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閑話. シスターは無作法を看過しない

 

 正直に申し上げましょう。

 最初、あの方――エリス様にお会いした時の印象は、最悪でした。


 エドマンド司教様と共に馬車を降りた私が見たのは、泥と汗にまみれた子供たちと、その前で塵一つない純白のワンピースを着て立っている少女の姿。

 子供たちに泥臭い労働をさせ、自分は高みの見物を決め込む、お綺麗なだけの自称聖女。


 それが私、シスター・ベロニカが下した、彼女への最初の評価でした。


 司教様の補佐として、シスターとして、私は聖女の素行観察を命じられていた。

 だが、丁寧に観察するまでもない。

 どうせあのグリモが、甘い汁を吸いたいがために作り上げた虚像なのだろうと、私は冷ややかな目で見ていたのだ。



 ……その認識が早くも揺らいだのは、到着した翌日のこと。



 朝、自称聖女の部屋の前を通りかかると、孤児院の二人が慌ただしく出入りしているのが目にとまった。

 私は足を止め、咳払いで孤児院手伝い――アンの足を止めさせると、わざと意地悪く問いかけた。


「まだ、エリス様は起きて来られないので?」


「あ、えっと……いえ、その……」


 アンが言葉を濁し、視線を泳がせる。

 どうせ寝坊でもしたのを、二人がかりで世話をしているのでしょう。

 私は呆れと共に、指導のために部屋のドアを開けた。


「失礼しますよ」


 しかし、そこに広がっていたのは、予想していた怠惰な光景ではなかった。


「うう……エリス……」


 ベッドには、高熱でぐったりと意識を失っている、あの自称聖女。

 そして、その傍らでボロボロ泣きながら、必死に手を握りしめている子供――メルの姿。


「な……」


 あまりの熱気に、私は一瞬狼狽えた。

 私に気づいたメルが、涙でぐしゃぐしゃになった顔を向ける。


「シスター……! エリスが、すごいお熱なの……!」


 私は咳払いをして気を取り直すと、すぐにベッドへ歩み寄った。

 額に手を当て、首元の脈を確認し、呼吸音を聞く。

 ……酷い熱だが、命に関わるようなものではない。


「……ただの熱です。大したことでは――」


「大したことだよ!!」


 メルが、悲鳴のような大声を上げた。

 あまりの剣幕に、思わず身をそらしてしまう。


「孤児院で熱を出した小さな子が、そのまま死んじゃったことがあるの! もし、エリスがいなくなったら……いなくなったら、どうしよう……!!」


 メルは私の言葉を遮ったまま、エリス様に縋りついて泣きじゃくった。

 アンもまた、蒼白な顔でベッドの反対側にくっつき、祈るように彼女を見つめている。


「エリス様が、いなくなって、しまったら……」


 私は困惑した。

 高みの見物しかしていなかったはずの少女に、なぜ、この子たちはこれほどまでに執着し、心を痛めるのか――。


(……仕方ありませんね)


 私は小さく息を吐き、袖をまくる。

 目の前の患者と、取り乱す素人を、聖職者として放っておくわけにはいかない。


「どきなさい。私は昔、診療所にいたことがあります。看病は私が引き継ぎます」


「え……?」


 かくして。きょとんとする二人を部屋から追い出し、私はエリス様の看病にあたったのだった。



 * * *



 それから数日。

 熱が下がり、復帰した聖女様の様子を、私は柱の影からじとりと観察し続けた。


 そして、畑での作業風景を見て、私はようやく真実にたどり着き、長い、長いため息を吐くこととなった。


「なるほど。こういうこと……だったのですか」


 確かに、最初から違和感はあった。


 子供相手とは思えない丁寧すぎる言葉遣い。

 司教様にも似た、感情を排した端的な物言い。

 なにより、子供たちとの、絶対的な信頼関係。


 そして――。


「あっ」


 何もないところで転び、よそ見もしていないのに柱にぶつかり、クワを持てば自分の足を耕そうとする。

 思考速度に対して、身体の動きがあまりに緩慢で、非力で、致命的に鈍臭い。


 彼女はサボっていたのではなく、子供たちに止められていただけだったのだ。

 私はなんとも……馬鹿馬鹿しい勘違いをしていたわけです。



 そして今日。

 万年筆、そして石鹸の有用性を司教様に認めさせたエリス様は、広間に戻り、子供たちに囲まれていた。


「水浴びの時に、こう使うのですよ」


 エリス様が子供たちを見渡し、説明のため石鹸を持ち上げる。

 しかし次の瞬間、ツルリとエリス様の手から飛び出した石鹸が壁に当たり、跳ね返って、エリス様の額に激突した。


「あうっ!?」


 あたりに泡が飛び散り、子供たちが掃除したばかりの床が汚れる。

 しかし、子供たちは一斉に笑い声を上げた。


「あはは! エリス様、またやったー!」

「ほんとポンコツなんだからー!」

「エリスったらもう、大丈夫?」

「ったく、しかたねーよなぁ」


 メルは心配そうに駆け寄り、ロキは呆れて肩をすくめ、他の子たちは腹を抱えて笑っている。

 その光景を見て、私は以前読んだ報告書の内容を思い出していました。


 強いられた過度な労働に、最低限以下の食事。

 いつ飛んでくるかもわからぬ怒号に怯え、寒く冷たい部屋で震えていた子供たち――。

 心を殺して生きていたあの子たちが、これほど無防備に、心から笑えるようになるまで……本来ならば、どれだけの時間がかかったことでしょう。


 それを、この少女は、たった数週間で叶えてしまった。

 ならば、彼女はやはり――…聖女なのでしょう。


 私は柱の影で、自然と口元が緩むのを感じた。

 ――ですが。

 それはそれ。これはこれです。


 私は表情を引き締め、広間の前に一歩出ると、わざとらしい咳払いをした。


「こほん。……これは、なんの騒ぎですか?」


「「「シ、シスター・ベロニカ……!」」」


 私の姿をみた子供たちが、一斉に慌てふためく。

 エリス様も、額に泡をつけたままぎくりと表情を固くした。


「綺麗にするための道具で、部屋を汚していては本末転倒でしょう」


「す、すみません……」

「ごめんなさぁい……」


 エリス様と子供たちが、口々に謝り、揃って小さくなります。


「さあ、子供たちは部屋をちゃんと片付けなさい」


 私が手を叩いて号令を出すと、子供たちは慌てて雑巾がけを始めた。

 そして、私はエリス様に向き直る。


「そして、エリス様は……」


「は、はい」


「そのような鈍臭い動きでは、聖女として笑われてしまいます。……このあと、私の部屋にいらっしゃい」


 エリス様は、座り込んだまま、きょとんと首を傾げている。

 私はエリス様に歩み寄り屈むと、呆れたように小さく息を吐き、しかし、口元を柔らかく緩めた。


「きちんと、礼儀作法と所作の基礎を身につけてもらいますよ」


「えっ」


「さあ、行きますよ」


 私はエリス様の手を引き、歩き出した。

 ふらふらと頼りないその手は、子供のように柔らかい。


(……やれやれ)


 どうやら、私のやるべきことが決まったようです。

 この規格外で、でも放っておけない聖女様を、まともに動けるように教育すること。

 それが、私に与えられた使命なのでしょう。


 私は久しぶりに感じる、心地よい使命感のような重みを胸に、廊下を進み始めた。


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