19.
「……む」
暫くそれから馬車が進んで、急に止まった。
「何か障害物でも?」
或いは、以前の襲撃と同じ仕組まれたものか。
どうにも、途中で馬車が止まると先のことを思い出し、神経質になってしまう。
そうして神経をすり減らし、疲れてしまってはいざという時に響くと分かってはいるものの、ディントは考えすぎてしまう。
「……いや、この肌が粟立つ感じは――」
兵長がどこか青い顔でそう言ったその直後。
パァン、と乾いた爆発音が、響いた。
「何事だ!」
兵長が立ち上がり、馬車から出ていこうとする。
そこに、慌ててこちらに走り寄ってくる部下が1人。
「た、大変です!」
「……想像はつく。落ち着いて報告せよ」
「は、はっ!」
想像がつくとはどういうことだろうか。ディントは首を傾げる。
「ブラッド様が、お呼びで」
「……だろうとは思っていたが。こんなとこで何をしているんだ。戦争貴族サマが……」
ブラッド。
聞き違えでなければ、そう言った。ディントは思わず身構えてしまう。
先の襲撃の刺客を放ったと目される人物の名こそカーリー・ブラッド。
それが本当かどうかイマイチ判断材料に欠けるものの、その評判から出来ることなら相対したくない貴族だ。
王の懐刀ということは、今から会おうという非主流派から真っ向から反する。
あまり会って都合の良い人物とは思えなかった。
……何より。
会って、無事に済むのかということだ。
ジェリセの方をちらりと見やるが、相変わらず何を考えているか掴めたものじゃない。
「何故、予想がついたんですか?」
「今の音は、魔術師が空に向けて魔法を撃った時のものだ。
ああやって物音を立てると合図になるだろ。……コレ以上は軍機だ」
戦時用の連絡手段といったところだろうか。ともあれ、律儀に答えてくれたのだ。
それ以上突くこともない、ディントは黙った。
そして考える。この状況、正直あまりにもよろしくない。
――逃げるか?
いや、それをしてどうなるのか。今後の自分たちの目的と行動を考えろ。
ソレイユ兵に囲まれた状況で、その保護を蹴って逃げようとするならば、彼らの面子を潰す覚悟をすることになる。それはひいては、ソレイユとの外交問題に発展する。
……賢い選択ではない。
――兵長を前に出すか?
そうして自分たちは我関せずと。居なかったことにでも出来ないだろうか。
……それも現実的ではないだろう。
相手の狙いにもよるが……ディントでも想像できる状況の1つが、当たっていたならば。
そうはいかなくなるはずだ。
「仕方ない。直ぐに行く」
「いえ、それが……」
「まだ何かあるのか?」
「えぇ」
どうにも困惑しきり。歯切れの悪いその様子。……予想が、当たっただろうか。
「ご一緒している方々も、連れて来いと……」
……そうだ。護送任務であると悟られれば、そうもなるはずだ。ジェリセとディントを連れてこいと。その要人に一目会いたいと。そういう無茶を言うだけの地位が、彼女には恐らくあるのだ。
わざわざ、カーリー・ブラッドが馬車を止めてそんなことをする。そこに何の意味があるのか。ソレイユ兵をいきなり襲うわけにはいかないから、何か別の手を打ってきたのか。
「……このお二方は客人だ。もっと言えば高度な政治交渉の為に訪れた要人だ」
「小官もその通り、お伝えしたのですが」
「それでも連れて来いと」
「曰く、『オレと事を構えても良いのか?』と――」
「……勘弁してくれ」
兵長が、疲れたような顔でそう言った。ディントは同情する。あまりにも無茶苦茶だ。
……とはいえ、他人事でもない。
ジェリセの方を見やると、唇を舐めていた。何事か考え、身構えているサインだ。
――行かない方法を考えているというより、行ったあとのことを考えているようだ。
ディントはそれを推察すると、ため息ひとつ。
出来れば自分たちが彼女に関わることは避けたいことのはずなのだが、どうやらそれは不可能そうだ。
「すみませんが……」
「あぁ、事情は聞いていましたよ。一緒に行きましょう」
やはり。ジェリセは大したことではないというように、直ぐに頷いてみせた。
3者それぞれ、身を浮かせて馬車から出ていこうとする。
兵長が最初に出て、ディントがその次。ジェリセは最後だ。
兵長が出て行った後、思わずディントは訊ねてしまった。
