5.
明くる日。
ディントとジェリセの2人はアルドリッジ家の邸宅の門を叩いていた。
ジェリセは前日、意味深に「まぁ、挨拶をして直ぐ帰ることになるだろうけどね」などと言っていたが、その発言の真意をディントはようやく理解していた。
門前まできて、使用人と思われる人間を捕まえ、用件を伝える。
そうして待つこと暫し。
大柄の執事――恐らくは家の取りまとめ役だろう――が困ったような顔を浮かべてやってきた。
「ご主人様は今新都に居られ、暫く帰らないと聞いております」
首を振り、丁寧且つ遠回しに言われたその言葉は明確に拒絶を意味していた。
つまり、門前払いである。
「だろうね」
「代理でもいいので話を通せる方は?」
物分かり良く頷くジェリセに違和感を感じながら、ディントは少し粘ってみた。
もしかしたら何らかの反応が引き出せるかもしれないし、話を少しでも出来るかもしれない。
貴族というものは本人が居なくてもある程度差配できるよう、領地代理人を置いているものなのだが……。
「領内の差配を行っている家令も別用で出ています」
使えない……!
思わずディントは悪態をつきたくなったが、グッと我慢した。
しかし、コレほどの屈辱は久しぶりだとさえ思った。
自分たちは国難を解決するため、女王陛下から王令を受けてきているのだというのに、こんなぞんざいな対応なのか!
そう言って詰め寄りたかったが、そんなことをしては益々国の威信に瑕をつけてしまう。
自分だけならば良いが、ヘッセの家、ひいてはリュヌの評判に関わってしまってはディントだけの問題ではなくなってしまう。
「……分かった。一応、そちらの方から主人か領地代理人の方に話をしておいて頂けますか」
ジェリセだけが淡々と対応している。
ディントはもう、一言だって発する気力を失っていた。
何かが折れたか、萎えた気分だ。
「畏まりました。宿はどちらでしょう。何かあれば伝えます」
「助かる。この紙に記してある宿に連絡してくれ。……それじゃ頼むよ」
帰り際に執事に向けて握手を求めると、執事はニヤリと笑いジェリセの手を両手でガッチリと握りしめた。
礼儀として、幾許かの金銭を受け渡したのだろう。見るからに機嫌が良さそうだ。
ディントとしては苦虫を噛み潰したいような思いだったが、確かに使用人を操縦し、印象操作をするならば有効な一手である。特に何も言わなかった。
が、それでもジェリセに問いただしたいことがあった。
帰り道、あの執事がこちらの姿が見えなくなるまで見送っている変わり身にため息をつきながら、誰の目もなくなったところで、ディントは口を開いた。
「アポイントメントは?」
こんな扱いを受けるのは、根回しが足りなかったんじゃないか。
ディントはジェリセに暗にそう言った。
「とっている。といっても計算上、書状が届いて最速でこちらに戻ってくるのがちょうど今頃だ。
ただ忙しいだけかもしれないし、或いはわざと遅れてこようとしてるのか」
「そんな真似をしてあちらに利することがありますか?」
「どうだろう。あるとも言えるし、ないとも言えるかもね。
そこで右往左往する僕らを期待しているのかもしれない。
交渉とは足もとを見たほうが圧倒的に優位だからねぇ。
……エイリーン・アルドリッジに商才と共に政治感覚が備わっているならば、今回の我々の目的もタイミングから見て、感づいている可能性だってある。
そう考えるなら、何か企んでいても不思議じゃない」
暢気に立ち止まり、いつものようにパイプに煙草の葉を詰めた。
手慣れた作業の後に、気持ち良さ気に一服を楽しんでみせるとディントの憤懣やるかたない思いが伝わったのだろう。肩を竦めた。
「そういきることはないよ。
予想していたことではあることだし、そもそも本来の窓口だった別の貴族に今、陛下の使者があたってる。
まぁそちらは殆ど形式的なやり取りだけして、面倒事が起こらないように保険としてなんだが」
「だとしたら余計にこちらが滞るわけにはいかないじゃないですか」
「まぁ、そう言うな」
ぷかぷかと煙が立ち上っていく。それを見やり、面白げにしているその様はとても焦りが見られない。
「何度も言うが、最初から分かっていたことだ。
根回しをして、他の国境付近の貴族にも会っていますとアピールをして。
どちらにせよ、アルバの貴族は新都か古都に大体出ずっぱりだ。
どうしても会談をするタイムラグは発生する。こちらからそこまで出向かない限りね」
「ですがそこまで行くのは――」
