神隠し
祠の底
私の意識は、薄暗い祠の片隅にあった。正確には、私を埋めた土の下だ。ひんやりとした感触と、わずかに香るカビの匂いが私を包み込んでいた。数時間か、いや、数日か。時間の感覚が曖昧になった頃、土の上の音が聞こえ始めた。
コツン、コツン。
木を叩くような鈍い音。それは祠の扉が閉まる音だった。そして、ケンジとカオリの声が聞こえてきた。
「ケン兄、本当に、見つからないよね…?」
カオリの声は、今にも消え入りそうに震えていた。彼女にとって、ケンジが安全でいられることだけが唯一の願いだった。
「大丈夫だ、誰も入ってこない。絶対に…」
ケンジの声も、普段の快活さを失い、弱々しい。
「ケンジとカオリの心配はしなくてもいいよ」
突然、見知らぬ男の子の声が響いた。どうして?こんなに心配しているのに…私は心の中で問い返した。彼らのことをどれほど大切に思っているか、なぜ分かってくれないのだろう。
「だって、僕たちと同じだから」
「僕たちと同じって、どういうこと?」
「僕たちも、ここへ来た時は、そうやって誰かの心配をしてたんだ。でも、もう心配しなくてもいいんだよ。僕たちは、ここへ来たから」
その声は優しく、しかしどこか諦めたような響きがあった。
私は、ここがただの祠ではないことに気づいた。この場所は、私のようにこの村で消えていった男の子たちの意識が集まる場所だった。彼らは私の周りにいて、私の語り部となり、感情に寄り添ってくれていた。
私の土の下には、私よりも古くからこの祠にいる「仲間」の存在を感じた。そして、すぐ隣には、つい最近掘られたばかりの新しい盛り土があった。そこからも、まだ幼い男の子の声がかすかに聞こえる気がした。
悲劇の始まり
あの日、私たち三人は裏山で遊んでいた。ケンジが私の秘密の宝物を見つけ、カオリにばらしたことで、些細な喧嘩になった。秘密の宝物とは、何日もかけてこっそり描き続けたケンジの似顔絵。私もカオリもケンジが好きだったから、宝物がバレることは、つまり私の気持ちがバレること。そして、カオリもまた同じ気持ちであることをケンジに知られてしまうことだった。
私は怒り、ケンジに掴みかかった。ケンジはカオリをかばうように前に出る。その瞬間、カオリはケンジを守るために、必死な顔で私を突き飛ばした。その行動の裏には、ケンジへの独占欲と、私への嫉妬が渦巻いていた。私にケンジの気持ちが向いてしまうかもしれないという恐怖が、彼女を突き動かしたのだ。
私は勢いよく、そこにあった石に頭を打ちつけ、倒れた。カオリは泣き崩れた。私を殺してしまった、そう思ったのだろう。
でも、私は二人を恨んでいない。私の死は、カオリが私を突き飛ばしたことが原因ではなく、ただの不運な事故だった。私は二人を悲しませたくなかった。むしろ、私を埋めてくれた二人を、必死に守りたかった。
私が動かなくなったのを見て、ケンジとカオリはパニックに陥っていた。ただひたすらに、恐怖に震えるばかりだった。
「カオリ、どうしよう…どうしよう…!」
ケンジは泣きながら、私の体を必死に揺する。
「嘘でしょ…嘘だって言ってよ、ユキ…!」
カオリもまた、私にすがりついて泣き叫んだ。このままでは自分たちが殺したとばれてしまう。そんな恐怖が二人の心を締め付けていた。
(ユキの心の声)
「嘘じゃない。私、死んじゃったよ。でも、大丈夫だよ、カオリ。ケンジ。二人を恨んでないから。だから、もう泣かないで…」
その時、近くの民家から、かすかにラジオの音が聞こえてきた。村の静寂を破るように、淡々とニュースを読み上げている。
「……隣町の○○(隣町名)でも、昨日、少年が行方不明になりました。これでこの数か月で、行方不明になった少年は3人目となります。警察は神隠しの可能性も視野に入れ、捜査を……」
ケンジとカオリは、ラジオの音に耳を澄ませた。そのニュースは、自分たちがしたことを隠すための、唯一の道筋を示しているように感じられた。
「…そうだ…これだ…」
ケンジは震えながらも、何かを思いついたかのように私の体をじっと見つめる。
「…ユキは…ユキは神隠しにあったってことにすれば…」
彼は震えるカオリを力強く抱きしめ、囁いた。
「大丈夫だ、僕が守ってあげる。ユキは…ユキは神様に捧げられたんだ…そうすれば、僕たちは村にいられる…」
