41. 『好意』の伝達
中庭の喧騒が、遠くに聞こえる。
兵士たちの余興はまだ続いているようで、子供たちが手を叩いて喜んでいる声がする。
その横では、ジャック副団長とジェシカがなぜか飲み比べを始めており、ダリオが孫娘を心配そうに見ている。
(非合理的――カオスな空間です)
私はヴィンセント騎士団長に導かれるまま、その喧騒から離れて、静かな中庭の端に来ていた。
ちらりと振り返った彼が、私の服装に目を止める。
「その服は、聖女の正装か?」
「いえ、正装というわけでは……メルとアンが用意してくれました。……どう、でしょうか」
「似合っている」
「っあ、ありがとう、ございます……」
こそばゆく胸元を押さえつつ、花壇の段差に座り込んだヴィンセント騎士団長の隣に、少し間をあけて私も腰を下ろす。
彼は、私に炭酸水が入ったコップを渡し、自分は酒を片手に、静かに傾けていた。
「……」
「……」
……気まずい。
前に感じた気まずいとは、また質の違う気まずい、という状況な気がする。
(……恋を定義した直後に、その対象――ヴィンセント騎士団長と二人きりになるのは、心臓の負荷が大きすぎます)
私は、コップの中で弾ける泡を、ただじっと観察していた。
「……雷に打たれる前の記憶がない、と言っていたか。炭酸水も初めてなのか」
沈黙を破ったのは、またもヴィンセント騎士団長だった。
私が、コップの中で弾ける泡を、観察していたのを見ていたらしい。
「いえ、知識としては知っています。体感するのが、初めてなだけです」
(なぜでしょう。私の音声が、いつもより強く……ツンと出力されてしまいます)
【...エラー:『羞恥』のパラメータが、音声制御に『干渉』しています】
それよりも、昨夜のことをヴィンセント騎士団長に謝罪しなければ。
私はいつもよりエラーの多いシステムを無理やり抑え込み、彼に向き直った。
「あの、ヴィンセント騎士団長。昨日は、申し訳ありませんでした」
「なんの謝罪だ」
「私が気絶したことで、あなたに多大な迷惑をかけました。私の、計算ミスです」
いや、とヴィンセント騎士団長は、すぐに首を横に振った。
「ずっと、緊張状態だったんだろう。それに、俺も冷静ではなかった。……こちらこそ、悪かった」
【...分析:ヴィンセント団長が、私の『謝罪』に対し、『謝罪』で応答しました】
彼は、手元の酒を一口、また煽っている。
先ほどからかなりの量を飲んでいる様子を観測しているが、彼の鉄仮面は、アルコールの影響を受けないようで、変化は検出されない。
私も、炭酸水に少し口をつける。
ぱちりとした刺激に、思わず眉を寄せてしまった。
「ヴィンスー!」
遠くで、ジェシカがこちらに手を振っている。
どうやら先ほど行われていた、ジャック副団長との飲み比べに勝ったらしい。
ヴィンセント騎士団長は、そちらに顔を上げただけで、特に反応はしない。
しかしジェシカはそれに満足したのか、すぐに飲み比べに戻っていく。
「……ヴィンセント騎士団長」
「なんだ」
「先ほどまた、ジェシカと親密そうでした。本当は、どのような関係なのですか?」
「……」
ヴィンセント騎士団長は、私の唐突な質問に、一瞬驚いた顔をした。
しかしすぐに、遠くで盛り上がっている様子のジェシカを見ながら、答える。
「……前に言った通り、業者だ」
「ですが――」
「少し、付け足す。ダリオは昔、屋敷の敷地内に住み込みで働く専属の職人だったんだ」
「屋敷……」
「子供の頃は、よくその工房に出入りしていた。ダリオの孫であるジェシカとも顔なじみというだけだ。……もっとも、幼馴染と呼べるほど、対等な関係ではないがな」
【...分析:『幼馴染』=『親密な関係』。『不快感』の『根拠』が、実証されました】
(だから、彼は、彼女――ジェシカの接触を拒否しなかった)
「……ヴィンス、」
「ッ」
「……と、私が呼ぶには、まだ付き合いが、足りませんね」
一瞬、ヴィンセント騎士団長の息を呑む音が、聞こえた気がした。
拒否なのか、驚愕なのか、今の私では彼の感情が読み取れない。
「……、呼べばいいだろう」
「え……」
(許可が、出ました)
予想外の返答に、目を瞬かせてしまう。
