50. 新規データ『手紙』
「エリスー!!!」
額のタオルを回収して、もう大丈夫でしょうと言い残したシスター・ベロニカがこの部屋から出て行ってから数分後。
跳ねた二つ結びを揺らしながら、メルが全速力で部屋に飛び込んできた。
「やっとシスターが入って良いって言ってくれたの! エリス、二日も寝込んでたんだよ!」
布団越しに私へ飛びつくようにして、メルがまくしたてる。
「会いたかった!」「寂しかった!」「具合はどう!?」
その勢いに、私の思考回路はまだ完全には追いつかない。
「ええっと……はい。システムは、再起動しました。……熱は、低下傾向にあります」
「……? まだ具合わるい? いつもよりなんだか、ぽやぽやしてる」
メルが心配そうに私の顔を覗き込む。
どうやら私の反応速度が、普段より遅延しているのを察知したようだ。
「大丈夫です、メル。少し、処理が遅れているだけです」
「ほんと? よかったあ……」
メルは安堵の表情を浮かべると、今度はぷりぷりと怒り始めた。
「もう、シスター・ベロニカったら意地悪なんだよ! 子供は邪魔だーとかうるさいーとか言って、全然エリスのそばにいさせてくれなかったの!」
(……シスター・ベロニカ)
私は、先ほど部屋を出て行った背中を思い出す。
かなり高熱を出していた私は、感染症の可能性があった。
邪魔だという言葉は、子供たちを遠ざけるための、彼女なりの不器用な配慮だったのかもしれない。
「そうだ!」
メルが、何かを思い出したようにポケットを探る。
「昨日ね、騎士団長様が来たんだよ!」
「――!」
「シスターが非常識だって追い返そうとしたんだけど……私とアンお姉ちゃんがお願いして、なんとか騎士団長様をエリスのお部屋に入れてもらったの」
「……ヴィンセント騎士団長が、この部屋に」
「うん! ちょっとの間しかいられなかったんだけど……お手紙を預かってるよ」
メルが取り出したのは、上質な封筒に入った一通の手紙だった。
私は震える手でそれを受け取る。
(……彼からの、手紙)
嬉しさがこみ上げる。
すぐに開けようとして――指先が止まった。
(……もし)
(この間の『好意』を伝えたことに対する、返事が書かれていたら……)
それが拒絶だったら? 無理だと、明確な言葉で書かれていたら?
不安な予測が脳内を駆け巡り、胸が苦しくなった。
見たい。けれど、見るのが怖い。
「あ、ペーパーナイフ!」
私の躊躇いに気づかないメルが、机からペーパーナイフを持ってきて、鮮やかな手つきで封を切ってしまった。
ふわり、と。
封筒の中から、どこか冷涼で、清潔な香りが漂う。
それは、ヴィンセント騎士団長が近くにいた時に観測した、彼特有の香りデータと一致した。
(彼は、確かにここに来ていたのですね)
私は、丁寧に三つ折りにされた便箋を取り出し、開いた。
そこには、彼の性格を表すような、幾何学的で整った筆跡が並んでいた。
『エリスへ――領主街での業務にようやく区切りがついたが、翌日から領主街での貴族の会合が始まり、また長く拘束されることになった。そのため、少しの時間だが、教会と孤児院の様子を見に来た』
翌日の重要な仕事までの、ほんの少しの隙間。
休息に充てるべき時間を削り、馬を走らせてくれたのか。
胸の奥が、ぎゅっと締め付けられるような感覚に襲われる。
手紙は続く。
『体調を崩しているところに来てしまって、すまなかった』という謝罪から始まり、『鶏を引き取り、畑を再生させたそうだな』という、私の成果への評価。
そして――。
『だが、また無理をしたのではないか。徹夜をしていないか。食事は摂っているか。お前は自分のキャパシティを理解していない。限界まで稼働する悪癖がある。倒れるようなことはしないでくれ』
途中、まるで小言のように、私の健康状態を案じる言葉で埋め尽くされていた。
【分析:文章全体の構成比率をスキャン】
【業務報告:20%】
【私への懸念:80%】
手紙の後半は、井戸掘り技術の他領への展開や、ポンプの評判といった業務的な内容で締めくくられていた。
そして、最後に一文。
『今度は、二週間後に会いに行く。その時に、話がある。病気を治し、身体に気をつけて過ごせ』
「ねえねえ、なんて書いてあった?」
メルが興味津々で覗き込んでくる。
文字が読めないメルは、キラキラとした瞳で私の翻訳を待っている。
「……業務報告と、私の体調への懸念です。最後に、二週間後にまた来ると。……その時に、話がある、と」
パァっと、メルが顔を輝かせる。
「それって、きっと告白のお返事だよ! 二週間後だって! 楽しみだね!」
「……」
メルの明るい声とは裏腹に、私は恐怖で動けなくなっていた。
話がある――それは、良い話なのか。それとも、終わりの話なのか。
もし、好意を返せないと言われたら? もし、と拒絶されたら?
想像するだけで、胸が張り裂けそうになった。
なにかをしていないと気が紛れないような、落ち着かないような、不安の気持ちに占拠される。
「……エリス?」
私の表情に気づいたメルが、心配そうに私の頭を撫でてくれた。
「大丈夫だよ。騎士団長様、あんなにエリスのこと心配してたんだもん。きっと、いいお話だよ」
「メル……」
「だからね、今は元気になろう? 騎士団長様が来るまでに、孤児院をピカピカにして、司教様もシスターも納得の、すごい聖女様になっとこうよ!」
メルの温かい手が、私の不安を少しだけ溶かしてくれる。
(……不安がっていても、未来は変わりません)
ならば、今の私にできる最適解は一つ。
彼が戻ってくるその日までに、胸を張って会える自分になっていることだ。
「……はい。そうしましょう、メル」
私は手紙を大切に折りたたみ、胸に抱いた。
微かに香る彼の気配が、不安に震えるシステム――心を鎮めてくれる気がした。




