69. 神託に紛れたイレギュラー
灯火祭当日の朝は、雲一つない青空が広がっていた。
しかし――。
「……これは、想定外のアクセス数です」
私は教会の窓から外を見て、思わず呟いた。
まだ早朝だというのに、門の前にはすでに十数人の行列ができている。
昨日のたった五人へのアドバイスが、一晩で劇的な口コミ効果を生んだらしい。
「腰の痛みが消えた」「シミが落ちた」という実利的な噂は、お祭りで浮き立つ街を駆け巡り、人々を教会へと引き寄せたのだ。
「これだけ集まってしまっては、無視するわけにもいきませんね」
シスター・ベロニカのため息交じりの指示により、私たちは急遽、門の前に机と椅子を運び出すことになった。
私は椅子に座り、行列の整理にあたるシスターの背中を見ながら、今日の予定を思ってそわそわとしてしまう。
自室のクローゼットには、ヴィンセント騎士団長から贈られた、純白のブーツが大切にしまわれている。
「今日は大事な日なんだから、絶対にお昼までで終わらせるんだよ!」
メルも張り切って列の整理をしている。
しかし、私のシステムは準備にかかる所要時間を再計算し、現状のスケジュールではリソースが不足する可能性を警告していた。
「……でも、やはりお断りをして、今から準備をした方が良いでしょうか。念入りに水浴びをして……」
「もー、エリスったら! 落ち着いて!」
メルが笑いながら、椅子に座った私の肩を叩く。
その手つきは遠慮がないが、私をリラックスさせようとしてくれているのが分かる。
「昨日ちゃんと予定立てたでしょ? お昼ご飯食べたら、全身ピカピカに水浴びして、そのあとメルがばっちりエリスを仕上げてあげるから!」
「は、はい。そうでした……」
緊張と期待とで、心が落ち着かない。
ふと列を見渡すと、さらに後ろから人が増えているのが見えた。
私は意識を切り替えるように、並んでいる人々に小さく会釈をする。
「人数が多そうですね。子供たちみんなに手伝ってもらうべきでしたでしょうか。今からでも……」
「だ、だめだよ! みんな療護院でのお勉強に忙しいんだから!」
メルがぎくりとして、慌てて止める。
心ここにあらずな私は、その不自然な様子に気づかぬまま、そうですよねと頷いた。
(ぼうっとしていてはダメです)
(子供たちは勉強を頑張っていますし、ヴィンセント騎士団長もきっと、仕事を終わらせて来てくれるのですから)
(私も、しっかりと、聖女の勤めを果たさなければ)
私は頬をパンと軽く叩き、気を引き締める。
待たせている行列の先頭に向き直った。
「聖女様のご神託を、はじめまーす!」
メルの元気な声と共に、神託――相談会が始まった。
* * *
神託とは言っても、持ち込まれるのは住民の小さな悩み事がほとんどだ。
「店の売り上げを伸ばしたいんですが……」
「レイアウトに問題があります。入り口付近の棚を低くし、視界を確保してください」
「子供がなにに対しても反抗的で……」
「発達心理学的に正常なプロセスです。過干渉を避け、傾聴に徹することを推奨します」
「畑の土が痩せてしまって……」
「酸性土壌の可能性があります。石灰を混ぜ、孤児院と同じ堆肥システムを導入しましょう」
次々と訪れる相談者の言葉を細かくヒアリングしながら、私はデータベースから最適解を出力していく。
そんな中、街で見かけるのとは雰囲気の違う、一人の商人が列に並んだ。
「やァ、聖女様。評判は聞いているよ」
ロレンツォと名乗った商人は、身なりは良いが、どこか食えない笑顔を浮かべている。
【新規リソースをスキャン】
【視認:人間、男性】
【年齢推定:30代】
【容姿特徴:オレンジがかった茶髪、黒い瞳。高価だが機能的な衣服】
【感情(推定):『好奇心』『値踏み』】
「私は布を扱っているんだが、新しい商材を模索していてねェ」
彼はそう言うと、椅子にどかりと腰を下ろし、早速とばかりに身を乗り出してきた。
ロレンツォは、試すような視線で私を見る。
「この国で流行る布……いやァ、これから来る布は、なんだと思う?」
【分析:現在の流通データと気候変動予測を照合】
【検索:近隣諸国のファッショントレンド】
「まず、今取り扱っている種類を教えてください」
私の問いかけに、彼は淀みなく商品リストを並べ立てた。
彼の商品リストを聞くとすぐに、私は回答を出力した。
「短期的には、吸湿性に優れたリネンの需要が拡大します。ですが、貴族向けに提案するならば……まだ流通が少ないシルクの……いえ、特殊な織り方の綿織物を提案します」
私は、紙に構造図を描いて見せた。
縦糸と横糸の特殊な交差パターン。光沢を生み出し、肌触りを向上させる織り方だ。
