65. 夕暮れ、川辺での約束
気がつくと、広場の賑わいは遠くなり、私たちは落ち葉の敷き詰められた川辺まで来ていた。
夕暮れ時で、教会も見える静かな場所だ。
「あ、あの……お手紙で聞いていた日にちまで、あと数日あったように思うのですが、なぜ今ここに?」
早足の彼について歩きながら、私は息も絶え絶えに聞いた。
すると、ヴィンセント騎士団長がぴたりと足を止め、私に背を向けたまま、低い声で言った。
「……君が」
「?」
「君が、会いたいと、……手紙に」
「……!!!」
自分の書いた手紙の記憶が、鮮明にフラッシュバックする。
――あの一文。
書き損じの、消去するはずだったノイズ。
カッと、顔が一気に沸騰する。
【警告:顔面温度、危険域を突破】
「あ、あれは! あれは違うんです…!!」
「……違う?」
「か、書き損じてしまって……!! 誤送信……いえ、ミスなのです!!」
なぜ、私はこんなに必死に言い訳をしているのだろう。
私の言葉を聞いたヴィンセント騎士団長の背中が、目に見えて小さくなった気がした。
「……そう、か……」
落ち込んだような、低い声。
私は、ごまかすように、震える唇を開いた。
「せ、先日、来ていただいた時に……寝込んでしまっていて、申し訳ありませんでした」
「……」
「お見舞いと、お手紙が……その、嬉しかった、です」
たどたどしく言葉を繋ぐと、彼がゆっくりと振り返った。
夕日を背にしたその瞳は、困惑と、縋るような色が混ざり合っている。
「……君は、ひどく思わせぶりだ」
「え?」
「食事は断るのに、好意があると言い。会いたいと言うのに、書き損じだという。……それでも、俺の手紙が嬉しかったと」
彼は、苦しげに眉を寄せる。
「俺は……君に、振り回されている」
「――ッ」
ハッとした。
確かに、私の中には全てにロジックがあった。
だが、それは私の中だけの処理だ。
出力しなければ、相手には伝わらない。
(……言わなければ)
私は決心して口を開き、俯いていた顔を上げた。
瞬間、その目の前には、ヴィンセント騎士団長の顔が。
じっと、私の瞳の奥を覗き込んでいる。
「ひゃうっ…!」
まつ毛の陰りさえも見えるような距離の近さに、今まで出したことがない声が出てしまう。
後ずさる私の反応を見て、彼はふっと笑った。
「……計算ずくで駆け引きをするような、悪女には見えないが…」
「悪女ではなく聖女です! そ、それに、駆け引きなんて、していません!」
私は、必死に言葉を紡いだ。
「書き損じてしまったのは本当です! 思わず、あなたに会いたいと気持ちが溢れて、本心を書いてしまったので、恥ずかしくて消そうとしたのに、メルがそのまま出してしまって! 食事だって! 本当は行きたかったのに、私は食事が下手だから、あなたに嫌われたくなくて……!」
一気にまくしたてて、私はハッとする。
……本心?
……嫌われたくない?
「あ……、」
ちゃんと伝えようとは思ったが、こんなに、そのままを出力するつもりはなかった。
もっと考えて、適切な言葉を構築するつもりだったのに。
なんて、恥ずかしい、ことを……。
私は両手で口を押さえ、俯いた。
「……」
ヴィンセント騎士団長も、目をぱちくりとさせた後、視線を泳がせ、片手で口元を覆った。
耳が少しだけ赤くなっているのは、傾いてきた西日のせいだろうか。
川のせせらぎだけが響く、気まずくも、どこか甘やかな沈黙。
しばらくの後、彼はわざとらしい咳払いを一つ落とし、沈黙をごまかすように口を開いた。
「……さっきの、石鹸を配っていたのは……手紙に書いてあった、聖女になるためのものか?」
「え……っと、……はい、」
急な話題転換に、私は虚を突かれる。
彼は、私の反応などお構いなしに、早口で言葉を継いだ。
「万年筆とやらは、どのような設計で作っている? インクも開発したとあったな、どのような配合だ。新しく来た司教とはどうだ、孤児院のその後は……」
矢継ぎ早に質問を重ねる彼に、私は目を丸くした。
いつもの冷徹で寡黙な彼とは違う。
まるで、言葉で隙間を埋め尽くそうとするかのような。
「ど、どうしたのですか、そんな、急に質問ばかり」
「……気になるからだ」
ヴィンセント騎士団長の言葉が、不意に途切れた。
彼は、夕陽を背に、真っ直ぐに私を見た。
逆光で彼の表情が見えにくい。
けれど、その灰色の双眸だけが、熱を帯びて光っているのが分かった。
そして、彼は一歩、私へと歩み寄る。
「君のことが、ひどく、気になる」
その言葉に、記憶が蘇る。
それは、以前に私が、彼に言った言葉。
【――ログ再生】
【とても気になります。あなたのことが、とても】
そして、その続きは――。
「――君に、好意が、あるからだ」
「ッ……!」
ドッ、と心臓が、痛いほど高鳴る。
全身の回路が熱を持ち、思考が白く染まる。
思わず胸元を押さえてしまうほどに、呼吸が上擦った。
「そ、れは……」
「……明後日、この街の広場で灯火祭があるのは知ってるか?」
思考の処理にリソースを奪われていた私は、また急な文脈の変更に、瞬きを繰り返した。
「え? ……いいえ、初耳です」
「冬が厳しいものにならないように、願いを込めて蝋燭を灯す。この街で秋の終わりに催される、静かな祭りだ」
彼は、先ほどまで掴んでいた私の手首に再び触れて、ゆっくりと滑らせた。
夕闇に沈みかけた世界で、彼の声だけが、はっきりと響く。
「その祭りに、一緒に行かないか。……2人で、だ」
どきりと、また鼓動が強く打つ。
それは、間違いなくデートの申し込み。
真っ直ぐに私を射抜くその瞳には、熱を帯びた真剣な光が宿っていた。
「その時、改めて伝えさせてほしい」
「……!」
手から伝わる脈拍の速さが、私自身のものなのか、彼のものなのか分からない。
感知している好意と期待の感情も、どちらのものなのか。
思考を介さず、勝手に私の口が動き、気持ちがこぼれるように返事をした。
「……はい」




