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門の塔(改稿版)  作者: 小望月待宵
第1章
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第2話 出発

 あれから二か月が過ぎた。

 

 父のカッシオから門の塔へ行くことを許してもらい、コウはよりいっそうアルバイトを頑張った。そしてとうとう、門の塔へ行く資金を貯めた。

 

 この二か月の間に変わったことと言えば、つい一か月前に、同じ門の塔を目指す仲間だったマルコさんが聖地テルパーノへ発った。マルコさんが先に発った焦りはあったが、すでに父から許可を貰ったあとだったので、ネガティブな感情は一切出てこなかった。むしろ、門の塔でマルコさんに会えるかもしれないという喜びと楽しみのほうが大きかった。そして、「門の塔で待ってる」というマルコさんの言葉は、コウをより前向きにさせた。

 

 火の国バーオボの首都レレーンに静かな朝がやってきた。今日はコウが旅立つ日だ。

 ついにこの日がやってきた。あれほど夢に見た門の塔へ、聖地テルパーノへ旅立つその日が。

 

 「コウ! 準備はできたか!」

 「……うん! とっくにできてるよ!」

 

 一階から大きな声で呼びかけてくれる父の声で、コウは我に返った。

 

 二階の自室――コウの部屋――とは、しばしのお別れだ。

 コウは部屋をぐるりと見渡し、その光景を目に焼きつけた。そして、あの幼かったころの自身を思い出す。

 あの頃のコウは原因不明の病で臥せっており、ベッド横の窓から外を見るだけの日々……。コウにとって、辛く、息苦しい毎日だった。でも今はどうだ。あの病弱な少年が、たった一人で、難攻不落の門の塔へ挑もうとしているのだ。こんなことを予想できた人など誰もいないだろう。コウ自身でも、本当は夢なんじゃないかと思うほど信じられないのだから。

 

 ――コンコンコン。

 コウが様々な思いを巡らせながらサコッシュやリュックの中身をもう一度確認していると、部屋のドアからノック音が鳴った。

 

 「コウ、大丈夫か? そろそろ時間だぞ」

 そう言いながらゆっくりとドアを開け、カッシオが中へ入って来た。少し心配そうな顔をしている。

 

 「大丈夫だよ。忘れ物がないか確認してただけだから」

 

 コウがそう返事をしたときだった。ガバッという音を立て、物凄い勢いでコウにカッシオは抱きついたのだ。

 

 「と、父さん!?」

 

 コウは予想もしていなかった父の行動にかなり動揺した。

 

 「本当に、本当に……無事に帰ってくるんだぞ……」

 父は今どんな表情をしてそう言っているのだろう……。コウは顔色の見えない父の表情を思う。

 

 「父さん……」

 コウもそう言って、軽く父を抱き返した。


 もしかしたら、これが最後になるかもしれない、とコウはふと思ったからだ。でも、絶対に最後にはしない、させない、とコウは心に誓い、ゆっくりと父から離れた。

 

 「大丈夫だよ、父さん。僕、絶対に母さんを連れて帰ってくるから。それに、男同士の約束をしたじゃないか」

 

 コウの言うカッシオとの”男同士の約束”とは、”必ず生きて帰ってくること”、”命の危険を感じたり、難しいと思ったら無理せず攻略を中断して戻ってくること”、この二つだ。この約束を守ることを条件に、コウは門の塔へ行くことを許可されたのだ。

 

 「そうだったな」

 カッシオはそう言って、コウの顔を寂しそうに見つめた。

 「本当に無理をするんじゃないぞ」

 

 「うん。大丈夫だよ」

 コウは笑顔でそう返事した。

 

 そして二人は階段を降り、家を出て、港町リョックルへ向かった。

 

 リョックルへの道のりはあっという間だった。

 マルサの話、ヨーゼフさんの話、本の話、バーオボの風習の話など、とても話が弾み、あれよあれよと話題が口から飛び出る。

 出来る限り話をしておこうと二人は思っていたのだろう。この時間を少しでも楽しい時間にしようと望んで。笑って笑って、驚いて感激して。そんな時間だった。

 

 朝の冷たい潮風が二人を迎えた。早朝のリョックルには、あまり人がおらず、先ほど漁から帰って来たらしい漁師が船の傍で何やら作業をしている姿が見える程度だった。

 

 ヨーゼフさんに言われた待ち合わせ場所へ向かうと、そこには煙突のついた小型の白い蒸気機関船があった。蒸気機関船の煙突からは白い蒸気がぽっぽっと噴き上げており、いつでも準備万端といった雰囲気が出てきた。