二人にとって、私の死は自分たちを守るための唯一の手段となった。
裏山の異変
私を裏山の祠まで運ぶ間、ケンジとカオリは何度も後ろを振り返った。誰かに見られていないか。村人に見つかってしまうのではないか。そんな怯えが二人を包み込んでいた。
祠に着くと、ケンジが「ここにスコップがあるから、これを使おう」と言った。なぜかその柄には、まだ新しい土がついていた。
土を掘ろうとしたちょうどその時、近所に住む美人のお姉さんが、愛犬を連れて裏山へ入ってきた。足取りは軽く、犬の少し後ろを歩いている。なぜか彼女の服は汚れ、額や首筋には妙な汗が滲んでいた。
「ケンジくん、カオリちゃん、おーい!」
お姉さんは声をかけながら、祠に向かって歩いてきた。その傍らの犬は、二人の姿を認識した途端、やたらと吠え始めた。**二人は心臓が止まるかと思った。**まさか、こんな場所でお姉さんに会うなんて。犬も気づいてしまっているのか。
彼女の目が、地面に置かれたスコップと、毛布に包まれた何かを交互に見ているのを、私は感じた。
「…あら?その毛布、見慣れないわね…」
お姉さんはゆっくりと近づき、二人が持つ毛布をじっと見つめた。二人は恐怖に全身を硬直させ、カタカタと震える。
私の意識は毛布の中にあった。ひんやりとした毛布越しに、お姉さんの足が近づいてくるのがわかる。あと少しで、私の体が誰かに見つかってしまう。二人の秘密が、すべて白日のもとに晒されてしまう。
お姉さんは、地面に置かれた毛布に近づき、躊躇なくそれをめくった。そこに現れたのは、古びた藁人形だった。着古した子供服を着せられ、顔らしき部分には歪んだ線が描かれている。
「…っ!?」
毛布の中にあったはずの私の死体が、いつの間にか藁人形にすり替わっていた。カオリは、その信じられない光景に、恐怖と混乱で震えが止まらなかった。
「あらあら、こんなところに、かわいそうな子のお人形が落ちているわ。もうすぐお祭りだからかしら」
お姉さんは人形を拾い上げ、私たちに話しかけた。
「昔、この祠では雨乞いのため、村の男の子を生贄にしていたんですって。これは、その代わりの藁人形らしいの。なんだか、可哀そうね」
お姉さんは、まるでそれが本物の子供であるかのように、優しく人形を抱きしめた。ケンジとカオリは、安堵の息を漏らした。震える声で何も言えない二人の代わりに、お姉さんが言葉を紡いでくれた。
「…ふふ、気を付けて帰りなさいね」
そう言い残して、お姉さんは人形を置き、ゆっくりと去っていった。私は、お姉さんの底知れない微笑みに、言いようのない不気味さを感じた。彼女は最初から何もかもを疑っていたのではないか?
お姉さんの姿が見えなくなると、ケンジはカオリの肩を抱き、震える声で言った。
「カオリ…僕たち、お姉さんにここに来たのを見られてたんだ。人形を置いておいて、本当に助かった。あのお姉さん、よくこの祠に来てるって聞いたから…。」
深まる闇と謎の男
私が姿を消してから1週間。村中が騒然としていた。地元の住人たちが手に懐中電灯を持ち、裏山を捜索している。ケンジもカオリも口を噤んでいた。近隣の集落からの噂が、不穏な影を落とし始めていた。
お姉さんは、数ヶ月前に越してきたばかりだったが、ケンジとカオリの両親は共働きのため、お姉さんはよく家に遊びに来てくれた。カオリが熱を出した時は、母親が仕事でいなくても、お姉さんがそばにいて、冷たいタオルで額を冷やしてくれたり、絵本を読んでくれたりした。まるで、二人にとって、もう一人の家族のような存在だった。だが、彼女が二人を愛でる仕草には、どこか人形を抱きしめるような、感情のない熱がこもっているのを、私は感じていた。
この一週間、お姉さんはいつも以上にケンジに声をかけてきた。帰り道、学校の門の前、そして家の前。まるで、ケンジの行動を全て把握しているかのように。
「ケンジ君、どこに行くの?」
「…っ、あ、お姉さん…」
「ふふ、いつもカオリちゃんと一緒なのに、今日は一人ね」
そう言うお姉さんの声は、まるでケンジだけに聞こえるように囁かれていた。ケンジは、彼女の指先が触れた頬に、冷たい感触が残るのを感じたが、なぜかそれを拒むことはできなかった。その表情は、どこか浮かないものの、どこか受け入れているようにも見えた。
