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18.

「ここは痛い?」

「いえ。大丈夫です」

「それじゃあ、ここは?」

「少し」

「……ふむ」


 サラサラと、手元の羊皮紙に何かを書きつける闇医者、(ブルー)

 ちゃんと患者について記録を取っておく辺り、しっかりとしていると見ていいのかどうか。


「青、どうですか?」

「……本当は大事を取らせるべきだけれど。ま、いいんじゃない?」


 腕は確かであることは、この数日で知っている。

 どこからか調達してきた薬草を調合したという痛み止めは随分と効いたし、彼女の言うとおりに従って傷は随分と治ってきた。

 羊の毛から作られた糸と針を用いて縫合された傷口は痛々しく見えるものの、男の勲章でもあり、ディントとしては痛みが和らいできている現状、それほど気になりはしなかった。

 このまま傷跡が残ったとしても、恥ずかしいとは思わない。


 顔にでも傷が付いていれば別の感想にもなったのだろうが……。

 現状、取り敢えず次のことに向けて動き出したくて仕方なかった。


 ジェリセと共に何事かをやるのは、なかなか充実した時間だ。

 如何に豪奢な部屋に寝かされて不自由なく生活出来ているとはいっても、退屈は退屈であり、焦燥は簡単に消えてくれたものじゃない。



 ――早いこと、ソレイユに向かわなくては。



 女王陛下への忠誠を誓い直し、自らの意義についても確信出来たディントは、使命感に燃えていた。


「ま、傷口が開いてもワタシのせいにしないなら良いわよ。これにて治療終了、一応薬は持たせてあげるからちゃんと使うこと」

「お世話になりました」


 どんな立場でどんな場所でも礼儀は大事だ。

 その辺り叩きこまれてるディントは、心底からの感謝を彼女に伝え、頭を軽く下げた。

 ソレに対し、青は軽くため息のようなものをつき、相変わらずどこを向いているのか分からない瞳を閉じた。


「これだから貴族ってのは……貰うものは貰ったからいいけれどね」


 今日明日で大丈夫だろう。

 そんな見立てを聞いていたジェリセから、既に報酬は受け取っていたらしい。

 終ぞ、具体的な金額の話などディントが聞くことはなかったが、相応以上に貰っているのだろう。口止め料も含め。


 とはいえ、それを突くのも野暮だ。

 世話になったのは事実であるし、何ならばジェリセに後々で、自分から多少出しておけばいいのだ。


「それじゃ、次会うかどうかはわからないけれど。精々お達者で」

「はい。それでは」


 青は、手をヒラヒラと振りながら出て行った。


 今まで、ディントが想像もしていなかった世界。

 貴族だとか庶民だとか。そういうのともまた違うような世界。

 ほんの少し、それを垣間見た気がするこの数日。颯爽と去っていく彼女。

 世間に照らして、正しい行いをしている人なのかどうかは分からないままであったが。



 何となく、その後姿は格好良く見えた。

 



 * * * * * * * * * * * *



 