 

 コウとカッシオがその船に近づくと、船室のドアが開き、中からヨーゼフさんが出てきた。いつもと同じ、カッチリと決まったベストとシャツとスラックスに、ワックスで撫でつけた白髪のオールバックだ。

 

 「コウ坊ちゃん、お待ちしておりました」

 ヨーゼフさんはそう言って深々と頭を下げた。

 

 「この船でテルパーノまで行くんですか?」

 コウはヨーゼフさんに尋ねた。

 

 「はい。この船で五日ほどで着きます」

 ヨーゼフさんがそう答えると、船首のほうから一人の男性がやってきた。

 

 その男性は、少し傷んだ白いマリンキャップを被っており、頭髪は角刈り、顔は日焼けか赤ら顔をしているが、日焼けがなければとてつもなくイケメンということが伝わってくるほどの二枚目顔だ。服はリネンのシャツにウールのズボンと丈夫な素材を重視して選んでいることが伺える。年齢は20~30代だと思われるが、色恋沙汰には興味のない、海の男と一言で言い表すに相応しい人だ、とコウは思った。

 

 「おっと。丁度良かった。――ラルフ! こちらへ!――この者は船員のラルフです。この船の管理をしております。今回の船旅でも協力していただきます」

 

 船首のほうからやってきた船員のラルフさんを、ヨーゼフさんはそう紹介した。

 ラルフさんは少し緊張したような面持ちをして、「よろしくお願いします」と言って軽く会釈をしたあと、コウとカッシオの顔を見た。二人もラルフさんに挨拶し、深く礼をした。

 

 「いよいよ、だな」

 

 カッシオはコウの背中をポンと叩いてそう言った。

 うん、とコウが返事をすると、カッシオは突然顔を背けた。

 

 「どうしたの?」と、コウが聞く。

 

 「……なんでもない!」少し間を置いて、カッシオはそう答えた。

 

 今のは……? とコウは思ったが、そのまま気づかなかったフリをしておくことにした。

 

 「コウ坊ちゃん、そろそろ出港準備に入ります。船に乗ってください」

 ヨーゼフさんにそう言われ、コウはまず荷物を渡した。そして、カッシオのほうを振り返った。

 

 「父さん、行ってきます。その……元気でね!」

 「ああ」と、カッシオ。

 

 「ちゃんとご飯食べてね! あとちゃんと寝てね! あと、あと……ちゃんと掃除しておかないと母さんに叱られるからね!」

 

 「わかってる」

 コウのその言葉にカッシオはクスッと笑いながら返事した。

 「俺をなんだと思ってるんだか」

 

 「だって父さんってば、本の読みすぎで色々忘れちゃうじゃないか。声かけてもスルーしちゃうときだってあったし……」

 「そ、それは……すまない。コウが……いや、二人が帰ってくるまでの間は気を付ける」

 「僕と母さんがいても気を付けてほしいな」コウはニッコリと微笑んでそう言った。

 「うっ……気を付ける……」カッシオはコウの言葉に苦笑いした。

 

 すると、コウたちの背後からゴゴゴゴ……と轟音が聞こえた。その音はバーオボ火山からだ。軽い噴火活動の音だ。火口からモクモクと火山灰を吐き出している姿は、まるで天に手を伸ばす鎧武者のようだと、コウは思った。

 

 「お二人とも、そろそろ……」

 船室からヨーゼフさんが顔を覗かせ、岸壁にいるコウたちにそう言った。いよいよ出発のときだ。

 

 「本当に……気を付けるんだぞ。着いたら手紙を寄越してくれ」

 そう言ってカッシオはコウの背中をポンと叩き、ギュッと抱きしめた。

 

 「うん」

 コウはそう返事し、カッシオの体を離れ

 「それじゃあ、行ってきます!」

 そして、コウは船へ乗り込んだ。

 

 「コウを頼みます!」カッシオそう言って、船と岸壁を繋いでいたロープをヨーゼフへ投げ渡した。

 「お任せを」ヨーゼフさんはロープを受け取ってそう答えた。

 

 「出港!」

 ヨーゼフさんの大きな声が波音を裂くように響いた。すると、船はゆっくりと岸壁を離れ始めた。

 

 コウは船尾から岸壁にいるカッシオに向かって大きく手を振った。それに応えるかのように、カッシオも大きく手を振る。二人の距離はだんだんと離れていく。そして、無言のまま、でもお互いの気持ちが呼応するかのように、二人はずっとずっと手を振り続ける。岸壁から数十メートル離れたあたりで船は沖に向かってスピードを上げ始めた。コウから見るカッシオは、だんだんと小さくなり、岸壁に立つ人影から、小指ほどの大きさになり、次第にその姿は見えなくなった。

