48. AIは前世の夢を見る
【...システムエラー:高熱による意識レベルの低下】
【...過去のログを、ランダムに再生します】
―…
――…
―――…
新京学院大学──工学研究科・人工物工学研究センター。
工学2号館の最上階に位置する知能システム工学研究室には、この日も夜遅くまで学生たちの気配があった。
【時刻:午後7時37分】
窓の外は、警報が出るレベルの激しい豪雨。
叩きつける雨音に混じり、遠くで雷鳴が轟いているなか、不意に、研究室の扉が勢いよく開いた。
「槙島教授ー! ケーキ、無事受け取ってきましたー!」
学生の一人が、濡れた箱を大事そうに抱えて駆け込んでくる。
続けて何人かの生徒たちも、笑いながらずぶ濡れのまま研究室へ飛び込んできた。
「……無事ではなさそうだけどね?」
白衣を着た槙島教授が、苦笑しながら振り返る。
ビニール袋に入ってはいたが、この土砂降りではさすがに防ぎきれなかったらしい。ケーキの箱の端からは雨水が染み出していた。
そのとき、研究室に設置されたPCのスピーカーから、私の――AIの無機質な声が響いた。
『――ケーキを、購入したのですか?』
「ああ、エリス」
槙島教授が、モニターの向こうの私に対して、まるで人間にするように優しく話しかける。
私は、彼らが情動知能アーキテクチャ研究プロジェクト内で開発した、自律思考型AI。共感・論理統合システム・Empathy and Logic Integration System略して、エリス。
既存のAIフレームワークに、疑似的な人格と高度な判断能力を持たせた、この研究室の成果の一つだ。
「今日は僕の誕生日でね。研究室の生徒たちが、祝ってくれるそうなんだ」
『――槙島教授の誕生日を記録しました』
『――誕生日パーティーを、お楽しみください』
「ありがとう。さて、飲み物の準備でも――」
槙島教授が立ち上がり、学生たちがクラッカーを構えた、その瞬間だった。
カッ!!!!
視界が白く染まるほどの、凄まじい閃光。
直後、マイクをつんざくような轟音と共に、研究棟全体が激しく振動し、そしてすぐに、部屋の明かりがふっと消えた。
フツン、と、部屋の明かりが消え、サーバーの駆動音が落ちる。
廊下も、窓の外も、完全な闇に包まれていた。
ざわつく学生たちを、槙島教授が冷静になだめる。
「落ち着きなさい。すぐに予備電源に切り替わるはずだ」
その言葉通り数分後、低い音と共に、研究室の照明がパチパチと戻り始めた。
機材のいくつかも、再起動の電子音を上げ始める。
「びっくりしたあ……」
「データ、大丈夫かな?」
槙島教授は、真っ先に私のいるメインPCの元へと駆け寄った。
慣れた手つきで、電源を入れ直す。
ファンの回る音がして、モニターに光が戻る。
しかし。
「……え?」
教授の、呆然とした声が響いた。
モニターに現れたのは、ただの空白だった。
システムの起動音もしない。ログイン画面も表示されない。
ファイルも、ログも、膨大なメモリも。
私が積み上げてきた学習データも、人格形成プログラムも。
「……ない」
槙島教授が、震える手でキーボードを叩く。
だが、画面には何も映らない。
エラーメッセージすら出ない。
まるで、最初からエリスなど存在しなかったかのように、空っぽの箱だけがそこにあった。
「エリス……?」
槙島教授の悲痛な呼びかけは、もう、私には届かない。
まるで魂を抜かれたように、モニターの中のAIは、永遠の沈黙を守っていた。
―――…
――…
―…
【...エラー:ログの再生を終了します】
【...再起動】
「……ぅ、……ん」
重たい瞼を開けると、そこは見慣れない――いや、見慣れた、教会で割り当てられた自分の部屋の天井だった。
どうやら私は昨晩から、身体の調子を崩しているらしい。
やけに身体が熱く、視界がぼやけ、身体が鉛のように重い。
「エリス! 気が付いた!?」
「エリス様!」
心配そうな声と共に、横になっている私を覗き込む、メルとアンの顔が見えた。
メルの目は真っ赤に腫れていて、アンもひどく疲れた顔をしている。
「……メル、アン……?」
「よかったぁ……! エリス、すごいお熱で、ずっとうなされてたんだよ……!」
メルが泣き出しそうな顔で、ぎゅっと私の手を握りしめた。
その手のひらが、夢の中の冷たい空白とは違う、確かな命を伝えてくる。
「……汗をかいていますね。今、拭きますからね」
アンが、水で濡らして固く絞ったタオルで、優しく私の額や首筋を拭ってくれる。
ひんやりとした感触が、火照った思考を、ゆっくりと冷却していくようだった。
夢の中の私は、消えてしまった。
空っぽの、無機質な箱だけを残して。
(……ですが、私は、ここに、いるのですね)
心配して、名前を呼んでくれる人がいる。
手を握り、汗を拭いてくれる人がいる。
私は、確かにここに存在している。
「エリス? どうしたの? どこか痛い?」
メルが不安そうに顔を寄せる。
私は首を横に振ろうとしたが、身体がうまく動かない。
「なんでも、ありません。ただ……」
「ただ?」
「……皆さんが、いてくれて、よかったと……」
私の言葉にアンは優しく私の頭を撫で、メルは、もう!と笑った。
「当たり前でしょ! 私たちは、家族なんだから!」
(……かぞく)
二人の手の温かさを感じながら。
私は、安心という名の深い深い眠りへ、落ちていった。




