59. 信仰獲得:とは
エドマンド司教へのプレゼンを終えた翌日。
私は広間の机で、私は分かりやすく頭を抱えていた。
万年筆、そして石鹸の実績により、エドマンド司教からの信頼や教会の実益部分の評価は勝ち取ったと言えるだろう。
だが、もう一つの要件――民衆からの信仰については、具体的な手段が見つからないままだ。
「……ということで、街の皆さんから聖女だと認めてもらうには、どうしたらいいのでしょうか」
「ええー……?」
メルも、両手を頬に当てて一緒に悩んでくれている。
分からないことがある時は、分かったふりをせずに、分からないと正直に言うようにと、教授からも教えられていた。
そして、自力で解決しない事柄があるときは……
【検索:解決不能な課題への対処プロトコル】
【参照:教授の教え『分からないことは聞くこと』】
【結論:身近なリソース――家族へのヒアリングを実行します】
つまり、メルやアン、孤児院の子供たちに聞けばいいと結論付けた。
「うーん……。おいしいご飯を配るとか?」
「広場で踊るとか? それはエリス様には無理か」
「聖女様です、って自己紹介したらいいんじゃないの?」
ロキや他の子供たちも集まってきて、思いつくままに意見を出してくれるが、どれも決定打には欠ける気がする。
私が皆と唸っていると、玄関の方から快活な声がした。
「おーい! 聖女様いるー?」
特徴的な巻き髪を揺らしながら現れたのは、ジェシカだった。
手には、インクの試作が入ったカゴと紙を持っている。
「……なんの用ですか」
私はつい、少しだけ語気を強めてしまった。
自分でも驚くほど、心がピリッとする。
「どうしたのエリス?」
メルが不思議そうに私を見て、すぐにジェシカに向き直る。
「ジェシカさん、すみません。エリス、ちょっと疲れちゃってるみたいだから……」
「いいのいいの」
ジェシカは気にしていないように、ケラケラと軽く笑う。
そして目を細めると、私の耳元に少し顔を近づけて、いたずらっぽく囁いた。
「聖女様にとって、私はライバルなんだもんね」
「ッ……!」
私が言葉を詰まらせると、集まってきた子供たちが「ライバル?」「なんの?」と首を傾げている。
ジェシカは楽しそうに、カゴから数種類のインク瓶と、色見本のような紙を取り出した。
「ほら、これ。配合比率を変えてみたんだけど、確認お願いできる?」
「……はい」
私は気持ちを切り替え、分析に入る。
渡された紙には、ジェシカの勢いのある豪快な字で書かれた番号に振り分けられた、微妙に色の異なる線が何本も引かれている。
私はそれぞれの発色、粘度、乾燥速度を確かめ、最適解を導き出す。
「……Bの配合は粘度が高すぎます。ゴムを0.5グラム減らしてください。Cは発色が弱いので、鉄粉の純度を上げてください」
「了解! さっすが、計算早いねー」
私が紙に修正案を書き込んでいると、横から覗き込んでいたメルが、ぽつりと漏らした。
「……いいなあ」
「なにがですか?」
私が顔を上げると、メルは私の手元の紙――すらすらと文字や数字が書かれた紙を見つめていた。
「エリスを見てると、文字の読み書きが出来たらなって思うの」
その言葉に、周りの子供たちも大きく頷いた。
「わかる! 俺も自分の名前くらい書きたい!」
「絵本、自分で読めたらいいよねぇ」
「本もっと読みたい!」
普段は大人しい女の子であるハンナも、本の話が出た途端に、深く頷いていた。
ジェシカが苦笑いをする。
「あー、分かるわあ。私も工房で働くことになってから、じいちゃんに教えてもらったんだけど、それまでは読み書きできなかったんだよね」
この国の識字率は低いと、本に書いてあったのを思い出す。
特に平民や孤児においては、文字を習う機会そのものが皆無に等しい。
私はアンに向き直った。
「アン。現在の孤児院の、一日のスケジュールを教えてください」
「え? ええっと……。朝は鶏の声で起きて、お祈りの後、グループごとに鶏と畑の世話をします。朝ごはんを食べたら自由時間で、お昼を食べて私が来た後は、絵本を読んだり、お掃除をしたりして……夜ご飯を食べて水浴びをして、お祈りをして、寝る、といった感じでしょうか」
「……なるほど」
午前中の自由時間が、完全に空白になっている。
私は、子供たちを見渡して提案した。
「では、午前に学習の時間を作りましょう」
「がくしゅう……お勉強?」
「はい。読み書きと、簡単な計算を覚える時間です」
「えっ! 本当!? エリスが教えてくれるの?」
メルは瞳をキラキラと輝かせ、期待に胸を弾ませるように身を乗り出した。
しかしその横で、ロキだけは眉をひそめて、不安そうに口を挟む。
「えー……。でも、エリス様の話、いつも難しいからな……。論理的ーとか最適解ーとか言われても、俺らわかんねーし」
「……たしかに」
私も、自分自身の教育スキルには自信がない。
教授のように教えられるかと言われれば、私の出力はあまりに機械的すぎる自覚がある。
じゃあ誰に……と考えていると、ジェシカが肩をすくめる。
「この街に、わざわざ子供に文字を教えてくれるような、学者先生や教師なんていないよ?」
「では、シスター・ベロニカにお願いを……」
「お断りします」
背後から、咳払いと冷ややかな声が降ってきた。
いつの間にか、シスター・ベロニカが回廊の柱の陰に立っていた。
「たまにであればお受けしますが、私もエドマンド司教様の補佐で日中は多忙です。毎日の授業など、到底不可能です。他を当たったほうが賢明ですよ」
シスターはピシャリと言い放ち、そのまま行ってしまった。
やはり、管理者側のリソースは割けないようだ。
「うーん……」
私たちが再び唸っていると、それまで黙って考えていたアンが、おずおずと手を挙げた。
「あの……心当たりが、少しだけ……」