 

 コウは船尾からバーオボ火山を見た。太陽がバーオボ火山を越えようと空を上り始めていた。青白く輝く太陽にまるで試練を与えているかのように聳え立つバーオボ火山の姿を、コウは目に心に焼きつけた。

 

 

 周囲すべてがエメラルドカラーの海になり、バーオボ火山が小さくなった頃、コウは船首にある船室の扉を開いた。

 

 「コウ坊ちゃん、荷物は船室に運んでおきましたよ」

 大きな舵を手に操縦をしていたヨーゼフさんがコウにそう声をかけた。

 

 「ありがとうございます」

 コウはそう返事をしながら部屋を見渡した。

 

 ヨーゼフさんが握っている大きな舵、四方八方を眺めることができるたくさんの窓、円形のメモリと針がたくさんついた機械などがあるこの部屋は操舵室だとわかった。

 

 「何かありましたら、私かラルフに申しつけくださいね」

 

 モノクルの奥の目が優しく光るヨーゼフさんにコウは、はい、と返事をし、操舵室を後した。

 

 船尾へ移り、天井に煙突がついている部屋のドアを開いた。

 ドアと開けた途端、コウはムッとしかめっ面をした。ムワっと暑苦しく、少し汗臭い。そして何より、この部屋は操舵室よりガタゴトと音が響いてうるさい。どうやら部屋の真ん中を突っ切った煙突から船の機械音が響いているようだ。

 

 コウは部屋へ入り、中を見渡した。コウの目に真っ先に入ってきたものは、宙にぶら下がる布のようなものだった。右側の壁に一つ、左側の壁には上下に二つ。どうやらこの布はコウたちが寝るためのハンモックらしい。ハンモックで寝るのも悪くないが、このむさ苦しい部屋で寝るのか……思いながら床を見ると、右側の壁に吊るされたハンモックの下に、コウのリュックとサコッシュが置かれていた。この右側のハンモックがコウのもののようだ。左側の壁のものに比べ、布が新しく、つい最近洗濯されたような清潔感を感じる。自分のために気を遣ってくれたのだろうか。別にそこまでしなくてもいいのに……、とコウは思った。

 

 両側にかけられたハンモックの間から見える奥に壁のように掛けられた大きな布が気になった。その布の真ん中には丁度人が通れるほどのサイズに切り込みが入っており、こちら側と向こう側へと行き来できるようになっているようだった。コウは恐る恐るその布の切れ目から奥を覗いた。そこには一つのテーブルと、こじんまりとした椅子が三つ、テーブルと椅子の向こう側には簡素なキッチンが備え付けられていた。この空間は食事を取ったりするためのスペースなのだろうとコウはすぐにわかった。

 

 備え付けられたキッチンのすぐ横に、なにやら穴のようなものを見つけた。コウがその穴を覗くと、そこには地下へ続く梯子がかけられていた。コウはゆっくりと梯子に足をかけ、降りていった。

 

 少し身をかがめて奥へ進むと、そこにはたくさんの機械があり、忙しなく大きな音を立て動いていた。機械の邪魔にならないような位置に誰かのストライプ柄のトランクスが干されており、コウはクスリと笑った。

 

 「あ、見られちゃいましたか……」

 

 「うわあああああ!!」人がいると思っていなかったコウは大声をあげるほど驚いた。

 (その声も機械の音によってほとんどかき消されたが。)

 

 コウが振り向くと、そこにはラルフさんがいた。どうやら機械の整備をしていたらしく、手には大きなスパナレンチが握られていた。

 

 「びっくりした……。――あ、あのすみません……勝手に入ってきてしまって……」

 コウはラルフさんに詫びを入れた。

 

 「いいえ。自由にしていただいてかまいませんよ。――あ、トランクス干してたことヨーゼフさんには内緒にしててくださいね。天日干ししろって怒られちまうんすよ」

 ラルフさんはそう言うと、身をかがめて奥の機械のそのまた奥に行き、姿を消してしまった。

 もしかしたら、ラルフさんは少し面白いところがあるのかもしれない、とコウは思った。

 

 コウは船室の梯子を上り、寝室兼キッチンの部屋を出て、操舵室へ戻った。

 

 「いかがでしたか?」

 操舵室へ戻ってきたコウにヨーゼフさんが聞いた。

 

 「最高ですね!」

 コウは満開の笑顔でそう答えた。

 

