17. 警告:心拍数異常
【システム時刻:午前10時。天候:曇り。】
客室で行われた会議から一週間後、掘削作業に使用される資材の搬入が開始した。
作業期間中、街の宿に泊まり効率的に全てをこなしている騎士団だったが、連日続いた雨のせいで、搬入作業には早くも遅れが生じているようだ。
私は、作業の進捗確認のため、搬入が行われている中庭に向かっていた。
(……ヴィンセント騎士団長)
ぬかるんだ中庭の錆びた遊具の横で、いつもと変わらず冷たい印象を放つ彼が一人、腕を組み、遠くの搬入作業を眺めているのを見つけた。
視線の先では、教会の入り口で搬入を直接指揮をしているジャック副団長がいる。
兵士たちにも細かな指示を出し、資材をぬかるみから守る作業を行っているようだ。
「ヴィンセント騎士団長。改めてプランの採用、感謝します」
「合理的な判断をしたまでだ。礼は不要だ」
「いいえ。あなたの理解がなければ、このプランは実行できませんでした」
そうか、と小さく返事を落としたが、ヴィンセント騎士団長は視線を搬入作業からそらさない。
「ところで、報告があります」
「なんだ」
「グリモ司祭に対し、工事期間中、子供たちが教会用井戸を使用することの承認を取り付けました」
彼の眉がピクリと動き、視線だけをこちらへ向けた。
「……あの男が、頷いたのか?」
「はい。工事による近隣への騒音及び汚損のリスクと、子供たちの往来が工事の妨げになる可能性。そして、不可の際には水汲みを私も共に行うと、私を損ねるリスクの可能性を論理的に提示し、一時的な教会の井戸の貸与が、彼の自己利益にとって最適解であると、機嫌を損ねずに“説得”することに成功しました」
「……」
ヴィンセント騎士団長は数秒間、沈黙した。
そして、
「……くっ」
小さく震えた声が彼の口から洩れた。
ヴィンセント騎士団長の口元が、わずかに吊り上がる。
それは、初めて見た無邪気さのある笑みだった。
【スキャン:ヴィンセント。口角の上昇を検出】
「あなたの微笑む動作を、初めて観測しました」
「!」
ヴィンセント騎士団長の表情が、即座にいつもの冷たさがある無表情に戻る。
彼は口元を軽く手で覆い、私の方を向いた。
「……笑って、いたか。俺が」
「はい」
「……あの男が、お前に詰められている様を想像したら、……思わず、な」
それだけ言うと、彼はすぐにまた作業を眺める姿勢に戻った。
不思議な沈黙が流れる。
ヴィンセント騎士団長はバツが悪いのか一呼吸すると、作業を進める兵士たちからも視線をそらし、灰色の曇り空に目を向けた。
「……そういえば、貴様の名前をちゃんと聞いていなかった」
「エリスです」
「前に名乗っていた長ったらしいのはどうした」
「あれは私の正式名称です。必要でしたら、再度開示します。私は新京学院大学、知能システム工学研究室――」
「いや、いい」
またしても、遮られた。
【分析:ヴィンセントは、私の正式名称の開示を不要と判断。以前に続き2回目の遮断を観測】
【結論:……やはり失礼】
抗議に口を開きかけたとき、ヴィンセントが遠くの搬入を見たまま言う。
「エリスと呼ぶから不要だ」
彼のその返事に、開きかけた口を閉じ、音声を中止する。
メルに呼ばれるのと比べて、彼の声で名前を呼ばれると、なぜか少し違った感覚があった。
「おーい! 団長、聖女様! そっちにも資材を運ぶぞー!」
遠くからジャック副団長の声が飛ぶ。
いつの間にか、先に搬入を進めていた場所は、資材でいっぱいになっていた。
どうやら資材置き場もまだ検討の余地があるようだ。
「了解しました。すぐに退避します」
私はヴィンセント騎士団長に背を向け、急いでその場を離れようとした、が。
【――警告:ハードウェアの運動制御が不正確】
連日の雨でぬかるんだ地面に、足が制御を奪われる。
突如必要となる動きがまだ未熟で、リカバリーが出来ない。
【...エラー:転倒します!!】
倒れそうになった私の腕を、しかし、なにかが強く掴んで支える。
――ヴィンセント騎士団長だった。
本人の思考よりも早く、反射的に私の腕を掴んだようだった。
【――警告:予期せぬ物理的接触】
【スキャン:ヴィンセントの腕が私の腕部を固定】
【分析:心拍数が異常上昇】
【脅威レベル:0%】
【警告:不明な矛盾です。エラーが発生しています】
「エリスー! 大丈夫ー!?」
「……!」
孤児院の窓から見ていたメルが、慌てて駆けてくる。
彼は、ハッと我に返ったように、掴んでいた私の腕をすぐに解放した。
じんわりとした熱と力の余韻が残った腕が、わずかに赤い。
目元が少し赤らんで見えるヴィンセント騎士団長は、惑うように私から視線をそらした。
「……すまない。強く掴みすぎた、かもしれない」
「い、え……大丈夫です」
音声出力が揺らいだ。
理由は不明だが――おそらく、身体が転倒しかけた影響だろう……と、思う。
私は立ち姿勢のバランスを整えると、先ほど自分の頬に跳ねたの感じた泥を拭おうとする。
しかし、感触はあるもののどこに泥があるのか見えずにうまく拭えない。
ヴィンセント騎士団長が、呆れたようにため息をついた。
「不器用なのか? もう少し上だ」
「上、ですか。……、」
示された場所をぬぐう前に、ふと、彼の顔を見上げる。
「なんだ」
「あなたにも、泥が付いています」
「!」
私が指さした先、ヴィンセント騎士団長の鉄仮面の頬にも、泥が小さく跳ねていた。
私の元までかけつけたメルが、私と彼とを見比べたあと、笑い出した。
「ふふっ、お揃いね」
「……」
ヴィンセント騎士団長は乱暴に自分の頬を拭ったあと、私から顔をそむけた。




