第5話 家族の再会
かつて砂漠に呑み込まれ、消滅の危機に瀕していたメルマルク侯爵領は、いまや黄金色の麦畑と瑞々しい果樹園が風に揺れる豊穣の大地へと姿を変えていた。
侯爵邸を中心に、研究施設と商会の建物が整然と並び、その外側には城下町が寄り添うように広がっている。領地の外周は白い石造りの塀でぐるりと囲われ、さらに外には肥沃な農地と緑深い森が連なる。
賢者メルマルクとその仲間たちが切り拓いたこの一帯は、〝幸せの大地〟と呼ばれている。
新聖女誕生に沸く聖地を早々に離れ、アリアは故郷へ戻ってきていた。
転送魔法陣の施設を出て侯爵邸へ足を踏み入れると、使用人たちが一斉に頭を下げる。
「お帰りなさいませ、アリア様!」
その声に迎えられ、アリアは少し照れながらも一人ひとりに笑みを返した。
自室に入るや否や、着替える間もなくベッドに身を投げ出し、深く息を吐く。
(王様や法皇様に見つからずに帰って来られてよかった……
捕まれば、私のこれからにいちいち口を挟まれるに決まっている)
思い返すだけで、聖女時代にストレスで痛めた胃がきゅっと軋む。
――そして、胸の奥でひそかに誓った。
「私の行き先なら、もう決まっている。」
枕元のテーブルに置かれた、赤いリボンの麦わら帽子を手に取り、胸に抱きしめた彼女は、強い決意に瞳を輝かせた。
そんな中、ドアがノックされ、メイドが侯爵の帰宅を告げる。
孤児であるアリアは、生まれてすぐに修道院に保護され、五歳の時にメルマルク侯爵家に引き取られて養女となっていた。
アリアは侯爵の待つリビングへと向かう。
そこには父と母、長男ハヤト夫妻とその娘シャーロット、三男サイゾウが揃っていた。
「お父様、お母様。ただいま戻りました」
深く頭を下げるアリアの手を、侯爵が温かく包む。
「お帰り、アリア。五年間……本当によく頑張ったね」
夫人も涙ぐみながらアリアを抱き寄せる。
「お疲れさま。無事に帰ってきてくれて本当に嬉しいわ」
家族全員が「おかえり」と声をかけると、部屋の隅で積み木を遊んでいたシャーロットが、ぱっとこちらを向き手を伸ばす。
「アーたん! アーたん!」
「ああっ、シャーちゃん……私の天使がいた!」
アリアは駆け寄って抱き上げ、頬ずりしながら思わず笑みをこぼす。
「アーたん、怪獣やって!」
「任せて!」
シャーロットを片腕で抱き、怪獣の真似をして「がおーっ!」と積み木を崩す。
彼女を真似て「がおーっ!」と言った後に、 「きゃっきゃっ!」と大喜びする姪っ子、アリアの顔は至福に満ちていた。
「やっぱりシャーちゃんは天使だわ」
久々に姪っ子のエキスを吸収して癒されるアリアに、
「シャーちゃんは天使なの?」と不思議な顔をする姪っ子。
「そうだよ、シャーちゃんは天使なんだよ」
「ほら、その証拠に羽があるじゃない」
アリアが祝福の力で背に光の羽をつくると、シャーロットはふわりと浮き上がり、また歓声を上げる。
その様子を見たハヤトが、慌てて声を上げた。
「アリア、祝福の力を遊びに使うな。それに……“シャーちゃん”と呼ぶと名前を間違えて覚えるだろう」
しかし妻ソフィアが、さらりと言い返す。
「まあ、私もシャーちゃんって呼んでますけど?
あなたが知らないのは、忙しいといって夕食にも来ず、娘の寝顔しか見ていないからですよ?」
「……母上、何か言ってください」
助けを求めるハヤトに、夫人はにっこり笑う。
「私もシャーちゃんと呼んでるわよ?
