22.絵図面
それから、シュミット老が指定した邸宅への道のりは極めて静かなものだった。
ブラッドはというと、会談に同席すると強硬に主張したものの、ディントたちと仲良く馬車に揺られ――というのは受け入れがたかったらしく、しかしディントたちを見守り、周囲の警戒も買って出て同行はしていた。
つまりは、空から。単身、馴れ合うことなく。
彼女曰く「コツを掴めばこの身1つでどこにでもいける。それが魔法だ」とのことではあったが……。
魔法とはそれほど都合の良いものだっただろうか。
ジェリセにその疑問を呈してみれば、彼は。
「彼女ならば空を飛んでもおかしくなかろう。通常、この長距離では魔力も追いつかず、飛行などというもの自体が高等に過ぎる魔法だが、伝え聞く逸話を考えるに、カーリー・ブラッドは史上に残る魔法使いだ。不思議はない」
そう連々と考察していた。
ディントとしては、特に魔法に詳しいわけでもないのでそれに頷くしかなかった。
何より、事実そうして同行されてしまえば、その現実を否定することも出来ない。
少なくとも、これほどの機動力を持った。そして魔法による火力戦術が可能な兵。
それは、単身で畏れられるだろうと。納得してしまうしかなかった。
ともあれ。
「オレから先行する。異議は?」
邸宅の玄関前で、ブラッドがそう提案する。
「特にありませんね。
私どもが先に入り、歓迎の雰囲気を作ってから貴女がぶち壊すよりも、最初から貴女に引きずられた方があちらへの心情もマシというものです」
ジェリセが言う、その論はディントにも何となく理解できた。
要は矢面に立ってくれるというのだ。その申し出を蹴る必要はない。
「くく、あの爺はどう思うかな。どう立ち回るかな」
そんな風に唇を歪ませるその姿と嗤い方はとても年齢と見た目に合ったものとは思いがたいものだった。
王のもとで戦争を体験して、貴族にまで成り上がり、大人の都合の中で立って尚、化け物と呼ばれる少女。
彼女の内心は計り知れないし、培われたメンタリティなど想像することも出来ない。
だからこそ、化け物などと呼ばれるのだろう。誰にも彼女のことを理解できない。
恐らくその理解者は、王だけだ。
「行くぞ」
それは、少し寂しい話、なのかもしれない。何故かディントは突然にそう思ってしまった。
故にか、シュミット邸に踏み入るブラッドを追おうとして、少し躓いてしまったのだった。
* * * * * * * * * * * *
門番を無視し、家の中の者達まで無視し。
つまりは手続きや、取次というものを一切無視して我が物顔でブラッドは一直線に突き進んでいった。
「邪魔をする」
やはりというか。なんというか。
ブラッドの後ろをついて、シュミット老が居る応接間まで訪れると。かの翁は一瞬固まった。
それはそうだろう。何より横入りされたくない。
その為に態々ジェリセたちを兵を動員してまで安全に運ばせ、トラブルを避けようとしたというのに。
同席されて嫌な相手がピンポイントに現れたのだから。
それはもう、内心で様々に思うことはあったろう。
老齢でもある。ショックが心配だな――などと、ディントは暢気なことを思った。
しかし、シュミット老も長く貴族として生きていたわけではないのだろう。
咄嗟にその状況を把握したようで、固まってしまったのは確かであったが、短い間で我を取り戻す。
「……これは、ブラッド嬢」
ニコと。好々爺のような雰囲気を漂わせ、少女を歓迎するようにそう言うシュミット。
ジェリセたちに、ブラッドとの派閥対立を悟られたくないからか。
或いは別の計算か。どちらにせよ、彼が一瞬で纏って見せた雰囲気は柔らかな融和的なものだった。
ディントはその役者ぶりにつと、冷や汗を流すもののブラッドは意に介した様子もなく応じた。
「よう。戦地占領以来か?」
「えぇ、久しく。 ――それで?」
そこまで言って、シュミット老はブラッドに向けていた視線を切って、ジェリセたちの方を見やった。
