第4話ー2 人魚の夢、アミマド家の秘密
9/4 加筆修正
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編集ミスで最後の2000文字ほど抜けておりました。
今後このようなことがないよう見直し等気を付けます。
二人は7番通りから中央広場へ向かったあと、17番通りへ向かった。
17番通りは攻略者向けの宿屋が立ち並ぶ通りだ。昨日も来たが、どの宿も満室だった。門の塔へ入るまでの期間ずっとアミマド屋のご厚意に甘えるわけにもいかず――ミエさんたちは泊まっていいとは言ってくれるが――今日こそは空き部屋を見つけるぞという思いでコウは肩に力が入る。
だが、昨日どの宿でも言われたがやはり2か月、3か月先まで予約が埋まっていた。キャンセルさえあれば……と思っていたが、その願いは虚しくも砕かれた。
「ママも泊まればいいって言ってくれてるんだし、うちに泊まればいいよ」
ミキはそう励ましてくれるが、攻略者らしくありたいというコウの思いはミキにはわからないだろう、とコウは思った。
トボトボと牛歩のような足取りで18番通りへ戻り、アミマド屋へと帰って来た。
宿はいっぱいで空きが見つからなかった、とミエさんに相談すると、やっぱりうちに泊まっていきな、と言われ、改めてコウはアミマド屋でお世話になることになった。宿代や食事代を少し払わせてほしいと申告すると、攻略者向け宿の3分の1ほどの値段を掲示された。コウは、もっと払いたい、と申し出たが、その分いい道具を買って門の塔から無事戻ってきなさい、と一蹴されてしまったのだった。
ミエさんの気持ちを確と受け止めたコウは、二階の借りている部屋へ戻り、次の段取りへ移った。
門の塔へ入るまでの宿は――予定とは少し違ったが――なんとか確保できた。その次に攻略者がやることと言えば、”七日間講義”の受講先を探すことだ。
”七日間講義”とは、門の塔へ入る攻略者が必ず受けなければならない講義のことだ。丸七日間、門の塔へ入るための知識や、魔法などを学ぶ。テルパーノにある4つの魔法学校で受講できるのだが、いい学校で受講すると受講内容もしっかりとしているのだが、その分値段が跳ね上がる。かといって、あまりいいとは言えない学校の講義は値段は抑えられるが、それはそれは内容が適当で攻略の役に立たない、とバーオボの国立図書館に置いてあった雑誌のとある攻略者のインタビューにそう書かれていた。
コウは、宿代がすごく安くついたこと、できればしっかりと講義を受けたいと思っているので、値段は張るが、いい学校で受講したいと考えている。そうすると、聖地テルパーノの北側にある要人や貴族の子供が通うという”聖ウルロー学院”か、エクパーナの少し外れにある秀才だけが入学できると言われている”レウテーニャ魔法大学校”に絞られる。
ここでコウはふとある人物のことを思い出す。
(ミキって確か魔法学校の学生だよな。どこの学校なんだろう?)