その日の帰り道、ケンジが一人で歩いていると、背後から声がかけられた。
「やあ、お兄ちゃん。少しお時間いただいても?」
振り返ると、そこに立っていたのは見慣れない男だった。男はくたびれたスーツを着て、無精髭を生やしている。手には、使い古されたメモ帳とペンを持っていた。
「…はい、なんですか?」
ケンジが警戒しながら答えると、男はにこりと笑った。
「すまないね。私は隣町から来た者だ。この辺りで、行方不明になった子供のことを調べているんだが…君の友達、見かけなかったかい?髪が長くて、背の高い子だよ。このメモによると、その子を最後に見たのが裏山だったという情報があるんだ。」
ケンジの心臓は、喉まで飛び出しそうになった。裏山で…その言葉が頭の中で何度も反響する。秘密が、もうバレているのではないか。誰かが見ていたのか。その瞬間の恐怖は、誰にも理解できないものだった。
「…い、いえ…」
ケンジが震えながら答えると、男はさらに顔を近づけてきた。
「そうか…最近、この辺りでは神隠しが流行っているからね…」
男は、メモ帳に何かを書き込みながら続けた。
「私はこの村出身なんだ。昔はこの村には、男の子を生贄にするなんてこともあったみたいだが、今はもうそんなことは決して無い。だが、どうも少し前から、何者かが模倣してやってるとしか思えない。利用しているんだよ、その、神隠しという言葉をね。」
男はそう言ってニヤリと笑うと、名刺のようなものをケンジに手渡そうとした。しかし、ケンジは恐怖に体が動かず、それを受け取ることができなかった。男は小さくため息をつくと、名刺をポケットにしまい、闇の中に消えていった。ケンジは、その男の存在に、言いようのない恐怖を感じた。
祭りの夜と祠の真実
そして、お祭りの日が来た。
朝、お姉さんが我が家にやってきた。母さんが玄関から出てきて、にこやかに言った。
「あら、お姉さん、おはよう。今日はうちのケンジとカオリをよろしくね。二人とも、お祭りを楽しみにしているから」
「はい、お任せください。ケンジ君もカオリちゃんも、私にとっては大切な子ですから」
お姉さんは、母さんに満面の笑みを返した。その言葉は、まるで何かの儀式のように、甘く、いやらしく聞こえた。お姉さんは、ケンジの頬にそっと触れると、くすりと笑った。
空はどんよりと曇り、今にも雨が降り出しそうだった。祭りの会場は、雨乞いの儀式を前に、異様な熱気に包まれていた。笛の音と太鼓の響きが、空気を重く震わせる。
お祭り会場の賑わいの中、ケンジはカオリとお姉さんと一緒に金魚すくいの屋台の前にいた。ケンジは、時折、周囲を警戒するように見回していた。さっきから、あの男が自分のことを見張っているような気がしてならなかったからだ。人混みに紛れようとしても、男の視線を感じ、背筋が凍るような思いだった。
その時、お姉さんが二人に近づいてきた。
「ケンジ君、カオリちゃん、二人とも楽しんでる?」
カオリは答えられず、ケンジも黙ったままだ。お姉さんは、そんな二人の様子を気にすることもなく、にこやかに話し続けた。
「お姉さん、あの男がやたら僕を見てて怖いよ」
お姉さんは、男の視線がケンジの方に向けられていることに気づくと、機転を利かせた。
「あらま、ねえ、カオリちゃん、あそこのりんご飴、美味しそうじゃない?買ってきなさいよ」
お姉さんはそう言って、カオリの背中を優しく押した。カオリは、人混みの中、りんご飴の屋台に向かって歩き出した。男の視線も、カオリのほうに引き寄せられ、彼女の小さな背中を追っていた。その隙に、ケンジは人混みに紛れ、男の視界から姿を消した。ケンジはホッと安堵の息を漏らした。
お姉さんは、カオリが人混みの中へ消えていくのを確認すると、ケンジの耳元で囁いた。
「ねぇ、ケンジ君。ちょっとお話しない? 裏山の祠で…」
その言葉に、ケンジの顔から血の気が引いた。ケンジは、何かを言おうと口を開きかけたが、言葉は出てこない。ただ、お姉さんの誘いに逆らえず、裏山へ向かって歩き出した。
カオリは、りんご飴の屋台に着き、周りを見回した。ケンジとお姉さんの姿がない。その時、後ろから声をかけられた。