「ほォ……!」
ロレンツォは机に身を乗り出した。
その瞳からは値踏みの色が消え、商人の鋭い光が宿る。
「これは……面白いなァ。確かにこれなら、貴族も平民も飛びつく」
彼は興奮した様子で、さらに問い詰めてくる。
机に前のめりになり、私の描いた図面を食い入るように見つめている。
「他にはァ? 他になにか、新しい布や糸の知識はあるかい?」
「さすが、隣国の方ですね。商魂が逞しいです」
「!」
ロレンツォが驚いて目を見開く。
貼り付けていた余裕の笑みが、一瞬崩れたように見えたが、すぐに元の笑顔へと戻った。
「……なぜ、私がメルカンテ連合のものだと?」
「言葉のイントネーションに、隣国特有の訛りが含まれています」
言葉の終わりに時折現れる、独特の跳ねるようなリズム。
その軽快な抑揚は、先日ジャック副団長との会話で観測したものと、全く同じ響きを持っていた。
「……ははっ。参ったなァ。今まで気づいた人はいなかったんだが」
ロレンツォは、感嘆したように大きく頷いた。
その瞳の奥には、商品を値踏みする時のような、冷徹な計算の光が一瞬だけ走った。
「やはり、素晴らしい知識だ。――ただの聖女にしておくには、惜しいなァ」
「はい、時間切れ! 次の人!」
メルが割って入り、順番を回す。
ロレンツォは名残惜しそうに私をじっと見つめた後、列を離れた。
そのまま帰ろうとはせず、少し離れた場所で私の回答を聞いていたが、しばらくするといつの間にか姿を消していた。
その後も相談は続き、最後の一人になった。
椅子に座ったのは、若い女の子だった。
「あの……恋人のことで、相談があって……」
「恋愛の相談ですか」
「はい。どうしても素直になれなくて……どうしたら、彼に素直な気持ちが伝わりますか?」
具体的な相談内容を聞いているうちに、私の脳裏にヴィンセント騎士団長の顔がよぎる。
素直になれない私。
不器用な彼。
すれ違い、悩み、そして――。
『――君に、好意があるからだ』
「っ~~!!!」
【――警告:システム温度上昇。オーバーヒート】
【ステータス:『ぽわぽわ』】
私は平衡感覚を失い、椅子からずり落ちるように転げ落ちた。
女の子が驚いて立ち上がり、メルが慌てて駆け寄ってくる。
「エリス!?」
「せ、聖女様!?」
「わ、わかりません! 胸が痛くて、エラーが出ます……!」
私は顔を真っ赤にして、フリーズしてしまう。
女の子はきょとんとした後、何かを納得したようにポンと手を打った。
「そっか……。純情っぽく、反応で示せばいいんですね! 分かりました!」
「え!?」
「ありがとうございます! 私、頑張ってみます!」
女の子は謎に納得し、晴れやかな顔で帰っていった。
「はい、エリス! ちょうどお昼だから、今日はおしまい!」
メルがテキパキと片付けを始める。
私は熱を持ったままの顔で、帰っていく人々の背中を見送った。
充実感と、これから訪れる時間への期待で、胸がいっぱいになる。
「終わりましたか?」
孤児院の方から、シスター・ベロニカが歩いてくるのが見えた。
「シスター! 今から片付けますね!」
メルが大きな声で返事をし、私と一緒に手を振る。
お祭りの準備の前に、この机と椅子を片付けなくては。
そう考えて、椅子を持ち上げようとした、次の瞬間。
ダダダダッ!!
【分析:高速で接近する物体の音】
【警告:質量と速度が危険域です】
ものすごい速さで、坂道を駆け上がってくる馬の蹄の音がした。
荷台を引いた馬が、減速することなく教会の前へ突っ込んでくる。
「――ッ!?」
危ない、と避けようとした時、荷台から伸びた太い腕が、私の腕を乱暴に掴んだ。
「えっ……」
速度と力に負けて、身体が宙に浮き、景色が反転する。
シスターの驚愕の声が遠く聞こえた。
「エリス様……!?」
「エリス!!」
とっさに、メルが私に向かって手を伸ばす。
必死に駆け寄るその指先が、私のスカートの端をかすめ――そして、空を切った。
「……あ」
メルが、バランスを崩して地面に倒れ込むのが見えた。
遠ざかる視界の中で、彼女が泣きそうな顔で叫んでいる。
「エリスーっ!!!」
「メル……!!」
私が叫び返そうとした瞬間、男の怒鳴り声が頭上から降ってきた。
「確保した! 出せ!!」
御者の鞭が唸り、馬車が急発進する。
遠ざかる教会。小さくなっていくシスターとメルの姿。
そして、私が放り込まれた荷台には――さきほどの商人、ロレンツォが冷たい目をして座っていた。
「……やれやれ。乱暴ですまないねェ、聖女様」
【――警告:緊急事態発生】
【ステータス:『誘拐』を確認】