そう思っていたとき、部屋のドアからノック音が4回鳴った。
「コウ、いるー?」ミキはそう言ってドアを開け、
「そろそろお姉ちゃんの店に行く時間だから支度してって、ママが」
もうそんな時間か! と部屋の窓を見ると、陽光は白っぽい黄色に変わっていた。夕刻が近い証拠だ。
「うん! わかった! ――そ、それとさ、ミキに聞きたいことがあるんだけど」
「どうしたの?」ミキは部屋へ入るや、ドアを閉めた。
「その、ミキってどこの学校に行ってるのかなって」
「レウテーニャ魔法大学校だよ?」
ミキは、当たり前でしょ、と言わんばかりに答える。
「レウテーニャ!? あのレウテーニャ!?」
コウは驚きのあまり二度もその名を口にした。
「そんなの驚くこと?」
「驚くもなにも、レウテーニャ魔法大学校ってとても頭が良いって有名な学校じゃないか!」
「そうなの? 近くの学校ってだけで選んだから……」
ミキのその言葉に、これが本当に頭のいい人の意見なのか、とコウは感心する。
「それで、聞きたいことってそれだけ?」
「あ、うん。その……”七日間講義”をどこで受けようか悩んでて、ミキの通ってる学校はやってるかって聞いてみようと思ってたんだ」
コウは、ミキが”あのレウテーニャ魔法大学校”に通ってると聞き、驚愕のあまり肝心なことを聞き忘れそうになるところだった。そうだ。本当の目的は”七日間講義”の受講先のことだ。
「七日間講義かあ……。私じゃわからないや」
「そうだよね……」
すると、「そろそろ支度なさい」とミエさんから声がかかり、七日間講義の話はまた帰ってきてからということになった。
戸締りをし、アミマド屋を後にした三人は、17番通りを抜け、16番通りへ入った。
あたりは徐々にオレンジ色から紫色に移り変わり始め、店の明かりが輝いているように見える。すると、16番通りの脇に立った一本の街灯に、ふわりと小さな光のような物が近づいていく。その小さな光のような物が街灯のガラスに触れると、街灯の中に小さな優しい光が灯った。他の街灯にも同様、順番に明かりが灯っていく。まるで金色の絵の具を挿したかのように。
「あの小さな光は何? 街灯の近くをふわふわ浮いてるの」
コウはミキに聞いた。
「あれはね、火灯し妖精だよ。夕方になると街灯を灯してくれるの」
魔法の世界には妖精がいるのか、とコウは少し驚きながらも、火灯し妖精が灯す明かりはとても優しくどこか魅力的に感じた。
16番通りには、仕事終わりらしい人々が各店の前に置かれたテーブルで立ち飲みをし、今日のストレスを酒で忘れてやろうと、高笑いとしたり、中には大泣きをしている者もいた。
16番通りを歩き続けて15分ほど。他の店よりもひと際人が多く集まっている店の前に着いたとき、ミキが「ここがお姉ちゃんの店だよ」と指刺した。その店の3階部分に大きなネオン灯の看板が取り付けられており、そこには”大衆酒場セイレーン”という文字と、大きな人魚の絵が描かれていた。
「大きな店……」
ミナさんはこんなにも大きな店で踊り子をしていて、しかもテルパーノでナンバー1なのだと言うのだから、本当にすごい踊り子なのだろうと、コウは店に入る前から感心してしまう。
「おや、ミエさんにミキちゃん!」
店先で呼び込みをしていた男性が、ミエさんとミキに声をかけた。
「久しぶりだね!――ミナが席を用意してくれてるみたいなんだけど……」
ミエさんがそう言うと、呼び込みをしていた男性はさっそく店内を案内してくれた。
大衆酒場セイレーンの中は、店奥の大きなステージを囲むようにしてたくさんの椅子やテーブルが並べられていた。それぞれのテーブルの上には南国を思わせるような色鮮やかな花が大きな花瓶に入って飾られており、より雰囲気を華やかにしていた。
