10.VS エイリーン・アルドリッジ(5)
「……何故、ワタクシにそれを頼むのです?」
「貴女ならば、恐らくどこかと繋がっているのではないかと推測しましてね」
ディントはもう何度目だろうか。この蛙には驚かされる。
どういうところからそんな読み、確信を得たのか。
この交渉をするまでの数日間、ジェリセとディントは2人で商会などを主に出入りしていた。
そこで色々調べていたのは一緒に居たから知っているが、そこから得られた情報は領内での商業の状況ぐらいだったはずだ。
それがどこまで有効に働くカードであったかは分からない。
しかし、彼はそういった情報からそこまで考え、エイリーンに突きつけている。
ディントは舌を巻く思いであったが、同時に。ある懸念が1つ、浮かんだ。
そして、それについてジェリセに聞こうと考えたその瞬間。
エイリーンは切れ長の瞳で真っ直ぐジェリセを見据え、問うた。
「……対価は? 仮に、そうだとして。ワタクシが一方的に貴方がたに協力するのでは釣り合いませんわ」
「そう言うと思っていた。まぁ、当然だね」
ジェリセはそれでも動揺せず肩を竦めた。
「こちらも完全なカードを作れたとは言えなく、それ故に少し躊躇ったのだが――」
「前置きは要りません」
ピシャリと言われ、ジェリセは「おお、怖い」とおどけてみせた。
とはいえ、エイリーンも怒っているような素振りではない。
単純に、彼の切り出そうとしているものに興味があるのだろう。
その関心の強さは、どことなくそわそわと動く尻尾や耳から分かるというもの。
……ディントは思う。この人、相当分かりやすい。先の圧迫的な駆け引きが嘘のようだった。
アレは、彼女の立場がさせたものであってパーソナリティに沿ったものではない。
先ほどの話でもそう匂わされたが、一面、そうなのかもしれない。
「ディント君。私達はこの数日間、どうしていたかね」
迂遠な言い回し。
わざと、ディントを介してエイリーンの落ち度を攻撃しようと。
そういう腹なのが透けて見えた。
その意図を読み取ったディントは、わざとらしいようにして答える。
「待ちぼうけを食らってましたので、色々調べようと出かけましたね」
実際、この間に色々なところを巡り歩いた。
商会に出入りすることは多かったが、あくまで客として。
どこかに通してもらって何かを見せてもらうほどのことはしていない。
これは、ジェリセの警戒心によるものでもあったようだ。
レイモンド商会の帳簿を見せてもらった時と同じだ。
わざわざ商家の門を叩いて、丁寧な応対を受けていたら敵情視察がバレバレ、というわけだろう。
目立ったお客さん、ぐらいで済ませるのがベターとは彼自身の言でもあった。
「このルーナの街。時間を潰すには苦労しなかったでしょう。お楽しみ頂けました?」
しれっと言っているように見えるが、彼女の尻尾や耳は落ち着きがない。
それなりに嫌味は通じているようだ。
「とってもね。あまり楽しみすぎたせいで、リュヌの友人にもみやげ話を持って行こうかと思っているよ」
「それは光栄ですわ。……して」
早く本題を言えと。そわそわしている。
この食えない蛙の手のひらの上で弄ばれているといえるような。焦らされている。
勿論、エイリーンもただ御しやすい人物ではないのだろう。
それは最初に行ってきた駆け引きからも想像はつく。
今の隙のある挙動だって、それが自然体からのものかは分からない。
少なくともディントには読み取れない。
「3点。用意してきました」
そう言ってジェリセは腕を広げ、何事かを主張するように大仰な動作を取った。
「ひとつ。我らがリュヌは、商業の発展を願っております」
「ふむ」
「リュヌの特産品は山岳地帯で採れる植物の数々。ハーブティーはお飲みに?」
唐突な問いに、怪訝そうにしながらもエイリーンは答えた。
「えぇ、偶に嗜む程度だけれど」
「美味しいハーブティーをお届けいたします。ついでに、加工した商品も。
……貴女様の領地にだけに! お安く。そう、商人たちが自由に貴女の元に届けるのです」
その言葉を飲み込み、意味を解そうとしているのだろう。
エイリーンは暫く無言で考えこむ素振りを見せた。
そうしてやがて、パッと明るい笑顔でわざとらしく喜んでみせる。
「まぁ。素晴らしいですわね。……ですが、それは本当ですか?」
「えぇ。リュヌも貴女の素晴らしい政策を真似ようかと思ってますので。
元々、道らしい道はあまりないのですがね。それでも村々勝手にしている……」
「ハーブの独占取引。
その付加価値を加えた商品も加え、更には税金も優遇すると。
そういうことですわね。税金の取り方を制御できるようになった暁には、更に」
エイリーンが、迂遠に過ぎるジェリセの言葉を要約した。
そこで、ようやくディントは理解した。
かの蛙が持ってきた3つのカードのうち1つは、やはり商売に関わるものだった。
特産品。
産業の振興を目的に、試行錯誤しているという。
ホルンダーのシロップもその1つ。
