11.VS エイリーン・アルドリッジ(6)
「こほん。……なるほど」
そこで仕切りなおして、無かったことにしようとする辺りも、なんというか。
エイリーンという人間がようやく見えてきたような。そんな風に思えてくる。
それにしても、反応は良さそうだ。
後はこれにどれだけの商品価値を見出してくれるかというところだと思うのだが、さて。
「確かに、認めましょう。嗜好品としての価値は十分見いだせそうです。
今後の商品開発にも期待が持てるというもの」
「才気煥発で高名なアルドリッジ嬢にそう評価されるとは有難い」
「嫌みはやめてくださいませ」
「そう言わないでくれ給え。私はこれでも貴女を評価している。
エイリーン女史、通行税など多岐にわたる煩雑かつ直接的、乱暴的な税の取り方を廃止し巧妙に売上の上澄みを掬う。その手腕は実に見事だと、感服しているのですよ」
「……何が言いたいのです?」
「第2のカードです。こちらを」
そう言ってジェリセは羊皮紙を1枚、エイリーンに向けて机の上に置いた。
そこに書かれている達筆な文字は、ディントから読み取ることが出来なかった。
その前にエイリーンが素早くその手に取ったからだ。
「………………」
そして眼を走らせる。
それと同時に眉根が寄っていき、やがて考えこむように口に手を当て始めるその様子はなんだか滑稽に思えたが。
それだけ考えさせ、他人の目が気にならなくなるようなことが書いてあったということだろうか。
ジェリセはといえば、どこかその反応を楽しむような雰囲気で腕組みをして待っていた。
そして一拍。やがて息を大きく1つつき、エイリーンは困ったように言った。
「ジェリセ殿」
「何かね」
「……ここに書かれていることが正しい証拠は?」
そう言って、エイリーンは捲し立てるように、書かれていた内容を挙げていった。
「確かにワタクシが今、商家から取り立てている税は売上税を除いて細々としたものだけだわ。
加えて、特に商いに制限をかける真似はしていない。だってそうでしょう?
誰かが何か独占したなら、それは健全な商売に繋がらないわ。
或いは、その勢力がワタクシたち貴族を脅かすことだってあるかもしれない」
「えぇ、正しい理解だと思います」
「ワタクシは、お金の価値を知っているわ。
一部の貴族はどうも侮っているけれど、お金は大事よ。
どこまでいっても、ワタクシたちを支配しているものなのだから。
その流れを知ることが、父の助けになると信じてここまで領地を発展させてきた」
そこまで言って、エイリーンは言葉を切った。ジェリセの反応を窺うために。
ジェリセは、そのままエイリーンに目を合わせて。そのまま言い聞かすように言葉を紡いだ。
「それでも、統制は必要だと私は考えている。
色々と考えてみたが、やはりそれが一番良いのだと思うのです」
「自由な競争は成り立たないと?」
「そうです。過度な競争が起これば、商家はやっていけなくなる。そうなった時にどうなるか。
斃れていくか、或いは自己防衛として彼らだけで集団を構成し、もしかしたら支配構造が生まれるかもしれない」
「大きな商会が、全てを左右するようになる。それがワタクシたちの手綱から外れるのは、確かに恐怖ね」
「その通りです。ですから、」
「貴方の持ち込んできたこのハーブの独占取引を、一商会に任せ。ワタクシたちの統制下に置く。
……いわば飴を与えて番犬を作れってことね」
「えぇ。その提案こそが、第2のカード。
差し詰め、支配商人とでも名づけると良いかな。
領主と商人の間に入る存在を作る必要について考察してみた、そのアイデアを売りたいのです。
リュヌでも貴女の後追いをしますがね」
「…………」
足を組み、口に手をやって、考えこむ。
どうやら口元に手を置くのがエイリーンの思考時の癖のようだった。
ディントは、この話については耳にしていなかった。
というより、交渉材料についてはジェリセはニヤリと何かを含ませながら、思わせぶりなことしか言わなかったのだ。
何となしに、ホルンダーのシロップについては聞いていたものの、3つのカード。
その2つについてはまるで知らないといってよかった。
それがジェリセの警戒心の賜物か、ディントへの意地悪なのか。良く分からなかったが。