「……大丈夫なんでしょうか?」
「さてね。どうなるかはわからない。しかし、言うほど暴虐的、短絡的な人物でもなさそうだよ」
「そうですか?」
仮にも国境付近で要人を護送している兵隊への対応ではないと思うのだが。
「まだ測りきれてはいないがね。
それでも、問答無用でこちらに伺うことせず、呼びつける。
そしてそれを待つということは、最悪は考えているということだ」
そこまで言われて考える。
仮に、この状況でブラッドが考える最悪とは何だろうか。
自分が呼び止めた馬車の護送相手が問題になりかねない人物である、ことだろうか。
目当ての人物でない可能性。そして護送されるだけの人物の中でもとりわけ拙い相手だったらと。そういうことか。
――仮に。陛下がお忍びで秘密外交の為こちらに訪れていたのを、こんな風に呼び止めていたとしたら。そして勝手に馬車の中に踏み込んできたとしたら。
幾ら貴族の地位を頂き、王のお気に入りとはいえ拙いだろう。
そもそもが、陛下がそんな危険を冒してソレイユへと渡る可能性自体が論ずるに問題ある気はするが、近いパターン。高位の貴族、王族を害する可能性も含めて考える。
その場合、兵長はどう動いただろうか。
安易に、ブラッドの言うとおり応じたものだろうか。
「……兵長がその要求を拒否して、自分だけで行くパターンですか?」
「正解だ。この一見無茶に過ぎる指示。
兵長が受け入れるかあくまで強硬に反対するかで、背後に居る人物の格を見極めようという意図があると言えよう。
もしブラッド女史にとっても無理を通せない、そういう相手ならば、合わせて対応を変える。
そこまで考えているとしたら、それは随分と理性的だとは思わないかね?」
「……そこまで考えているのでしたら、ですがね」
あくまで推測から成り立つ仮説に過ぎない。もしかしたら、ただ呼び出して。
或いは本当にジェリセとディントを狙うだけなら、その場で魔法で害を為すかもしれない。
単純に、馬車をそのまま襲うのでは外聞が悪いから、兵長を脅迫することでこちらの身柄を確保するだけなのかもしれない。
何れにせよ、彼女の狙いが自分たちにあるのか。そもそも彼女が自分たちを狙っているのかどうか。
どうにも、判断がつかなかったが。これだけは言える。
「……まるで、猛獣の檻の中に行く気持ちですよ」
「ははは、それは確かにそうかもしれんな。狐の次は、虎かね」
「勘弁願いたいものです」
リュヌのような国ではまず見られない獣だが、遭遇したいとは微塵も思わない。ディントは、思わず青空を仰ぎ見たのだった。
* * * * * * * * * * * *
馬車から出て少し歩く。
その間に何かないかと神経をとがらせていたディントだったが、何事もなく。
目の前に、人影が1つ、現れた。
「来たか」
そうただ、一言言った人物の声は幼い。そしてその容貌も。
くるりとした丸い目。
恐らく頓着しない性格なのだろう、ボサボサと乱れるに任せた少し暗い茶髪の髪。
その顔はどう見ても、未だ幼い少女のようであるのに。
その生きてきた道筋がそうさせるのか、思わず大人でも身が竦むような異形の雰囲気を纏っていた。
カーリー・ブラッド。
その名を聞くだけで顔を歪ませる者が居るという、ソレイユの悪魔。
「……ふむ。ケロル族か、初めて見たな。南方では殆ど見ない種族だ。
ソレイユの者ではない、そうだな兵長?」
「はい、そのとおりです」
どこからか、即座に答えないだけ兵長も考えてくれているらしかった。が、しかし。
彼女はそこから何を考えたのか。唇の両端を釣り上げる。
「ふふふ、お前の顔は見覚えがあるぞ、兵長。
前線に派遣される優秀な兵隊だ。いやでも目につく。なぁ、ビリー・ストライド」
「光栄でございます」
その言葉に媚びるものはない。それを見て取ってか、ブラッドは鼻を鳴らした。
「まぁ良い。とにかく貴様は今、国境警備の任についているはず。
それが要人の護送を行っているという。……どこだ? シュミットか、フォスターか。
オレに断りがない以上、そのどちらかだろうが」
ディントは驚いた。
この眼の前の少女は、状況と相手からどういった状況か推察し、見抜き、貴族の力関係まで掌握した上で当たりをつけている。
それも、極めて高い精度だ。