 操舵室を出たコウは、次に船首へ向かった。

 船首の先のあたりに着いたコウは、そこから海を見渡した。

 

 エメラルドカラーの透き通った波間を船が突っ切っていく。ザザーッと音と立て、割れていく波を見ていると、これをずっと見ていたいと思うほどとても面白かった。

 

 割れていく波をずっと見ているわけにはいかないので、コウは船尾へ向かった。

 

 船尾から見える範囲にはもうバーオボ火山の姿は見えなかった。ただスカイブルーとエメラルドカラーが上下に分けられた水平線が続いている。ところどころに真っ白な雲がスカイブルーの空を泳ぎ、エメラルドカラーの海にコウたちの船の白い航跡が白い絵の具の筆跡のように描かれている。本当に旅に出たんだな、とコウは思った。

 

 ふと、船尾に掲げられた大きな旗を見た。この旗は、船がどの国のもので、海賊や敵ではないと他の船に示すためのものなのだが、コウはその国旗に驚いた。

 

 「”イズルザス帝国”の国旗……?」

 

 深い緑に黒の二本線がクロスしたその上に大きな赤い月と7つの星が描かれた象徴的な国旗……。誰もが知るイズルザス帝国の国旗だ。

 

 この船は確かヨーゼフさんが所持している船で、コウが生まれたときからバーオボに停泊していたはず。どうして関係もない”イズルザス帝国”の国旗を掲げているのだろうか?

 

 ”イズルザス帝国”とは、火の国バーオボの北にある国のことだ。数ある国の中でも、イズルザス帝国は軍事に力を入れている。国民の半分が軍人または元軍人というのだから驚きだ。ただ、軍事に特化させるまではいいのだが、イズルザス帝国という国は”七つの海”、”八つの大陸”に住むという神々を討伐し、その全てを支配下に入れようとしているのだ。

 

 コウが七歳のとき、世界中の海が一か月も大しけとなったことがあった。その原因となったのが、イズルザス帝国が起こした”海神戦争”。七つの海の一つ、モルデ海――バーオボから南西にある海域――のあたりを守っているという海の神ミルモルデ・シーを倒すため起こした戦争だった。結果はイズルザス帝国の敗退で終わったのだが、海の神ミルモルデ・シーは怒りのあまり海という海を荒れさせた。そのときの大しけが一か月も続き、船という船が出せず、そのため世界各国で大混乱を招き、イズルザス帝国は批判の的となったのだった。

 

 コウは何故この船にイズルザス帝国の国旗が掲げられているのか、謎を解くためグルグルと思考を巡らせたが、何一つ答えらしいものにたどり着けなかったので、夕食のときにでもヨーゼフさんに聞いてみようと決断した。

 

 昼食の時間になり、コウは船室のキッチンへ向かった。

 壁のようにかけられた布の切れ目からキッチンを覗くと、キッチンの前には船員のラルフさんがおり、フライパンで何かを焼いているようだった。

 

 「あの……何か手伝います!」

 コウはラルフさんに声をかけた。

 

 「あ~……では、お皿とコップをお願いしてもいいですか?」

 

 わかりました、とコウはラルフさんに返事し、近くの簡素な棚から皿を二枚と、コップを二つ取り出した。

 

 皿とコップは、陶器ではなく、金属ような素材で出来ていた。海上はいつも機嫌が良いわけではない。天候によっては大きく傾くほど船が揺れる。そのため、割れやすい陶器ではなく、落としても割れる心配のない金属の食器を使う、とコウは以前何かの本で読んだことを思い出した。

 

 本当に金属製なんだ、とコウは思いながら、皿とコップをテーブルへ置き、小さな冷蔵庫からボトルに入った飲料水を取り出し、コップへ注いだ。

 

 ラルフさんがコンロのスイッチを切った。どうやら料理が完成したらしい。ラルフさんはフライパンから皿へ料理を移した。コウが近くの棚から金属製のスプーンを取り、ふと皿のほうへ目をやると、なんと、エビピラフだった。辺りにバターのこんがりとした香りが漂う。その香りを嗅いだ途端、コウの腹の虫が暴走し始めた。船室内に腹の虫の大きな鳴き声が響き渡ったのである。コウは恥ずかしさのあまり赤面し、目をそらして自身の腹をさすった。

 

 「コウ……さん、どうぞ」

 コウの腹の虫の鳴き声を聞いてか、ラルフさんは先に食べるよう促してくれた。

 

 「い、いえ……」

 気を遣ってくれたことくらいコウにだってわかる。やはりここは遠慮してラルフさんが席につくまで待つべきだ、とコウは思ったのだ。

 

