第4話ー1 人魚の夢、アミマド家の秘密
夕飯の準備ができ、コウは一階の食卓へ向かった。
ミキに「こっち!」と促されそこへ行くと店奥の階段の裏側に、こじんまりとした木製のアンティークな円形テーブルに4つの椅子が添えられていた。中央には淡いピンク色の花が3輪ほど可愛らしい花瓶に入った状態で飾られていた。
「このお花、綺麗だね。なんて花なの?」
コウは椅子に座りながら、ミキに聞いた。
「名前は忘れちゃった。あ、でも――コウ。このお花に触ってみて」
ミキは笑顔でそう言う。
「触るの?」
「うん!」
コウは人差し指で淡いピンク色の花の花弁に触れた。そのとたん、綺麗な花はまるで豹変したかのように牙をむき、コウの人差し指に噛みつこうとした。コウは咄嗟に指を引っ込めなんとか難は逃れたが、あまりの驚きに心臓は早鐘を打っている。
「み、ミキ! 花が噛みつくなんて聞いてないよ!」
コウは憤慨し抗議した。
「えへへ。テルパーノにはこういうお花もあるんだって教えてあげようと思って。”百聞は一見に如かず”って言うじゃない?」
ミキは満足したかのようにそう答える。
聖地テルパーノは、いくら魔法の国だからと言って、噛みつく花が普通に存在するなど命がいくつあっても足りないとコウは思った。そして、そんな危険な花を食卓に飾ろうという考えもだ。他の家でもそうなのか、アミマド家だけなのかは定かではないが、もしかしたら他にもこういう植物があると思うと先が思いやられた。
「ほら、ミキ。そういうイタズラはよしなさいな。――それと、座ってないでお皿出してちょうだい」
ミエさんが、ミキを叱ってくれた。
ミキはしたり顔をしながら、は~い、と返事をしたあと、近くの食器棚から4つ皿を取り出した。ミエさんは、ミキが出した皿それぞれに、料理を取り分けていく。
「はい。これコウの分ね」
ミキはそう言って、コウの前に料理が入った皿と、ガラスのコップを差し出した。
「僕も手伝うよ」
コウは椅子から立ち上がり、二人にそう言う。
「いいのいいの。コウは座ってて」
ミキにそう言われるがまま、コウはまた椅子へ腰かけた。
次々にコウの目の前には大小様々な皿が置かれ、そして箸とスプーンを手渡され、少しだけ申し訳ないなと思うものの、座っていても食事が用意される様をほんのひと時楽しんだ。
「ミナー? 夕飯の準備ができたよー?」
ミエさんが階段の上へ向かってそう叫ぶと、バタンと大きな音が二階から響いてきた。
そしてバタバタと足音が聞こえ、「わーい! 食べるー」と言いながらミナさんが降りてきた。
コウの目の前にミエさん、右隣にミキ、左隣にミナさんが座り、夕食タイムが始まった。
「いただきます」
「……いただきますっ」
三人の親子とコウはそれぞれ手を合わせ、そう言うと食事を始めた。
コウはまず、スープ用カップに入ったソーセージ入り野菜スープから口にした。カップの持ち手を掴み、スープを一口。……おいしい! 絶妙な味加減がなんとも最高だ。野菜の出汁やソーセージの旨味が出ていて舌を唸らせる。
コウがスープのカップをテーブルに置くと、ミエさんが口を開いた。
「それで、コウくんはどうして門の塔に行くの?」
コウはそう言われ、三人を順番に見回したあと、言葉を発した。
「……母さ――母が門の塔で行方不明なんです。だから探しにいこうと思って」
「コウ一人で?」
ミキが間髪をいれず聞いてきた。
「うん」
「お母さんは、どうしてまた門の塔に入ったんだい?」
今度はミエさんが聞いてきた。
「僕の病気を治すためです。門の塔の呪いがなんとかって」
コウのその言葉に三人はお互いの顔を見合わせたあと、ミキが口を開いた。
「門の塔で願いが叶うって聞いたことはあるけど、”呪い”なんて聞いたことがないよ」
「うちらもう長くここにいるけど、初耳だよね」と、ミナさん。
「ああ。――さすがに聞き間違いじゃないのかい?」
コウはミエさんにそう言われ、7年前のあの日のことをよく思い出す。
あのときは体調を崩していたが、それでもはっきりと「門の塔の呪い」と母の口から聞いたのだ。
「……母ははっきりと「呪いだ」って言ってました」
コウはそう言うと、目の前のサラダが入った小さな皿を手に取り、箸で食べ始めた。
三人は少し浮かない顔をしたが、すぐにミキが口を開く。
「呪いのことはわからないけど……。病気はよくなったの?」
コウは手に持っていた皿をテーブルへ置いた。
「うん。今ではすっかり元気だよ」
「それは良かった」とミエさん。