ソレイユの政治事情は詳しくないが、どちらにせよ占領後の統治には色々難しさがあるだろうに、正解を含んだ2択にまで踏み込んでいる。
その洞察力と知識、勘。
ジェリセが分析した、理性がそこにあった。
兵長は言葉を選んでいるようだった。
そこで下手なことを言えば確信を与えることになる。
それは、同時に兵長を動かした人物を知られることになり、下手をすれば彼自身にも何らかの累が及ぶかもしれない。
そこで、ジェリセが口を挟んだ。
「ふむ。……失礼、ちょっと宜しいかな」
「……む。なんだ、ケロル族。今こちらは軍部としての話をしている」
「重々承知しております。
ただ、名乗ってもおりませんでしたので、挨拶ぐらいはと。ジェリセと申します」
「カーリー・ブラッドだ」
「あ、ディント・ヘッセです」
ディントも慌ててそれに追従し、名前だけ言い、頭を下げた。
しかし、出来ることなら兵長が凌いで欲しかったこの場面。
ジェリセがわざわざ口を出すのは、どういった展望を持ってのことだろうか。
「で。挨拶だけか?」
「いえ。率直に言えば、気になることがありましてね。もし宜しければお伺いしたいな、と」
「言ってみろ」
「……何ゆえ、ブラッド様はこのような場所に居らっしゃったのでしょうか。
偶々居合わせるにも何か他に目的があってここに訪れていたはず。宜しければお聞きしたいな、と」
「ふん。それを知ってどうする」
「や、好奇心からです。もし不都合でしたら構いませんが」
「…………」
ジロジロと、ジェリセ、ディントへ遠慮のない視線をぶつけるブラッド。
こちらを見極めようとしているのだろうか。ディントとしても身が硬くなる。
「少しな。毛色の違う賊を追い払ってた」
「賊、ですか」
「あぁ。賊の癖に随分と規律が整ってて、賊の癖に馬にまで乗ってやがる。
まぁ、そういった面倒事はオレの領分だ。
少し脅かして散らして、そんでそいつらのうち1人でも確保するかと追ってるうちに、バタリとな」
出会った、と。
……どうも、迂遠な表現をされている気がする。
単なる賊というわけではなく、もっと厄介な……それこそ間者とか、そういった相手を襲っていたとか。
襲撃。彼女が直々に出て、それをするとはどういうことか。
それが、実際のところどこの誰を指しているのかは、分かったものではない。
……というより。この言い分が全面的に信じられるものであるかも怪しいのだ。
「ふむ、なるほど。よく分かりました」
ジェリセにはどう聞こえたのだろうか。後々で、聞かせてもらいたいものだが。
「それで、態々我々を呼び止めた。それに至った理由は?
見た目から、ソレイユ兵が囲っていることは貴女なら分かったはずだ」
「興味が湧いた。それ以上が必要か?
それにさっき言った通りだ。
たとえウチの……陛下の兵だとしても、ここを通ることを聞いた覚えはない。
オレの管轄外で何事かの指示が飛んだわけだ。それを確かめることは、オレにとっては大事だ」
「……ふむ。仰るとおりでは、ありますね」
「それより貴様。偉そうに口を挟むがどういった素性の者だ。名だけではまるで分からぬ」
「リュヌの外交官でございます」
サラリと。ディントがヤキモキしている間に、とんでもない爆弾が投じられた。
「な、ジェリセ殿!?」
思わずディントは叫んだ。
兵長がわざわざボカしてくれていたところ、何も自分から名乗らずともよかったろうに。
ここはどこぞの貴族とでも勘違いしてもらって、曖昧に逃げるが理想のはずだ。
それが仮にディントだけの抱える思惑であって、都合であっても。それ以上の方策はなかったはずだ。
そうでなかったとしても。ここで自分たちの素性を明らかにするということは、あまりに博打に過ぎる。
この蛙は、目の前で不気味に嗤う少女が自分たちを害しかねない人間であることを忘れたとでも言うのか!?
「この場で言う分には、問題ないと判断した」
それはディントに向けた言葉だろう。
「あとで、ちゃんと聞かせてもらいますよ」
「勿論さ。……恐らくは、それは全てが終わってからになるだろうがね」
「それはどういう――」
ジェリセの意味深な、いつもながら煙に巻くような言葉に顔を顰めかけると。
「ふぅん?」
カーリー・ブラッドが、興味深そうに声を発した。