73. 私という存在の証明
飛び出した光の先。
木漏れ日と夕陽が交差する眩いばかりの光の中に、彼――ヴィンセント騎士団長がいた。
「……ヴィンセント、騎士団長……?」
私の唇が、震えながらその名を紡ぐ。
「エリス……!!!」
彼は、山中を駆けてきた勢いのまま馬から飛び降り、私へと手を伸ばす。
私は倒れ込むように、その開かれた両腕の間へ飛び込んだ。
強い力が私を受け止め、そのまま痛いほどに抱きしめられる。
泥だらけの体も、汗の匂いも気にせず、ただ壊れ物を扱うように、けれど離さないという意志を込めて。
あの時と同じ――いや、それ以上の、強く、温かい抱擁。
「ヴィン、……っ」
胸の奥から、熱いものがこみ上げた。
抑えていた恐怖が、安堵と共に決壊してしまう。
「ヴィンス……ッ!」
私は震える手をその広い背中に回し、泥だらけの指で彼のマントを掴み、ぎゅっと抱き返した。
「ヴィンス……っ、ヴィンス……!」
「エリス……っ、無事で、よかった……」
「もう、このまま一生、会えないかと……っ!」
ポロポロと、涙が溢れて止まらない。
彼は、震える私の背中を大きな手で撫で、耳元で囁いた。
「すまない。また、遅くなった。……帰ろう」
その言葉に、私は頷いた。
しかし――。
ガサッ!!
私の背後の茂みから、殺気立った気配が飛び出した。
隠れていた雇われの傭兵のひとりだ。
「隙ありィ!!」
「――ッ!」
ヴィンセント騎士団長は、私を抱きしめたまま、流れるような動作で腰の剣を抜いた。
ザッ――!
夕日を斬るような銀閃が走り、鈍い音が響く。
「ぐああっ!?」
傭兵が悲鳴を上げ、足を押さえて地面に転がる。
私は何が起きたのかと顔を上げようとしたが、騎士団長の大きな手が、私の後頭部を優しく押さえ、彼の胸元に顔を埋めさせた。
「見るな」
低く、静かな声。
けれど、その響きには絶対的な冷徹さが宿っている。
「まずは、この場を制圧しなければな。掴まっていろ」
彼はそう言うと、私を軽々と持ち上げ、片手で姫抱きの状態にした。
慌ててその首元に腕を回し顔を上げると、周囲にはいつの間にか、他の傭兵たちとロレンツォが追いつき、私たちを包囲していた。
「チッ。騎士がなぜこんなにも早く……、邪魔をするなァ!」
「その女をよこせェ!」
傭兵たちが武器を構える。
私は、ヴィンセント騎士団長の腕の中で、冷静に周囲をスキャンした。
「ヴィンス。敵戦力は四名。正面の男が依頼主の商人、ロレンツォ。残る三名は金銭契約で雇われた傭兵です。連携レベルは低く、忠誠心も皆無と推測されます」
私の分析報告に、ロレンツォが目を見開いた。
その手が、欲深そうにこちらに向かって震えている。
「素晴らしい! その能力があれば、我が国の産業も軍事も劇的に変わる! なにをしてでも、国に連れて帰らねば……!」
「……貴様」
ヴィンセント騎士団長が、私を抱えたまま剣先をロレンツォに向ける。
その殺気にも怯まず、ロレンツォは叫んだ。
「聖女と呼んだとて、それはただの道具なんだろう!? 金なら払う、言い値を言え!」
「……道具、だと?」
ヴィンセント騎士団長の腕に、怒りの力がこもるのが分かった。
けれど、私は彼より先に、ロレンツォに向かって声を上げた。
「いいえ」
私は、騎士団長の腕の中から、ロレンツォを真っ直ぐに見据えた。
「私は、自律思考型AI、共感・論理統合システム・Empathy and Logic Integration System――エリス」
私の、自分を定義する言葉。
――けれど今は、続きがある。
「そして、この世界でたくさんの感情を学び、様々な人と関わり、人間性を得た存在です」
メルに育てられ、子供たちと笑い合い、シスターに叱られ、司教に試され、街の人たちと心を通わせた。
――そして、彼に恋をした。
その全てのログが、私を「私」にしている。
「あなたごときに扱えるほど、安い道具ではありません」
木々の間から差し込む西陽を浴びて、私は言い放った。
