67. 聖女申し立て宣言
翌朝。
私は昨日の夕暮れ時の出来事を思い出していた。
純白のブーツ。
温かな手。
そして、髪に落とされた、誓いのような口づけ。
『――楽しみにしている』
耳元で囁かれた声が、鼓膜の奥でリフレインする。
途端に、思考回路が白く染まり、視界がぐらりと揺れた。
「わわっ! エリス様!?」
「おいおい、昨日からこれだぜ」
オーバーヒートして倒れそうになった私を、ロキをはじめとする子供たちが慌てて支える。
どうやら私のシステムは、あの瞬間から正常な冷却処理を行えていないようだ。
【...エラー:システム温度が常時高い数値を維持しています】
【ステータス:『ぽわぽわ』】
私は子供たちに支えられながら、椅子に座り直した。
話題を切り替えなければ、身が持たない。
「そ、そういえば、明日の灯火祭についてですが……皆さんは、詳しいですか?」
私が尋ねると、子供たちは顔を見合わせた。
「灯火祭? ああ、あの蝋燭つけるやつ……」
「知ってるけど、別に……」
お祭りと聞いて子供たちもすきだろうと勝手に考えていたが、なぜか反応は薄い。
「お祭っていっても、大人たちが静かにやるやつだしね」
「露店が増えるけど……俺たち買うお金もなかったから、行ったことないんだよな」
ロキが肩をすくめる。
これまでの孤児院の財政状況を考えれば、祭りを楽しむ余裕などなかったのは明白だ。
「こほん」
その時、部屋のドアの方から、いつものわざとらしい咳払いが響いた。
振り返ると、シスター・ベロニカが背筋を伸ばし、まっすぐに立ってこちらを見下ろしていた。
「――灯火祭とは、北に位置するこの街ならではの伝統的な祭事です。冬が厳しくならないように、そして飢えてしまわないようにと、神に祈りを捧げる……」
シスターは、眼鏡の位置を直しながら、灯火祭の歴史的背景や意義について、少々難解な講義を始めた。
子供たちが首を傾げ、ぽかんとしていると、彼女はそのままの調子で告げる。
「――ですので、あなたたちも参加してきなさい」
「……え?」
「ひとりずつにお小遣いを配ります。出店も楽しんでいらっしゃい」
シスターの言葉に、一瞬の静寂が訪れ――
直後、子供たちから爆発的な歓声が上がった。
「ええっ! 本当に!?」
「やったー!!」
「お祭りだ! お肉食べたい!」
「こ、こら、静かに! 順番です、並びなさい!」
子供たちに囲まれ、揉みくちゃにされて狼狽えるシスター。
その珍しくも温かな光景に、私は自然と頬が緩むのを感じた。
「……なんの騒ぎかね」
そこへ、低い声が響いた。
入り口に、杖をついたエドマンド司教が立っていた。
外出着をまとっており、どうやら外から戻ったところらしい。
子供たちはピタリと静まり返り、慌てて私とシスターの後ろに隠れる。
「し、司教様……」
シスター・ベロニカが取り繕うかのような咳払いをして、乱れた服を整えながら、エドマンド司教へと向き直る。
「昨晩お伝えした、灯火祭の件です。やはり子供たちにも参加させようかと」
「……ああ」
エドマンド司教は短く頷き、隠れた子供たちそれぞれの顔ををじろりと見渡した。
「君がそのように振り回されているのは、珍しいな」
「そ、それは……子供たちが……」
シスター・ベロニカがしどろもどろに言い訳じみた返事をしている間、エドマンド司教はふと視線を下げた。
そして、シスターには見えない低い位置で、私の後ろから顔を出している子供たちに、こっそりと小さく手を振った。
(……!)
