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44. 六羽の老鶏による最適解

 

【システム時刻:午前7時】

【天候:晴】

【朝の支度:完了】

【評価:ミッション成功】


 グリモ司祭の断罪から、二週間が経過しようとしていた。

 この教会全体にのしかかっていた暗く重い雰囲気はもはやなく、窓から差し込む朝日とともに、子供たちの賑やかな明るい声が聞こえていた。


 私は鏡の前で、自分自身の姿を厳密にスキャンする。

 ボタンの掛け違いなし。襟の角度、水平。髪の毛、ブラッシング済み。

 スカートの裾の乱れも、観測されない。


(……完璧です)


 私はついに、メルの手伝い無しで、朝の支度ができるようになったのだ。

 それは、自律思考型AIとしての学習能力の証明であり、人間社会への適応プロセスが正常に進行している証左である。

 満足して自室のドアを開けたところで、ちょうど部屋に来ようとしていたメルと鉢合わせた。


「エリス! おはよう!」


「おはようございます、メル。見てください、今日の私は――」


「あ、リボンが縦結びになってるし、ボタンも一つズレてるよ! 髪も少しぼさぼさ……整えるね!」


「えっ」


 メルが呆れ顔で私を部屋へと押し戻した。

 再び私を鏡の前へと座らせ、背中に回り込み、手際よく服と髪を整えていく。

 緩んでいた不格好なリボンをキュッと結び直し、慣れた手つきで私の髪をいつもの綺麗なハーフアップに整えた。


「はい、これでよし! エリスはまだまだだねえ」



【...再評価:ミッション失敗】




 そのまま朝食もメルと共に終えた私は、孤児院広間の机で、今後の計画を再確認していた。

 広間では、子供たちが朝食後の片づけをしたり、アンの手伝いをしたりと、以前のような無気力な空気は消え、穏やかな活気が満ちている。

 その様子を横目で見ながら、私は手元にある教会の紋章が入った手紙に視線を落とした。


 先日、ついに中央教会から手紙が届いたのだ。

 内容は、このアウロリア教会の新しい管理者について。


『ハドリアン領の教会を統括していた司教であり、引退間近の重鎮。グリモの不祥事を収束させ、教会と孤児院を立て直すための特命派遣――』


(……かなり、位の高い人物が来るようです)


 ハドリアン領全体の教会統括者が、直々にこの小さな教会へ赴任する。

 これは、騎士団からの報告を受けた領主や教会本部が、事態を極めて重く見ている証拠と思われる。


 手紙にある日程予定から推察するに、司教の到着までは、あと二週間ほど。

 つまり、私が暫定的な孤児院の管理者として自由に動けるのは、残りわずかだ。


【データ分析:『聖女』評価の構成要素を抽出】

【結果:『環境の改善』および『幸福度の上昇』が、評価と正の相関関係にあります】

【結論:孤児院の最適化こそが、聖女認定への最短ルートです】


(司教が到着した時、この孤児院が出来る限りの最適化されていれば、私の聖女認定は確実なものになるはず。そうすれば……)