「――あなたに私は、もったいない」
傷だらけで、泥だらけで。
けれど、今の私は、どんな時よりも、胸を張っていられる気がした。
「……っ」
ヴィンセント騎士団長が、息を呑んで私を見つめている。
その瞳には、驚きと、そして深い敬愛の色が浮かんでいた。
「な、なんだと……!」
商人としてのプライドを傷つけられたのか、ロレンツォが顔を真っ赤にして喚き散らす。
「やれ! 女を奪い取れ! 金一袋上乗せだ!」
「へ、へい……!」
倒れている仲間を見てたじろいでいた傭兵たちが、金に釣られてじりじりと包囲を狭める。
空気が張り詰める中、ヴィンセント騎士団長が、ふと私に問いかけた。
「怖くないのか」
「先ほどまでは、一人でもうだめかと思っていました。……ですが」
私を抱きかかえる彼の腕に、そっと手を添えた。
「今は、あなたがいます。あなたといれば、――問題ない、でしょう?」
彼への絶対的な信頼を込めて、私は意図した中でも最高の笑顔を向けた。
すると、ヴィンセント騎士団長も、ふっと口元を緩め、不敵に笑った。
「……ああ。問題ない」
次の瞬間――世界が加速した。
「――ッ!!」
ヴィンセント騎士団長は、私を左腕一本で抱きかかえたまま、大地を蹴った。
一歩。
たった一歩の踏み込みで、間合いがゼロになる。
キィン!
ガギィン!!
銀の軌跡が空を裂く。
私が瞬きをする間にも、彼は傭兵たちの間を風のように駆け抜けていた。
傭兵たちは、剣を振るうどころか、彼を目で追うことすら出来ていない。
私を抱えたまま片手で振るわれる剣は、正確無比に敵の武器を弾き、手首を砕き、意識を刈り取っていく。
「ぐあぁっ!」
「な、なにも見えな……ッ!」
傭兵たちが、次々と地面に伏していく。
しかし斬ってはいない。
すべて、剣の峰や柄を使った、急所への打撃だ。
――その動きは、まさに鬼神。
私はその圧倒的な強さと美しさに、恐怖を忘れて見惚れてしまった。
「ひ、ひぃ……ッ! 貴様、まさか、氷の騎士――!?」
一拍遅れて状況を理解したロレンツォが、腰を抜かして地面に転がる。
ヴィンセント騎士団長は、私の目の前で剣をピタリと止め、その切っ先をロレンツォの鼻先に突きつけた。
「……投降、するな?」
「あ、あ……っ!」
ロレンツォは顔面蒼白になり、無言で激しく何度も頷いた。
勝負あり、だ。
私の身体には、返り血一滴も付着していない。
完璧な身のこなしによる、圧倒的な武力による蹂躙だった。
「――団長!」
森の奥から、ジャック副団長が駆けつけてきた。
現状を見て瞬きをすると、はぁ、と大きなため息を吐く。
「……って、もう終わってますねェ」
「後は任せる。こいつらを連行しろ」
「了解です。……まったく、いつでも人使いが荒いんだから」
ジャック副団長が苦笑いをし、手際よくロレンツォたちを拘束し始める。
ヴィンセント騎士団長は剣を納めると、私を抱えたまま、自分の馬へと歩み寄った。
「……帰るぞ」
「は、はい」
ヴィンセント騎士団長が私を地面に降ろす。
私は凛とした姿勢のままで着地し――
「あぅ……っ!?」
――着地した瞬間、膝から崩れ落ちた。
「あ、足が……力が抜けて……!」
「……やはり、君は目が離せないな」
かっこいいことを言った直後で、無様といえば無様だが、力が抜けて痺れた足で、動けなくなってしまっていた。
結局、ヴィンセント騎士団長に抱えられ、馬に乗せられる。
「急いで戻るように言われている」
「え? あ、あの……?」
「舌を噛むぞ」
私が聞き返そうと口を開けた瞬間、馬が弾かれたように走り出した。
「んっ!?」
慌てて口を閉じる。
背後で手綱を握るヴィンセント騎士団長が、私の頭の上で楽しそうに笑う気配がした。
景色が流れる。風が頬を打つ。
初めての騎馬のスピードに翻弄されながらも、背中の温かさが、痺れた足が、助かったのだという実感を、深く刻み込んでいく。
私たちは、全速力で森を駆け抜け、みんなが待つ孤児院を目指した。




