60. 知識という名の奇跡
翌日、私はメルたち子供を引き連れて、アンの案内で街の療護院へと向かっていた。
アンが言っていた心当たり――それは、療護院で暮らす老人たちのことだった。
元教師のおばあ様、元お針子のおばあ様。他にも、元料理人や、先日鶏を譲ってくれた元きこりのおじいさんもいる。
彼らは、身体的な衰えにより第一線を退いたものの、その頭脳と技術は、未だ現役の貴重なデータベースだ。
「午前中、子供たちがここへ通って勉強や手伝いをする……ですか?」
療護院の経営者は、私たちの提案に目を丸くしたが、すぐに柔和な笑顔を見せた。
「ええ、大歓迎ですよ。ここにいる老人たちは、怪我や病気で第一線を退いたり、一人での生活が難しくなった者が多い。ですが、知識や技術は持て余しています。子供たちとの関わりで活気が出るなら、願ってもないことです」
「ありがとうございます。では、マッチングを開始します」
経営者の許可を得て、子供たちはそれぞれの興味に合わせて、老人たちの元へと散らばっていった。
広間の一角では、年長のサラたちがが元お針子のおばあ様を囲み、針の持ち方を教わっている。
先日の石鹸作りでハーブに興味を持ったハンナたちは、薬草に詳しい元きこりのおじいさんの話に食い入るように聞き入っていた。
そしてロキは、元工房職人のおじいさんと共に、木材を手元で加工し始めていた。
「ほれ、腰が入ってないぞ! 鋸は引く時に力を入れるんだ!」
「うるせーじじい! こうだろ!」
口は悪いが、その表情は生き生きとしている。
老人たちもまた、孫のような子供たちに教えることが嬉しそうだ。
泣き虫のノアや最年少のダンも、お婆さんたちの膝の上で大人しく昔話を聞いているし、食べ物を大切にするトビーは、元料理人のおじいさんから真剣な顔で野菜の扱いを教わっていた。
【分析:異世代間の交流による、双方の『幸福度』上昇を確認】
【結論:教育リソースの確保、および情操教育として、極めて有効なシステムです】
体力はあるが知識がない子供と、知識はあるが体力がない老人。
この二者が組み合わさることで、互いの不足リソースを完璧に補完し合っている。
私はその光景を見て、ほっと息をついた。
これなら、シスター・ベロニカの手を煩わせることなく、子供たちに学びを提供できる。
「――あなたが、噂の聖女様ね?」
ふいに、背後から声をかけられた。
振り返ると、上品な白髪の老婦人が立っていた
「はじめまして。エリスと申します」
「まあ、丁寧な挨拶ね。私はブリジット。昔、領主街で子供たちに文字を教えていたのよ」
ブリジットさんが、皺の刻まれた手で、私の手を優しく包み込む。
すると横からもう一人、車椅子の女性が近づいてきた。
「あらあら、本当に可愛らしいこと。ロザリンよ。……この間のドレス、サイズは合ったかしら?」
打ち上げで私が着たドレスを貸してくれた、元お針子のおばあ様だ。
少し後ろに、縫物をする子供たちが真剣に布に向かっている。
「はい、素晴らしいドレスをありがとうございます、ロザリンさん」
私がお礼を言うと、いつの間にか周りに他の老人たちも集まってきた。
あっという間に私は、興味津々の老人たちに囲まれてしまう。
「ほう、これが噂の……」
「随分とお若い」
「珍しい髪色と瞳の色をしている」
「おや? 聖女の刻印を、身に着けてはいないのかい?」
「刻印……ですか?」
「ああ。教会から正式に認められた聖女様は、証として刻印の入った装身具を教会からたまわると聞いているが……」
どうやら、聖女の刻印というものは、聖女本人にも何かしらのアクセサリーのような形で、教会から与えられるらしい。
「私は、まだ正式な聖女というわけではありませんので」
私が正直に答えると、老人たちは一様に驚きの声を上げた。
「なんと! まだなのかい?」
「あんなに荒れ果てていた孤児院を、たった数日で救ったと聞いているのに?」
老人たちも、グリモ司祭時代の孤児院の惨状を薄々感づいており、心を痛めていたようだ。
そこへ、騒ぎを聞きつけた子供たちが駆け寄ってくる。
「あのね! エリス様はまだ修行中なの!」
「街のみんなの信仰を集めなきゃいけないんだって!」
「じゃなきゃ認めないって教会が言うのよ!」
「信仰、ねえ……」
老人たちは顔を見合わせた後、子供たちに問いかけた。
「お前たちは、エリス様を本物の聖女様だと思っているのかい?」
「当たり前だよ!!」
子供たちが口々に即答する。
「エリス様はすごいんだ! 井戸を掘ってくれた!」
「ポンプだって新しいのを作ってくれたし!」
「悪い司祭様もやっつけてくれた!」
「ご飯も美味しくなったし、石鹸もいい匂いなんだ!」
子供たちの口から次々と飛び出す実績に、老人たちは目を丸くしている。
一人の頑固そうなおじいさんが、顎を撫でながら呟いた。
「……ふうむ。わしらが子供の頃に聞いた聖女様ってのは、もっとこう、魔法で病気を治したり、光ったりするもんじゃねえのか」
「ああ。わしも、てっきり眉唾物かと思っておったが……」
彼らの持つ聖女のイメージは、超常的な力の使い手らしい。
しかし、元教師のおばあ様――ブリジットさんが、静かに口を開いた。
「……いいえ。そうとも限らないわ」
彼女は、私をじっと見つめる。
「井戸を掘り、道具を作り、子供たちを飢えから救う。……それは、魔法よりもよほど確かな奇跡よ」
ブリジットさんが、ゆっくりと掬うように私の手を取った。
その手は皺だらけだが、とても柔らかく温かい。
「エリス様。聖女伝説はみんな知っていても、実際に聖女様にお会いしたことなんて誰もないのよ。だから、みんな夢物語だと思っている」
「夢物語……」
「ええ。だから、まずは街の人たちとの距離を縮めるのはどうかしら?」
おばあ様は、優しく微笑んだ。
「だって……ほら。私たちだって、たった少しお話して、子供たちの笑顔を見ただけで……貴女のことを聖女様だと信じ始めたわ」
その言葉に、周囲の老人たちも深く頷く。
「……距離を、縮める」
それは民衆へのアプローチへの、新たなヒントのように思えた。
遠くから奇跡を見せるのではなく、近くで関わること。
かつて私が、ポンプや石鹸作りを通じて、子供たちや騎士団、ダリオたちと関係を築いたように。
信仰とは、一方的な崇拝ではなく、相互の信頼の積み重ねなのかもしれない。
(私は、難しく考えすぎていたのかもしれません)
「……ありがとうございます。検討します」
私は、アンや子供たち、そして新しい先生たちに囲まれながら、次のステップへの道筋が、少しだけ見えた気がした。