「やあ、お嬢ちゃん。男の子を見かけなかったかい?」
カオリは、震える声で答えた。
「…あ、はい…りんご飴を買いに行って…」
「そうか。まずいことになった」
男はそう言うと、カオリの顔をじっと見つめた。カオリは、男の視線に恐怖を感じ、顔を伏せた。
「私は警察だ。あの男の子はどこへ行った?」
カオリは、男の言葉に息をのんだ。どうしよう…恐怖で体が動かない。その時、空がゴロゴロと鳴り、大粒の雨が降り始めた。 祭りの人々が慌てて傘を広げ、屋台の下へ避難を始める。人々の波が急に乱れ、男の視界を遮った。カオリは、その一瞬の隙を見逃さなかった。彼女は、雨に打たれながら、一目散に走り出した。
祠の真実
夜、祠の扉が開く音がした。
「ケンジ君、こっちだよ」
「お、お姉さん、何してるんですか?」
お姉さんの声が、甘く、冷たく響く。ケンジは混乱していた。お姉さんはゆっくりとケンジに近づくと、その小さな体を抱きしめ、額に優しくキスをした。
「大丈夫だよ、ケンジ君…この祠は、誰にも見つからない。この祠の中には、私とケンジ君、二人だけの、秘密の場所なんだから…」
お姉さんの声が、狂気に満ちている。私は、全身の血の気が引いていくのを感じた。お姉さんは、ケンジをこの祠に閉じ込めようとしていた。彼が、彼女にとって**「特別な子」**として、永遠に自分のそばにいるように。
その時、祠の扉が、勢いよく開いた。
「ケン兄!やめて、お姉さん!」
「カオリ!?」
カオリの声だ。カオリは二人の後をつけてきていたのだ。
「ああ、カオリちゃん…邪魔しないで…!」
お姉さんが、カオリに飛びかかる。カオリは必死に抵抗するが、大人の力に適うことなく、次第にダラリと脱力し始めた。
「神様、ケンジとカオリを助けてあげて」
私が強く願ったその時だった。カオリが、私を埋めた土を蹴飛ばした。土が崩れ、私の顔が外に出る。
お姉さんは、私の顔を見て、目を見開いた。
「…な、なんだ、これは…?」
カオリが、私の死体を指差した。
「お姉さんが、殺したんだ!この子を、お姉さんが…!」
「ち、違う!私は、こんな…!」
お姉さんの声が震えている。
「お姉さん…この子、お姉さんが殺したんですよね?」
「ち、違う!私は、女の子なんて…!」
お姉さんは、パニックになっていた。私を殺したのが、ケンジとカオリだと、誰にも知られたくなかった。だが、その秘密が、今、お姉さんを救った。
お姉さんは、ケンジとカオリを殺そうとしていた。だが、私の死体が見つかったことで、二人を殺すことができなくなった。
「…わかったわ。わかったから…」
お姉さんは、私の死体を指差し、震える声で言った。
「私は、この子を殺していない。この子を殺したのは、お前たちだ…そうだろう?」
「…はい…」
「…はい…」
ケンジとカオリは頷いた。
「この子を殺したことを、誰にも言わない。もし、言ったら…」
お姉さんの声が、冷たく、そして、優しく、響く。
「…そうね。もし、言ったら…今度は、私が、この子の**『かくれんぼ』**の相手になってあげる。そうしたら、二人だけの、永遠の秘密になるからね…」
ケンジとカオリは顔を見合わせた。
「…ありがとう、お姉さん」
「…ありがとう…」
二人は、お姉さんに頭を下げた。
その時、祠の入り口に、あの男が近づいてきた。懐中電灯の光が、三人の影を映し出す。しかし、男は祠の中には入らず、外で立ち止まった。
彼は、この場所のトラウマを抱えていた。男はかつて、この村で生贄にされかけた子供だったのだ。彼の目に映るのは、闇だけではない。それは、彼の幼い頃の記憶に深く刻まれた、血の儀式の幻影だった。一歩も動けない。過去の自分が、そこにうずくまっている。
この場所は、悲劇を終わらせる場所ではなかった。
「…この祠が、あの女の縄張りか…」
私の意識は、再び土の中に戻っていく。私は、二人が、もう一度、笑い合えることを願った。私は、二人が、もう一度、幸せになれることを願った。私は、二人が、私を忘れて、生きていくことを願った。
私の死体は、今日も、祠の中で、二人の秘密を守っている。私の死体は、二人の、幸せな未来を、願っている。そして、いつかこの場所で、彼らと「新しい仲間」と、再会できることを願って。