 ソレイユに向けて出立したのは、その翌日の早朝だった。

 正確には、元ソワルタ領。恐らく戦後の混乱にあるだろう、リュヌの隣接地。

 そこに、ソレイユ貴族と待ち合わせる形で会談を行う手筈だ。


 ソレイユの中心都市まで出向くとなれば、大陸の最南に近い場所にまで移動しなければならない。

 無論、ソレイユの貴族とて暇ではない。

 故に、元ソワルタ領近くに根を張りつつある人間、つまり伝手として都合の良い条件に合致した者を窓口とすることになっている。


 その貴族とはシュミット老。

 ソレイユの古き時代から血脈を保つ有力貴族であったが、現国王は王子の立場から政変をもって即位していることから、彼らのような旧家は少なからず主流から外れてしまった。

 特にシュミット老は、非戦派――戦争に次ぐ戦争で拡大を続けてきたソレイユの中で特に肩身の狭い一派に属していた。


 そのような貴族に渡りをつけたところで、大丈夫だろうか。

 そうディントは思ったものの、ジェリセ曰く、


「名家は名家だ。力が全くないわけでもあるまいし、何よりいきなり発言力の高い貴族にぶつかれるわけでもない。

 こういうものは、少しずつ切り崩すものであり、アルドリッジが程よい位置に好条件で居てくれたのはアルバの政治事情によるものが大きかっただけだ」


 ……とのこと。


 まずは足がかりを。

 エイリーン・アルドリッジはそう考えていたのだろうし、ジェリセとディントはそれに相乗りする形になる。

 そういうこともあって、まずは国境を越えていく、アルバへ行った道とは真逆の方向に向かっていくのだが……。



 エルフス峠。



 リュヌの国威が届く最後の集落、それを隔てる最後の峠。

 つまりは、この峠を越えれば後は旧ソワルタ領であるという場所。

 その道はそう険しいものでなく、昔から商隊も良く行き交うように一種の交通の要所でもあるのだが、それは同時に賊に、襲撃者に狙われやすいという側面を持つ。


 そこを抜ける前にジェリセたちは、情報収集に努めることにしていた。

 この状況下、安易に国境を渡るのは自殺行為であると、以前のこともあって警戒していた。

 安宿に宿泊させてもらい、その一室でジェリセとディントは互いの意見を交換する。


「旧ソワルタ領の戦後の混乱。

 それがこちらにも影響していないわけではないでしょうし、あちらはより大変な状況でしょうに。

 それでも逞しい商人たちは、往来をやめていない。それだけでもマシというものですね」

「一応、ここの村落を纏めてる長は安易に旧ソワルタ領には渡るな、同時に、他の土地に逃げ出すなと警句を発しているらしいが、それは住民に対してだけ。

 結果として、流れ者たちはこれを機と見て動くか様子見をするかといったところか」

「街に出てみると不思議な緊張感を感じるのは、そのせいでしょうね。

 住民はここにも戦火が迫っているのかと戦々恐々していることでしょうし、商人どもにしたって同じ。

 ただ、商人たちはここが安全であるようならば簡易に拠点として、あちらに色々な物資を売りつけようとする」

「全く逞しいとしか言いようが無いな。

 来てみなければこの空気を感じることも出来なかったろう。

 そして、エイリーン・アルドリッジはそれを利用してどさくさ紛れにあちらへの繋がりを弱くも作ったわけだ」


 ジェリセがそう纏める。

 相変わらずパイプを咥え、眼下の人の往来を見つめて何事か考えているが、そこで何を考えているやら。

 目下の問題は、どう安全に、旧ソワルタ領に渡るかだ。

 そしてそれを阻害しうる要因は、既に掴んでいた。


「賊が増えている、か」

「えぇ。それが旧ソワルタで落ちぶれた兵が組織したものか、食い詰め者たちが増えた結果、治安が乱れてそうなったか。どの形であっても、増えない理由がないわけではないですが――」

「我々が襲われたことを鑑みるに、それだけでなく、我らを狙った者達も紛れていると見たほうが、自然であり妥当だろうな」



 賊の問題。

 交通を阻害する、それだけならば多少武装すれば跳ね返すことも出来るだろう。敗残兵が落ちぶれたとしたとしても、多少の相手ならば何とか出来る程度の護衛を手配することは、可能だ。