店奥の大きなステージには、オレンジが鮮やかな幕がかかっており、店内の雰囲気をより強く引き立てていた。中からは少しガタンだのと音が聞こえる。スタッフが何か準備をしていることはすぐにわかった。
「ここが予約席だよ」
店内を案内してくれた男性にそう言われた席は、メインステージの目の前、そしてど真ん中という、いかにもステージを見るための席だった。今日のステージを絶対に見逃させないわよ、というミナさんの意思が伝わってくる。
ミエさんもミキも、ミナさんの思惑にさっそく気づいたのか呆れたような仕草や表情をしていたが、すぐに席に座った。コウとミキは隣同士、ミエさんはコウの目の前。ミキは被っていたつばの広い真っ黒なトンガリ帽子を脱ぎ、ローブの懐から杖を取り出して、杖で帽子を軽く叩くと、ミキの帽子はスッと消えてしまった。
「すごい! 今のも魔法?」
コウは思わず聞いてしまった。
「うん。初歩的な魔法だよ」
ミキは少し照れながらそう答えた。
魔法は本当に不思議だ。コウが今こうしている間にも、飲み物がなみなみと注がれた大きな樽ジョッキがセイレーンの店内を飛び回り、今度は茹でた枝豆がたくさん乗った大きな皿がコウの目の前を通過していく。ふと天井を見上げると、暖色に輝く電球をつけたシャンデリアがふわふわと浮いており、オレンジから紫色のグラデーションに染められた布を金具に引っ掛けようとしているところだった。
コウはまるで生まれたばかりの赤子のような眼差しで全ての魔法を新鮮な気持ちで見る。バーオボでは見なかったおとぎ話だけの世界がここ聖地テルパーノには存在しているのだ。それも目の前に。6日前の自分に今の光景を話しても信じてはくれないだろうな、とコウは思った。
少しすると、給仕服に身を包んだ背の高い女性がコウたちのテーブルへ近づいてきた。
「あれ? ミエさんにミキちゃん! 久しぶりだね!」
その女性はそう言うと、ミエさんに石のような物でできた板のような物を手渡した。
頭に水牛のような角を生やしているが、耳は横に長く、肌は白いようで少し赤みがあるような……。コウが知っている”ドガール族”と”エルフィナ族”の特徴をそれぞれ持った若い女性だ。
「おや、イリニヤさんかい? 見ない間にまぁ……元気そうでよかったよ」
「ミエさんもね!――ところで、この子は?」
イリニヤと呼ばれた給仕の女性はコウに目をやり、ミエさんに聞いた。
「この子はコウくんって言うんだ。ちょっと事情があってうちに泊まることになってね。今日来たのはこの子の歓迎パーティってわけ!」
イリニヤさんはコウに近づき、その顔をまじまじと覗き込む。じーっとコウの目を見つめ数秒がたったとき、イリニヤさんは顔を上げ、ニコリとコウへ微笑んだ。
「そっか。コウくん。よろしくね。私はイリニヤ・サクサ」
イリニヤさんはそう言うと、コウの目の前へ右手を差し出した。
コウはその右手を掴み、「コウ・レオーニです」と自身の名前を伝え、握手した。
イリニヤさんは、「今日のミナちゃん、とっても気合い入ってるみたいだから、楽しんでね」と言い残し、厨房へ戻って行った。
「ねえ、ミキ。イリニヤさんってドガール族なの?」
コウは、イリニヤさんが遠くへ行ったのを見てミキにそう聞いた。
「イリニヤさん? ああ、ドガール族とエルフィナ族のハーフなんだって」
”ドガール族”。頭に水牛のような黒い角を生やし、くるりとした黒い巻き髪に小さな耳、赤褐色の肌をした種族だ。男性は背が2メートルを越え屈強な体つきになり、女性は男性ほど体格にはならないが平均身長180センチ以上超えている。魔法は使えないが、丸太一本程度なら両腕で粉砕できるほどの力を持っている。
”エルフィナ族”。男性も女性もしなやかで細く、真っ白な肌に美しいシルクのようなブロンドの髪に横に長い耳を持つ種族だ。ドガール族のようにパワーはないが凄まじい魔力を持っており、この世の魔法のほとんどはエルフィナ族が生み出したと言われている。
