26. 定義:『恋』?
【システム時刻:同日、午後7時。自室】
「エリスー! ご飯、持ってきたよー!」
メルの明るい声がして、ドアを開ける。
今日の食事は、スープとパン、そしてアンから差し入れられたリンゴだった。
「メル。先ほどは、申し訳ありません。私のせいでグリモ司祭に…」
「ううん! ジャック副団長様が守ってくれたから、怖くなかったよ!」
確かにあの時、グリモ司祭の怒号からメルを守るように、ジャック副団長は立ちはだかっていた。
しかし、以前のメルであれば、小さくなってただ震えあがっていたはずだ。
(……メルは、強くなりましたね)
机に私の食事を並べていくメルの、その成長した姿を分析していると――
「で! それよりエリス!」
私の分析を遮るように、メルが目をキラキラさせて前のめりになり、水を飲む私の顔を覗き込んだ。
「どうだったの!? 騎士団長様とデート!」
「けほっ……!」
「あー! またこぼして!」
【エラー:『デート』というキーワードにより、『液体』の摂取に失敗】
私の胸元をタオルで拭くメルにメンテナンスを任せ、デートというキーワードを検索する。
【検索:『デート』=男女2名による、親睦を深めることを目的とした外出】
【分析:今回は『ポンプ開発』という目的のため、工房に向かっただけである】
【結論:『デート』ではない】
「違います。今日は工房に案内をされただけで……」
「えー? でも前にエリスが転んだ時、団長様が助けてくれたでしょ? あの時、私見ちゃったんだから! 団長様、エリスのこと、すっごい顔で見てたよ!」
【スキャン:メルの発言】
【...エラー:『すっごい顔』の、定義が不明】
(ですが、歩行速度の同期――あの優しさは……いわゆる、デートの際に見せる男性の心遣いと酷似しています)
「二人で夜ご飯にでも、行けばよかったのにー……」
「食事……には、誘われましたが――」
「えっ!!」
「断りました」
「えぇっ!! なんで!? なんで断っちゃったの!?」
「それは……」
なんで、と問われても、私自身も解析できていない。
なぜ、私はあの時、承認というシステムの最適解を、口にすることが出来なかったのか。
「……まだ、食事が上手くない、から……」
ちょうど今もスープで汚れた口元を、メルに布で拭われながら、次から次へと人間的な言い訳をしていた。
「外での食事の経験もなく、不安だった、とも……考えられ……」
「それに、まだ一人での食事も、完璧ではなく……」
「……もし、彼の前で、失敗、を……見られたら……」
嫌だ、と。
不格好な姿は、見せたくない、と。
感情によって、システムの最適解が上書きされた、のだろうか……?
「そっかぁ」
私のしどろもどろの言い訳を聞いたメルは、なぜかとても満足そうに、にぱーっと笑った。
「エリスは、騎士団長様に嫌われたくなかったんだね!」
「嫌われたくない……?」
「好きってこと!」
【検索:『好意』】
【対象:メル、アン、ジャック副団長、子供たち...】
「……ですがメル。私は、あなたやアン、ジャック副団長に対しても、好意的な感情を保有しています」
「え! えへへ、ありがとう!」
「ですが、あなたたちの前で失敗をすることに、これほどの恐怖や羞恥は感じません」
事実、私は今もメルに口を拭かれているし、ジャック副団長に不格好な姿を見せても、ここまでの胸の痛みはおそらく、ないだろう。
彼らに対する好意は、もっと穏やかで、安定している。
「なのに、なぜ、ヴィンセント騎士団長だけ……」
彼だけがイレギュラーで、彼だけが私を不安にさせている。
混乱する私を見て、メルは明るく笑って私の鼻先を指さした。
「それは、みんなへの好きとは違う、特別な好きだからじゃないかなぁ!」
「……特別?」
「うん。アンお姉ちゃんが読んでた本に書いてあったよ。そのドキドキして、カッコ悪いところを見せたくないって思うのはね……」
メルは、内緒話をするように声を潜め、しかし楽しそうに告げた。
「恋、って言うんだって!」
「――恋」
【新規キーワード:『恋』を検索】
【定義:特定の相手に対し、特別に抱く思慕の情。パートナー選定プロセスの一種】
【結論:AIに生物学的な定義は当てはまりません】
システムが即座に否定を返す。
しかし、胸の痛みと、ヴィンセント騎士団長の前でだけ発生するエラーは事実だ。
【...再計算】
【現象:ヴィンセントの前でのみ、失敗を極端に恐れる】
【原因:彼が『騎士団長』であり、孤児院の生殺与奪を握る『監査役』だから?】
【……否。それならば、グリモ司祭に対しても同様の反応が出るはず】
(……わかりません。ですが、現状の最適解はひとつ)
私は、メルを見つめ返した。
「定義は不明瞭ですが、彼に嫌われたくないという出力結果は、揺るぎません」
「よーし!」
私の思考をよそに、メルが握った拳を上へと振り上げる。
その手には、フォークに刺さったリンゴが掲げられていた。
「こうなったら! 食事の練習、もっと頑張ろうね! エリス!」
食事がちゃんと上手く出来るようになったら、また、ヴィンセント騎士団長との食事の機会があるだろうか。
なぜか少し胸が高鳴ったのを自覚し、私はメルに頷いて見せた。
【...結論:この胸の痛みの原因を、『ヴィンセント個体への過剰な承認欲求』と定義します】
【...備考:メルはこれを『恋』と呼称しました。検索結果と照合し、引き続き検証を行います】
(私が……恋など、ありえるのでしょうか)