 しかし、それが刺客であった場合。今度こそ本気で狙ってきた場合。

 それは考えねばならない。

 本当にカーリー・ブラッドが狙うのであれば、ソレイユ兵が出てこないとも限らないのだ。

 戦争を続けてきた国家の兵。

 情報こそ少ないが強兵に違いないし、彼女自身が優秀に過ぎる魔術師だ。

 数少ない魔術兵を差し向けてこないとも限らない。


 騒ぎになることを考えなければそこまでなりふり構わず襲ってくる可能性だってあるのだ。

 負傷したディントに、そこまで心得のないジェリセ。

 2人揃ってそんな布陣を突破することは不可能に近い。



「実際の処。本気で付け狙われている可能性はどの程度?」

「半々と見ているが、難しいところだな。

 先の襲撃が脅し目的であった場合、ソレイユへの干渉を嫌っていると考えられる。

 そうすると、それを無視した格好だ。……本気で身柄を拘束するか、抹殺するか。

 それを考えないわけにはいかないだろう」

「そうならないケースは」

「敢えて敵対関係を宣言しておくことで、非主流派であるシュミット老を始めとした一派に繋がっても、その意味を薄くする。

 それを敢えて伝えてきた……か。

 あぁ、一応だが、先の襲撃から本気だったという場合も考えられる。

 ちょっとばかり、それは考えづらいことは以前説明した通りだが」

「…………」



 半々、か。



 ディントは思わず黙りこんでしまった。

 動かなければならない、今後のことも考えると座して待つわけにも行かない。

 それは分かっているが。

 今までのように移動して、エルフス峠を越えられるかどうか。確信を持てる気はしなかった。


「陛下に、兵を手配してもらうことも可能でしょうが……」

「旧ソワルタ領はソレイユと戦争があったばかりだ。そこをあまり刺激したくはないな。

 加えて、可能な限り目立たないという方向からもズレてしまう。

 …………本当は秘密外交で全て済ませたかった処だが、違う手を打つしかない」

「! 手があるんですか?」

「というより、既に打っているというべきか。回答待ちなんだよ」


 そう言って、ジェリセは目を瞑るようにした。まるで、何かを祈るような。


「リスクがあるし、相手の出方次第でもあるのだがね。

 ……こちらから出向いて攻撃されるのなら、あちらから迎い入れて貰おうと考えているのさ」

「……あ」


 そうか。何も、無理に自分たちだけでやらずとも。

 今回に限れば、会談予定の相手側貴族に、迎えを手配してもらえば。

 賊はともかく、同じソレイユ兵で争うという可能性は、グッと低くなる。

 少なくとも、リュヌの傭兵で物々しく行って、あちらの貴族の気分を害したり、或いは国家間問題になったり、これ幸いと狙われるパターンなどよりはずっとマシなはずだ。


「なるほど。どうしても、正面突破することばかり考えてましたが」

「うむ。こういう手もあるということだ。

 無論、やってみなければ上手く行くかどうかはわからないがね。

 ……最悪は、山に隠れ逃げることになるかもしれない。その時は、頼りにしているよ」

「……負傷の身ですがね」

「それでも、君を頼みにしている」


 そうは言いながらも、何とかなると思っているのだろう。ディントもそう考えている。

 互いに楽観的になれるのは、何となしに互いを信頼しているからだ。

 最悪の最悪。裏切りはなかろうと。そう思えるからだ。

 ディントは方針が固まったことに安堵を覚え、座り込んだ。



 当面の自分の仕事は、危急の時に動けるよう身体を少しでも癒やしておくことだ。

 



 * * * * * * * * * * * *



 

 旧ソワルタ領近くにて力を蓄えようとしている貴族、シュミット老からの手紙を受け取ったのはその後数日をかけてからだった。

 賊の頻発する地域を通る商隊に手紙を持たせていたのもあり、ジェリセは複数枚のそれをばら撒いたらしい。

 それで最悪、敵のもとに手紙が渡ったらどうするのか。ディントが尋ねると、


「その時はその時さ。その場合にしても、あちらが出来ることはそう多くあるまい。

 精々が、私たちがシュミット老と会談するつもりであることを掴めるだけだよ」


 そして、それでも構わない。

 ソレイユ兵を招き入れて、自分たちを乗せた馬車を護衛させる。それは高度な外交問題で、簡単に手を出せる使節じゃなくなる。

 非公式に襲おうにも、言い訳が効かなくなるのだ。

 ……と。そういうことらしかった。


 寧ろ、そこまで含めてジェリセの策略なのかもしれない。

 そうすることで得られる結果というものは、ディントにはいまいち想像出来ないが。

 恐らくは、ただエルフス峠を渡るだけじゃない。何かを見ている。



 ともあれ。

 そういう形で、あちらの貴族も事情を飲み込んでくれたようだった。

 シュミット老の手紙にはジェリセの要請に応じる旨が記されていた。


「どうやらあちらさんもカーリー・ブラッドの名は怖いようだ。

 それとなく仄めかしたら、あんなのが噛むなんてとんでもないと寄越してきたよ」


 ディントも文面に目を通したが、そこまで露骨には書いていない。

 ただ、出来うる限り邪魔のないように会談を行いたいというようには書いていてそれはなるほど、ジェリセの仄めかした内容に反応した証であるようだった。

 

 


 ソレイユの兵隊と合流したのはその手紙が届いた後、2日後だった。あちらから一方的に日時が書いてあったが、特段それに疎むものも不都合もない。乗ることにした。


 村を出て、しばらくした処に。申し訳程度の偽装が施された馬車と装備の兵が待ち構えていた。

 ディントは思わず緊張に身体を強張らせた。それはそうだ。

 リュヌの傭兵に囲まれるならともかく、ソレイユの兵隊。

 それは、或いは戦争になりうるかもしれない国の兵だ。自分たちを害さない保証はない。


 そして、自分たちが害されれば、それは何らかの問題の引き金になるはずだ。

 下手をすれば、それこそ戦争に繋がる。

 それだけは断じて避けたかった。

 故に、慎重に振る舞いたい。遠目から見えたその兵隊たちに、律儀なほどわかりやすく頭を下げた。

 ジェリセは対照的に、鷹揚に手をあげるに留めた。


 すると、あちらから1人、体格の良い兵士がやってきて、それにジェリセが挨拶をした。


「どうも」

「む。リュヌの……」

「あぁ、ジェリセだ」

「ディント・ヘッセです」

「お話には聞いています。どうぞ」


 蛙の特徴を事前に聞いていたからだろう、すんなりと認めてもらえた。

 こういう時、目立つ外見的特徴は便利である。

 先導する兵士は、どうやらこの隊の取りまとめをしているようだ。

 歩きながらも、周りに良く通る、それでいて乱暴すぎない声で指示を出していく。


「客人がいらっしゃった。直ぐに出立の準備をする。予め決めた通り仕事を行うこと!」

「はっ!」


 周りに居た、多くの兵士がそれに了解の返事をする。

 良く観察してみると、その全ては鎖帷子を身に着けている。

 行軍しやすく、且つ軍事行動にも適した。そんな塩梅の装備のチョイスなのだろう。


 ディントたちも警戒して、服の中に軽い防具は身につけていた。

 ジェリセはどうにもそれを重そうにして、気に入らないような素振りを見せていたが、警戒は厳にすべき場面だ。我慢してもらおう。



「ではこちらの馬車へ」

「うむ」



 そうして、兵長と共に馬車へ乗り込んだ。

 







 

 しかし、襲撃は起こった。





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