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54. 恋を、しているのです

 

 ジェシカに強く手を引かれ、私が連れてこられたのは工房の二階だった。

 そこは、一階の騒がしさとは隔離された、静かな作業場で、木製の机の上には、小さな秤やガラスのビーカー、木のすり鉢などが雑然と置かれている。


「あー、散らかっててごめんねー! ちょっと待ってて」


 ジェシカは棚を漁ると、いくつかの乾燥した木の実を取り出した。


「これ、樫瘤……没食子でしょ? 工房で革をなめしたり、木材の防腐に使ってるから、たくさんあるのよ」


 乾燥させたものでいい? と、ジェシカが手慣れた様子で聞いてくる。

 あまりに手早い展開に戸惑いつつも、私は頷いた。


「はい。表面が黒く、小さく重いものが好ましいです。タンニンの含有量が高いので」


「おっけー。じゃあ手順は革に使う時と変わんないかな」


 ジェシカはすり鉢を用意しながら、ふいに私の方を向いた。

 その顔は、少しいたずらっぽく笑っている。


「そういえばさ。……ヴィンスと聖女様って、どんな関係?」


「……!」


 あまりにストレートな問いに、私は驚きつつ、胸の奥が少しピリッとするのを感じた。


【――警告:『警戒』レベルを引き上げます】


「……どういう、意味でしょうか」


「んー? そのまんまの意味」


 ジェシカは次に、棚から青黒く輝く粉末が入った小瓶を手に取った。

 鉄粉……硫酸第一鉄のようだ。


「これでいいんだよね?」


「……はい。問題ありません。純度は十分です」


 ジェシカが粉末の状態を確認し、湿気で固まっていないかを調べて、机に置く。

 私はその一連の動きを見つつ、どう言うべきか悩み、そして口を開いた。


「……好意を、お伝えしました」


「えっ! 付き合ってるんだ!」


 ジェシカが無邪気に驚く。

 彼女はレシピにある他の材料――水やゴムを机に出していく。


「いえ、好意があると、一方的にお伝えしただけで……」


 以前、アンとメルに話した時と同じように答える。

 私も材料の数を数え、種類を分類し、メモに記録する作業に集中しようとするが、ジェシカの言葉がそれを許さない。


「え、振られたってわけじゃないよね?」


「ヴィンセント騎士団長からのお返事は、特には……。私も、その時は聞く気がなく……」


「……ふーん?」


 ジェシカの手が止まる。 彼女は作業台に手をつき、私を覗き込んだ。


「それって、恋人になる気はないってこと?」


「……」


 私は答えに詰まる。

 やはり、好意を伝えるということと、それは地続きのものなのだろうか。


「恋人になる覚悟がないんだ」


 私の沈黙を見て、ジェシカはすっと瞳を細める。

 そして、少し意地悪な顔をして、私に一歩詰め寄った。


「好意がある、なんてさ。私だってヴィンスに好意あるよ? それに、ヴィンスだって私に好意くらいあるよ。小さい頃からの付き合いがあるんだもん」


「ッ……」


 ぐっさりと刺されたように、胸が痛んだ。

 私はヴィンセント騎士団長の好意が返されるかわからないと怯えているのに、ジェシカは自信を持って、好意を持たれていると言えるのか。

 その事実に、衝撃を受ける。


「まあ、相手はヴィンス……貴族様だしね? 平民の私たちは、淡い恋心だけで幸せだよねぇ。憧れに近い気持ちだもん。すきって伝えるだけで十分かもねぇ」


「……ち、違います」


「なにが?」


「そういうのでは、なく……私は……!」


「なぁに?」


 ジェシカが、挑発的に問い返す。

 私は、メルに言われた言葉を思い出す。

 ――ずっと、一緒にいたいよね。


「わ、わたし、は……彼に、恋をしている、の、です」


 震えて小さくなる声を、必死に紡ぐ。

 なぜか熱く感じる瞳が揺れているように感じた。