コウはミキからそう聞き、イリニヤさんの容姿に納得した。
ミエさんは、イリニヤさんから受け取った板のようなものを突然指ですいすいと撫で始めた。
「二人とも、飲み物はどうする?」
コウは、何故メニューも貰ってないのにそんなことを聞くのだろう? と疑問に思っていると、ミキがミエさんから板のようなものを受け取った。そして、コウはその板を見て仰天した。
「えっ。何これ?」
板には飲み物の一覧が浮き上がって見えるのだ。ミキが指ですいと板を下から上へ撫でると、ウーロン茶、オレンジジュース、アップルジュースなどが出てくる。
「これは”魔法石パッド”っていうの。色々使えるんだけど、セイレーンではメニュー表として使われてるみたい」
ミキは魔法石パッドをさわりながらそう言う。
そしてミキは、”オレンジジュース”と表示された場所を指でポンを押すと、魔法石パッドをコウのほうへ手渡してきた。
「コウも飲み物選んで」
ミキにそう言われ、コウは魔法石パッドを受け取る。思っていたより少し重い。
そして、ミキが触っていたように、板へそっと人差し指で触れ、下から上へと滑らせた。ウーロン茶、オレンジジュース、アップルジュース、炭酸水、ビール、ワイン、ウィスキー……様々な飲み物が浮かび上がってくる。魔法石パッドをずっと触っていたくなるほど夢中になりかけたが、コウはぐっと我慢し、”アップルジュース”と書かれた場所を指でそっと触れ、一つ注文した。
その後、魔法石パッドをミエさんへ渡し、ミエさんが料理を適当に選んでいくつか注文した。
コウたち以外にも客は増えていき、気が付けばほぼ満席となっていた。大衆酒場セイレーンはかなり流行っているのだなとコウは思ったが、その理由はすぐにわかった。
周囲の客の声へ耳を傾けると、皆口々に「ミナちゃんが」「今日はミナちゃんがセンターだ」とミナさんの話題ばかりが聞こえてくる。ほとんどの客はミナさん目当てで来ているらしかった。聖地テルパーノでナンバーワンの踊り子を一目見られるのだ。満員になるのも無理はない。コウは他の客たちからその雰囲気を感じ取った。
厨房から飲み物と料理が順番に飛んでやってきた。コウはアップルジュース、ミキはオレンジジュース、ミエさんは樽ジョッキに入ったビールだ。料理は、大盛りに盛られたから揚げの山に、三人それぞれへ海魚の塩焼き、大盛りの野菜サラダなどがやってきた。どれも作りたてでいい香りが漂っている。コウの腹の虫は料理を見るや胃袋で暴れはじめた。
三人が「乾杯!」とそれぞれの杯を鳴らし合い、食事を始めようとしたときだった。
あたりの照明が薄暗くなり、周囲の喧騒がすーっと静まり返った。
オレンジ色の幕が下ろされたメインステージに、一点のスポットライトを浴びた黒服の男性が浮かび上がるように出てきた。
「紳士淑女の皆様。そして、妖精、悪魔、様々な生物の皆様。本日はセイレーンへお越しいただき、誠にありがとうございます」
観客はここで拍手を鳴らした。
少し間を置いて、拍手が鳴りやむと、黒服の男性は再び口を開く。
「今夜のメインステージ、センターミューズは聖地テルパーノのナンバーワン! ミナでございます! 彼女のしなやかで優美な舞は、神々を魅了するほどの美しさ! では、今宵、人魚の夢に酔いしれて――」
黒服の男性がそう言って深く礼をすると、スポットライトの光は消え、ダダン! と打楽器の音が店内に響き渡った。その後、弦楽器の緩やかなメロディーに合わせるかのように、オレンジ色の幕がするりと取り払われ、メインステージの両脇に設置された松明にオレンジ色の炎がボッという音を立てて灯された。
メインステージの中央に一人、その後ろの左右に二人、三人の踊り子が顔を下げたポーズのまま姿を現す。