では呼ぼうと、口を開きかけるが、喉がなぜか緊張し、声が出ない。
「――っ、」
私は言いかけて、首を横に振り、俯く。
結局、いつもの呼び方に戻し、話を続けた。
「……ヴィンセント騎士団長は、貴族だったのですね」
屋敷という言葉、そして敷地内での専属の職人――。
身なりやふるまいからも感じていたが、相当に良い家柄の貴族なのだろう。
「……」
「これで、あなたの権限に対する疑問の答え合わせが出来ました。重要書類をすぐに用意してくれたのは、貴族の権限を利用したからなのですね」
「……取るに足らない家だ」
中庭の喧噪を眺める横顔を見ていると、家の話をしているときは、少し苦い表情をして見える。
「ジェシカとは、大人になってからも、よく会うのですか」
「ダリオが息子に跡を継がせて、ジェシカも共にアウロリアに引っ込んでからは、そんなに会う機会もない」
「では子供のころには、どのような――」
「なぜ、そのようなことを聞く」
あまり聞かれたくはないことだったのだろうか、ヴィンセント騎士団長は少しだけ苛立ったように、私に向き直った。
「なぜ……でしょうか。とても気になります。あなたのことが、とても」
「それは……」
「あなたに、……好意が、あるから、だと、思います」
好意、と、言葉にしてしまった。
声に出すと、胸の奥がきゅっと熱くなる。
言葉は緊張で震えてしまった気がするけれど、システム内の未処理データを送信できたような、どこか晴れやかな気持ちもあった。
「……エリス、」
ヴィンセント騎士団長が、なにかを言おうと口を開いた、その瞬間。
「――酒がなくなった! そろそろお開きにするぞー!」
唐突に響いたジャック副団長の大声が、この場を締めくくろうとした。
はっと我に返った私は、中庭の方へと目を移す。
子供たちが眠そうに目をこすりながら、アンに連れられて片付けを始めている。
「私も後片付けをしなくては。……それでは、」
伝えられた満足感で、私は立ち上がった。
そのまま彼に背を向け、子供たちの方へ歩き出そうとした、その時。
「待て」
ヴィンセント騎士団長に、手首を強く掴まれ、引き止められた。
どきり、と心臓が跳ねるが、振り返った先の彼は、座ったまま、どこか縋るような、焦ったような瞳で私を見上げていた。
「……それだけ、か?」
「はい?」
「……お前は、俺に……なにも、求めないのか?」
(……求める?)
好意というデータは、伝達を完了した。
彼もまた、私の言葉を拒絶せず、聞いてくれた。
それ以上のなにかが、このコミュニケーションに必要なのだろうか。
胸の奥にあったモヤモヤは消え、今はとても温かい充足感だけがある。
私は、思わず顔がほころぶのを自覚した。
満足した、安心した――その気持ちが、そのまま表情に出る。
「はい。私は、とても満足しています」
「――――……、」
ヴィンセント騎士団長の動きが、止まった。
彼に掴まれていた手首の力が、ふらりと抜ける。
まるで、私の言葉に、なにか打ちのめされたかのように。
彼の視線が一瞬、少しだけ迷うように揺れた。
私にはわからないけれど、眉の動きや口元のわずかな緊張が、何かを言葉にしようとして――そして、飲み込んだように見えた。
(……? なにか、不足が……?)
私にはその理由も、彼が飲み込んだ言葉もわからない。
ただ、彼の目の奥に、言い出せなかったなにかが、切なく揺れているのを見た気がしただけだった。
なにかを求めるような顔をした後に、彼は自嘲するように口元を歪め、また口を開きかけて、閉じ、そして。
「……そうか」
ヴィンセント騎士団長は、短くそう呟くと、立ち上がった。
その顔は、いつもの氷の騎士に戻っていたが、どこか、ひどく疲れているようにも見えた。
「はい。お気をつけて」
私は、満足して、彼に手を振った。
ヴィンセント騎士団長は去り際に一度だけ振り返り、何か言いたげに手を伸ばしかけて、下した。
彼が再び背を向けて、去っていくその姿を見送りながら、私のシステムは好意の伝達を完了したログを記録していた。
でも――。
ふと、胸の奥に小さなノイズが走る。
(……なぜ、彼は最後、あんなに切なそうな顔を、していたのでしょうか?)




