ!?」長男の裕介が拓也に怒鳴りつけた。

 「ご、ごめんなさい・・お兄ちゃん・・・ち、違うんです・・・!!」

 「何が違うんだよ!?このクズ!!」

 「てゆうかいるのうざいから早く死ねよ!!」そう言って、次男、長女も続けて拓也に暴行した。最後は、階段から拓也を蹴り落として3人は笑いながら自分達の部屋へと戻って行った。

 階段から落ちて頭を打った拓也は、一時、気を失った。それを見た継母の佳奈は拓也を蹴り、最後に階段を登るように拓也の背中を踏みつけて二階へと上がって行った。

 気が付いた頃には真夜中の3時を回っていた。拓也はふらふらになりながら庭に出て、自分の部屋である物置小屋へと戻って行った。

*

 5月の中旬。まるで真夏の様な暑さだった。スーツなんて着てたら汗だくになってしまう。慎太郎はYシャツ一枚で何とか暑さをしのいでいた。

 「いやあ、参ったね、この暑さは。」上司の伊佐美も扇子を持って仰いでいた。

 「はい。全くですね。」運転をしながら慎太郎も答えた。神奈川県海老名市で起こった殺人事件の捜査が終わった後、今度は横須賀市で19歳男子大学生の首吊り遺体が上がった。多分自殺だろうと横須賀署の所轄からは連絡を貰ったが、慎太郎は一回でも自分の目で見てみたい為、その現場へと向かっている途中だった。

 「多分、横須賀署はほぼ自殺で間違いないと考えているみたいだけど・・・そんなに見たいかい?」伊佐美が聞いた。

 「え、えぇ・・・気になるものでして。」慎太郎も自殺だとは思いつつ、人が死んだのだ。念の為自分でも確認したい性格だった。信号が赤になり、車を停めた。

 信号を待っている頃、隣の歩道に小さい子供がランドセルを背負って歩いていた。慎太郎はその子に目を留めた。あまりにも小さいのだ。見た感じ、3歳児がランドセルを背負っているような風に見えた。

 普通にそういう風に見えたものだから、お兄ちゃんのランドセルを借りて背負っていると思い、可愛いなくらいに思って見ていたが、その子に気になる仕草を見つけてしまった。ふらふらなのだ。それに、今日は夏のように暑いのに、分厚い冬用のトレーナーを着ていた。

 「課長・・・あの子・・・。」慎太郎がその子の服の恰好などに違和感を覚え、伊佐美に相談し、その結果、声をかける事にした。

 「君!!暑いだろう!?大丈夫かい?」慎太郎が声をかけた瞬間に、その少年はバタリと倒れてしまった。

 「いかん!!」助手席に乗っていた伊佐美が車から降りて、その少年の傍へと駆け寄った。

 「トレーナーを脱がせましょう!!熱中症になってしまいます!!あと、救急車を呼びます!!」慎太郎がそう言って携帯を取った。伊佐美は、その子のトレーナーをすぐに脱がせた瞬間、手を止めた。

 「海堂君・・・呼ぶのは救急車だけではないかもしれないよ・・・。」

 「え?」慎太郎が振り向くと、伊佐美はその少年の体を見せた。少年の体中に痣や擦り傷のような物が多数あった。慎太郎は言葉を失った。

 これが、慎太郎と当時、小学校3年生だった拓也との出会いだった。


 第15章に続く。

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