【モチベーション係数が上昇しました】


 この二週間、私は急ピッチで環境改善を進めてきた。

 建物の修繕箇所のリストアップ、備品の棚卸し、衣類や常備薬の要望書作成――。

 金銭が絡む部分は、司教の到着を待つ必要があるが、現状の把握と低コストな改善提案は私の得意分野だ。


 そして、今日からは次のフェーズ――直接的な生活水準の向上に着手する。


【現状分析:『住環境』『衣服』=予算不足により保留。『衛生』=水確保により安定】

【参照データ:WASH原則、スフィア基準】

【結論:最優先課題は『栄養』の欠如】


 次に最適化すべきリソースは――『食』である。


 現在は、アンが作るスープと、療護院からの残り物、そして契約したパンのみでまかなっている。

 確かに飢餓状態は脱しているが、タンパク質とビタミンは圧倒的に不足している現在の食事では、身体の構成要素が生成されず、成長阻害と免疫低下を招く可能性は極めて高い。


 とはいえ、肉や魚を毎日購入する予算はない。

 短期間で、低コストで、そして継続的に入手可能な食材となると…。


「エリス様ー!」


 考えている最中、アンが息を切らして広間に入ってきた。


「見つかりました!療護院に入居することになったご老人が、ちょうど家の鶏の処分を考えているそうで…!」


「!」


 そう、最適解は鶏――卵だ。

 スープの具材を増やすには予算がかかる。

 だが、少ない手間で扱え、栄養が豊富で、毎日安定して得られる卵こそ、今の状況に最も効くだろう。


「素晴らしいです、アン。すぐに交渉に向かいます」


「はい! ご案内します!」


 私たちは準備を整えると、そのままの足で孤児院を出発した。

 メルも「私も行く!」と私の手を握り、アンが先導する形で街を歩く。


 アウロリアの街は、今日も穏やかな賑わいを見せていた。

 市場の通りを抜け、住宅街を過ぎると、景色は徐々に緑を増していく。

 私たちは、街の喧騒から離れた、森の入り口近くにある小さな小屋を目指した。


「そのご老人は、一人暮らしが長かったのですが、足腰が弱ってしまって……。療護院に入ることになったんです」

 歩きながら、アンが事情を説明してくれる。


「大切にしていた鶏たちだから、誰かに食べてしまうよりは、可愛がってくれる人に譲りたいと」


「なるほど。利害が一致しましたね」


 しばらく歩くと、古びているが手入れの行き届いた、小さな木の柵で囲まれた家が見えてきた。

 庭先では、数羽の鶏がのんびりと地面をつついている。

 出迎えてくれたのは、腰の曲がった一人の老人だった。


「ほう……噂の聖女様が直接お越しになるとは」


「当然です。譲渡の交渉に参りました」


 老人は、長年連れ添った鶏たちを愛おしそうに眺めた。

 療護院に入るため、処分しなければならないと分かっていても、愛着があってためらっていたらしい。

 その瞳には、寂しさと、安堵が入り混じっていた。


「こいつらも、余生を過ごせる場所が見つかってよかった」


「ご安心ください。子供たちと、大切に育てます」


「ありがたい。ただし、そいつらは毎朝6時きっかりに鳴くから気をつけろよ?」


「目覚ましですか。規則正しい生活には、ちょうどよいです」


 私の即答に、ご老人は声を上げて笑って、快く五羽の雌鶏と、一羽の雄鶏を譲ってくれた。


 世話に必要な道具や餌箱、水桶も一緒に譲り受け、大きな籠に鶏たちを入れて、私たちは孤児院への帰路についた。

 籠を運んでいる帰路の途中、メルが鶏を覗き込みながら心配そうに言う。


「その子たち、卵あんまり産まないって言ってたけど、大丈夫?」


「大丈夫です。環境を改善し、餌の栄養価を計算すれば、産卵機能は回復する可能性があります。それに――」


 私は、1羽だけ混じった、立派なトサカの雄鶏を見る。


「雄鶏を確保しました。つまり、卵を孵化させ、個体数を増殖させることが可能です」


「ふか……? ぞうしょく……?」


「ひよこが産まれる、ということです」


「わあ! ひよこ!」


 メルは期待に輝いた瞳で、ふわふわの? ピヨピヨの? と跳ねながら歩き、籠の中の雄鶏に、がんばってね! と声をかけた。


 孤児院に戻ると、中庭の隅、風通しの良い場所にあった古びた小屋を、さっそく鶏小屋として改修することにした。

 昔の孤児院暮らしで慣れているのか、特にアンは手際がよく、みるみるうちにただの小屋が鶏小屋へと整っていく。


「皆さん、ミッションです」


 あらかた小屋が整った後、私が孤児院の中に声をかけると、ロキをはじめとする子供たちがわらわらと集まってきた。


「うわっ」

「でかい!」

「かわいー!」


 籠の中の鶏たちを見て、最初は驚いていたが、すぐに興味津々で取り囲む。


 私の指示のもと、子供たちが手分けして掃除をし、藁を敷き詰めた。

 ポンプから汲み上げたばかりの新鮮な水を水桶に入れ、ようやく鶏を小屋に放つ準備が整う。


「アンは子供たちをグループで分けて、世話当番の交代のスケジュールを。メルは餌やりの管理をお願いします」


「わかりました!」

「うん! 任せて!」


「そしてロキ、あなたは掃除の管理をお願いします」


「へいへい」


 ロキはぶっきらぼうに答えたが、その目は真剣に小屋の強度や、鶏たちの様子を確認していた。


【...ミッション:食糧自給フェーズ1、完了】


 日が沈み、辺りが薄暗くなってきた。

 まだ卵はないが、コッコッ、と鳴く鶏たちの声を聴きながら、子供たちが楽しそうに小屋を囲んでいる。


「名前つけようぜ!」

「こいつ、強そう」

「卵、いつ産むかなあ」


 そんな子供たちの無邪気な会話が、中庭をにぎやかに彩る。

 温かな光景をスキャンしながら、私はまだ見ぬ司教への報告書を脳内で構成していた。


 ふと、風が吹き、私は遠い空を見上げる。

 領主街の方角。

 そこにいるはずの人のことを思う。


(あなたと次に会う時までに、この場所を、もっと最適な場所にしてみせます)





2章も毎日21時に更新していきます。

引き続きお楽しみいただけますと嬉しいです。

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