「でも、母さん――母は僕が治ったことをまだ知らないはずなんです。だから――」
「お母さんを見つけて、元気になった姿を見てもらいたいんだね?」
「はい」
コウはそう返事すると、少し俯いた。
「そうかい。でも、その……他のご家族の方は大丈夫なのかい? お父さんとか……」
ミエさんは、心配だというような口調で聞く。
「父は、今はバーオボにいます。……あ、家出じゃないですよ! 母さんを見つけて帰るって約束をして、門の塔へ入る許可をもらっています」
「ということは、ご家族のことは心配ないんだね」
「はい。――あ、着いたら手紙を書くって約束してたのに忘れてた……」
着いてから様々なことがあり、手紙を出すという約束がすっぽ抜けていた。まあ、明日でもいいのだが……。
「それなら”ツバメ郵便”を使うといいよ! 明日にでも案内するよ?」
ミキは、スープに入っていた野菜をもぐもぐと咀嚼しながら言う。
「ツバメ郵便?」
「うん。あれ? 知らない?」
バーオボでは聞いたことがない名前だった。だが、コウは思い出す。ここに来るまでの道のりで”ツバメ郵便局 エクパーナ7番通り支店”と看板が掲げられた店の前を通ったことを思い出した。だが、ここでは知らないと言っておき、明日ミキに案内してもらうのが最善だろうと思いながら口を開いた。
「うん。知らない。手紙を出したいし、明日案内してもらってもいい?」
「わかった! 便箋もあとであげるよ!」
「ありがとう」
コウがミキに笑顔でそう言うと、ミエさんは手に持っていた箸を置き、空気を変えるかのように口を開いた。
「……わかった。我が家はコウくんを応援しよう!――ってことで、コウくんが良ければ門の塔へ入るまでうちに泊まってくれてもいいからね」
ミエさんは優しい笑顔をコウに向けそう言った。
「え、そんな……そのお世話になるわけには……」
「いいじゃん。遠慮することないっしょ」
と、ミナさんは意気揚々という感じでそう言う。
「そうだよ、コウ。攻略者向けの宿は高いしさ」と、ミキ。
「でも……」
コウはなんとか断ろうとするものの、三人の圧で断りきれず、思考を逡巡しながら出てきた言葉が「明日、宿が見つからなければ、よろしくお願いします」となんとも煮え切らないような変な返答をしてしまったのだった。
翌日。コウは、薄い水色の空が覗く窓を見てここがバーオボじゃないことを思い出しながら目を覚ました。
シャツを着替え、タオルを持って一階へ向かう。すでに起きて朝食を作っているミエさんがいた。
「おはよう。まだ寝ててもよかったんだよ」
ミエさんはお玉でスープをかき混ぜながらそう言う。
「いえ、今日もやることがありますから。――あの、洗面台ってどこにありますか?」
「そこのドアを入ったところにあるよ。――そうだ。洗濯物とかあれば出しといてね。ミキが洗ってくれると思うから」
コウは、わかりました、と返事をし、ミエさんが指さしたドアを開けて入った。
洗面台に、鏡、棚には折り畳まれたタオルなどが置かれていた。
金色の蛇口をひねり、バシャバシャと顔を洗う。髪を整え、その場でうーんを伸びをした。
すると、さっきコウが開けて入ってきたドアが開いた。制服のシャツとスカートを着たミキが入って来た。
「わ! コウ! おはよう!」
ウェーブのかかった青い髪が昨日より乱れている気がするが、朝から元気そうな顔だ。
「おはよう。洗濯物ってミキが洗うの?」
コウはミキに聞く。
「うん!」
「手伝おうか?」
「いいよ!」
「でも、大変でしょ?」
「あ! そっか! コウは知らないよね? あとで見せたげる!」
「な、なにを?」
「百聞は一見に如かず、だよ!」
何が百聞は一見に如かずなのだろう? とコウは思いながら、ミキの言うことを聞くことにし、先に朝食だよ、とミキに言われ、食卓へ向かった。
アンティークな円形テーブルには、昨日コウに牙をむいたあのピンク色の綺麗な花がまだ飾られていた。綺麗な花には毒がある、いや、牙がある。コウはピンク色の花に注意しながら席へついた。
ミエさんは、全てのトーストにバターを塗ってそれぞれの皿へのせているところだった。そこから、フライパンであらかじめ焼いておいたらしい目玉焼きをそれぞれのトーストへ乗っけた。
「スープもあるからね」
ミエさんはそう言うと、コンロの鍋からスープ用カップにスープを入れる。四枚のトーストと、四つのカップに入ったスープがそれぞれの椅子の前へ並べられた。
「あれ? ミナは?」