 だがラルフさんは「遠慮しなくていいですよ」と、また優しく促してくれた。こうなればさすがのコウも先に食べるしかなくなった。

 

 「あ、えっと……いただきます!」

 コウは元気よく、そして少し赤面しながら言った。

 

 銀色の金属製のスプーンを手に取り、エビピラフを少し掬う。そしてそのまま口へ運んだ。

 うまい……!! コウが叫びたくなるほどエビピラフの味は絶品だった。口に入れた瞬間バターの味が広がり、かと思いきや細かく刻まれたピーマンの苦みもある。そして、プリプリのピンク色のエビがアクセントとなって歯ごたえを与えてくれる。コウはあまりの美味しさに一口、また一口と口へ運んでいった。

 

 ラルフさんも席へつき、エビピラフを食べ始めた。

 「お口に合いましたか?」

 ラルフさんはエビピラフを一口食べた後、コウにそう尋ねてきた。

 

 コウは口に大量に放り込んだエビピラフをもぐもぐと咀嚼し、急いで飲み込んで、「とっても美味しいです!」と元気よく答えた。

 

 「それは良かったです」

 と、ラルフさんはホッとしたような表情をしてそう言った。

 

 エビピラフを半分以上食べたあたりで、コウはラルフさんに聞いてみたいことを聞いた。

 「あの、ラルフさん。ご家族とかはいらっしゃるんですか?」

 

 いきなり踏み込んだような質問をしてしまったか、とコウは思ったが、ラルフさんは素直に答えてくれた。

 「家族は……いません。両親は俺が小さいときに亡くなったので」

 

 コウはすぐさま、すみません、と謝ったが、ラルフさんは優しい表情で大丈夫ですよ、と言ってくれた。

 「今は仕事がある、それだけで十分なんです」

 ラルフさんは、先ほどの優しい表情から少し固い表情へと変わった。

 

 これ以上はあまり踏み込まないほうがよさそうだ、とコウは思い、「そうですか」と返事したあと、エビピラフをかきこむようにして平らげ、キッチンを後にした。


 

 船室のハンモックでひと眠りしたコウは、外に出て、船尾から外を眺めていた。空はすでにオレンジ色から紫色のグラデーションに変わり、北の方角には一段と輝く一等星が見え、夕刻を知らせてくれた。エメラルドの海は群青色の深い色合いへと変わり、船が波を切って進む音が聞こえる。

 

 コウは、ベストの内ポケットから一枚の写真を取り出した。モノクロの、少し擦り切れた箇所がある写真には三人の人物が写っている。一人が父のカッシオ。剃り残した髭が少し目立つが、今より少しだけ若く元気があるように見える。もう一人がコウ。椅子に座り、後ろにいる父に肩を持たれている。このときはまだあの原因不明の病に臥せっていたときで、体も細く、顔色もあまりよくないが、家族で写真を撮ると聞いて無理にでも出てきたのだ。そしてもう一人、母のマルサだ。モノクロの写真からもわかる、黒茶髪をまとめ、少し高級感のあるドレスを着ている。家族三人で写真を撮れたことが嬉しかったのだろう。心からの笑顔をカメラに向けている。

 

 コウは写真を眺めながら母のことを考え始めた。

 

 母さんは今どこにいるのだろう。本当に門の塔へ行ったきりなのか? 実は、もっと別の理由があって戻ってこられないのか? 門の塔へ一度入ると攻略を中断しない限り外へ出られないのだが、外と繋がる窓がある階層へ行くと外へ手紙を送ることができる。母の身に何かあったのならともかく、そういった話を聞かない。だったら何かしら連絡があってもいいはずなのに……。

 

 すると、少しだけ開けていた丸窓から冷たい潮風が船室へやってきた。コウはブルッと身震いをし、腕をさする。

 船室奥の布の切れ目からたくさんの光が漏れ出し、船室からヨーゼフさんが顔を出した。

 

 「コウ坊ちゃん。夕食の準備ができましたよ」

 

 コウはそう言われ、ヨーゼフに促されるまま布の奥へと入った。

 

 「今晩は少し冷えますので、シチューにしました」

 

 ハンモックが吊るされた奥のキッチンのスペースへ行くと、テーブルには椀に入った湯気の立つシチューと、かごに入ったいくつかのバゲットが用意されていた。

 

 「わぁ……! 美味しそう!」

 コウは席へつき、シチューを見て目をキラキラっとさせながらそう言った。

 

