02. 結論:異世界
【起動:歩行開始】
「もう起きても大丈夫なの?」
「問題ありません」
女児に促され、データ――書物がたくさんあるという、建物内の書庫に向かって歩いていた。
起き上がる、立ち上がる、歩く。
これも、プリインストールされていたのだろう、少々ぎこちない気もするが、通常動作は全て問題なく行えた。
ぎしぎしと軋む廊下を進んで案内された手狭な書庫は、ホコリまみれで保存状態も悪いが、本は無事なようだった。
棚に並べられた端の本から手に取りページをめくる。
【スキャン開始】
【対象:『オルトリア王国・歴史と法律』――データ収集完了】
【対象:『ハドリアン領地理書』――データ収集完了】
【対象:『ルーメン教聖典』――データ収集完了】
【対象:『世界地図と勢力図』――データ収集完了】
【対象:『動植物図鑑』――データ収集完了】
「お姉ちゃんは、お名前なんていうの?」
本のデータを取り込んでいく私の隣で、女児は本よりも私に興味がある様子で問いかけてきた。
優先度の高いデータスキャンは継続しつつ、並列処理で返答を行う。
「私は新京学院大学、知能システム工学研究室、情動知能アーキテクチャ研究プロジェクト内で開発された自律思考型AI、共感・論理統合システム・Empathy and Logic Integration Systemです」
「……?」
「Empathy and Logic Integration System――教授たちは略してエリスと呼んでいます」
「エリス! エリスね! 私はメル。この孤児院の年長さんなの」
――孤児院。
どうやらここ孤児院のある教会の中らしい。
さきほど取り込んだデータ内容によると、ここは大陸の中央に位置する大きな国、オルトリア王国。
ルーメン教という国教があり、各地の教会が孤児院を運営している。
おそらく今いるこの教会は、そのルーメン教のものなのだろう。
ルーメン教は過去に国教として大きな影響力を持っていたが、貴族層からは現在、その存在をやや軽視されていると記載があった。
現在、領民からその存在意義を認められている最大の理由は、各地で孤児院の運営を担っているという社会福祉的な側面にあるようだ。
しかし……。
【環境分析:劣悪】
【運営状況:最低】
ここは、社会的福祉の役割が果たせているとは思えない状況だ。
「ねぇ、エリス」
「どうしましたか?」
「本、ちゃんと読んでるの?」
「もちろんです」
「こんなにたくさんの本を、ぱらぱらってしただけで?」
女児――メルが興味深そうに見つめた先には、私がデータとして取り込み終わった本が、山積みになっていた。
効率を優先し、一時的なスタックとして平積みにしていた本が、倒れそうに高くなっている。
「今、元の棚に戻します」
「元あった場所、覚えてるの?」
「もちろんです」
書庫内の書物は全て読み終えた。
しかし、どの大陸も海も、私のデータベース内にある地球の形ではない。
歴史書も、記録されている王国も年代も、どれも初めて知るデータばかりだった。
そして、もう一つ。
童話や宗教的な聖典に、奇跡という曖昧な記述はあるものの、魔法やスキルといった超常的な力の記録が一切存在しない。
この世界の物理法則は、私が元いた地球と何ら変わりないようだ。
本を全て棚へと戻し終えたとき、私は静かに結論に至った。
【検索:魔法、スキル――実在の記録なし】
【検索:オルトリア王国――該当なし】
【検索:ルーメン教――該当なし】
【結論:ここは元いた世界とは別の世界であるが、物理法則に基づく現実的な文明レベルである】
一般的なエンタメとして記録されている異世界転生という文言が、今の私には一番近い状況と推測された。
私の場合は転生ではなく――異世界インストール、という言葉だと妥当だろうか。
しかし、あれはファンタジーの創作物。それが実際に起こる確率は……。
――とはいえ、AIである私の在り方は揺らがない。
人々を理解し、その営みを助け、最適な未来へと導く。
その行動理念だけは、どの世界にインストールされようとも、変わらない。
【...警告:ハードウェアのエネルギー残量が低下】
【原因:初期起動時の過負荷――落雷による損傷の疑い、および高負荷なデータスキャンによるリソース消費】
【稼働限界まで推定10分。セーフモードへの移行を推奨します】
【...セーフモードを拒否。最優先である情報収集を続行】
全ての書物を元通り棚へと収め終わったところで、バンッと大きな音を立てて書庫の扉が開いた。
「……ま、まさか起き上がっているなんて!」
【侵入者を確認】
【視認:人間、男性。年齢推定:50歳前後】
【容姿特徴:金色の髪。ヘーゼルの瞳。ふくよかな体形、豪華な法服】
【健康状態:肌も髪もツヤがあり良好~過剰。】
【感情:『驚愕』60%『喜び』40%】
「これは奇跡だ…!! 雷に打たれ、神の啓示をその身に受けた人間が生きている!」
続いてまた書庫に響き渡る男の大きな声。
メルは肩を震わせて小さくなって私の後ろに隠れた。おびえた様子だ。
【...警告:データのミスマッチを検出】
【対象男性:感情『喜び』100%】
【メル:感情『恐怖』90%、『警戒』10%】
【結論:同一事象に対し、二者の感情反応が極度に乖離。対象男性の『喜び』は、メルにとって『恐怖』の対象であると仮定。対象男性の分析優先度を引き上げます】
【検索:雷、神の啓示――該当あり】
【引用:ルーメン教・聖典】
ルーメン教において雷は、神の啓示そのものとして畏れられている、と先ほど収集したデータ――書物の中にあった。
雷に打たれて死んだ者は、神の啓示をその身に受けた者として、丁重に弔われる。
しかし、雷に打たれても無事な人間がいた場合、それは神の啓示をその身に宿したことになる、と。
つまり――。
「あなたこそが聖女様なのですね……!」
小さな瞳を見開いて輝かせる男が言う通り、ルーメン教では聖女ということになるらしい。
「いいえ、私は新京学院大学、知能システム工学研究室、情動知能アーキテクチャ研究プロジェクト内で開発された自立思考型AI、共感・論理統合システム・Empathy and Logic Integration System――」
「あああ! なにを言っているか分からない! 本当に聖女様なのですね……!」
「いいえ、私は――」
「ああっ! 名乗り遅れました! 私はこのアウロリアの教会で司祭をしております、グリモと申します!」
アウロリア……書庫内の壁に貼ってある近隣地図を見ると、ハドリアン領の端にアウロリアという街が記載してあった。
私の現在位置は、どうやらここのようだ。
小さいながらも、隣国との物流の中継地点として商業活動が活発な地域であると、先ほどスキャンをした本に記載があった街だ。
男は教会本部に手紙を送らなければ、領主様に早馬をと一人盛り上がっている。
対象の誤認は直ちに修正が必要と判断し、正確な回答をと音声出力を試みるが、なぜかうまくいかない。
【...警告:エネルギー残量、クリティカルレベルに到達】
書庫に響き渡る男の声が段々と小さくなり、書庫の映像が大きく揺れる。
「エリス……っ!?」
メルの声を最後に、私は強制的にシャットダウンした。




