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閑話. 工房親方は氷解をみる

 

 騎士団が出発したあとすぐ、俺は、聖女エリス様が開発した新たな揚水ポンプの権利手続きのため、久しぶりに領主街へとやってきていた。


 手続きは驚くほどスムーズに進んだ。

 それもそうだろう。あのポンプは画期的だ。

 子供の力でも軽々と水を汲み上げられ、構造もシンプルで壊れにくい。


 屋敷の工房の跡を継がせた息子に、そしてかつて領主街にいた時の職人仲間たちに、このポンプの話をしたら、案の定、全員が目の色を変えて食いついてきた。

 この技術は、すぐに領内――いや、国中へと広まるだろう。

 職人冥利に尽きる、いい仕事だった。


 挨拶回りを終えた俺は、アウロリアの代官から預かった報告書を渡すため、騎士団の詰所へと足を運んだ。


「……こりゃあ、ひでえ」


 通された執務室は、仕事の山で戦場のように散らかっていた。

 そして、ヴィンセント坊ちゃんの足元にあるゴミ箱には、色とりどりの封筒――良家からの釣書や見合い写真が、封も切られずに溢れかえっている。


 相変わらずだ。

 この坊ちゃんは、自分に向けられる好意や色目に、一切興味を示さない。

 貴族として、勉学や剣術ばかりを追いかけて、人間らしい感情をどこかに置き忘れてきたような子供だった。


「……ダリオ? なぜここにいる」


 書類の山の向こうで顔を上げた坊ちゃんは、ひどく疲れた顔をしている。


「聖女様のポンプの件で、権利の申請に来たんですよ。ついでに、アウロリアの代官様からの報告書も預かってきたんで、直接坊ちゃんに届けようかと」


「!」


 俺が懐から書類を取り出すと、坊ちゃんの瞳の色が、瞬時に鋭さを増した。

 疲れが吹き飛んだかのような動きで、珍しくもその場で封を切り、手紙を開く。


「……孤児院の井戸の稼働は問題なく……代官の屋敷に設置を予定……当然だな」


「ええ。孤児院じゃあ、ちいせえ子供たちが遊び感覚で水を汲んでますよ。水質も安定して、もう濁りもありません」


 俺が補足すると、坊ちゃんは満足そうに頷いた。

 報告書を机へ置いたのを見て、じゃあと執務室を後にしようとした俺を、坊ちゃんの切羽詰まった声が引き留めた。


「待て、ダリオ」


 意外な呼び止めに、なんの用かと足を止める。

 坊ちゃんは長い長い沈黙の後に、ようやく言葉を絞り出した。


「……エリスの、様子はどうだ」


「うん? 聖女様ですかい? どうって……俺もすぐ出てきちまったんで、知りませんよ」


 そう返すと、坊ちゃんはまた深く悩みこんでしまった。

 眉間に刻まれた皺は、難解な設計図を前にした時よりも深い。


「エリスの様子が知りたい」


「……? また教会まで会いにいっては?」


「行って、なにをすればいい」


 坊ちゃんは真剣に悩み、しばらく黙った後に、再び言葉を継ぐ。


「エリスは俺に、好意があると、言った。」


(……ほう? こいつは驚いた)


 坊ちゃんとエリス様が、そこまで進んでいたとは。

 確かに、最初に工房にきたときから、聖女様を見る坊ちゃんの雰囲気は、少し柔らかいものだった。



「だが……彼女は、それで満足していた」


「はあ……?」


「俺が……返事を口にしようとしたら、彼女は言ったんだ。なにも求めていない、と。満足した、と」


 坊ちゃんは、報告書の端を強く握りしめる。


「それは、遠回しな拒絶だろう。好意はあるが、それ以上はいらないという……線引きだ」


(なるほど。こりゃあ、重症だ)


 俺は、やれやれと肩をすくめた。

 確かに、貴族の令嬢なら、そういう遠まわしな断り方もあるだろう。

 だが、相手はあのエリス様だ。

 人の性格は図面に出る。

 真っ直ぐすぎて、正確すぎて、再現不可能に感じる部分があり、それゆえにどこか常識からズレている――そんな聖女様だ。


「坊ちゃん。あんたは頭がいいが、時々考えすぎですぜ」


「……なんだと?」


「あの聖女様は、人間関係の線引きだなんて、そんな器用な真似ができるお方じゃあないでしょうに。俺にはただ単に、好意を伝えられたことに満足しちまっただけのように思えますがね」


「……満足、しただけ?」


「ええ。あのお方は、なんというか……世間の常識とかけ離れたところにいるように思いますがね。坊ちゃんが勝手に振られたと勘違いして、勝手に怯えているだけなんじゃありませんか?」


「怯えて……」


「っかー! じれったい! ウジウジ悩む暇があったら、本人に確かめに行けばいいでしょうが!」


 坊ちゃんが、ハッとしたように顔を上げる。

 その顔は坊ちゃんが子供のころを思い出させるような、少し幼さのあるもので、俺もまた、昔のように叱咤した。


「なにもいらない、満足だ、なんて言われたって、俺があげたいんだって押し付けりゃあいいんです! 昔、俺んとこの工房に無理やり入り浸ってた時みたいにな!」


 俺の言葉に、坊ちゃんは呆気にとられた顔をし、それから、ほんの少し笑って見せた。

 その目には、今まで見たことのない、強い光が宿り始めていた。


「……そうだな。確かめに行く」


 そう呟いた坊ちゃんの纏う空気が、一変する。


「そのために、この邪魔者を片付けなくてはな」


 猛烈な速度で、邪魔と称した書類の処理が始まった。

 めくり、読み、サインする音が、残像が見えるほどの速さで響き渡る。

 それは通常の三倍近い速度だった。


 そこへ、さらに別の書類の束を抱えたジャック副団長が入室してきた。

 彼は、部屋に入った瞬間に足を止め、鬼神の如くペンを走らせる姿を見て、ぽかんと口を開けた。


「うわ……なんだァこの殺気。……ダリオさん、なんか言ったんで?」


「いやなにも。ただちっとばかし、聖女様の話をな」


「ああ……」


 ジャック副団長は全てを察した顔になり、やれやれと肩をすくめた。

 俺も同じように肩をすくめ、彼と並んで坊ちゃんを遠巻きに見る。


「あの氷の騎士も、恋の病ってのには敵わんようですなあ」


「まったくだ」


 苦笑いするジャック副団長に軽く手を振り、俺は執務室を後にした。

 アウロリアに帰ったら、孫のジェシカに教えてやらなきゃな。

 あの油の切れた歯車みてえだった坊ちゃんが、ようやく人間らしい顔をするようになったんだって。






明日から第二章を更新開始します。

また1日1話、20時更新となりますので、

引き続きよろしくお願いします。

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