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58. 司教へのプレゼン

 

 執務室の重厚な空気の中、私とエドマンド司教は、ローテーブルを挟んで向かい合わせのソファに座っていた。

 司教の背後には、シスター・ベロニカが影のように控えている。


「……ふむ」


 司教が、私が持参した道具が、テーブルの上に置かれるのを、興味深そうに目で追っている。

 そして、彼の執務を観察した際のデータを、淡々と読み上げるように切り出した。


「エドマンド司教。貴方が書類を作成する際、インク壺にペン先を浸す回数は、1分間に平均2.5回。一度の思考に対し、約3秒の動作ロスが発生しています」


 私の唐突な切り出しに、エドマンド司教は眼鏡の奥で瞬きを繰り返した。

 彼は一度、それがなにか、と言わんばかりにシスター・ベロニカと目を合わせた後、再び私に怪訝な視線を戻す。


「その断絶は、思考の連続性を阻害します。ですが、この万年筆ならば、そのロスをゼロにできます」


「万年筆?」


 私は机の上に置いていた万年筆の試作品のキャップを外し、手元の紙にさらさらと線を引いて見せた。

 インクを付け直す動作なしに、黒々とした線がどこまでも伸びていく。


「……インクを、内蔵しているというのか」


「構造は毛細管現象を利用しています。軸内部のタンクから、このペン芯の溝を通じて、必要な分だけのインクがペン先に供給され続けます。同時に、空気穴からタンク内へ空気が置換されることで、内圧が一定に保たれ、インク漏れも防ぎます」


 エドマンド司教が、信じられないものを見る目でペンを凝視する。

 私はペンを彼の手へと渡した。


「どうぞ、試筆を」


 司教はペンを握り、紙に文字を走らせた。

 羽根ペンのような引っ掛かりがなく、滑るように、思考が文字へと変換されていく。


「……素晴らしい」


 エドマンド司教が感嘆の息を漏らす。

 これまでの常識――インクを付けて書く、という概念が、覆された瞬間だった。


「よろしければ、この万年筆を、教会から販売しませんか?」


「教会からだと?」


「はい。これはまだ、この世界にはない技術です。聖女がもたらした叡智として大々的に販売すれば、教会の求心力向上と、財政難の解消に直結します」


「なるほど……実利を示すか」


 エドマンド司教が唸る。

 民衆の信仰を集めるための具体的な方法は、まだ模索中だ。

 ならば、まずは実利的な教会本部へのアピールと、資金確保を優先する。

 それが、私が導き出した現実的なアプローチだった。


「……少し、貸していただけますか?」


 横で見ていたシスター・ベロニカが、興味深そうに手を伸ばした。

 彼女もまた、試し書きをして目を見張る。


「滑らかですね……。これなら、長時間の書き仕事でも手が疲れません。経理を手伝う時には、私にも是非一本欲しいものです」


「シスターも経理を手伝っておられるのですね。次はシスターの分もご用意いたします」


「否、待ちなさい。教会本部に送る分もある。三つ……いや、五つ発注を」


 前のめりになったエドマンド司教の言葉を、私は首を振って遮った。


「今、ご用意できるのは、あくまで試作品です。教会本部に送るのであれば、完成品をご用意します。あと数日、待っていただけますか?」


 私の言葉に、執務室が静まり返った。

 エドマンド司教が、眼鏡の奥の目をしばたたかせ、私をまじまじと見つめる。


「……君は」


「はい?」


「君は、このたった数日で……石鹸も、万年筆も……すべて、形にしたというのか?」


「設計は私ですが、形にしたのは工房のダリオたちです。石鹸の製造も主にアンや子供たちですから、私はあくまで知識を提供したまでです」


 私が淡々と事実を述べると、エドマンド司教は深く、重い溜息をついた。

 それは呆れではなく、底知れないものへの畏敬に近い反応だった。


「……わかった。認めよう」


 エドマンド司教は、机上の石鹸と万年筆に目を向ける。

 そして姿勢を正し、厳格な管理者としての顔で宣言した。


「まず石鹸は、聖女の刻印をつけて、工場で量産し販売する。シスター、手配を」


「はい。隣町に、この孤児院の卒業生が多く働いている工場があります。そこに専属で依頼しましょう」


「あの、聖女の刻印とは……?」


 私が首を傾げると、エドマンド司教は立ち上がり、執務机の引き出しから一冊の本を持ってきた。

 表紙には、煌びやかなマークが描かれている。



「これだ。教会の象徴である四芒星の両脇に、更に小さな教会の象徴が二つ。……これが、教会が正式に認定した聖女の聖遺物のみ許される、聖女の証だ」


【新規データ:『聖女の刻印』を登録】


(……なるほど。ブランド戦略による付加価値の向上でしょうか)


「しかし、私はまだ教会本部に認められていませんが……」


「問題ない。どうせ認めることになる。教会本部への申請、および権利登録は、私の方で進めておこう」


 その瞳は、入室した時よりもずっと力強い

 新しい技術がもたらす未来への期待が、厳格な老人の心を若返らせているようだった。


「そして、万年筆もだ。こちらも量産を即決する。当然こちらにも、聖女の刻印を」


「了解しました。では、完成次第、工房へ増産を依頼します」


「うむ。さっそく本部に手紙を……」


 エドマンド司教は、手元の万年筆を握り直し、教会への報告書を書き始めようとする。

 私は慌てて、それを止めた。


「待ってください、それは試作品です。たまにインクが漏れ出すようですから、今はまだ正式な手紙に使えるものでは……」


「――そうか、それは実に口惜しい」


 エドマンド司教は名残惜しそうにペンを置くと、ふと、少し紙に滲んだ水っぽいインクに視線を移した。


「ところで、このインクはどうなっている? これも特殊なものだろう?」


「はい。ですが、インクの販売権利は、すでに工房に譲渡しました」


「……なんだと」


「万年筆の開発費用を持っていただく代わりに、インクの権利は工房が得る。……そのような契約で、開発費を相殺しましたので」


「……なんてことだ」


 私が説明すると、エドマンド司教は眉間を押さえた。


「なにか、問題がありましたか?」


「否だ、問題ということではない。ない……が、我々が万年筆を広めれば広めるほど、そのインクの権利を独占しているその工房も、自動的に儲かる仕組みになっている、ということだ」


 エドマンド司教は、苦々しくも、どこか感心したように笑った。


「……実に、抜け目がない商売人のようだ」


【分析:ビジネスモデルとしては『プラットフォーム戦略』『消耗品ビジネス』に該当します】


 ジェシカの提案は、教会の権威を利用しつつ、実利をしっかり確保する高度な戦略だったらしい。

 この怜悧なエドマンド司教ですら、そのしたたかさを認めざるを得ないようだ。


 ともあれ、これで私の提案はすべて承認された。

 これらは教会の財政を潤し、孤児院の運営を安定させる強力なリソースとなるだろう。

 そしてこの実績は、私が本物の聖女であるという、動かぬ証拠として機能するはずだ。


【予測演算:聖女認定の確度、上昇傾向を確認】


(一歩、前進です)


 私は胸の奥で安堵のパラメータが上昇するのを感じながら、深く頭を下げた。


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