4.馬車とアルバでの食事。
エイリーン・アルドリッジ。
狐の亜人の血を引くアルドリッジ家の一人娘にして現当主である。
若き新鋭とでもいう言葉がピッタリの人物で、老獪な先代当主の力を借りつつも、古国アルバの中で確かな存在感を持つ1人である。
アルドリッジの強欲狐。そう揶揄される彼女は商売に明るく、見識も広く豊かだという。
世間知らずの貴族のお嬢様ではない。
決して、騙しやすかったり取り込みやすいといった類の相手ではない。
「しかし、ここを抑えることはほぼ必須の条件だと言っていい」
馬車に揺られながら、念を押すようにジェリセは言う。
「他に候補が居るんじゃないんですか? そこまで切羽詰まって考えなくても……」
ディントは首を傾げた。
それにしても、このリュヌから他国に出るには一苦労だ。
馬車に乗れる程度に道を通しているとはいえ、基本的には悪路であり、ガタゴトと揺れる乗り心地は決して良いものではない。
アルバへの留学を一度経験しているディントはともかく、ジェリセが何か文句を言わないかと思ったが、存外に慣れている様子で雑談を楽しむ余裕もあるようだった。
「考える必要があるのだよ」
「はぁ」
国境地帯の貴族全員に当たるつもりでいるのだと思っていたディントは予想が外れて考えこむ。
「時間がそこまでないんですか?」
「その要素も少なからずあるが、理由としては弱いね」
だとするならば。最初から交渉の成功を考えることの出来る相手が彼女しか居ないと。
そういう見込みなのだろうか。
ディントの思案の内容を読み取ったのか、ジェリセは頷いた。
「彼女相手に話を持ちかけて、少なくとも悩んでもらうぐらいはして貰わねば、リュヌの立場はどうしようもないのだ」
「どうしようもない、ですか」
「あぁ。どうしようもない。物事は整理して考えよ。
……リュヌにとって、今回の件。勝利条件は何と考えるかね?」
勝利条件。
戦でもあるまいに、と思ったがディントは思い直して左右に頭を振った。
もしかしたら、戦争を呼び込むかもしれないのだ。
その回避に動くことは、ある意味で戦に準ずる。
「戦を回避すること……ですか?」
「違う」
そういって、一呼吸をおいたジェリセは目を瞑って何かを思い馳せたように見えた。
「リュヌという国の主権の維持のために、戦を回避するのだ。目的を取り違えてはいけない」
「あ……」
そうだ。ただ戦を回避する、とだけ考えていたし。
彼がそうも言ったように思った。しかし、それだけじゃない。
その過程で、或いはどこかの国に服従を宣言しなければならない可能性だってあるのだ。
「少なくとも、女王陛下はそれを望んでおられる」
ヘイゼル女王の真の望みは、そこにあるのだと。ディントはようやく理解した。
――今のまま、中立を貫くか。ソレイユはおおよそ、我らがリュヌを除いた南の小国を飲み込み、アルバをも窺おうとしている。さて、どうしたものでしょうか。
あの時に発した、ジェリセの言葉。「どうしたものでしょうか」、その問いかけの真の意味。
中立を貫かなければ、リュヌに未来はない。
「言うは易しだ。……中立とは全てを敵に回すこと。我々に、選択肢など殆ど無い」
険しい顔のつもりだろうか。半眼になった蛙は重々しくそう言った。
* * * * * * * * * * * *
古き国アルバの都市ルーナ。リュヌに接した都市の中でも発展著しい都市である。
石畳で舗装された道に行き交う人々には笑顔が見られ、活気に溢れている。
隊商の馬車が都市の門から出入りする様子に、ディントは目を走らせた。
どうやら商人が集まり賑わっているというのは本当のようだ。
「どうも、商人が多く出入りしているようですね」
隊商というのは数日以上のスパンをもって片道を往く。
馬車に大量の荷物を載せ、徒歩と変わらぬか、或いはそれよりも早い速度でその道程を一日に進む。
そうして何日もかけて街々を巡っていくのだ。或いは、農村に立ち寄って作物を買い取ったりもする。
つまり、一度に複数の隊商が見かけられるということはその数倍の数の隊商が日時を変えながら出入りしているということになる。
そして、商人が多く出入りすれば必然、競争が生まれ。物資が溢れることで経済が回る。
中継地点、主要拠点として多くの商家が門を構える。
「エイリーン・アルドリッジは税の取り立てが巧妙だそうだ」
「税ですか」
商人を多く集める方法。
アルドリッジの若き女当主が採った方法の秘密は税の取り立てにあるという。
「アルドリッジは領内の道の通行税を取らないらしい」
「……は?」
ディントは混乱した。
確かにアルバは貴族が広い領土の中、それぞれ好き勝手やっているが税金を取らないとは。
そんな貴族が居るのか。
「無論、別の形で取り立てているのだがね。
だがしかし、今まで何だかんだと理由をつけられて税金を持って行かれていた商人共には随分と受けが良いらしい」
それはそうだろう。
道を通るだけじゃない。川を渡ろうにも橋を渡っても、それを避けても税金が持っていかれるのだ。
橋税に浅瀬税。
それはそれほど変な話じゃない。貴族はその税金が大きな収入である。
商人だってそうして道を通って何かを売ることで利益を得ているのだ。
大変だと言っていても、彼らは彼らで強かであることだし、油断ならぬ人種であるということはディントは繰り返し教えられた。
「……しかし、彼らは税をちゃんと払うのですか?
