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57. 新技術の実装

 

【システム時刻:翌日、午前8時】

【天候:晴】

【ミッション:試作品の確認】


 翌朝、私は朝食を済ませるとすぐに、ダリオの工房へと向かった。


「よう、聖女様。早かったな」


 工房の二階に上がると、ダリオが作業台で待ち構えていた。

 そこには、昨日渡した設計図を元に作られた、万年筆の試作品第一号が置かれている。


「とりあえず形にはしてみたが……インクの出具合がまだ安定しねえな。たまにドバっと出ちまう」


「拝見します」


 私は試作品を手に取り、紙に線を走らせる。

 書き味は悪くないが、親方の言う通り、インクフローの制御が甘い。


「ペン芯の溝の深さを、コンマ数ミリ浅く調整してください。それと、空気穴の位置をここへ」


「なるほど、空気の入り方か……。よし、すぐに修正に取り掛かる」


 ダリオ親方は私の指摘をメモし、すぐに作業の準備を始める。

 作業に戻るその背中を見ながら、私は手元の試作品を握りしめた。


(……ヴィンセント騎士団長は、山のような書類仕事に追われていると、ダリオが言っていました)


 このペンが完成したら、彼へのプレゼントにもなりえるだろうか。喜んでもらえるだろうか。

 そう思うと、妥協したくない思いが強くなるのを感じた。


 私は修正を終えた万年筆の試作を受け取り、工房を後にした。



 * * *



 孤児院に戻ると、玄関先で待ち構えていた子供たちに囲まれた。


「あ! エリス様、おかえりなさい!」

「ねえねえ、固まってるよ! 箱!」



 出迎えてくれたアッシュとルカがわくわくそわそわと、私の手を引いて広間へと向かう。

 そこには、昨日流し込んだ石鹸の木箱が置かれていた。

 メルやロキ、他の子供たちも気になって待っていたようで、待ちわびた様子で私を迎えた。


「固まっていますね。では、切り分けましょう」


 私が箱から大きな石鹸の塊を取り出すと、ふわりとハーブの甘やかで清涼な香りが漂った。

 包丁で使いやすい大きさに切り分けていく。

 断面は少し不格好だが、しっかりと固まっている。


「できたー!」

「いい匂い!」


 切り落とした端切れを使って手を洗ってみると、灰色の石鹸から白い泡が生まれた。

 魔法のように落ちる泥汚れに、子供たちは大騒ぎで目を輝かせる。


 みんなで完成した石鹸をカゴに積み上げていると、廊下から足音が近づいてきた。


「……ああ、よかった。いらっしゃいましたか」


 現れたのは、シスター・ベロニカだった。

 彼女は私を探し回っていたようで、すこし息を乱しつつ私に告げた。


「エリス様、エドマンド司教様がお呼びです。執務室へ」


「はい。了解しました」


 私は鞄をメルに預け、工房から持ち帰った試作の万年筆を、石鹸が入ったカゴに入れて立ち上がった。


 シスター・ベロニカの後ろについて廊下を歩いていると、曲がり角で遠心力の計算を誤り、肩を壁にゴンと強打してしまう。

 その音で呆れたように振り返った彼女が、私の持っているカゴに視線を落とした。


「それが……昨日の、石鹸ですか?」


「はい。完成しました」


 私はカゴの中から一つ、切り分けたばかりの石鹸を手に取り、彼女に差し出した。

 色は灰色で、形も武骨だ。

 貴族が使う真っ白な石鹸を知っている彼女は、怪訝な顔でそれを受け取る。


「これが、石鹸……」


「よければ、試してみませんか?」


 私は通りがかった手洗い場の水桶を示した。

 シスター・ベロニカは少し迷ったようだが、私の視線に促され、袖をまくって石鹸を水に浸した。


 手の中で転がすと、予想以上に滑らかな感触と共に、細かな泡が立ち上る。 ローズマリーとラベンダーの香りが、廃油の臭いを完全に打ち消し、爽やかに広がった。


「……まあ」


 シスター・ベロニカが驚きに目を見張る。

 水で流した後の手は、汚れが綺麗に落ちてさっぱりとしていた。


「泡立ちも、香りも……。見た目はともかく、使用感は悪くありませんね。それに、油汚れがこんなに簡単に……」


「素晴らしい」


 不意に、背後から低い声がかかった。

 びくりとして振り返ると、そこにはいつの間にかエドマンド司教が立っていた。


「し、司教様……!」


「昨日、シスター・ベロニカが報告していた石鹸かね? 廃油と灰という安価な材料だけで作っていて、貴族の使っている石鹸とは程遠いと聞いていたが……」


 司教は、シスターの洗いたての手と、カゴの中の無骨な塊を交互に見つめ、満足げに頷いた。


「機能としては、十分すぎるほどだ」


「はい。十分に衛生向上に役立つ水準のものです」


 私はエドマンド司教の言葉を肯定し、補足説明を加える。


「材料費がほぼかからないため、安価で量産が可能です。平民が日常生活で使えるようになれば、手洗いが習慣化し、感染症などの病気のリスクが大幅に低下します」


「……病気の予防、か」


 エドマンド司教は顎に手を当て、真剣な表情で考え込んだ。

 その視線は、単なる石鹸ではなく、それがもたらす公衆衛生という未来を見ているようだった。


「ふむ……。面白い」


 思考を巡らせていたエドマンド司教の目が、ふと私の手元のカゴに留まる。

 その目は石鹸と共に入った、見慣れない金属の棒を見下ろしていた。


「……そちらは?」


 私は、意図的にニッコリと微笑んだ。


「エドマンド司教。続きは執務室で、ご説明させていただけますか?」


「よかろう」


 エドマンド司教は深く頷いて見せると法衣を翻し、執務室へと歩き出す。

 私はその背中を見つめ、カゴの取っ手を強く握りしめた。


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