16.
医者とやらの治療は、随分と痛みを伴った。
傷口深くまで洗うということはそれだけ身体に負荷をかけるということだ。
ディントは、何度も叫び、ある程度治療を終えるまで気絶しそうになりさえした。
それを見ながらも平然としてみせたこの医者は、淡々とどの程度で治療できるか話し始めた。
「腹部の刺し傷は大分深いわね。7日から8日ぐらいはじっとしてないとダメよ」
「もっと短くなりませんか」
「……なんだって男って人種は無茶をしたがるのかしら」
ゆったりとした薄紫のローブ――ジェリセが着ているようなフープランドを簡素にし、幅広のベルトで締めたようなモノだ――を着た妙齢の女性の医者はディントの訴えに対し、これ見よがしにため息をついてみせた。
服に似合った青い瞳はトロンとしていてどこを焦点として見ているかわからない。
その上あまり愛想を振りまくタイプでもないようで、表情に変化がない。
どこか、生気を感じづらいそんな女性だが、不思議と気味悪く感じない。
それは彼女が美人と呼べるだけの顔立ちをしていて、表情に現れずとも人間味のある仕草を見せるからだろう。
ただ、ここに来て爺とこの女性と出会う度に、人間色々あるものだと強く思わざるをえなかった。
2人のどう見ても過去に陰を背負っているようなその様子は貴族階級の人と付き合うことの多かったディントには新鮮に映ってしまう。
興味本位でそれを詮索しても踏み込んでもいけないと、理性では分かっているが。
「蛙の子は――ケロル族の集落で一度見たぐらいだから、断言出来ないのだけれど。
それでもその様子なら、そこの赤毛の子よりは早く治るでしょう」
「……5日程度で、ここを出ると言ったら、問題があるかね?」
ジェリセはどこか不機嫌そうにそう言った。
ディントの傷の具合に関しても含めて、その日数で妥協できないかと聞いているのだ。
「無茶言わないで。ワタシが診るからその日数で済むのよ。傷に効く薬草とか貴方達分かる?」
「専門外だな」
「でしょう。それに、傷口が開いたらどうするつもり?
麻や羊の毛で作る糸だってタダじゃないし、針を使える医者だってそう多くない。
というか、口を噤んでくれる医者が欲しくてこんな手間を取ったんじゃないの?」
淡々と捲し立てる女医者。
彼女もまた、名前を呼ばれたくないらしく『青』などと呼ばれていた。
酒場の主人は『爺』、ジェリセは『蛙』、そしてディントは『赤毛』だそうだ。
ジェリセ曰く、「こういうところでは互いに本名を把握していないぐらいが丁度良い」のだとか。
色々な意味があるらしい。
情を持ちすぎないだとか、何か巻き込まれた時に他人を売りづらくなるとか。
確かに本名を漏らす云々以前に、名前を知らなければしらばっくれやすいのだろう。
……同時に、そんな事態を想定するようなことを爺や青は行っているか、そういった連中と関わりがあることを示しているが。
ともあれ、今はディントたちは助けてもらっている立場だ。文句もない。
「ちゃんと包帯はしておいてね。
窮屈だと思うけれど、傷口は隠しておいたほうが良いわ。
ワタシは信じてないけど、爺なんかは悪魔に乗っ取られる――なんて信じてるしね」
傷口は身体への入り口の1つだと考え、そこから悪魔が入り込むなんて迷信はこのリュヌでも良く聞く。
つまりは、例外を除いて軍事訓練を施される国民たちに、安易に傷を放置することの愚を教える話なのだが、実際にそうだと信じこむ信心深い人たちが現実に居るのだ。
ちゃんと傷を隠しなさい、と。
それは医者だって言うし、神官様だって言う。
だから商隊でも包帯を無理して巻いてもらっていたわけだ。
「どちらにせよ、そのままにしていたらヘタすると死んでる位には深い傷だったから。
ちゃんと診に来てあげるから無茶だけはしないように」
「了解した。……で、5日じゃ」
「無理だって言ってるでしょ」
怒鳴りもせず。怒りもせず。
呆れたような声音だけが乗ってそう言われては引き下がるしかない。
5日後の体調次第でどうしたものかな、と。ディントは考えてしまっていた。
そこに、
コン……コン……コン。
3回ほど間を随分とあけて、ノックが叩かれた。
これは、爺と取り決めていた合図だ。
誰かが訪ねてきた場合も、味方か敵か見極めてノックについて教えておいてほしいと言っておいた。
爺だったならば5回叩く。3回叩く場合は、客人が来たという合図。
実際、この青が来た時もこの合図で通した。
「……ふむ。来客か」
「ん。それじゃワタシは失礼するわ。また明日、来るから」
「了解した。助かる」
ちなみに、医療代についても宿泊代についてさえも、ジェリセは全く具体的に口にしていなかった。
それでいて、爺や青も何も言わないのだから、何か暗黙のルールがあるのだろう。
ディントは何となく、互いに勝手に通じているその空気に気まずさと疑問からソワソワとする部分があって、どうにも落ち着かなかった。
この部屋にしても、そうだ。
月の間と言っていたが、城の一室と遜色ないぐらいちゃんとしている部屋で驚いたのだ。
恐らくこの爺の持つ部屋の中で最上級のものであるのは間違いなく、調度品も置いてあるし、現にジェリセやディントが腰掛けている椅子はしっかりとした作りをしている。
テーブルにだって、上等な絹の生地で作られたクロスがかけられているのだ。
どれだけ金をかけているのだろう。
そして、そうした部屋を作っておく目的とは何だ……?
ディントの脳裏には、色々な想像が過っては消えていく。
そして、ここに来て更に訪れた来客とやらに想像を広げる。
――姫、と呼ばれていた人だろうか。
だとしたら女性で……恐らくは貴族だろう。ならば、少し構えておいたほうが、いいか。
そうあれこれ考えているうちに、青は悠然と部屋を出ていき、そして一度扉が閉まってから勿体ぶるように、また扉が開かれた。
そこから覗いた顔に、ディントは驚いた。
…………真っ白な仮面をつけていたのだ! 変装にしても露骨過ぎる。
唖然としてジェリセの方を見やると、彼は肩を竦めるばかり。
そして、ディントはそこから聞こえてくる声と言葉、そして仮面を外した顔に更に驚くことになるのだった。