22. 優しさへの近似
【システム時刻:翌日、午前10時】
【天候:晴】
ヴィンセント騎士団長の命により、ジャック副団長が即座に近くの工房を手配してくれた。
翌日、井戸掘削の現場をジャック副団長と兵士たちに任せ、ヴィンセント騎士団長と私は工房に向かうことになった。
「ではエリス様。団長のこと、よろしくお願いしますね」
「? はい。了解しました」
ジャック副団長はなぜか私にだけ聞こえるようにそう耳打ちし、悪戯っぽく笑いながら兵士たちの指揮に戻っていく。
その向こうでいつになく大きく手を振るメルにも首を傾げていると、先に少し歩き出していたヴィンセント騎士団長が声を上げた。
「行くぞ、エリス」
「はい」
ヴィンセント騎士団長と私、二人きりでアウロリアの街にある工房へと向かう。
以前転がった教会前の下り坂に、細心の注意を払いつつ、私は先に歩き出している彼へ駆け寄り、懸案事項を切り出した。
「ヴィンセント騎士団長、ポンプの製作費ですが――」
「問題ない。騎士団の公共事業予算から初期費用くらいは出せる。それに……」
彼は、足を止めて私に振り返る。
その灰色の瞳は、いつもより柔らかいように思えた。
「もちろん今回の開発は、きっちり権利を取るんだろう? ならば、後払いでも良い」
振り返ってそう言った彼の口元が、わずかに吊り上がった。
随分と微細な変化で分かりにくいが、以前も観測した、彼の微笑む動作だ。
【分析:ヴィンセントの人間的な感情の表出頻度が上昇している】
再び前を向いた彼に、付いて歩く。
季節はどうやら秋に差し掛かっているようで、道沿いの木々は紅葉し始めていた。
道を渡り、川を越えて、賑わう街へと入って行く。
全ての景色が新鮮で、私はデータ収集のため、きょろきょろと辺りをスキャンしていた。
【新規データ:『パン屋』『肉屋』『道具屋』を記録】
【新規データ:『広場』『市場』を記録】
【新規データ:『露店』を記録】
街の広場には露店が並び、見かけない色鮮やかな果実や、独特な柄の織物が多く並んでいる。
飛び交う商人たちの言葉には聞き慣れない訛りが混じっていた。
【分析:小さな街だが、隣国との国境貿易による、活発な経済活動を確認】
【照合:データと一致。この街は物流の要衝です】
「……ここまで来たのは、初めてなのか?」
「はい、教会から出たことがありません。初めての情報ばかりです」
「そうか」
ヴィンセント騎士団長は、それだけ言うと、また黙ってしまった。
私も再び、街の情報分析に集中する。
…………。
……。
(……? おかしい)
私の歩行速度は、データ収集のため、通常より30%低下している。
しかし、前方を歩くヴィンセント騎士団長との距離が、一定のまま変わらない。
私は分析の対象を、街から彼へと切り替えた。
【分析:ヴィンセントの歩行速度が、通常時より低下している】
【仮説:彼は、私の歩行速度に、意図的に同期させている……?】
身長の高い彼の脚は長く、身体能力も私より遥かに高い。
本来なら、私は小走りでなければついていけないはずだ。
けれど、彼自身の移動効率を下げてまで、私の低速な歩行制御に同期している。
首を傾げていると、ちらりとヴィンセント騎士団長が振り返った。
その動作は、先ほどから度々確認されていたものだ。
彼の性質ならば、私を置いて先に工房へ向かってもおかしくないのだが――。
(……非合理的な配慮、なのに、なぜか胸の奥を温かくします)
「どうした、エリス」
振り返り私の傍まで戻って来ていた彼の、不思議そうな声が私の思考を遮った。
「いえ……問題、ありません」
分析の目を向けた先の彼は、私の歩行速度に合わせ、やはりいつもより非効率に――ゆっくりと歩いているようだった。