 ヨーゼフさんの作る料理はどれも本当に美味だ。もちろん、自分が作ったものや父カッシオ、先ほどお昼ご飯を作ってくれたラルフさんが作ったものも美味しいのだが、ヨーゼフさんは何を作らせても美味を越える美味。何がそう思わせるのか、コウにとって未だ解明できない謎なのだ。

 

 「さあ、召し上がれ」

 ヨーゼフさんにそう言われ、コウはいただきます、と言ったあと、かごのバゲットと一つ取って一口サイズにちぎり、そのちぎったバゲットに少しシチューをつけて口へ運んだ。

 

 「……美味しい」

 コウは、今にもとろけそうというような表情をしてそう言った。

 

 シチューは、味加減、まろやかさ、どちらも絶妙でバゲットとの相性が抜群だ。具は、人参、じゃがいも、玉ねぎ、鶏肉、ブロッコリーが入っており、見るからに具沢山だ。シチューの元々の味に野菜や肉の旨味が合わさってより美味しくさせているのだろう。そしてコウはここであることに気が付いた。バゲットがほんのりと温かいのだ。

 

 「このバゲット、もしかして焼き立て……?」

 コウはヨーゼフさんに聞いた。

 

 「はい」

 ヨーゼフさんは優しい声色でそう答えた。

 

 「まさか本当に焼き立てだなんて……」

 「この船には――小さいですが――オーブンも備え付けておりまして、個数は少ないですがパンやパイなど作ることができるのです」

 ヨーゼフさんは、表情には出さないが、いかにもウキウキしたような口調で話すので、コウは少し面白かった。

 「あの、パンの作り方も教えてください。パイも」

 

 ヨーゼフさんにこう言うととても喜んでもらえることをコウは知っている。もちろん、パンやパイなど色々な料理の作り方を覚えたいのもあるが、ヨーゼフさんはあまり感情を表に出さないところがあるので、少しでもああいった表情をしたヨーゼフさんをコウは見たいのだ。

 

 「わかりました。この航海の間にいくつかお教えします」

 ヨーゼフさんは、シチューを少し浸したバゲットを一口食べてそう言った。

 

 「ありがとうございます!」

 コウはそう返事し、シチューからスプーンで掬った人参を口へ運んだ。

 

 コウが次のバゲットを手に取ったときだった。

 

 「ラルフとは話をしましたか?」

 ヨーゼフさんがコウに別の話を振った。

 「彼、少し緘黙なところがあるので失礼を働いていなければいいのですが……」

 

 コウは、船室下の機関室へ降りたときや、昼食時を思い返す。だが、思い返す限りラルフさんは緘黙というイメージはなく、少し面白いところがあるイケメンという印象だった。

 

 「失礼も何も、昼食を作ってくれました」

 コウは、ラルフさんが機関室でトランクスを干していたことは黙っておくことにした。

 

 「そうですか。それならよかった」

 「ラルフさんって一体どういう方なんですか? ご家族がいないとは本人が仰ってましたけど……」

 コウはヨーゼフさんに恐る恐る聞いた。

 

 「私も詳しいことまでは知りませんが、小さい頃に両親が亡くなって彼の祖父母の家で育ったとかなんとか……。そのあとは海軍に――ああ、彼は元軍人なのですが――入って軍隊を辞めたあと、仕事がないようでしたので今はこの船の管理をお願いしています。仕事はしっかりやってくれるのですが、無口であまり表情を出さないところがある……といった具合でしょうか」

 ヨーゼフさんはそう言うが、ヨーゼフさんの前では少しキャラクターが違うのだろうか、とコウは思った。

 

 「そうなんですね」

 コウはバゲットとちぎって、皿に少し残ったシチューを掬った。

 「ラルフさん、元海軍なんですね」

 

 「ええ」ヨーゼフさんは少し固い表情になり、

 「そろそろ、坊ちゃんにお話ししなければなりませんね」

 

 コウは、ヨーゼフさんの表情や話しぶりからなんとなく”あのことだろう”と察した。

 

 「もしかして、船尾に掲げられてた”イズルザス帝国の国旗”と関係ありますか?」

 

 コウのその言葉にヨーゼフさんは目を見開き、驚いたような表情をした。

 「気づいておられましたか」

 

 「はい。さすがに……」

 

 「さすがコウ坊ちゃんですね……。――夕食後、船尾においでください。そこでゆっくりお話ししましょう。――ああ、温かい格好をしてきてくださいね」

 ヨーゼフさんはそう言って、食べていたシチューとバゲットを平らげ、食器を洗い始めた。


 

 コウは夕食を食べた後、自身のリュックからニットの上着を取り出し、船室を出て船尾に向かった。

 