通行税は分かりやすく、誤魔化しづらいから好んで課せられるわけですし」
「最初は大変だったらしいな。
誤魔化しもそうだが、取り立てるほうも試行錯誤だ。
加減が分からず、仕入れなどが計算出来ず、商会が破産しかねないような請求をしたり。
性急に過ぎる改革は随分と笑われたりもしたと聞く」
「……あぁ、だから新改革派なんていう派閥の一員に見られてたりするんですか」
ディントがアルバに居た時代、派閥の話をアルドリッジ家絡みで聞いた覚えはなかった。
リュヌに帰って後に友人からの手紙でちらと聞いたことで知ったぐらいである。
つまりは、その改革がうまくいったのは最近であり。
そして、それによって家の立場を変えて確立したと見るべきか。
「とはいえ、今はうまく回っている。だからこその活気だろう。
商人どもは決まった時期に纏まった金を売上から献上し、施政者は周辺領地にも手回しをして、商人の優遇政策を続けている。
実のところ、回収できているお金と経済効果を計算すると――」
「あー、商家で世話になってたんでしたか。ジェリー殿」
ディントは、その止まらなそうな話を遮り、迂遠に簡潔に言ってくれと伝える。
それに気分を害したのか、「む」と不満そうにしながらも一つ息をついて、ジェリセは要旨を纏めた。
「……つまり、アルドリッジの強欲狐は商家に通じ、彼らをうまく集めることで領内を発展させたのだ。
そしてその税制改革は実に興味深い。リュヌでも取り入れたいぐらいにね」
「リュヌでも……」
可能、なのだろうか。
いや、ディントよりも明らかに計数に明るいジェリセがそういうのだ。
それだけのメリットがあるのだろう。
「さて、宿に向かうぞ。拠点の確保はどんな時でも重要だ。休息の後、根回しだ」
ジェリセはそう締めくくった。
* * * * * * * * * * * *
さて。流通が活発であるということは、必然各地から食材が集まってくるということである。
リュヌもある程度アルバやエクリプスから食料の輸入をしている為、国際色があるもののアルドリッジの主要都市ルーナはそれを上回るものだった。
交通が容易故だろうか。
アルバの広大な国土に眠る豊かな食材はディントたちの舌を満足させるに十分なものだった。
「リュヌの国民食は薬草臭いなどと揶揄されるが……」
「実はリュヌの食事はお嫌いですか?」
「いいや、それならとうの昔にリュヌを出ている」
ジェリセは小さく笑った。冗談か、或いはそうでないか区別がつかない。
目の前には、ブドウ酒と酢で味付けをし、豆や玉ねぎと一緒に煮込まれた野うさぎのシチュー。
からす豆と野草を塩で和えたサラダ。
それだけでもボリュームがあるというのに、塩漬けされた子豚を丸焼きにしたメインディッシュといったら!
パリパリに香ばしく焼かれた皮に齧り付けば、たっぷりの肉汁が口の中に溢れだし、皮の食感の後には柔らかい肉身を存分に楽しめる。
その食感と絶妙な汁気のハーモニーを味わえるのはちゃんとした腕を持つ職人が調理した証である。
この店には残念ながらお茶がないようであるが、少し酸味のいったブドウ酒がこの料理には合わないわけがなく。
口の中を満たした肉の脂をブドウ酒で流し込む。この快感は、やめられない止まらない。
そうして肉のしつこさに飽きたならば、シンプルなサラダを口にする。
そうすることで口の中がリセットされて、サッパリとするのだ。
塩味の効いた豆はこれはこれで楽しめる食感と味であるし、野草の風味は地元リュヌで良く食べるものと変わらない。
ふと一息つくために温かいシチューを飲めば、香辛料の効いた味わい豊かな風味が広がり体の中を優しく温めてくれる。
ディントも食事のペースが上がろうというものである。
「うむ。旨い」
その長い舌で唇を舐めて、満足気に息をつくジェリセにディントは素直に同意した。
「アルバ料理はやはり肉が要ですね。領土が広く、平坦なところが多いから数を育てられる」
「地方によっては牛や馬なども食うと言う。
牛肉は硬くて食べられたものじゃないというイメージしかないが、実際どうなのかね。
ディータ、君は食べたことは?」
「柔らかい牛肉という意味でしたら、一度だけあります。
ジェリー殿の言うとおり、農作業に従事する牛の肉は筋張っていて不味いですが、豚肉にはない独特の臭みを持っていましてね。
肉が柔らかいだけでこんなに味わい豊かになるのかと驚きましたよ」
「ふぅむ……一度は食してみたいものだ。野うさぎの調理の味付けも、中々のものだったしな」
リュヌなどは、放牧するに適した場所もなく食料の生産余裕もない。
その点において、そういった食肉は長きこと内陸部に平穏をもたらしてきた古国アルバだからこその食べ物と言えた。
野うさぎなどは小さく、猟師から流通するものを手に入れることが容易な方なのでリュヌでも食されるが運搬にも難儀する豚以上の大物、ましてや更に希少品とさえ言える食肉用の牛や馬などといったものは貴族として生活を送るディントでさえ中々口に出来たものではない。
そこまで考え、改めて我が国の立地条件にディントが思いを馳せていると、「あぁ、そうだ」とジェリセはニヤリと笑った。
「蛙肉なども意外と食えるものらしいぞ」
「それはたちの悪いジョークですかね」
「なに、狐の肉に食らいつくことにもなろうというのだ。自分も食われる想像ぐらいはするさ」
既に酔っているのだろうか。
それからというものジェリセは陽気に、ディントが反応に困るようなジョークを何度か飛ばしたものだった。