こちらから赴くリスクを述べようとしたディントに、蛙の外交官は分かっていると首を振った。
「だから結局待つしかないのだ。この街でね。
それも含めて、下手を打っている時間はないし、他の選択肢も取りようがない。強いて言えば」
「強いて言えば?」
「この時間が彼女たちに有利を齎すことはないと、こちらも万全の準備をして証明する。
その機会が貰えたということさ」
「何か、やるんですか?」
「うん。実はね、税金の話をしただろう?」
「はぁ」
「ちょっと、考えていることがあるんだ」
何を悪巧みしてるのやら。
ディントは少しだけ、まだ見ぬアルドリッジの狐娘などよりこの蛙が不気味に思えた。
* * * * * * * * * * * *
それから1週間は経っただろうか。
ジェリセがどうやって貯めたのか持ち出してきた大量の資金がなければ、旅費がそろそろ厳しくなっていたかもしれない。そんな頃合いだった。
エイリーン・アルドリッジその人が帰ってきたと、ディントたちが世話になっている宿屋に連絡が届いた。
「さて、開戦だ」
ジェリセはそう言って、唇を舐めた。
この蛙は、何事かに構えるときにそうする癖があるらしい。
ペロリと長い舌でそうする仕草に、ディントも大分慣れてきた。
「戦、か……」
「あぁそうだとも。血の流れない戦だよ。失敗した時にこそ、犠牲が出るかもしれないがね」
大任を仰せつかったものだ。
冗談めかしてそんな風に言うジェリセに、ディントは笑った。
本心からは言っていないだろうと想像出来たからだ。
自分なら出来ると。そう信じ込んでいる、いっそ傲慢とさえ言える自信が彼に漲っていることは外から見ても分かるというものだ。
馬車に乗り込み、舗装された道を進む。
アルドリッジの邸宅の敷地は広大であり、商家のひしめくエリアよりも奥の中心部に位置していた。
馬車の中では2人無言であった。
ディントは何となく緊張していたし、ジェリセは黙考し続け、どういうふうに立ちまわるかひたすらに考えているような風だった。
パイプから煙を吸い、時折目を瞑る蛙の思考をディントに読むことは出来ない。
……やがて、馬車が止まるとガタンと一際跳ねた。
この都市の道はある程度石畳を敷いたまともなものであるが、それでも馬車はガタゴトと揺れていた。
或いは、そこで気持ち悪くなり調子を崩さないことが前哨戦であるといってもいいぐらいだった。
そうしてディントが顔を顰めつつも外に出て御者に手間賃を渡すと、暫くしてからジェリセがゆったりとした足取りで出てきた。
調子は良好なようだ。邸宅を視界に収め、腕組みをするその様子には余裕が見られる。
ジェリセは腰に吊るしていた水革――革製の水筒――から水を煽るとその不味さにか、顔を顰める。
その様子にディントは笑い、ジェリセは肩を竦めた。
「不味い水でも、飲めないよりはマシというものだ」
「あちらに乗り込めば出してもらえるかもしれないのに」
「その好意を引き出すかどうかも、選択肢の1つであるし恐らく最初は喉が乾くような展開が待っているよ」
ふむ。そういうものだろうか。
確かに、以前訪れた時のぞんざいな対応を考えるに。そう丁寧な応対がされるとは考えづらい。
そうするとジェリセの論は説得力を持ち、ある程度の流れを既に考えているのだろう。
「……最悪は、武力さえチラつかせてくる可能性がある」
「嘘でしょう?」
あちらが或いは、多少圧迫的に来る可能性はディントとて考えた。
リュヌとアルバの国力差を考えれば、あちらがそうしないとは限らないからだ。
しかし、武力までチラつかせて?
そんな身の危険を覚悟する必要があるのか。
「ま、可能性の1つではあるがね」
「…………」
信じがたい。信じがたいが……。
「しかし、我らは退けぬ。くれぐれも下手なことは言うなよ?
なに、悪いようにはしないさ」
それは無論だ。
ここまで来たら、ジェリセに異を唱えてこの機会を不意にするのは余程のことがない限り、愚かだとしか言い様がない。
最大限、リュヌのために成功させなければならない。
ジェリセが何を考えているかは、知らない。
彼は思わせぶりに言うだけで、ディントに今回の見通しの全てを喋りもしていないからだ。
まぁ良い。ディントはその悪巧みに流されるままだ。
どうせ出来ることもそう多くはない。折角であるし、経験を積むために見学させてもらおう。
――最悪は、女王陛下の為に自分が身代わりにならなければならないかもしれない。
その覚悟だけは決めながら、アルドリッジ邸に足を踏み入れたのだった。