ミエさんはミナさんがまだ起きてきていないことに気づいた。
「今ごろメイクでもしてんじゃない?」
ミキはそう言いながら、しっかりと整えられた髪を揺らし、席へと座る。
「あの子ったら……。さっさと食べちゃいましょうかね。――さ、二人ともお食べ!」
コウとミキはそう言われ、いただきます! と元気よく言い、朝食を食べ始めた。
今日はツバメ郵便局へ行こうと話しながらコウがトーストを齧ったとき、階段からバタバタと足音が聞こえ、ミエさんが降りてきた。
メイクをしているからか昨日より色気が増し、ストレートな髪にまた艶が出ているほど整えられている。朝からどこかへ出かけるのだろうか、とコウは思った。
「ミナ、もうみんな食べ始めてるよ」
「ごめ~ん。アイシャドーの色迷っちゃって」
ミエさんが少し叱ると、ミナさんは軽く謝った。そしてそのまま続ける。
「あのさ、今晩うちの店に食べに来ない? コウくんの歓迎パーティも兼ねて!」
”うちの店”とは何のことだろう? エピノ宿のことだろうか、とコウは思ったが、あの宿に食事を取るような場所はなかったはず。また違う店なのだろうか。
「そうだねぇ……。コウくんがいいって言うなら行こうかね」
ミエさんはチラリとコウの顔を見る。
「えっと……。是非行ってみたいです」
コウは、少し遠慮がちにそう言った。
「オッケー! じゃ、店に言っとくわ! ミキも絶対来てよね」
ミナさんがそう言うと、
「行くよ! 絶対! 来いって言ったからには変な失敗はしないでよね!」
「あ? ミナ様をなめんな? こちとらテルパーノナンバー1だで?」
ミキの挑発にミナさんは意気揚々という軽いノリで乗って行く。
「えっと、テルパーノナンバー1って一体何のことなの?」
コウは何のことだかわからず聞く。
「あれれ? コウくんにまだ言ってなかったっけ? うち、踊り子なの。テルパーノでナンバーワンのね」
「踊り子!? テルパーノで一番!?」
コウは声が裏返るほど驚いた。確かにミナさんは色気があって綺麗なお姉さんだと思ってはいたが、テルパーノでナンバー1の踊り子だったとは……。
「お姉ちゃんね、コウに見てもらいたいんだよ。自分が踊ってるところ」
「あったりめーじゃん!」
「ほんと、羨ましいくらいの自信ね」
「ウフフ♪」
「はいはい。そこまでにしな! せっかくのスープが冷めちまってるよ!」
ミエさんにそう言われ、あ、そうだった、とミナさんはすぐに席に座って朝食を食べ始めた。
コウとミキは、朝食を食べ終え身支度を済ませたあと、アミマド屋を後にし、まずはツバメ郵便局へ向かった。
「洗濯の魔法ほんとうに凄かったよ……」
コウはあのあと、ミキに見せられた洗濯の魔法について感心しながら言う。
あのときミキが言った、百聞は一見に如かずをまさに体感したのだった。
「でしょ?」
ミキは得意げに返す。
「どういう原理なの? 洗剤とか使ってないんだよね?」
コウは少し食い気味に質問する。
「うーんとね、水の魔法と泡の魔法の応用みたいな感じで――あ、そこを真っ直ぐね!」
ミキはそう言いながら大きな通りを指さした。
二人はまず、18番通りからエクパーナの中央広場へ向かい、そこから7番通りへ入った。
7番通りは、店や背の高い建物が両脇に並び、その前に石畳の歩道、歩道から一段下がって、馬車や車が往来する道路が通っている。テルパーノではほとんどの人が箒や空飛ぶ鳥車を利用することが多いので、道路にはあまり馬車や車が通っていない。バーオボでは、車やバイク、バス、ときおり馬車や牛車がよく通る。魔法の有無だけでこんなにも違うのか、とコウは思った。
「ここだよ! ツバメ郵便局!」
昨日、この前を通って来たコウにとっては再来となるが、大きな赤い看板にツバメの絵が描かれた”ツバメ郵便局 7番通り支店”の前に着いた。
コウはサコッシュに入れていた3通の手紙を手に持ち、郵便局の前の赤い箱を指さして、
「えっと、ここのポストに入れればいいの?」
「ううん。違う。中でお金を払わないと!」
ミキはそう言うと、コウの左手を掴んで郵便局の中へ入った。
郵便局の中は、目の前にカウンターがあり、カウンターの向こうには沢山の棚と不思議な機械が並んでいた。壁側に沢山並んだ棚をよく見ると、中で何かがチョンチョンと跳ねたりしている。一つじゃない、二つ、三つ、いや、棚の中ほぼ全部だ。コウは棚の中身をよーく見た。何やら黒っぽい小さな……鳥!? 頭に赤い模様もある……。もしかして……?