そう示されては、応じざるを得まい。
ジェリセとディントは直ちに一礼とともに、挨拶を述べる。
「お初にお目にかかります。シュミット殿。ジェリセと申します」
「ディント・ヘッセです」
「これはご丁寧に。儂はクラウス・シュミットと申す者。
見ての通りの老体故、あまり若者を楽しませることは出来ないかもしれませぬが……。
ささ、ブラッド嬢もご一緒に。座ってくだされ」
謙遜にもとれる、腰の低いように思えるその態度からは主流派から外れて尚、意気軒昂な人物像を窺い知ることが出来ない。
老獪な人物なのだろう、とディントは警戒しながら椅子に座った。
ブラッドとジェリセはというと、何を考えているのやら。
2人して特に気負った様子もなく、「では遠慮無く」とどかりと座り込んでみせた。
……この2人、度胸というか怖いものなしなところが随分と似ているような気がする。
ディントはただ一人、自分だけが肝が小さいのだろうと内心苦笑した。
「さて、ジェリセ殿とディント殿はリュヌから態々お越しいただいたとのこと。
これはしっかり歓待せねば失礼というもの。――ブラッド嬢もそう思いませんかな?」
「さてな。オレは偶々仕事中にこいつらに会って、爺と会うと聞いた。
だからついてきただけでね、実のところ、この場がどの程度重要なものか分からん」
そう言いながらあいも変わらずニヤニヤと含み笑いをしている彼女の顔を見れば、その言を素直に受け取るべきでないのは間違いないはずだ。
だが、どこまで考えているのかがわからない。
ともあれ、贅沢に氷水と甘い砂糖菓子を召使に用意させるシュミット老のその様子は、確かに『歓待』というに相応しいだけの準備をしていたらしい。
「まぁ、今回我々は常識はずれと言われても仕方のないことをしてきています。
重要性を見いだせなくても仕方ありませんね」
水を一口含み。
ブラッドが悪戯半分に言ったであろう言葉に対し、サラリと返答したのはジェリセだ。
「外交において、あまりに先んじて動くというのは悪手であることも多い。
敢えて被動の立場に立つ、というのも時には必要かもしれません。
……が、今回、我々はそれを嫌いました」
「それは、ふむ。深読みをしても?」
手を挙げて、シュミット老が問うた。
雰囲気こそ和やかなままだが、その眼に光るモノは、ディントなどを萎縮させるに十分たるモノがあった。
「えぇ、それで結構」
蛙は頷いてみせる。
「……ソレイユが殴りかかるのを待たなかった。そう言いたいわけだな」
そして、シュミット老が敢えて婉曲的に確認したことを、ブラッドはハッキリと言ってみせる。
待ちの姿勢。
そこからソレイユが明らかなほどにリュヌに向かって敵対的な意思を見せるまで待つ。
或いはもっと隠密裏に暗躍し、ソレイユに政情不安を齎す謀略を画策するか、何らかの形で暴発させる。
その時にアルバやエクリプスに向かい頭を下げて、ソレイユと他の大国をぶつけるという選択肢もリュヌには――あった。
被動の立場とはそういうことだ。
立ち位置として、自らを被害者に置く。
何事かあちらからアクションを起こさせる。
そうして、国家間問題における交渉の前提を作り上げる。
ただ受け身なのとは違う。
狙って、相手のアクションを待ち受ける。そうした戦略は、時に有効だと、ディントも思う。
しかし、それで中立を保てるか。戦場となりかねない我が国をどうするのか。
確かに、上手く立ち回れば被害を最小限に抑えることは出来たのかもしれない。
戦後の立ち回り次第では、リュヌはその主権を維持できたのかもしれない。
しかし、様々な課題があったのは事実であり、だからこそジェリセと陛下はそのプランを早期に破棄したのだ。
そして今、リスクを背負い、0か100か。それほどに極端な勝負に出ている。
ディントが考え、理解しているつもりでいるジェリセの外交戦略とはそのようなものだった。
「ま、つまりはリュヌは、そしてその意向を受けている私は本気でこの場に臨んでいると。
