21.カーリー・ブラッド
文字通り、その場は時が止まったかのように。凍った。
本物の。殺戮者の冷たい殺気。
それを受けて、ジェリセもストライド兵長も同じくして、身を固くしたことを気配で察した。
無理もあるまい。
それは、以前。エイリーンに脅された時よりも。刺客に刺され、命を賭した時でも。
感じることの出来なかった、恐怖。
あの時のような「かもしれない」ではない。
彼女の機嫌を損なえば。一瞬で命を刈り取られるという「確信」。
それは、足を竦め、背筋を凍らせ、その人物の眼を直視することも出来ず。
俯いて、震えるしかない。それを強制するホンモノ。
魔法が使える者は、魔力を感知するという。
であらば、今もしもここに魔法使いが居たならば。
今自分が感じている寒気とは別の、もっとおぞましい感覚を味わうのだろうか。
「……何故」
ディントは、震えながらも何とか声を発した。
「リュヌの外交使節とやらは、存外肝が太いな。蛙の方もそうだが、貴様も良くやる」
くつくつと少女の皮を被った化け物が嗤う。
「ふむ。何故そのように問うのか。
何故このように貴様らを呼びつけたのか。
何故脅すようにしているのか。何故何故何故、か。
それは当然の疑問だろうなぁ」
「…………」
黙るしかない。相手が質問の意を汲んでいる。余計な口をそこで挟む必要はない。
「ならば答えよう。
オレはな、貴族の争いだとか、シュミットの地位だとか金だとか。そういうものはどうでも良いのだ」
「…………興味があるのは王、ですか」
ジェリセが、そう問うた。
カーリー・ブラッドは王の懐刀であり、恐らくは王にしか制御の出来ない狂犬の部類ではないか。
それは、何となく伝え聞く話や今こうして相対して察することが出来た。
ならば、彼女の興味は。
ソレイユか、王か。
「興味。……そう言っていいものかどうかな。
とにかく、オレにとってソレイユは王であり、王はソレイユだ。
であるからして、シュミットと何を企んでも構わんが、王の不利益になるならばオレにとって貴様らは害虫だ」
害虫か。また随分な言いようだが。その通りなのだろう。
彼女にとってみれば。
殺した後に国の間で問題は起きるかもしれないが、殺すことそのものに障害があるわけではない。
ソレイユが戦争をする切欠にもなる。
それを良しとするかどうかは、読み切れないが。それでも彼女はディントたちの命運を握っている。
「だから聞くんだ。王の敵か否か。答えろ。返答次第では殺す」
上から目線。そしてあまりにもヒントが少ない、命を賭けさせられた質問。
「ジェリセ殿」
静かに、ディントは彼に全てを任した。
それは逃げでもなく、押し付けでもない。
信頼だ。ディントが考えるよりも、確実に。彼は状況をより理解し、解を導き出す。
仮に、それが叶わなくても恨むつもりはない。
ディントがやれば分が悪いことはわかりきっているのだから。
「敵でも、味方でもない」
殺気が膨れ上がった。
チリチリと、肌が痛く感じる。
魔力を感じ取れない身ですら、空間に異常を感じるほどの濃密な魔力が場を満たしていく。
気持ち悪くなり、視界が歪み、そしてカーリー・ブラッドが何事か発しかける。
もうだめだろうか――。
そんな風にすら、思ってしまう。
「――今はね」
そして、それが一瞬で萎んでいく。
殺気が霧散した。
「どういうことだ」
興ざめ。そんなような雰囲気で、つまらなそうな声。
「会ってもいない相手の敵だとか味方だとか。断言できるわけないだろう」
ジェリセはいつものように、わざとらしく、癪に障るような動作で肩を竦めた。
この蛙の胆力は本当に狂っている。ブラッドも化け物のようだが、蛙も大概だ。
「ならばどうするつもりだ」
「ソレイユの不利益になることはしない。だから敵ではない。
ソレイユの政治事情に無理に介入するつもりもない。だから味方になるとも言えない」
「…………」
だんまり。少し、考えるようにして。ブラッドはため息をついた。
「言葉遊びだな」
「えぇ。それで生きてきていますから」
そして、ジェリセは懐からいつものパイプを取り出した。
「……吸っても?」
「いいだろう」
命のやり取りをしかけた。そんなことさえ忘れたかのように、平然と振る舞う。
その様子に、ディントも落ち着きを取り戻した。
どうやら、一難は去ってくれたらしい。
そして、ジェリセは語り始める。
「現実的に考えて。リュヌはソレイユのことを知らない。逆も然りだ。
だから、あまりに急激な距離の縮め方は出来ない。周りの国の目もある」
「だろうな」
「ブラッド女史も。それを分かっていて聞いたろう?
でなければ、シュミットとの会談をぶち壊しにするでなく、自分も同席させろなどとは言わぬ。
それは、こちらを知る為の行動だ」
「半分は、そうだ」
ディントは、そこまで聞いてハッとした。
敵でも味方でもない。
そうだ、リュヌはまだソレイユと戦争しているわけでもないのだ。
宣戦布告をされたわけでもない。
何より、ソレイユ側がリュヌに向けて軍備を整え、軍勢を差し向ける気配があったというわけではない。
ジェリセの対応が早すぎたため、ヘイゼル陛下がそれを迅速に認めたため。ディントは彼らの緊張感を共有していたが――
そうではないのだ。
ソレイユにとってもリュヌにとっても。互いはまだ『敵でも味方でもない』。
それを探る段階であって、その段階で踏みとどまるために、2人は走り回っていたのだ。
ディントはわかっているつもりで、少し理解を違えていたのかもしれない。敵を止めるのではない。戦争を止めるのだ。
ジェリセは続ける。
「大方貴女は、この時期入り込むであろう人間の選定役を任されている、といったところか。
敵対的に蠢く間者も、秘密裏に入り込んで工作を行おうとする外交使節も。
その利用価値を見極めて、ソレイユや王に都合の悪いようなら始末する」
「…………」
「だから、その貴女に報告もなく国境を越えようとする私達を呼び止めざるを得なかったし、試す必要があった。……違いますか?」
尤もそうな説明。
しかし、後付けの感も否めない。
彼女が、王によってそういったことを任じられていたというのは納得できそうで、しかし難しい。
彼女1人で多くの人を殺せる。彼女ならば、誰かに消される心配も薄い。
単身で動けるから機動力も隠密性もピカイチ。
得物がなくとも魔法は起動できるから、どこででも任を全うできる。
……確かに、向いているのだろう。
しかし、それは同時に。1人の人間に多くの裁量権を委任するということだ。
まさしく懐刀。そのように扱われなければ、ありえぬ扱い。
リュヌにとってのジェリセのようなものだ。
勝手を許され、その勝手によって国に貢献する人材。
「ふん。何とでも想像するがいい」
ブラッドは、肯定も否定もしなかった。
「ではそのように。それで、合格ですかな?」
「保留だ。貴様らは度胸も有り、頭も回るようだ。
シュミットの爺相手に、どう立ち回るか見てから、判断させてもらう」
「それはそれは。気が抜けませんね」
おどけたようにしてみせるジェリセ。ディントには、そんな余裕はない。
とにかく、冷や汗が収まってくれるまで時間がかかりそうだ。
「抜かせ。ケロル族、貴様も形は違えど国を背負ってるんだろう。ならば、気の抜きようなどないだろ」
「張り詰めた糸は、必ず切れますよ?」
「優れた繰り手が操れば、そんな無様は晒さんよ」
そんな、言葉遊びを含めたやり取り。
どうにも、暴れん坊の大魔法使いは蛙の外交官を認めたようだった。