「ミキ、あの棚の中にいるのって……」
コウは隣にいるミキに聞いた。
「ん? あーあれ? ツバメだよ」
ミキはさも当たり前だよと言わんばかりに答える。
「ツバメ? どうしてツバメがいるの?」
「だって、ツバメ郵便局じゃん」
「そうなんだけど、でも本物のツバメがいるって……そういう展示物ってことなの?」
「そんなわけないでしょ!」
ミキはカウンターへ並ぶ列の最後尾へ並び、コウに「まあ、見てて」と言った。
列の一番前に並んでいた女性がカウンター向こうの男性局員に「この手紙を東の国ジャプニーナへ」と告げると、カウンターに置かれたレジを男性局員がカチカチと音を立てて動かし始めた。次第にレジはチンと甲高い音を立てて止まった。
「東の国ジャプニーナでこの重さでしたら……250パノです」
男性局員がそう言うと、女性は財布から300パノ取り出し、お釣りの50パノを受け取った。
「3日……4日ほどで到着です」
女性から受け取った一通の手紙をカウンター向こうの機械へ通した後、棚の中で餌とつついていた一匹のツバメがその機械を通った手紙を小さな嘴で受け取り、郵便局の中を一周飛び回ったあと、天井に空いた穴から飛び去っていった。
コウはその光景を見てバーオボで見た光景を思い出す。ある一羽のツバメが足に巻紙を付けて父カッシオの元へやってきたことを。当時は伝書鳩のような、そういった類のことを父が誰かとやっているのかと思っていたが、あれは聖地テルパーノからの手紙を受け取っていたのだった。
「ツバメ郵便ってそういうこと……」
コウは今まで見たものが、今さっき答え合わせとなり、驚嘆の声をあげたくなるほどだった。
「わかってくれた?」と、ミキ。
「うん……」
前に並んでいた人たちは次々と空いたへカウンター向かい、すぐにコウとミキの番がやってきた。
二人はカウンターへ近づき、コウは男性局員に3通の手紙を渡した。
「この3通全て火の国バーオボへお願いします」
コウがそう言うと、男性局員はカウンターのレジをカチカチと音を立てて動かす。チンと音が鳴ったかと思うと、コウにこう言った。
「3通ですと、720パノです」
コウは懐に仕舞ってある財布から720パノ丁度を取り出し、男性局員へ手渡した。
「4日ほどでお届けになります」
男性局員はコウから受け取った手紙を真後ろにある機械に入れた。ガシャンと3回大きな音を立てたかと思うと、出口から出てきた手紙の封筒にはそれぞれ紫色の大きな判が押されており、その半の押された3通は棚で眠っていた一羽のツバメが小さな嘴で咥え、そして天井に空いた穴からシュルリと飛び去っていった。
「あ、あと、切手も下さい! 10枚綴りで!」
ミキはそういうと、自身の懐から財布を取り出し、男性局員へ1000パノ手渡した。
「はい。丁度です。こちらが領収書と、10枚綴りの切手です」
濃い茶色の封筒をミキが受け取り、二人は郵便局を後にした。