そう理解していただければ間違いはありません」
そう纏めたジェリセは、自身の一番言いたいことはそれだと。そう匂わせた。
宣言した通りにこの場においても先手を取ってみせて、言いたいことを言った。
――さて、これにブラッドとシュミット老はどう反応するのだろうか。
「ふむ。そうさなぁ……」
シュミット老が、その蓄えた白髭をさすりながら、考えこむ仕草を見せる。
慌てて何事かを言うでなく間をおいてみせる。
どうやら、彼は特にその塩梅というものを心得ているようであった。
「まぁ、儂はの。そこのブラッド嬢ほど血の気が多いわけでもない。
単なる平和ぼけした爺じゃ。であるからして、リュヌの、ジェリセ殿の懸念はよっく分かる」
「…………」
「正直の。儂は非戦派であるが、現実も見とるつもりじゃ。
そうすると、ソレイユはそろそろこの辺りで拡大を止めるべきだと、改めて思う。現実的に見て、な」
「得るものが少ないと?」
ディントは、気になって口を挟んだ。
試みに、この爺がどういう腹でそう話しているのか探ろうと考えた。
「うむ。リュヌなど攻めても旨みなどないわい。……あぁ、誤解なされるな。
攻めても、そこから想定される反抗を考えれば見合わぬということじゃ。
平地ならばまだ良いが、山岳地帯ではの。地の利がない」
言っていることは正論に聞こえる。だが、どうだろう。後付の理屈なのではないだろうか。
たとえば、そうだ。ジェリセがここまでソレイユを恐れ、エイリーンが最悪を想定するその理由。
それはやはり魔法兵にある。
「しかし、空から魔法を一方的に撃たれては、地の利も何もないと思いませんか?」
敢えて。自らの国が不利に陥るであろう戦略を口にするジェリセ。
しかし、それはあちらも承知のことだったのだろう。
シュミット老は動じず「うむ」と、一言頷いた。
「そうかもしれぬの。しかし、魔法とて万能ではない。寧ろ、制限が多すぎる。
何より恐らく最も運用例が多いであろうソレイユであってもその数はごく少数。
その最高戦力に至っては――」
ちらとブラッドの方を見やる。
ある時から見の態度を取っている彼女は面白がっているその表情を隠しもしない。
「王以外に、まともに従わないと来た。これで組織だった侵略というものが行えると思えるかの?」
「さて、どうでしょう。私どもは軍事に疎いもので」
ジェリセが肩を竦めた。
「嘘じゃな」
しかし、今度は間髪をいれず否定の言葉。
――やはり、やりづらい相手だと思う。緩急というものを心得ている。
エイリーンは頭が良く、そしてそれゆえに利益を優先しすぎた節がある。
その部分をジェリセは突きつつも、事前準備から得た切り札を持ってとどめを刺す。
相手がやり手であったのも事実だが、ジェリセの思う流れからそう外れなかったのも事実だ。
しかし、今回はどうだろう。
ディントにはジェリセの腹の中を読むことが出来るわけではないが、それでも何となく察しがつく。
「何故そうお思いに?」
「主ら、2人でわざわざ来ておる。
如何に国のトップから命じられたとはいえ、軍事に疎い人間がその危機感を共有できるだろうか。
儂は、現実味が薄いのではないかと考えるのう。……ま、要するにじゃ。
状況認識を正確にできる程度の知識は、どちらか持っとるじゃろ。そう考えて妥当だと思わんかの」
――この交渉は、よりやりづらい。
シュミットという老獪な貴族が相手であるだけでない。
何より、ブラッドという不確定要素が最後に全てをひっくり返しかねない。
常にその可能性を考慮に入れながら、綱渡りをしなければならないのだ。
逆に言えば。ブラッドさえこちら側につかせられれば。
シュミットが如何に巧く立ち回れる貴族であろうとも、場合によってはそれだけで良い結果を引き出せるかもしれないのだが。
「まぁ、本気でソレイユがそう考えるだろうと思っているなら我々はこんな風にしていないという話ですね」
ディントはため息をつきながらそう言った。ブラッドを味方につける?