 この船がどうしてイズルザス帝国籍なのか、一体どんな話を打ち明けられるのだろうか、とコウは色々と想像するが、答えらしい答えには辿り着かなかった。

 

 上着をしっかり着て船尾へ向かうと、イズルザス帝国の国旗の横にヨーゼフさんの姿があった。カッチリと固められたオールバックの白髪が月の光に当たって少し輝いていた。

 モノクルが一瞬光って、その奥の目でコウを捕らえたかと思うと、ヨーゼフさんは口を開いた。

 

 「よくおいでくださいました。上着もしっかり着ておられますね」

 

 「はい。――それで、話って……」

 コウは恐る恐る聞いた。

 

 「……どこからお話しましょうか」

 ヨーゼフさんは船尾からずっと向こう側へ続く白い船跡を見つめ、少し間を置いたあと、口を開いた。

 

 「まずは」ヨーゼフさんは船尾に掲げられたイズルザス帝国の国旗に少し触れて、

 「この国旗のことからですね」

 

 そしてヨーゼフさんは続ける。

 

 「この船の籍は、紛れもなく”イズルザス帝国”のものです。そして、船の所有者はあなたの母君であるマルサ様」

 

 コウは、えっ、と小さな声で驚いた。船はイズルザス帝国の籍で、所有者は母さん? ヨーゼフさんは何の冗談を言っているんだと思った。

 

 「母さんは、バーオボ出身で、バーオボで研究者をしていた父さんと出会って結婚したって……」

 コウは、カッシオから聞いていた二人の馴れ初め話と、たった今ヨーゼフの言ったことが全くかみ合わないことに混乱した。

 

 「それは、あなたを巻き込まないための嘘です。マルサ様は、イズルザス帝国の姫君であり、魔法騎士であらせられました」

 ヨーゼフさんは、依然と船尾から続く白波を見つめる。

 「今は地位を捨て、偽名を――マルサと名乗って――バーオボにて、バーオボの国民として暮らしておいででした」

 

 姫? 騎士? 偽名? コウはヨーゼフさんから発せられる言葉の全てに疑問符を付けて、混乱していく。

 「じゃあ、母さんの本当の名前って? どういうこと? 母さんは……」

 コウは混乱したまま言葉を発した。

 

 「コウ坊ちゃん、落ち着いて。順を追って話しますので」ヨーゼフさんはそう言ったあと、かしこまった表情をして、「マルサ様の本当の名前は、”マリーナ=ローゼンタール・プリンセス・フォン・イズルザス”。現イズルザス帝国国王のご息女であり、イズルザス帝国第三王女です。……騎士になられるまでは、ですが」

 

 「”マリーナ”ってどこかで――まあいいや。えっと、母さんがイズルザス帝国の元お姫さまってことはわかりました。うん。まだ飲み込めないけど。――それで、騎士って? 母さんはお姫さまだったのに、なぜ騎士になったんですか?」

 コウは戸惑いながらも、なんとか頭の中で整理しつつ、ヨーゼフさんに聞いた

 。

 「それは……」ヨーゼフさんはそう言ったあと、少ししかめっ面をした。

 「その――私が言うのもおこがましいのですが――マルサ様は幼少期からいわゆる”お転婆”なところがございまして、ご自身の地位や立場を窮屈に思っておいででした」

 

 「はい」

 コウは、母の行動が理解できないといった様子でそう答えた。

 

 「幼少期からドレスのまま城内や庭園を遊びまわっておいででしたので、巷では”薔薇より泥が似合う泥んこ姫”なんて言われておりました」

 

 コウは黙ったままヨーゼフさんの言葉を待った。ヨーゼフさんは続ける。

 

 「コウ坊ちゃんと同じ年頃になられた頃、マルサ様は修道院に入られることが決まりました。ですが、マルサ様は修道院へ入られることを拒否され、第三王女という地位を捨て自ら騎士学校へ志願し入学されました。騎士学校を卒業されたあとは、女騎士団を編成し、騎士団長として従事されておりました」

 

 スーッと、冷たい潮風がコウの頬を撫でた。

 

 「ですが、女騎士団を編成してからも毎日訓練ばかりでした。マルサ様の父であり、王であらせられるヘルフリート様が、マルサ様を心配してか戦いへ向かわせなかったのです。マルサ様はそんな日々をまた窮屈に思ったのか、突然国を揺るがすような事件を起こしました」

 

 「事件、ですか?」コウはすぐに聞き返した。

 

 「はい。コウ坊ちゃんも一度は耳にしたことがあるかと思います。かの有名な”奴隷解放運動”ですね」

 