子供たちが驚いて顔を見合わせ、くすくすと少し嬉しそうに口元を押さえ、そして小さく手を振り返した。
シスター・ベロニカはそのささやかな交流に気づかず、また咳ばらいをひとつした後に、真面目な顔で問いかけた。
「――して、司教様。わざわざ孤児院まで足を運ばれるとは、急ぎの用件ですか?」
「ああ」
エドマンド司教は表情を引き締め、私に向き直った。
その奥まった深緑の瞳が、厳しく私を射抜く。
「……貴女は、なにをしたのだ」
「え?」
またなにか、失敗をしただろうかと私は首を傾げる。
「代官の屋敷に行った帰り道、街の者たちに囲まれたのだ。聖女様は今日来ないのか、教会に行けば会えるのか、とな」
「あ……」
「昨日、広場ですごかったもんね」
「みんなエリス様に興味津々だったし!」
私の後ろで、子供たちがひそひそと話し合っている。
たしかにと、昨日の広場での出来事を思い出す。
天気予報が的中し、石鹸を目の当たりにした人々。
彼らの瞳に宿っていたのは、単なる好奇心ではなく、明確な期待と信頼の熱だった。
「民衆の信仰を集めよと言ったのは私だが……想定外に早すぎる」
エドマンド司教は呆れたように息を吐くと、なにかを決めたように、シスター・ベロニカに向き直った。
「シスター・ベロニカ。これよりハドリアン大聖堂に向かう。馬車の手配を」
「――…今すぐに」
シスターは、全てを理解したように顔を引き締め、足早に外へ出て行った。
「……領主街の大聖堂へ、ですか?」
シスターを見送りながら私が問うと、エドマンド司教は杖を置き、改まって私に向き直った。
そして、深く、恭しく頭を下げた。
「その叡智、その献身。……疑いようもなく、神の御技であります」
彼は胸の前で、教会の象徴である四芒星を指先で切る。
その動作は、長きにわたる信仰の年月を感じさせるほどに洗練され、神聖な祈りに満ちていた。
彼は深く目を閉じ、言葉を紡ぐ。
「このエドマンド、司教の座にかけて。貴女こそが、我らが待ち望んだ“聖女”であると、ここに証言いたします」
「……!」
「これより大聖堂にて、正式な申し立てを行って参ります。しばしお時間を」
あまりに唐突な宣告に、私は戸惑う。
もちろん、これはエドマンド司教個人の承認であり、教会本部による正式な認定はまだこれからだろう。
しかし、エドマンド司教の後ろ盾を得たという事実は、実質的な決定打に等しい。
それは私がこの世界に来てからずっと追い求めていた目標の一つが、達成された瞬間だった。
「えっと、あの……」
しかし、顔を上げた時には、エドマンド司教はもういつもの厳格な管理者の表情に戻っていた。
彼は空気を切り替えるように、置いていた杖を手に取ると、硬質な音をひとつ、床板に打ち鳴らした。
「それと、石鹸はしばらくは配れないと街の人に言っておいた。どうせ売る時も安価なのだから、正規品を待てともな。配るのはまた来週にしなさい」
「あ……はい。了解しました」
その言葉を聞いて、後ろの子供たちが何やらこそこそと相談を始めた。
「石鹸配りがなくなったってことは……」
「時間ちゃんととれるかも」
「例の作戦、いけるね」
(……? 何の相談でしょうか)
私は振り返り、子供たちに尋ねようと口を開きかけた。
だが、それよりも早く、エドマンド司教の厳格な声が私の思考を遮った。
「それと。教会の門の前に、貴女を訪ねて民衆が集まっている」
「え?」
私が驚いていると、窓の外を見ていた子供たちが「ほんとだ!」と声を上げた。
私も窓辺に歩み寄ると、教会の門の前に、五名ほどの人影が見える。
一人は、雨の際の商人だ。
こちらに気が付くと、大きく手を振っている。
他にも、農夫やおかみさん…昨日広場で私を取り囲んでいた人たちも、こちらに手を振りはじめていた。
「私は数日、ここを離れる。あとのことはシスターに頼むが……貴女は、気をつけたまえ」
「え?」
「聖女を慕う人が増えると言うことは、同じだけ、聖女を利用しようとする人や悪意を持つ人も増えると言うことだ」
エドマンド司教はそう言い残すと、遠出の準備をするために教会の方へと戻っていった。
心配をしてくれているのだろうか。
その厳しくも頼もしい背中に、私は深く頭を下げた。
「……どうするの、エリス?」
窓の外を見た後に、メルが私の袖を引く。
私は顔を上げ、窓から見える、門の向こうで待つ人々を見つめた。
「もちろん行きます。街の方々の期待に、応えなければなりません」
背筋を伸ばし、外へ続く扉へと手をかける。
ヴィンセント騎士団長の隣に立つにふさわしい、本物の聖女となるために、光の中へと足を踏み出した。