「そして、最後のカード。こちらを見て頂けますか?」
ジェリセはもう1枚、羊皮紙を丸めた状態でエイリーンに手渡した。
最後のカードとやらは、ディントにさえ一瞥させたくないようなそんな代物らしい。
事実、それを怪訝そうにして受け取ったエイリーンは紙を広げ、目を通し始めると明らかに分かるほど、狼狽え始めた。
なにせ尻尾が暴れ狂っている。側に控えていたアレンはサッと打たれないように避難した。
「こ、これは……!?」
「どうです? 中々のものでしょう。調べるのに苦労しましたよ」
なんとも、苛々を誘発させるような厭味ったらしい言葉遣いだろうか。
エイリーンの動揺に、余裕たっぷりにそう言うジェリセの様子はディントから見ても随分と嫌な印象を与えるものだった。
「……………………」
エイリーンの視線が、ジェリセとディントに改めてそれぞれ注がれる。
そこに、どこか攻撃的なものさえ感じられるのはディントの気のせいでは、ないはずだ。
ここまで狼狽させ、更に敵意を煽るような交渉材料。
一体ジェリセは、何を差し出し、見せたというのか。
「ワタクシを――」
声に震えが混じる。
「――脅すというのね」
そこにどれだけの激情があるかは分からない。
しかし、感情的にならず怒鳴るようなこともない。その精神力は見事なものだった。
「お相子でしょう。貴女の脳裏に今過ったものを、私が見逃すとでも?」
「……しかし、それをしたところで」
「そう。私やディントを排除しても、意味は無い」
物騒な言葉さえ聞こえてくるが。
この場で2人を排して、証拠の隠滅を図りたくなるような。そんなものだというのだろうか。
脅す、ということは弱みを握ったと伝えたに等しいこと。
つまり、あの羊皮紙に記された内容はエイリーン・アルドリッジの急所だということになる。
立場の逆転。
最初に、あれだけ威圧的に。
国力を背景とした交渉手筋を打ったエイリーン・アルドリッジに対し、ジェリセは動じることなくそして場の雰囲気を変え、捻り出した交渉カードを立て続けに切り――優位を得た。
それはつまり、エイリーン自身が先に認めた通り敗北と勝利を分けて示された。
対等な交渉に持ち込んだところまでが第一の戦いであったなら。
今こうして要望を押し通そうとする第二の戦い、その勝敗はまだついていない。
しかし、優劣というのはこの時点でディントの目でもはっきり分かるものだった。
無論、エイリーンが愚かだったと断言は出来ないのだろう。
ディントには納得出来ないがジェリセとエイリーンの間には通ずるところがあり、最初のあの武力行使を辞さない姿勢だってブラフだけじゃなかったというのだから。
一歩間違えば、こちらの身柄が危なくなっていた。
リュヌの命運がかかったこの一大勝負、負けの目も十分以上にあったはずだったということだ。
――少なくとも、ディントが任されていたならば。あっという間に予想外の展開から屈していただろう。
ジェリセでなければ。
初めの流れから読み切り、恐らくは思うままに交渉を進めてみせたこの蛙が居なければこうも上手く持って行くことは出来なかったに違いないのだ。
ディントだったなら。
最初の脅しに屈していたかもしれない。
忠誠心からされるがままに、傷つけられていたかもしれない。
或いは、上手くやっていても交渉を急ぎ、屈するよりマシとはいえここまでの成果は挙げられなかっただろう。
そして今。
こうしてエイリーン・アルドリッジの弱みを突いた上でリュヌがあちらに差し出せる対価というものも提示できなかったに違いない。
リュヌは小国だ。
アルバには及ばないし、その中で確かな立場を持つエイリーン・アルドリッジは生半な相手じゃなかったはずだ。
しかし現実に、アルドリッジの強欲狐は耳を垂らして項垂れている。
その光景に、ディントはジェリセへの畏敬の念を抱かざるを得なかった。
「…………はぁ。バレないように少しずつやっていたのだけれど」
「私の目に留まったのが運の尽きということで」
「全くだわ。あぁ、忌まわしい」
そうしてため息をついたエイリーンは、眉間を揉むようにして髪を一撫で。
「どうして、気づいたの?」