あなたも小さい頃、自分を“ハヤちゃん”って呼んでいたじゃない。ね、ハヤちゃん?」
「この年でその呼び名はやめてください……」
家族が一気に笑いに包まれる。
久々に訪れた温かな団欒だった。
メイド長のエヴァが夕食の準備を知らせ、皆でダイニングへ移った。
ロースト肉、彩り豊かなサラダ、新鮮な魚のカルパッチョ――。
アリアの好物を知り尽くした料理長自慢の料理が、テーブルいっぱいに並んでいた。
みんな和気あいあいに席に着こうとした、その時。
食卓の中央に置かれた異様な物体に気付いて、
そのまま後ずさりして、食卓から離れた。
ハヤトの顔が青ざめた。
「父上、家族に魔物を食べさせるつもりですか!!」
大きな頭から何本もの足が生え、手ははさみの形をしているその食材は、
誰が見ても魔物にしか見えなかった。
「まあまて、これは蟹という魚介で、魔物じゃない。」
「今日の祝いのために、地球から運ばせた食材だ。」
予想通りの反応に侯爵は笑っている。
「えっ!私のためにですか?」
恐る恐るアリアは触ってみた。
「硬い!!こんな硬いものどうやって食べるのですか?」
「そこを食べるわけじゃない。」
「私が先に食べるから、よく見ておきなさい。」
侯爵が一本の足を取ると、足の裏側の殻が一部剥がされており、そこに竹べらのようなものを差し込んで、そこから器用に中の身をほじくり出した。
そして、その身を酢につけて口に運ぶ。
侯爵は何も言わず、しばらく口を動かした後、飲み込んで「ふーっ」と息を吐いた。
「旨いからとにかく食べてみなさい。」
こういう時の損な役回りは、サイゾウに回ってくる。
行きなさいよという家族の目に押されて、毒見役を買って出た。
サイゾウは侯爵を器用に真似、て足から身を取り出し、
恐る恐る口にいれた。
――思った以上に薄味だな、浸した酢の方が味を強く感じる。
サイゾウは無表情のままモグモグと口を動かした。
すると、口の中に広がる甘酸っぱい味の奥から、初めて経験する味が洪水のように押し寄せた。
「こ、これは何だ!」
「旨い!!」
サイゾウはすぐに二本目の足を手に取った。
身をほじくる手が止まらない。
それを見ていたアリアはゴクンと生唾を飲み込み、料理に手を伸ばした。
至福の味が口いっぱいに広がる。
「美味しい」
「美味し過ぎるわ!!」
「お母様もお義理姉様も食べてみてください」
アリアは横で心配そうに見ていた二人にも進める。
「本当に食べて大丈夫なの?」
「後でお腹が痛くならないかしら」
見た目のインパクトの凄さに信用しきれないようだ。
「もし、体に異常があっても、ここには腕のいい治療術師がいますから」
「確かにそうね、この国最高の治療術師が二人もいるものね」
夫人とソフィアは神妙な面持ちで蟹の足から身を取り出した。
「本当に何かあったら大問題ですがね!」
ハヤトも観念したように蟹の身を口に入れる。
――そして、家族の食卓は静寂に包まれた。
みんな蟹の身をかき出すのに夢中だ!
久々に家族で囲んだ食卓で、誰一人、話すものはなく。
会話は途切れたままとなった。
予想以上の反応だが、祝いの席で出す料理ではなかったな。
静まり返ったダイニングで、侯爵は苦笑いした。
「あっ、それは私が取っておいたのよ」
「お前の方が二本多めに食べてるだろ」
最後の一本がサイゾウとアリアの取り合いになる。
「食べた足の数を数えているなんて、卑し過ぎるわ」
「これは私のお祝いの料理でしょ」
アリアは素早く最後の一本を取って、そのまま食べ始めた。
「しょうがないから譲ってやるよ!」
捨て台詞のように言い放ったサイゾウの目は、もう別の料理に向けられていた。
少し離れた場所に置かれた、鮪の刺身に手を伸ばすと、数枚まとめて箸で器用に取った。
「やっぱり、これだよな」サイゾウは満足げに刺身と穀物酒を交互に口に運んだ。
「サイゾウ兄さん、向こうに持っていく荷物のことで相談があるの。食後、少し時間ある?」
「構わないけど……ソウジ兄さんに相談した方が早くないか?」
「前に相談したら、忙しいからって邪険にされたのよ」
アリアは頬をぷくっと膨らませた。
次男ソウジだけはこの場にいない。
アリアがこれから向かう異世界の地球へは、ルクレシア教の者だけでなく、貿易や研究を行う者も多く移住している。
ソウジも移住者として、数年前に向こうに渡っている。
そして、今は向こうの責任者として、
アリア達移民団の、受け入れ準備に追われて奔走していた。
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