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間話1 セーラ・ヴェルヌ

 アルバへ出立する前日。ジェリセは私的な茶会に招かれた。

 街に出る為に着込んでいたフープランドと服の構造こそ同じくするが、この茶会に参加するために着込んだ服は高貴な方と会うために袖や裾に刺繍が施された天鵞絨製の高級品である。



 それだけ、相手に失礼のないように意識する必要があった。



 かつてのジェリセは服装などに頓着をしなかったが、商会を出てセーラに拾われてからは貴族同士の機微というもの、その場に合った装いと振る舞いをすることの重みというものを良く知るようになった。

 そして、この茶会は小さな小さなものであるがジェリセにとってはこの世の誰と会うよりも礼を通すべき茶会だと考える機会である。


 この茶会でご一緒する相手が、この国の女王たるヘイゼル・プレナ陛下とその後見人であるセーラ・ヴェルヌであることは、結果的にそうなっているだけでしかない。

 ジェリセにとって、自らを見出し救ってくれた大恩人がセーラであり、ジェリセが忠を捧げるに足ると確信し、誓った相手がヘイゼル陛下である。

 その事実こそが彼にとって重みのある事実だった。


 仮に、そのお二人がどこかの商家の人物であったとしても変わりはなかったであろう。

 恐らく、そこに立場の違いがあったとしてもジェリセは彼女の為に働くことを良しとしたに違いない。

 ともかく。ジェリセにとって大事な2人の女性と過ごす機会であるのだ。

 何がどうなろうと、彼が万難を排して赴く理由があったといえる。


「うむ。問題はなさそうだ」


 ジェリセはヴェルヌ家の別荘の前で馬車を停めると、御者に代金を払って自らの身嗜みを確かめた。

 馬車は、また決まった時間にこちらに来るように言い添えておく。


 彼の手袋と靴は、幅広のオーダーメイド品だ。

 ケロル族の手足というのはどうしても人族の装いをするのに苦労が要る。

 手は4本指、足は5本指であるが、水かきがついている関係上か人よりも指の間隔が広くなる。

 そして、外交の真似事をするようになってからは特に気をつけるようになった。

 これらの品物は安物でない上に気を使わねば直ぐに破れたりしてしまう。

 故に、予備の手袋は常に持ち歩いているし、靴に関しても丈夫な一点ものを好んで愛用するようになった。

 ヒールがなく、事故のないような地味なデザインのものをジェリセは好む。

 蛙の紳士は自身の服装に失礼がないことを確認すると満足気に頷き、一服の後に指定の部屋に向かうことにした。

 



 * * * * * * * * * * * *

 



「ジェリー。良く来たわね」


 ジェリセが部屋に入ると、柔らかな声に出迎えられた。

 会場を提供したセーラ・ヴェルヌがホストとして先んじていたのだった。


「セーラ様、此度はお招きに預かりまして……」

「あぁ、いいのいいの。いつも通りにしなさい。久しぶりね。こうすることが出来るのも」

「それでは遠慮無く、セーラ様」


 通り一遍は、礼儀正しく挨拶の1つでもすべきだろうと思ったが、今日は本当に私的な茶会らしい。

 偶に、彼女たちには護衛や周りの目があって、どうしてもジェリセが相応の振る舞いをすべき場面も出てくるのだが。

 今回は使用人にせよ護衛にせよ、気遣いの要らぬ者を集めることが出来たらしい。

 柔和な笑みで、セーラがやんわりとそれを教えてくれた。


 ヘイゼル陛下に合わせた調度品なのだろう、白亜に染められた木製の椅子に座ると思わずため息。

 馬車に長く揺られるのはやはり、慣れても辛いものがある。

 別荘の見事さと、中に入っても嫌味のない品のある調度品の数々を見てジェリセは己の主の1人であるセーラ・ヴェルヌの人柄を再確認した思いだった。



 セーラ・ヴェルヌは長くこのリュヌを見てきた女性だ。既に高齢で、六十は数えていると聞く。

 それでいながら、背筋は未だピンと伸びている。美しく年輪を重ねた女性。

 政治的、外交的な功績に彼女個人の名が記されることは殆どないだろう。

 女王の後見人として記録されるぐらいだとジェリセは考えている。

 国の改革政策にせよ、外交方針の新規立案と、その主導もヘイゼル陛下が中心となっている。

 しかし、彼女が当主を務め続けたヴェルヌ家はその間に安定した政権をリュヌにもたらした。

 その柔らかな人柄と、人心を掴み、人々をより良く働かせる才能は彼女自身の凡才を補ってあまりあるものであったと、ジェリセは分析している。



 9歳などという若さで即位することになった今上の陛下。

 その王政をも揺るがしかねなかっただろう難しい情勢を抑え、逆にヴェルヌの家を王家に次ぐ家として確固たるものとしたのは彼女が長く生き、信頼を積み重ねていった結果の賜物だと言えるだろう。