炭酸水のような輸送に問題のある代物よりも、安く量を運べ、恐らくは価値を生み出せる。
問題となるのは当然――
「……しかし、その加工品とやらは十分な魅力があると保証できて?」
そうだ。そこが問題だ。薬草をただそのまま売るだけでは、薬になる程度。
嗜好品としても、アルバの茶葉には及ぶまい。
そしてその需要は、なくもないだろうが独占的にしたところでたかが知れているはずだ。
或いは、貴重な薬草でもあるのかもしれないが。
「未来を確約することは出来ません。私とて万能ではないのでね。
とはいえ、その懸念ももっともなこと」
また、大仰にジェリセは頷いた。
そして、懐から1つの小瓶を取り出した。
「リュヌの代表的な商会、レイモンド商会はこちらにも拠点を置いています。
その蔵を借り、貴女様が来るまで保存していたものです」
「それが、加工品のサンプルですか」
「えぇ、その通り」
ホルンダーのシロップ。
透き通った淡黄色の液体になるまで煮詰められたそれは、小瓶1つでも十分な濃さであるとジェリセは語っていた。
「水で割って飲むと美味しいですよ。リュヌでは炭酸水と合わせることもありますが」
「へぇ……」
「白湯に混ぜても香り高いですが、ホルンダーはどちらかというと爽快感の方が強い類のハーブなので夏場に適しています。冷たい水をご用意いただけますか?」
「そう。……アレン」
エイリーンが興味を示し、眼を輝かせたような気がした。
個人的に味わってみたいという興味なのか、その商才が価値を見出したのかは分からないが。
物静かに側に控えていた赤毛の青年は一声かけられると頷き、ジェリセやディントの脇を通りすぎて部屋を出て行った。
「今、冷たい水を持ってこさせているわ。少しそのシロップを頂いて良くて?」
そう聞く前に水を持ってこさせている辺り、断られることはあるまいということなのだろうが、味わってみないことにはなんとも言えないという強い興味の証左かもしれない。
ジェリセとて最初からそのつもりで持ってきていたに違いない。
茶目っ気たっぷりに勿論と肩を竦めてみせ、「余ったものも含めて全てお譲りしますよ」と言ってみせるとエイリーンは、微かに笑った。
それにしても。
あの剣呑な雰囲気から……何というか、こうして和やかな雰囲気を作り出そうとしているのは、隙を窺っているような。
ともあれうまく空気をコントロールしているのは、このジェリセだ。ディントはそれを強く感じ、内心不気味にすら思った。
「お水を」
やがて、アレンはただそれだけ言って再び部屋に戻ってきた。もとより口下手なのだろうか。
エイリーンはそれに大きく頷き、アレンに準備をさせた。
もう冷めかけのお茶が少しといったカップをアレンは片付け、そこに入れ替わるようにして透明な器を置いていった。
そのグラスに、水が注がれていく。
「残ったものは頂けるとのことだから。後で貴方とも飲みましょう?」
エイリーンはアレンに笑いかけ、そう言った。
それにただ無言で頷く赤毛の青年。彼女たちの心は通い合ってるのだろう。
初対面のディントでさえそう思うようなやり取り。
「さて。ジェリセ殿。どうぞ」
ジェリセはそれに「うむ」と、重々しく頷いた。
適切な分量というものを心得ているのは彼なのだから、彼にそのシロップを混ぜてもらうのは理に適っているといえる。
小瓶から少し、シロップを水の入った器に垂らす。
そうして、アレンから木製のマドラーを受け取り、1つ1つかき混ぜていく。
すると、淡黄色のシロップが更に薄くなり。透明な器をほんの少し色付けする、上品な色合いの飲み物に変わった。
「さて、まずは私から飲みましょう。……うむ、美味い」
一口飲み干し、満足そうに目を瞑るジェリセのその様子に。
エイリーンがどこか、逸るようにグラスを手にとったように見えたのはディントの気のせいだろうか。
ともあれ、ディントとしても以前飲んでから楽しみにしていたものだ。
遠慮することなく頂こうと手に取り、口に含む。
「……!」
「これは……」
よく冷やされた水にシロップが足されて風味がつけられた。
それだけであるというのに何と爽やかなことか!
以前、ジェリセやルーファス・ホールデンと共に頼んだソーダ割りも炭酸がシュワシュワと口の中に広がって見事なものだったが、生温かったのが残念でもあった。
しかし、これは違う。
冷たい良質な水が、確かな甘露となって喉を通って行く。
ディントはいけないと思いながらも、一気に飲み干してしまった。
「……あ」
そしてグラスから水がなくなったことに気づいたディントは、恥ずかしくなって周りを見渡した。
して、エイリーンと目があった。あちらの手元も見ると、空になったグラス。
横で悠々と、少しずつ楽しんでいるジェリセは飲み慣れているからだろう。
エイリーンの方は赤面して、耳をピクピクとさせている。
こちらも少し恥ずかしかったが、その愛嬌のある仕草につい、ここまでの経緯で彼女へ抱いていた不快感を忘れそうになった。