「偶々、ではある」
ジェリセは唇を舐めて、そう言った。
思考を詳らかにしてなぞるその行為に、少しの思考時間を要した。
「元よりリュヌに武器は少ない。
傭兵事業を持ちだそうにも、国策でこそあれ、あまり国が乗り入れすぎて良いこともない。
あくまで民間事業と国家事業が絡んだぐらいの塩梅が丁度いい」
「そうでしょうね。
傭兵の派遣というのは、出来るだけ政治色が強くないほうが好ましい。
利益だけで、お金だけである程度繋がっている方がね。
……まぁ、リュヌの兵は随分素直で使い勝手が良いと評判だけれど。変な裏切りもないみたいだし」
エイリーンは相槌を打った。ジェリセが「うむ」と頷く。
「そうすると、特別交渉材料に使うには少し弱い。
あちらが脅威と利益を認識してくれるのは結構だが、こちらから押し売りするものではないということだ。
そも、そういった相手に交渉を持ちかけたところで鼻で笑われる可能性も高い。
戦争への忌避感というものを共有しやすく、且つこちらの武器になりそうな相手を選ぶしかない。それが、アルドリッジだった」
「そこまでは分かるわ。続けて」
お互いの視線が交わり、その狐目がジェリセをじっと見つめている。
もはや、この蛙が場の主導権を握った主役であると認めている、そういう眼。
「アルドリッジ家の現当主の評判は耳にしていた。
となれば、出来るだけ分かりやすい利益を提示したい。
しかし、リュヌの商業はどうしても産業基盤の弱さがあって、交易の中継地点程度の役割しか果たせなかった。
今回独占取引を申し込んだ薬草類の特産品も価値が見出されていなかったしね」
「えぇ。
だからワタクシも、上下関係を作って都合のいい時に何かいうことを聞かせられる関係を目指した。
冗談半分だったけれど、リュヌが生き残るには国を売る方がよっぽど易いのだもの」
エイリーンは肩を竦め、「ま、失敗したけれどね。そこの可愛い付き人さんにも嫌われちゃったみたいだし、損しましたわ」と苦笑した。
ディントは自分に向けられた不意の言葉に、反応できず赤面する。
可愛いなどと言われても困る上に、複雑な思いを整理できず割り切れないのはディント自身の問題でしかない。
エイリーンについては、マイナスからスタートしているがこれから付き合いが出てくる中で見極めていきたいと思っているのも本当だった。
ジェリセはそのやり取りを微笑ましく見つめた後、仕切りなおすように咳払いを1つして、演説を再開した。
「しかしヘイゼル陛下は茨の道をいかれると決意した。
私がそれを無碍にするわけにはいかなかったのだ。
そこで、少しずつ陛下と共に推し進めてきた特産品開発事業が、商品価値を生み出しつつある事実をもとに、商業利益を提示した。
更に、そちらの領地での商業事情をこちらに赴く前から滞在中まで、つぶさに観察し課題と改善案を作り上げた」
「その2点でも、悪くはなかったはずよ」
「そう。悪くはなかった。しかし良いとも言えなかった。
交渉材料にしては、色々と弱い。そうだろう?
しかしリュヌの商業事情を調べるうちに、気づいてしまったのだ。貴女が試みていた秘密の取引に」
「……それ以上は言わないでちょうだい。あぁ、でも1つだけ。決定的に気づいたのは、どこ?」
「無論、帳簿さ。
実に巧妙だったが、レイモンド商会も優秀な人間が揃っている。
紙の証拠を保存する必要性をよく知っていた。
陛下も清廉な方であるしな、誤魔化しが通じづらい情勢になっていたこともある。
その証拠がしっかりあった以上、如何に巧妙であろうと数字のマジックに気づけない道理はない。
……私でなければ、発覚に時間がかかり、結果として貴女の弱みにならなかったかもしれないがね」
「本当よ。全く、イレギュラーだったわ。貴方」
エイリーンはそう言って。思わず拍手でもしそうなような勢いで立ち上がった。
そしてジェリセに握手を求めた。
「わかったわ。貴方の要求を呑みましょう。細かいところはまた後日調整するけれど、いいわね?」
そうして折れたように、そう言った。
次はエイリーン視点の間話を挟みます。
説明不足の処について触れるのとキャラクターの掘り下げを主眼とした話になります。短めですが、お付き合い下さいませ。