43. 聖女になります
騎士団が領主街へ発ってから、数日が経過した。
ポンプからは、ダリオの言葉通り、濁りのない清潔な水が安定して供給されている。
工房の人たちの出入りもなくなり、孤児院は、グリモ司祭がいた頃とは違う、落ち着きを取り戻していた。
私は今、暫定的ではあるものの管理者として、この孤児院の老朽化の調査を行っている。
優先度の高い順に、改修すべき箇所をリストアップするため、メルと一緒に孤児院内の各所を回っていた。
「……騎士団の人たち、ちゃんと領主街に着いたかなあ」
「ジャック副団長の言葉に基づけば、所要日数は四日から五日。本日中には到着すると推定されます」
ぽつりと、どこかさみしそうに呟いたメルを見る。
私にとっても、彼が不在であるという事実が、システムの幸福度を継続的に低下――さみしくさせていた。
「ねえ、エリス。結局、団長様とは、どうなったの?」
「どう……とは?」
「打ち上げパーティの時。中庭のはじっこで、二人きりでこっそりお話ししてたの知ってるんだからね」
メルが満面の笑みで畳みかけた。
「ちゃんとお話しした?」
「……はい。好意を伝えました」
「――告白したのですか!?」
「「!?」」
背後から、唐突に声がして振り返ると、そこには、アンが息を切らし立っていた。
午前中の介護施設での仕事を終え、今孤児院に着いたらしく、彼女の手には、いつもの残り物が入った袋が握られている。
「えっ! 告白!?」
メルも、アンの興奮につられてか、前のめりになっている。
アンとメルの二人に、じっと、期待のまなざしを向けられた。
「「それで!?」」
「……?」
二人が何を求めているのか分からず、私は首を傾げた。
「それで、とは……?」
「へ、返事は!? 団長様からの!」
「返事……?」
私は記憶領域へアクセスし、昨夜の会話ログを再検証する。
しかし、好意の出力に対し、どのような返事が必要なのか、理解できなかった。
「返答は特にありませんでした」
「えええええ!?」
アンとメルが、同時に素っ頓狂な声を上げた。
「へ、返事がないって……無視されたってこと!?」
「いいえ。たしかに……なにかを言いかけていましたが、ジャック副団長の声で遮られました。ですが、私の言葉を拒絶はされませんでしたし、好意を伝えられたことで満足しましたので」
「ま、満足って……」
アンが口元を押さえ、メルが信じられないものを見るような目で私を見上げる。
「そ、それじゃあ、団長様の気持ちは分からないままなの?」
「……? 私は私の気持ちを出力できたので、ミッションは完了です」
「完了じゃないよ!!」
メルが、私の手をぎゅっと握りしめた。
その顔は、呆れを通り越して、どこか必死で、心配そうで。
悲痛さすらあるその幼い顔に、私は戸惑い、数度瞬きをしてしまう。
「エリス……。団長様のことが好きってことは、恋人になりたいとか、結婚したいとかじゃないの?」
恋人。結婚。
考えたこともなかった言葉に、思考が一瞬停止する。
【――警告:新規キーワード『結婚』を検出。最優先でデータを要求します】
【データベース検索:『結婚』=『好意』『恋愛』の『最終段階』。『交際』の『上位互換』の『契約』】
彼を好きになれただけで、こんなにもエラーが出るほど幸福なのに、それ以上なんて、考えてもいなかった。
「だって、恋人とは、どのような定義で……結婚とは……」
私が戸惑い、言葉を濁していると、メルは真剣な眼差しで、とてもシンプルな言葉を投げかけた。
「ていぎ……とか、難しいことはわかんないけど……エリスは団長様と、ずっと一緒にいたくないの?」
「――ずっと」
シンプルなその言葉が、胸の奥にすとんと落ちた。
難しい定義も、AIであることも、なにもかもすべて飛び越えて。
「……ヴィンセント騎士団長と、一緒に」
領主街へと帰っていく背中を思い出す。
あの時感じた、胸を締め付けるような寂しさ。
