8.VS エイリーン・アルドリッジ(3)
武装した男たちは1人を残し、そのままディントたちの横を通り過ぎて部屋を出て行った。
当然、その外に待機しているのかもしれないが状況は格段に良くなったと言える。
「さて。互いに自己紹介でもしておきましょうか。礼を通さないとね」
先ほどまでの所業を棚に上げるかのようにして、エイリーンは表情を幾分緩めるとそう言った。
「エイリーン・アルドリッジ。アルドリッジ家の現当主よ」
「ジェリセだ」
「ディント・ヘッセです」
互いに名前を名乗り合う。
アレンと呼ばれた赤毛の男はエイリーンの後ろに立って控えているものの、口を開かなかった。
年の頃はエイリーンと同じぐらい、20代に届くか届かないかといったところだろうか。
精悍な顔つきをした青年だった。
「……あぁ、そこの子はアレン。
ワタクシの信頼する護衛だけれど口下手だし、今回の件はワタクシが1人で対応するから気にしないで頂戴」
「…………」
コクと頷くその赤毛の青年に、愚直さを感じた。
エイリーンが全幅の信頼を置く人物、としてディントは彼のことを記憶した。
「まずは、無礼を詫びておきましょうか」
あくまで涼やかに。
アレンにお茶を用意するよう指示しながら、エイリーンはそう言った。
アルバは茶葉の産地としても有名だ。
アルバの最北の地の気候でしか育たない茶の木はアルバに莫大な利益を齎している。
リュヌでは殆ど手に入らない高級品のそれに、ディントは密かに喜んだ。
「いえ。……少々肝を冷やしたが、予想出来ていたシナリオだ。問題はない」
ジェリセは当然のようにそのお茶に真っ先に口をつけた。
マナーを鑑みるならば、まずエイリーンの方を窺うべきであるし、毒見の観点から見ても利口でもない。
そういったことを気にする気はないようだ。
エイリーンから礼を破ったことへの意趣返しなのかもしれない。
「ワタクシも最初、貴方の顔を見た時にこちらへは雑に見繕った誰かを送り込んできたのかと考えたけれど。
どうやら本命と見てくれているようね。中々良い啖呵だったわ」
ジェリセのその様子を気にすることなく、エイリーンも茶葉の香りを味わうようにして、瞑目した。
雌狐とまで言われたその無礼も許すということだろうか。
ディントもそのお茶にようやく口をつけてみたが、香り高く、美しく赤に染まったその水色はいつまでも眺めていたいほど透き通った美しさを見せている。
中々飲めるものじゃない、更にその上等なもののようだった。
しかも、それは冷やされたものだった。
先ほどの緊張から乾いた喉が、あっという間に潤い、幸福感を感じる。
エイリーンの、せめてもの詫びといったところだろう。
「それにしても、全く。慣れないことはするもんじゃないわ。本当に」
再度。彼女は苦笑した。
無礼にもほどがあることをした。
その自覚はあるのだろうか。
ディントは未だにムッとしていたが、ジェリセは気にもしていないようだった。
「貴女の立場からして、そうしない理由はなかった」
「まぁね。国力差があるのだもの。当然、最初にそれを示威するのは有効な手筋よ」
「それで感情を損ねては、意味が無いのでは?」
思わず、ディントは口を挟んでしまった。
実際、どうもしっくりこない。
確かに彼女自身の趣味がどうとか、そういう話じゃないのは分かった。
しかしだ。それだけじゃない。
あんなやり方でうまくいくと思っていたのか。
うまくいかないなら、デメリットしかない筈なのに、何故そんな風にしたのか。
エイリーンは、「んー」と少し悩んだようにして。
「そうね。何と説明すれば良いのかしら。
別にまぁ、ワタクシのことは嫌ってもらっても良いんだけれど……。
甘い相手じゃないぞ、というのは示さないといけなかったのよね。色々な意味で」
「…………」
「こう、さ。うちも小さな家じゃないけれど、アルバって広いじゃない?
