7.VS エイリーン・アルドリッジ(2)
エイリーンは揶揄するように口元を歪めたままだ。
「誤解?」
「えぇ、誤解ですとも」
器用にも、手をあげたまま肩を竦めるようなジェスチャーを見せる。
ジェリセは事此処に至っても余裕があるように見えた。
「1点目。まず我らは国を売りに来たのではない」
「では、何を目的としているのです?」
「リュヌの主権維持。つまりは中立策ですな」
それを聞いて、僅かに驚いたか考えることがあったのだろう。
エイリーンは一瞬だけ、その切れ長の眼を瞑った。
そして嘲笑の表情は消えるが、その開いた眼の眼差しはいっそう強くなったように思える。
ディントからしてみても、表情が豊かなタイプのようだ。
鉄面皮というようなわけでもなく、笑顔だけで応じるのでもなく。分かりやすい人なのかもしれない。
しかし、場の空気は変わっていない。
この状況では1つ、応対を間違えれば身が脅かされるのは違いない。
ディントは半ば祈る気持ちでジェリセに内心で声援を送っていた。
「……夢物語ね」
「えぇ。しかし、不可能ではない」
「ワタクシを説き伏せることが出来れば、でしょう?」
「仰るとおり」
お互いに淡々と言葉のやり取りを重ねる。
しかし、どうやら有無をいわさずというわけでなく、話自体を聞くつもりはあるようだ。
そう、信じるしかないとも言えるのだが。
「2点目。あくまでリュヌは、対等な交渉を望む」
「ですから。立場が――」
エイリーンが眉を顰め、あくまで立場が違うと主張しようとしたその時。
ジェリセが強い語調でそれを遮った。
「このジェリセにブラフなど通じるものか。小賢しい雌狐め」
ディントはそれを聞いて思わず武装した男たちからジェリセを庇おうと、前に飛び出した。
こと、この場においては彼を傷付けさせるわけにはいかない。
自分の命は良い。しかし、ジェリセが仮に命を落としたならば。
その時は、想像したくない最悪の未来さえ考えられる。
この状況、ディントは思考がそう追いつく前に。
考えることなく即座にジェリセの前に立ち、両手を広げた。
しかし、その必要はなかった。
エイリーンが、眼をギラギラと怒りに燃えさせている中で実に冷静に、男たちを手で制していたからだ。
「対等、対等ね。何故そう出来ると考えているか。お教え願いたいわ。可愛い蛙さん?」
目線はジェリセに向かっている。
ジェリセもまたその大きな眼をじっと、エイリーンへと向けている。
見つめ合い、そして互いの意思をぶつける。
「貴女自身が此処に来ている。
その一点において間違いなく、貴女も認識を同じくしているはずだ」
「へえ?」
ここにきて、エイリーンは面白げにこちらを窺うような雰囲気を見せた。
腕組みをして、挑戦的な雰囲気。
空気に熱が入り始めていく。
「戦争を望まないのはアルバも同じ。
……いや、アルドリッジ家の望みと言い切ってしまいましょう。貴女達に利することはないはずだ」
「理屈の問題でしかないわね。
こちらがそれを切れないカードだとでも安心しきっているならば、それは間違った認識よ」
「リュヌが孤立するなんて前提は希望的に過ぎませんか?」
ディントの頭の上を、数々の言葉が飛び越えていく。
遅れて理解していくと、戦争することを辞さないことがアルバとリュヌの国力差の問題を感じさせ、こちらに屈服するように求めている。
つまりは暴力装置が動くかどうか、動かせるかどうか、動かすに足る理由があるかどうか。そこが争点であるとジェリセは言った。
エイリーンは、その抑止力が常に働くと限らないと言った。
そして、最後にジェリセは――
「ふむ。既に、或いはもう近くにエクリプスやソレイユと連携してアルバを侵そうと。
それが出来るかもしれないと――そういうブラフね」
そして、更にそれをエイリーンがただのブラフ、妄言でしかないと否定する。
エイリーンの読みは正しい。
リュヌに即座にそういった動きが出来るつてなどない。
というより、今まで各国との距離感を保つよう離れ気味に立ちまわってきたのだ。
今更特定の国と誼を通じるには、相応の苦労を要する。
少なくともディントはそういった情報を耳にした記憶はなかった。
そこにジェリセが反論する。
「仮にそういうことにしたとしても。
リュヌとアルバが戦争状態になったら、ソレイユが動くのは間違いない。そうでしょう?」