そんな可能性を当てにするより、まだ目の前の派閥に執着する貴族の方が、損得勘定が出来る相手を懐柔するほうがマシというものだ。
「攻めても旨みがない。そうかもしれません。
魔法使いたちが脅威とはいえ、少数ならばなんとか出来る。
そんな風に安心できるなら、こんなに慌ててはいない」
続けていった言葉。それは、ここまで来るのにジェリセと共にしてきて、考えて。
ようやく正確に脳裏に描けたリュヌの思惑。ヘイゼル陛下とジェリセの思惑だ。
そこまで考えを進めて、自分が人形であるわけにもお荷物であるわけにもいかないと、口にできるだけの度胸と思考力を身につけた。
それは、ディント自身、自覚している成長した部分だ。
「うむ。そうじゃろう。
そこまで考えることの出来る者達で、『だがソレイユはやりかねない』とまで思考を働かせられる。
そんな人間でなければ、こんな博打は打たぬし、その当事者にもならぬわ。
そして、それを探るために動いている――違うかの?」
「えぇ、その通りですよ」
今度は蛙の外交官が頷く。
「ま、詳しく言ってみい。知りたいことをの。話せることなら話さぬこともない」
「…………いいえ」
恐らくこれは、言質を取る罠だ。
ジェリセもそう感じ取ったのだろう、首を振った。
「我々の要求はあくまで、非戦に向けた話し合いです。
ただ情報を教えてもらって、その対価を搾り取られてはかなわない。
シュミット老。あなたを頼りに工作をしてもらうことも含めて、明確にこちらの要望とそちらがそれに求める対価というものを決めたいと思います」
そう。情報という餌に釣られて、彼の思うがままに踊らされる訳にはいかない。
一蓮托生に。そこまでは行かずとも、共犯者にはなってもらわなければならない。
でなければ、ここまで危険を冒し、アルバ相手に綱渡りをしてきた甲斐がないというものだ。
ジェリセとディントは、スパイではない。情報を得て終わりではない。
ここに、交渉にきたのだから。
「我々はアルバ貴族エイリーン・アルドリッジの信任を受けてきています」
少し大仰に過ぎる表現。
しかし、この場ではそうとでも表現しておき、密接な関係にあると強調するのがベターだ。
三方の為にもなる。
最終的に、シュミット老と良い関係を築くことが出来ればそこから連鎖的に、エイリーンにとっても何かとやりやすくなろうというもの。
取っ掛かりを作り、それを譲ってくれたエイリーン・アルドリッジに対して出来る返礼とも言える、関係強化。
「そうさなぁ。あの狐っ子は中々のやり手じゃった」
しみじみとそう言うシュミット老。
そこまで聞いて、彼の暗躍ぶりを。
或いはアルバの女貴族がそうして繋いだネットワークについて考えたか。
ブラッドは益々愉しそうにして、砂糖菓子を口に含み、やり取りを見守っている。
「直接お会いしたことが?」
「一度だけの。でなくば取引など行わんわい」
……フットワークが軽い。年齢に沿わぬ。いや、やはりというべきか。
それだけの行動力と気力があるからこそ、彼女は彼と繋がりを得るに至ったのだろう。
「ま、それは良い。ふむ、立地的にも君らを介して三方良し、と行きたいところかね」
「えぇ」
当然、こちらの思惑の幾らかは見ぬかれている。
しかしそれで良い。お互いにある程度の理解があったほうが、より話を持って行きやすい。
「アルバとソレイユ。互いに互いを警戒している状況にどうしても陥りやすいこの2国。
リュヌはその潤滑油となれればと愚考する次第」
ジェリセが熱弁を振るう。
「抽象的じゃな」
シュミット老が牽制した。
ただそう言っただけで、認めるわけにもいかぬということだろう。
理想を言う、そしてこれからを約束する。
ただそれだけで、一蓮托生とはいかぬ。
国の戦争機運を削ごうというのだ、並大抵の負担ではない。
端的に言って、割に合わないということ。
それは彼でなくとも、損得で繋がる以上当然の話だ。
だから、具体的な利益を提示しろと。そういう話。
そして、我らが蛙の外交官は、それに備えても居た。
いや寧ろ最初から、そこまで考えてすらいたように思う。
「何のためにエイリーン女史と繋がったか。アルバの豊富な食料。
そして彼女が秘密裏にリュヌを素通りさせていた物資の取引。その内容と理由。
戦後間もないこの周辺を非戦派であるシュミット老が統治する意味――」
「何が言いたい?」
秘密取引への言及も何のその。しかし、そこまでは事実の確認に過ぎない。
ディントは、ジェリセの狙いを知っている。
アルドリッジとの時と違い、それを聞く信頼を得ていた。
そして確信したのだった。彼以外には、きっと。
「秘密取引など細々としていても意味が薄い。堂々と。
我らリュヌとアルバはソレイユ領である旧ソワルタ地域への戦後復興支援を申し入れたいと考えている」
――この絵図面を書くには、至れなかったろうと。