 ヴェルヌ家は、かつては今の王家と並び権力を握ってきた家である。

 リュヌの国体の変遷によって、その立場をおのずから落とした家でもある。



 リュヌは小国であるが、国である。



 山々に点在していた村々全てを国として纏めるには相応の歴史があった。

 その中で存在感を発揮した家が今の王家であり、そしてヴェルヌの家なのだ。

 そのような国であるが故に、大国ほどでないとしても政治そのものは難しいものが多くあった。

 外交も含めて、だ。

 そして、才があればどうにかなるものであるかというとそうではない。

 それを示したのが、セーラ・ヴェルヌだとジェリセは考えているし、彼女の才如何はジェリセが尊敬する数少ない人物であるということの瑕にはならない。


「何を考えているのかしら?」


 悪い癖である。何事かを考え始めると思考の海に沈み、ただただ考えこんでしまう。

 セーラに指摘されて、我に返るとジェリセは頭を撫でて答えた。


「この国のことを、少し」


 嘘ではない。

 ヴェルヌやプレナの家のことを考えることは、リュヌという国を読み解くことと同義だ。


「本当にそうかしらね」


 それで誤魔化されてくれるほど、彼女とのつき合いは浅くも短くもない。

 フッとその人の良さそうな皺の刻まれた顔を歪めると別の話題を口にした。


「それにしても、ヘイゼルは遅いわね。誰かに捕まっているのかしら……」

「私は、セーラ様が拾ってこられるかと思ったのですが」

「私はホスト役なのですよ。歓待の準備を整え、お待ち申し上げる義務があるわ」


 間違っても陛下にすべき言葉遣いではない。

 自覚的にジェリセがそんな物言いをしても、セーラが子供扱いをしても、この場でそれを咎める者は居ない。

 セーラにとって陛下は愛すべき娘のようなものであるし、ジェリセにとっては忠誠を捧げる主であると同時に年の頃を同じくする同士のようなものだった。

 政治や外交を戦争にたとえることが許されるならば、戦友 (とも) と言い換えても良い。


 リュヌという国で足掻き続ける仲間だ。


「それにしても、何故今に茶会など?」

「あら、理由がなくてはいけない?」

「そういう性分ですもので」


 ジェリセは、人の善意と悪意を知る。

 そしてあらゆる行動に理由を求めてしまう。性分だ。

 そうでないことがあると知っていても、自らの性分は変えられない。


「今がお国の一大事。

 私も忙しく、恐らくお二方はもっと忙しいことでしょう。

 であれば、息抜きも大事と仰るのか。或いは私達の見解を統一する為の場であるというのか」

「そうねぇ。どちらも大事よねぇ」


 うんうん、と頷くセーラ。そういう理由もないわけじゃない、と言ってくれている。

 それがポーズであっても良い。

 ジェリセにとっては、彼女が理解者であり続けることに感謝するのだ。

 そういう理由で納得しても良いのだと。

 そう示してくれるだけでも、ジェリセは不快感を胸に抱かずに済む。


「みんなと一緒に過ごしたかった。

 それは私もヘイゼルも同じよ。そしてそれには、色々な理由があるわ」


 1つだけじゃない。その理由。人間の心とは不思議で難しいものである。

 ジェリセは、その複雑性を否定しないセーラとヘイゼル陛下のことを、好ましく思っていた。

 そうして静かな、優しい時間を過ごすこと暫し。

 ジェリセは馬車のカラカラとする音が、遠くから聞こえてくることに気づいた。


「あぁ、ようやく来たようですね」

「今日という日を空けるのに相当苦労していたようよ。優しくしてあげてちょうだいね」

「私にあまり求めるべき機微ではないように思いますが――」


 ジェリセは思わず苦笑いしそうになったものの、思い直して言葉を途中で切った。



 思えば、自分はこれからアルバへと赴く身。



 セーラが居ることが安心の材料であるが、自分の安全はわからない。

 護衛は用意するつもりだが、もしかしたら身の危険を感じることがあるかもしれない。

 そうすると、今回の誘いの目的と陛下の想いが少し見えてくる気がした。

 臣下ならば、それに答える義務はなくとも義理はあろうか。

 ジェリセは片目を瞑ってお茶目を演出してみせ、言葉を訂正した。



「――分かりました。ヘイゼル様の寂しさをお埋めする努力は致しましょう」



 その慣れない言葉の用い方におかしさを感じたのだろう。セーラはクスと笑った。



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