――ソレイユがアルバを読みきれぬように、アルバもまたソレイユに不安を抱いているはずだ。攻めてこない確信など抱いているはずがない。
そう言外に言っている。
ソレイユへの交渉プランをおおよそ聞かされていたディントはその意味を読み取ることが出来た。
大国故に。大国間が安易に動けない隙を突く、弱者の戦略。
それがリュヌの取るべき道であるのだと。恐らく彼に聞けば、そうしたり顔で言うのだろう。
「戦争の回避、それは我らの共通した目的だと認識している」
ジェリセは再度強調した。そこが要なのだ、というように。
「……或いはこちらに様々、強要できればとでも思ったのだろうが、甘い。
ヘイゼル陛下はそんな甘いお人ではないし、その信任を受けたこの私もまたそれは同じだ」
「…………」
エイリーンはただ黙っている。
ジェリセは、最後に。決意表明のように。一声、小さくも響く声で言った。
「屈するものか。屈しないよ、私は」
緊張の質が変わっていく。
エイリーンがもし、その横に伸ばした手をこちらに向ければ。
その瞬間に男たちは殺到し、ジェリセとディントは無事では居られないだろう。
ディントは、チラと背後の扉を窺った。
そこに誰かが配置されている可能性はゼロではないが、脱出するならばそこからである。
ジェリセだけでも、逃がさねばならないかもしれない。
「…………」
エイリーンがひとつ、深く息をついた。
「聞かせて」
「何でしょう」
「どうして、そこまで言えるの?」
「私は、そう在らねばならないからだ。こんなことで屈するのは、裏切りでしかない」
「命は惜しくない?」
「貴女も随分と、演技に徹するのに苦労しているようですが」
「っ! 関係ないわ。ワタクシはやるとなったらやる」
エイリーンは一瞬だけ、その言葉に狼狽えたようだったが直ぐに表情に鋭さを取り戻す。
「今見逃しているのは、貴方達の論に耳を傾ける価値があるかどうか、見極める為よ」
「私も、同じですよ。この場でこうして意を通そうと立っているのは陛下の為、セーラ様の為。やるべきことをやるまで。それでしかない」
「繰り返すわ。たとえ、命を賭してでもと?」
「…………」
そこでジェリセはあげていた両手をおろし、睨みつけるようにしてエイリーンに向けて指をさした。
「私は、彼女に生きて命を達せよと言われた。
そして私はこんなつまらないところで死ぬつもりもない。しかし、しかしだ」
一拍。呼吸を置いて。ジェリセは神に誓うかのように高らかに次の一言を叫んだ。
「私は、あのお二方のためならば命さえ費やしても惜しくはない。
私を救って下さった方が私の才を認め、その私を信じてくださる。
これほどの幸せが他にあろうか。そこに殉ずることに何の躊躇いがあろうか」
「…………」
ディントは、その熱い言葉に胸を打たれる思いだった。
そして、彼のことを内心疑い続けていたことを恥じた。
血筋ではない。
種族ではない。
サー・ジェリセは真に。
彼女たち2人に仕えようとその全てを賭けているのだと。
そう納得させられた。
その言葉は、その行動は。
ハッタリではない。
この状況下、ジェリセを庇おうとするだけで、何も言えなかったディントと比較してみれば良い。
一目瞭然だ。
ディントは、自らの覚悟の浅さを恥じた。
そしてエイリーンはそれを聞いて固まったようにして、ただじっとジェリセを見ている。
或いは呆然としているのか。
そこにあるのは、驚きか。それとも。
その宣言の後生まれた沈黙に、殺気などこもりようもなく。
武装した男たちも、呆気に取られたようにしている。
「…………あはは」
やがて。エイリーンは笑い出した。
その乾いた笑いに。ジェリセはニンマリと笑った。
「負けよ、負け負け。全く、あはははは。こんなの抱えてるんだ、あの氷の女王が!」
「ヘイゼル陛下は、尊敬に値するお方ですよ」
「くふふ、あぁ……おかしいわ。
貴方は、自分の種族のことにだって、苦労してきたでしょうに……」
「貴女と同じですよ。
貴女の言う、お家の為が。私にとってはお国の為。彼女たちの為だった。それだけです」
「えぇ、そうね。きっとそうだわ。……全く。慣れないことはするもんじゃないわね」
エイリーンの、手が、下がった。
「……良いわ。アレン以外は下がりなさい」
エイリーンはそう言って、今度はディントとジェリセに椅子に座るよう勧めた。
「対等な交渉とやらに、乗ってあげる」