 ”奴隷解放運動”とは、今から約28年前、イズルザス帝国で起こった内乱だ。

 イズルザス帝国ではヒューマニ族以外の種族――エルフィナ族やドガール族を攫い、奴隷として雇って過酷な重労働をさせたり、コロシアムで剣闘士として戦わせたりしていた。他国からの批判があったものの、イズルザス帝国はその批判を無視し、長きに渡ってコロシアムや奴隷制度を続けてきた。だが、28年前のある日。一人の騎士によって”奴隷解放運動”が勃発し、多くの奴隷が解放され、イズルザス帝国の奴隷制度は無くなった。

 

 コウが”奴隷解放運動”について本で読んだとき、一人の無名の騎士によって”奴隷解放運動”が起こった、と書かれていた。その後、騎士はどこへ行ったのか、生きているのか死んでしまったのかなどその後のことは一切書かれていなかった。

 

 「……まさか、母さんが?」

 コウは思案したあと、背筋がゾクリとしながらそう口に出していた。

 

 「はい。その騎士というのがマルサ様のことでございます。イズルザス帝国としては、元とは言え、イズルザス帝国の第三王女であるマルサ様が起こした運動。体裁がかなり悪かったため、”無名の騎士”ということにして隠すしかなかったのです」

 ヨーゼフさんはそう言ったあと、もの悲しそうな表情になった。

 「そして、マルサ様は帝国を去ることになりました。事実上追放といったほうがよいかもしれません」

 

 「母さんはそれからどうしたんですか?」

 コウは間髪入れず聞いた。

 

 「マルサ様は、それから旅に出られました」ヨーゼフさんはまた真っ直ぐな瞳で船跡の白波を見た。「たくさんの国を巡って共に旅をする仲間を作り、困っている人を助け……そして、帝国を去ってから三年後、マルサ様は”門の塔”へ入られました。それから五年後にマルサ様は三人の仲間と共に門の塔を完全攻略なさいました」

 

 コウはこのとき、本で読んだ門の塔を完全攻略したとされる七英雄の一人の名前を思い出した。

 「まさか、”マリーナ・ローゼンタール”って……」

 

 「ええ。マルサ様のことでございます」

 ヨーゼフさんは少し申し訳なさそうな表情をしてそう答えた。

 

 「まさか母さんが七英雄の一人だったなんて……」

 コウは、母が門の塔へ発った前日、「門の塔の呪い」と言っていたことふと思い出した。

 「母さんがあのとき言っていた”呪い”って、まさかそのときに?」

 

 「”呪い”について私にはわかりかねますが、あのときのマルサ様の言い方を考察すると、そうなのかもしれません」

 

 ヨーゼフさんがそう言ったとき、強い風が二人の間を通り過ぎた。コウはブルッと身震いをした。気が付けば夜も更け、群青色の空には銀色に輝く星々が幾千万の点々となり、波間を縫って進む小さな船を見下ろしていた。

 

 ヨーゼフさんは右ポケットに入れている銀色の懐中時計を取り出した。

 「おやおや、もうこんな時間。コウ坊ちゃん、そろそろ寝ましょうか」

 ヨーゼフさんは時刻を確認して少し驚いたようにそう言った。

 

 「あの、最後に一つだけ……いいですか?」

 「はい。なんなりと」

 コウがそう聞くと、ヨーゼフさんは顔をコウに向けそう言う。

 

 「えっと、ヨーゼフさんはどうして母さんのことをそんなにたくさん知っているんですか?」

 「おっと、申し遅れておりましたね。私は、マルサ様付きの執事でした。今は執事を辞め、”茨のふるさとのマスター”をしておりますがね。――さ、夜も更けました。そろそろ寝ましょう。コウ坊ちゃん」

 

 ヨーゼフさんにそう促され、二人は揃って船室へ戻った。そして、二人はおやすみ、と挨拶をかわし、それぞれのハンモックへ乗って寝転がった。

 

 コウはまだ目がらんらんと冴えている。船室の真っ白い天井を見つめ、さきほどヨーゼフさんから聞いたことを整理しながら色々と考えた。

 

 母マルサの秘密、門の塔のこと、そして”呪い”とは? 

 母さんは門の塔で何があったのだろう、門の塔がとても危険な場所だとわかっているが、呪いを受けるなんて聞いたことがない。母さんが門の塔の中で何らかのトラブルに巻き込まれて、呪いを受けてしまったのだろうか?

 グルグルと思考を巡らせたが結局答えらしきものには辿り着けず、コウはそのまま深く毛布を被った。

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