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53. 新規開発への着手

 

「一日、絶対安静です」


 シスター・ベロニカにそう厳命され、ベッドに縛り付けられていた昨日。

 私の身体は休息していたが、思考システムはフル稼働していた。


 前日にスキャンした、司教の執務室にある膨大な蔵書データ。

 そして、聖女認定に必要な要素――民衆の信仰。


(信仰、というパラメータは抽象的であり、獲得するための明確なプロセスが不明瞭です)

(……不確定要素が多く、難易度、高。即時性の確保は困難と判断します)


 ならば、アプローチの順序を変更すべきだ。

 民衆へ向かう前に、まずは教会への地盤を固める。

 管理者であるエドマンド司教に対し、私が宣言した、この世界にない技術を提示し、私の有用性を物理的に証明すること。


 それが、現状における最短ルートである。


【バックグラウンド処理:蔵書データの構造化……完了】

【対象分析:エドマンド司教の行動ログと照合】

【……演算完了。最適解を導出します】


 それらを統合し、演算し、最適化した結果――。



 * * *



「……インクを軸に入れるペン、だぁ?」


 作業台の上に広げた私の図面を見て、ダリオ親方が素っ頓狂な声を上げた。

 今朝。 外出許可が出ると同時に、私は脳内で構築し最適化した設計図を羊皮紙に出力し、私は一人、街にあるダリオの工房を訪れていた。


「はい。万年筆といいます」


「おいおい、聖女様。そんなもん、インクが漏れるし、すぐ詰まるぞ。羽根ペンの先がなんであんな形してるか知ってるか? インクってのはな――」


「粘度が高く、固まりやすい。……おっしゃる通り、既存のインクでは、この細い管はすぐに閉塞します」


 私は想定内ですとばかりに、もう一枚の紙を取り出し、ダリオ親方の前に提示した。


「ですので、こちらの染料インクのレシピをセットで運用します」


「……レシピ?」


 ダリオ親方が、怪訝そうな顔で紙を覗き込む。

 そこに記したのは、昨日読破した植物図鑑や鉱物学から導き出した、この世界で現状再現可能な化学式だ。


「没食子と鉄の粉、そして水と微量のゴム。そして、安定剤として酢を加えます。これらを化学反応させ、没食子インクを生成します」


「没食子って……あの、森にある木の枝に出来るコブか? それと、鉄?」


「はい。簡単に言えば、顔料の粒ではなく、植物や鉱物から抽出した成分が水に溶け込んだ、サラサラとした液体です。これなら、毛細管現象を利用したこのペンでも、詰まりません」


「なるほど…? 理屈は通ってるようだが……」


 ダリオ親方は髭を摩りながら、鋭い指摘をした。


「だが、鉄と酢を使うんだろ? そんなモン入れたら、ペン先の金属が錆びちまうんじゃないか?」


「ご懸念はもっともです。酸性が強すぎれば、ハードウェアを腐食させます」


 私は、レシピの隅に書いた重要な添加物を指さした。


「そこで、卵の殻を投入し、化学的に中和処理を行います」


「……ああん? 卵の殻、だと?」


「はい。孤児院の鶏たちが生んだ卵の殻を利用できます」



 ダリオ親方が、唸り声を上げて図面と私を交互に見た。

 その目には、職人としての驚愕と、興奮の色が宿っている。


「ただの道具を作るだけじゃねえ……。中身まで、一から作り直そうってのか」


「はい。セットでなければ、機能しませんから」


「……すげえな。このインクだけでも、とんでもない発明なんじゃねえか?」


 ダリオ親方は、前のめりに図面を食い入るように見つめると、奥に向かって大声を張り上げた。


「おい! ジェシカ! ちょっと来い!」


「なによーじいちゃん、うるさいなあ」


 奥から顔を出したのは、あの巻き髪の女性――ジェシカだった。

 彼女は私を見ると、あ、聖女様! と気安い笑顔で手を振った。


【――警告:ジェシカに対し、胸部の不快感が再発】

【分析:『嫉妬』のパラメータが、彼女の笑顔をトリガーに上昇しています】


(ジェシカ。ヴィンセント騎士団長の昔なじみ)

(……彼をヴィンスと、愛称で呼ぶ女性……)


 私は、無意識に背筋を伸ばし、警戒態勢をとってしまう。


「インクの調合なら、こいつに任せるといい。俺より手先が器用だし、薬草の扱いにも慣れてる」


「ジェシカが、ですか……? ヴィンセント騎士団長からは、洗濯の業者だと聞いていますが」


 私の声は、自分が思っているよりも硬く、冷ややかな響きになってしまった。

 だが、ジェシカはそんな私の複雑な状態になど気づかない様子で、ケラケラと笑った。


「あはは! それは領主街にいた頃の話よ! アウロリアにきてからは、じいちゃんの工房の手伝いをしてるの。細かい作業は、ゴツイ男連中より私の方が得意だしね」


 ジェシカは快活に笑いながら、腰に巻いた革製の作業エプロンの紐を、キュッと慣れた手つきで締め直した。

 その指先は、薬品や油で少し汚れている。 けれどそれは不清潔なものではなく、彼女がこの場所で、職人として働いている確かな証拠のように見えた。


「……そうですか」


「あ、そういえば聖女様。その後、ヴィンスとはどう? 仲良くやってる?」


「ッ!?」


 ジェシカが、世間話のついでといった軽さで、彼の名を口にした。

 ヴィンス――その呼び方の自然さが、私と彼女との距離の差を見せつけられているようで、胸がちくりと痛む。


「……ヴィンセント騎士団長とは、業務上の連携を行っています。問題ありません」


「ふーん? まあ、あいつ堅物だからねぇ。聖女様も苦労するでしょ?」


「くろう、などと……」


(……なぜ、あなたが彼の性格を、そこまで熟知しているような口ぶりなのですか)

(……私だって、彼の不器用さや優しさを知っています)


 私が言葉を詰まらせていると、ジェシカは私が書いたインクのレシピをダリオから受け取り、真剣な眼差しで目を通した。


「ふーん……。没食子に、鉄に、卵の殻……? へえ、面白そうじゃん」


【分析:ジェシカの理解力と好奇心は、祖父であるダリオ譲りであると推定】

【結論:技術者としての思考力は、認めざるを得ません】


「ねえ、聖女様。これ、今すぐ試していいの?」


「はい。厳密なバランスは試作しつつ――」


「よし! じゃあ、やってみよう!」


「え?」


「善は急げってね! きて!」


 ジェシカは私の手を取ると、工房の奥へと強引に私を引っ張っていった。

 私は彼女の歩行速度に同期できず、何度もつまずきかけたが、その度ジェシカの腕力によって無理やり引き上げられた。


(……な、なんという腕力……!)

(そして、この距離感のなさ。ヴィンセント騎士団長も、彼女のこのペースに巻き込まれていたのでしょうか…?)


 繋がれた手から伝わる体温は、悔しいほどに温かく、悪意がない。

 それが余計に、私の内側で膨らむ嫉妬を加速させる。


 私は、彼女の熱意に引きずられながら、心の中では最大限の警戒をしつつ、新たな開発パートナーとのミッションを開始した。



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