そうすると色々政治的に面倒くさくて。
こういうとまた嫌われそうだけれど、たかがリュヌ相手にニコニコと応じるなんてと、家の格に関わっちゃうのよね。交渉相手に骨がないと。
だから、武勇伝を作りたかったの」
「武勇伝、ですか」
「そ。蛙の外交官、その肝と熱意、忠誠他に比するものなしとか。そういうの。
あ、勿論茶番じゃないわ。
実際にあんまりダメダメそうな相手なら押し通してあれこれ要求通してたし。
何のためじゃなく、お家のために」
随分と勝手な物言いに思えたが、なんとなく事情が見えてきた。
要は試験だった、と。そう言いたいのだ。この狐女は。
それに合格するような一筋縄でいかない相手なら交渉相手に足るし、そうでないならばそのまま食ってやると。
……全く背筋の冷える思いを味わった。
「それも含めて私は予想通りと言ったわけだね。
まぁ、すんなりと行くはずがないんだ。
飛び込みで、小国が大国の貴族相手に交渉させてください、なんて。立場が違いすぎる。
あちらはあちらでしがらみに縛られているし、こちらは立場が弱くなる」
ジェリセはそういって、結論を締めくくった。
「ところで、そこの子は付き人?」
そこで、ディントへ話題が移った。
「えぇ。私も全てを同時に行えるわけではないので。
もし何か有れば、彼を寄越すことも出てくるだろうと」
「長期的なお付き合いも視野に入れていると」
「そういうことです」
やはり、ジェリセもそうだがエイリーンも頭の回転が早い。
というより、ディントを付けた理由はそういうところにもあったのか。少し驚いた。
さて、彼女と対面することがこれから出てくるとなると。それを御役目としてこなせるかどうか。
ディントは少し不安になったが、ジェリセに頼りきりというわけにはいかないのだ。
それを改めて考える。
「んー……つまり、ワタクシは貴方を認めたし、貴方もワタクシを認めてくれたということかしら」
あれだけのことをされて尚。
ジェリセは彼女と粘り強く関係を結ぼうとしている。
それだけの価値が、彼女の背景にあるということなのだろう。
「貴女は嫌われてもいいと言ったが、私はそれほど嫌悪感を抱いていない」
かと思えば、ジェリセはそんなことを言い出した。
「私が貴女の立場なら、同じことをしただろう。
或いは、もっと狡猾に誰かに責任をなすりつけて、後からのうのうと現れて交渉の主導権を握ったかもしれない。
……貴女は、存外真っ直ぐだ」
「真っ直ぐ、ね。ワタクシは、自分で全てやりたかっただけだけれど」
「それが真っ直ぐだと言うのですよ。先ほど負けを簡単に認めたのもそうです。
本当に狡猾な人間は、決してそんな言質を取らせない。
それに、嫌われ役はそれこそ先代当主チャールズが担っても良かったはずなのだ」
ジェリセのその評は、ディントが見抜こうとも思わなかった、エイリーンの生来の性格というものを浮き彫りにしていた。
つまりあの暴虐は、立場から行われた行為だという。
それを、だからといって許容すべきかは分からないが。
少なくともディントには、割り切れたものではない。
……だからか、その後に続いた言葉にディントは耳を疑った。
「父が嫌われるぐらいなら、ワタクシが嫌われたほうがマシよ。
ただでさえ、ご負担かけているしご高齢になられているのに、これ以上誰かに憎まれたりするなんて、ごめんだわ」
ぷいと。顔を逸し、赤面してそう言ったエイリーン。
そこに込められた熱は。間違いなく彼女の本音を示していた。
父を身代わりになど出来ない。
……そういえば、この狐女。先代のチャールズが高齢になってからの一人娘だった。
随分と溺愛されていたのだろう。彼女自身、どうも父への思い入れが強いようだ。
つまりは、その。
ファザコンで、父親に負担をかけたくなくて慣れないことをしたと。そういうことだと。
……何だか、ディントは更に複雑な思いを抱くと同時に、彼女の不気味なところが消えて変に、人間が見えてきたことに文句もあまり言えないじゃないかと、苛立ってしまった。
妙な空気になった。
赤毛の無口な青年、アレンまでどこか俯いてしまって……あれ、笑いを堪えてるんじゃないだろうか。
なんともいえなくなってしまった。
その空気を読んでか、読まないでか。
ジェリセはコホン、と咳払いをして話を戻した。
「それに、利益の最大化を図り、客観的に相手の弱みを考え足元を見て交渉を始めようというのは、私は交渉相手として寧ろ好ましく思う」
「その心は?」
「相手が馬鹿じゃないことは、利用価値が高いことを示す」
飄々と、ジェリセはそんな風に言った。
「愚者は利益も損益も判別できない。そんな相手では、私が出向いてもその意味が無い」
「自分ならば賢者相手でも利益で転がせられると? 随分と傲慢ね」
「なに、お互い様だろう?」
クスと。エイリーンが笑った。
空気は既に、また移り変わっていた。
緊張がなくなり、弛緩した――
いや、違う。ディントは頭を振る。
まだまだ互いに牽制しあっているのだ。
恐らくは、第二の戦いに向けて探り合っているというような。
第一の戦い、前哨戦とでも言うべきそれはジェリセがうまく躱し、次に繋げた。
その次は互いの利益の最大化と妥協の戦い。
ディントには計り知れないところがあるが、ジェリセは何らかの落とし所を考えていて、エイリーンとてどこまでか考えているのだろう。
それがぶつかりあって、どちらの望む形になるかというのは、まだ分からない。
――無論、一度会っただけで何もかも決まるということはないだろう。
それでも、大筋の流れはこの会合で決まると考えて、いいはずだ。
もしできることがあれば、フォローしなければ。
ディントは机の下で、密かに拳を握った。
まるで力になれなかった先ほどのことを考えれば。
一度ぐらいは何かしたいと。そう思った。