「この先もずっと、一緒にいたいと願っています。彼が私に好意を返してくれるかは……まだわかりませんが……」


 私は、ジェシカの目を真っ直ぐに見据えた。


「……特別に、なりたいと、思っています。特別な好意を、彼からも返してもらえるように。そのために、そうなれるように、聖女になろうと、いま頑張っています」


「……へえ」


 ジェシカは目を丸くした後、ニッと口角を上げた。


「じゃあ、急がなくちゃね」


「え……?」


「ヴィンスのこと、たくさんの貴族のご令嬢が狙ってるのよ? 政略結婚だってあるし」


「……っ!」


「久々に会ったヴィンス、かっこよかったもん。……私も、黙っていられなくなるかも」


 ジェシカは分かりやすく挑戦的な視線を送ってくる。

 私も何か言い返そうとしたが――


「おーい! エリス様!」


 ダリオの大きな声と共に、階段を上がってくる重い足音が響いた。


「とりあえず、ボディと首軸の試作削りを始めたぞ。まだ完成形じゃねえが、寸法と握りやすさを確認してくれ」


 ダリオが、削り出したばかりの木製の軸を差し出す。

 私は慌てて思考を切り替え、それを受け取った。


【スキャン:形状確認】

【分析:人間工学に基づいたグリップ感。重心バランス良好】


「……素晴らしいです。ですが、ここのカーブをあと2ミリ緩やかにすると、長時間の筆記でも疲労が軽減されます」


「なるほど、2ミリか。了解だ」


 ダリオは頷くと、そういえば、と切り出した。


「今回は支払い、どうすんだ」


 私はきょとんとした後、ハッとする。

 資金がないことを、完全に失念していた。


「……考えて、いませんでした」


「ぶっ、ははは! まあ、こんだけすごいもんだから、後払いでもいいけどよ」


「だめだめ!! 赤字になっちゃう!」


 豪快に笑って済ませようとするダリオ。

 だが、ジェシカが割って入る。


「聖女様、お金がないなら、このインクの権利をもらうってのでどう?」


「権利、ですか」


「そう。この万年筆の権利は孤児院。でも、このインクの権利はウチがもらう。そうすれば、ウチも新しい商売ができるし、聖女様はタダで万年筆が手に入る。……どう?」


【検索:知的財産権の交換】

【分析:win-winの関係です】

【結論:承認】


「……そうしましょう」


「交渉成立ね!」


 ジェシカが嬉しそうにウインクする。

 こうして、万年筆とインクの試作計画はまとまった。


「では、今日のところは帰ります」


 私は頭を下げ、階段へ向かおうとして――、

 振り返った拍子に、足元の麻袋につまずいた。


「あっ」

「おっと、危ない!」


 ジェシカがぱっと手を伸ばして、私の腕を支える。

 本当に、彼女は動作も反応も早い。


「あ、それ持ってって!」


「これは……なんですか?」


「種芋よ」


 ジェシカは麻袋の口を開けて見せる。

 ゴロゴロとした小さなジャガイモのような芋が入っている。


「この間、裏の畑から差し入れもらったんだけど、種芋が混ざっててねー」


 ジェシカは軽く笑う。


「教会で今、畑作ってるんでしょ? ロキくんから聞いた」


「ロキから?」


「うん。あのポンプの時以来、よく来てくれるんだよ。じいちゃんの仕事を見るのが楽しいんだってさ」


(ロキが、工房に……私の知らないところで、子供たちの世界も広がっているようです)


「ありがとうございます。いただきます」


 私は種芋の入った麻袋を受け取った。

 ジェシカは「頑張ってねー」と、やはり気安い笑顔で手を振っている。


 意地悪なことを言ったかと思えば、商売の話をまとめ、最後には種芋をくれる。


(言葉と裏腹に、敵意なく親切な……なんだか、掴みきれない人です)


 私は、ジェシカという複雑な人間に少しだけ困惑しながら、工房を後にした。


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