弦楽器の音がゆったりとメロディーを奏でると、三人の踊り子たちはそれに合わせて、手や足をゆっくりと動かす。まるで海を回遊する魚のようだ。
次の瞬間、打楽器の音が響き、弦楽器のメロディーが打って変わって激しさを増し、リズムが早くなる。その音に合わせて、店内の照明がぱっと明るくなり、メインステージでゆっくりとした動きを踊っていた三人の踊り子たちは一斉に顔を上げ、ステージのずっと前までせり出てきた。中央の一番装飾のついたオレンジ色と紫のグラデーションの布の衣装身に纏った踊り子は、ストレートの青い艶髪を揺らし、手足を音楽に合わせながらコウたちにアピールするかのように舞う。いつもより濃いメイクで一瞬気が付かなかったが、この踊り子がミナさんだ。
全身の筋肉をフルに使い、一寸の狂いも許さない。でもどこかしなやかで妖艶なその踊りは、水の中を泳ぐ人魚を想起させる。波の鼓のような打楽器に音に合わせ、手や足を伸ばしてはくるりと回して戻し、八重波のような弦楽器の音を打ち払うかのように髪を揺らめかせる。
コウは、周りの人が音楽に合わせて手拍子や合いの手を入れているのも気が付かないほど、ミナさんの踊りに釘付けとなった。
いつしか、ミナさんの後ろで踊っていた二人の踊り子たちはいなくなり、ミナさんただ一人だけとなった。ソロステージだ。一人の人魚が、まるで情熱の舞を荒れ狂う海の中で踊っているような、コウの目にはそう見えた。
次第に音楽はまたゆっくりとなり、踊り子のステージはクライマックスとなった。腰に携えていた短剣を片手に、優雅に舞う。コウはここが大衆酒場だということも忘れ、食事もとらず、ずっとステージを見ていたのだった。
コウとミキ、そしてミエさんは、大衆酒場セイレーンでのひと時を大いに楽しみ、つい今しがたアミマド屋へ帰宅した。
コウとミキの二人は、二階のコウの部屋へ入り、寝るまでの時間、セイレーンでの話をしていた。
「コウ、ずっとお姉ちゃんに夢中だったね」
ミキはニヤニヤを微笑みながらコウにそう言う。
「そ、そんなこと……あったかも……」
コウはトマトのように顔を真っ赤にしてそう答えた。
ミキの言う通り、腹の虫が胃袋の中で暴れ狂っているのも忘れて、夢中でミナさんのダンスを見ていた。あれは本当に夢でも見ていたんじゃないか……? とコウは現実だったことを疑うほどの衝撃だった。
ミキは、コウのそんな姿にケラケラと笑い、コウはまた顔を赤くする。
「ミキ、笑いすぎだよ」
「ごめん、ごめん」
ミキは、腹部を抑えながらなんとか笑うのをやめた。
「そうだ。ミキ、聞こうと思ってたんだけど……」
「ん? なに?」
コウは躊躇いながらも、ミキにあのことを聞こうと思った。
「あ、あのさ、その……昨日、そこの机の引き出しに入ってた物、見ちゃってさ」
コウはミキの顔色を窺いながら尋ねる。
「あ、ああ……私たちの写真だよね?」
ミキはそう言って部屋の机に近づき、二段目の引き出しに入ったあのアルバムを取り出した。
「ごめん。その……そういうのを探すつもりはなくて……」
「ううん。ここに入ってたんだからいつかは見られてただろうし、気にしないで」
ミキは優しく微笑みながらそう言って、アルバムをそっと開いた。
コウはアルバムをそっと覗く。
「この男の人、私のパパなんだ。私が7歳のときに海で死んじゃったの」
ミキは、写真の中の男性を指さしてそう言う。
「海で……」
コウは言葉を詰まらせる。
「うちの家族さ――昨日、アクドゥア王国に住んでたって話してたと思うけど、漁師町のミスカホっていう田舎に住んでてね。パパはそこで漁師してて、ママは海女さんだったの。でも、海神戦争? だっけ? あのときの大しけで一か月漁に出られなくて。食料はすぐに尽きちゃって、王国も支援してくれなくてね。そしたらパパが「このままじゃみんな飢え死にする!」って一人で漁に出ちゃったの。でも、そのまま帰って来なかったんだ」