もし、彼と恋人になれば、家族になれば――あの背中を、もう見送らなくて済むのだろうか。
「……ずっと一緒にいたいと、思います」
これが、恋。
ただ好意を伝えるだけでは埋まらない、この欲求こそが。
思考がそこに至った時、ふと、好意を伝えた夜の、あの別れ際の彼の表情がフラッシュバックした。
何かを言いかけて、飲み込んだ時の、あの切なく歪んだ顔。
(……あの時、彼は、なにを言いたかったのでしょうか)
交際や、結婚という、未来の話をしようとしていたのか。
それとも、――私の好意は不要だと、拒絶しようとしたのか。
(……わかりません)
次に会ったらもう一度好意を伝え、彼が言いかけていた言葉を、返事を聞かなくてはならない。
だが、そう結論付けた瞬間、胸の奥が冷たくなるのを感じた。
返事を聞くことが、なぜかひどく恐ろしい。
「……でも、ヴィンセント騎士団長様は、おそらく貴族様でしょう?」
私の思考をよそに、アンがポツリと言った。
その表情には、諦めにも似た色が浮かんでいる。
「平民との結婚は……難しいですよね。だから、エリス様は最初から諦めて……」
彼があの時、あんなに切なそうな顔をしていた理由。
それは、平民とはその先には行けないと、諦観していたからなのだろうか。
だとしたら、彼の返事は――拒絶になってしまう。
【...エラー:『絶望』のパラメータを検出】
「身分なんて関係ねえっていうのが、男だろ!」
「!」
突然、広間の入り口からロキの声が響いた。
いつの間にか彼も話を聞いていたらしい。
「好きだって言って、一緒にいてえって思ったら、周りなんか関係ねえんだよ!」
【分析:ロキの主張は『感情論』ですが、現状の『閉塞感』を打破するエネルギーを持っています】
ロキの言葉に、アンがハッとしたように顔を上げた。
「あ! そうですよ! エリス様は、聖女様だから!」
「……? 聖女と結婚に、どのような因果関係が……?」
「療護院にいらっしゃる、昔教師をしていたおばあ様が、お話していました! このオルトリア王国の歴史で、過去に聖女様が、この国の王子様と結婚した、と!」
「王子様と聖女様のおはなしでしょ! メルも、絵本見たことある!」
メルが、アンの証言を裏付けるように手を挙げた。
【...再計算を開始】
【仮説A:ヴィンセントは『貴族』のため、私との『結婚』を『諦観』している】
【仮説B:『聖女』は、『王子』=『貴族』以上の『権限』と『結婚』できる】
【結論:私が『正式』に『聖女』と『認定』されれば、ヴィンセントの『懸念』は『払拭』される】
(ですが、払拭された、その後は?)
(私は、彼と、交際を……結婚、を……)
彼が不在の時、私はさみしいと結論付けた。
彼の優しさや笑顔を、もっと観測したいと思った。
他の人間が気が付かない、彼の小さな変化を、私だけが理解したいと思った。
交際、結婚――それはまだわからない。
それに、現状、私はまだ正式な聖女ではない。
今後の監査次第では、ただの平民として処理される可能性も残っている。
彼が飲み込んだ言葉が、身分差への懸念などではなく――単に、私とはこれ以上進めないという、好意への拒絶である可能性だって、大いにある。
(不確定要素は、多数存在します……それでも)
ヴィンセント騎士団長の返事が、どうか悲しいものではないように。
その先も、彼と一緒にいられる可能性を、1%でも上げるために。
私は、私の全てのリソースを賭して。
「――聖女になります」
孤児院の、このボロボロの一室で。
私は、自分自身に、そしてこの世界に、静かに宣言した。
*
第一章はこの回にて終了となります。
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閑話を二話分挟んで、二章を開始しますので、
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