コウはミキの話を聞いて、胸を締め付けられるような感覚になった。
”海神戦争”。イズルザス帝国が海の神ミルモルデ・シーに対して起こした戦争のことだ。結果はイズルザス帝国の惨敗に終わったのだが、海の神ミルモルデ・シーは怒りのあまり一か月もの間世界中の海を荒れ狂わせた。この戦争のせいで、海運はもちろん、漁業や観光業など様々な業種に影響が出た。
まさか、ミキが、そしてミキのお父さんが、あの戦争の影響を受けていただなんて思ってもおらず、コウは胸のあたりがより強く痛くなった。
「そうだったんだ……」
「うん。それでね、パパが死んじゃってからママが一人でなんとかしてたんだけど、海女の仕事だけじゃ家族全員食べられないからってテルパーノに引っ越してきたの。――ママは元々薬師を目指して若い頃勉強してたんだけど――薬屋さんならなんとかやっていけそうだからって」
イズルザス帝国のやったことであって、自身には全く関係ないことだ、とわかっていても、コウはミキや家族に対して申し訳ない気持ちになった。
ミキは続ける。
「この部屋もね。私がワガママを言って、パパの部屋として用意してもらったの」
「お父さんの部屋?」
「うん。パパは死んじゃったけど、でも本当は人魚になっちゃったから戻って来られないのかもしれないって思うことにしたの。だから、いつ帰ってきてもいいようにパパの部屋を用意させてって、こっちに越してきたときにお願いしたの」
ほぼ毎日洗って干されたシーツ、埃や蜘蛛の巣一つなく行き届いた掃除……。コウはこの部屋に感じていた違和感の正体がやっとわかった。
「ミキ、それじゃ……」
ミキはコウの言葉を止めた。
「大丈夫。現実を受け入れてないわけじゃないから安心して。ママもお姉ちゃんも私の事を理解してくれてて、それでこうさせてもらってるから」
「そっか……」
それならよかった、とコウは安心した。
「ごめんね、こんな話」
「ううん。ミキのこともご家族のことも知れてよかったよ。話してくれてありがとう」
ミキやミキの家族の事をを知れて、コウはなんだか嬉しくもなった。でも胸の痛みは消えないままだ。自身の生い立ちを知れば、ミキは……。
「それでさ、コウは明日はどうするの?」
ミキの言葉を聞き、コウはすぐに意識を戻した。
「あ、うん。どうしようかな。七日間講義のことも調べないとだし……」
「夕方に言ってたのだっけ?」
「うん」
セイレーンへ行く前、少しだけミキに話した七日間講義のこと。もし、ミキが通うレウテーニャ魔法大学校の講義を受講できればなんて思っていたが、そう簡単にはいかないだろうし、他の学校のことも調べておきたい。どこか図書館か、国の案内所などに行くのが一番いいだろうか……と、コウが考えていると、ミキが口を開いた。
「それならさ、明日一緒に学校行こうよ!」
「えっ!?」コウは変な声で返す。
「ミキの学校に行くの? 僕が?」
「うん!」ミキは笑顔で言う。
「だってレウテーニャで受けたいんでしょ? その七日間講義ってやつ」
「そ、そうだけど……。でもまだ決まったわけじゃないし、それに一緒に学校に行くだなんて……僕、生徒じゃないし……」
「いいじゃん! バレなきゃいいの! 明日行くよ! ちょうど私も授業があるしさ!」
そんな、タイミングがいいみたいな言い方をするな、なんて思いながら、コウは苦笑いをした。
「でも……」
「でも、じゃない! ほら! 明日絶対行くよ! 決定だからね!」
ミキのこの強引さは誰に似たんだろう……。コウはそう思いながら渋々「はい」と返事をした。
ほぼ、いや、完全にミキが決めてしまったことだが、明日はレウテーニャ魔法大学校へ潜入することになった。七日間講義のことを調べられるいいチャンスではあるが、とにかく何も悪いことが起こりませんように、とコウは心から願うのみだった。