第15話ー1 銀の門
昨日、金の門の中で金色に染まってしまった衣服を元に戻すのにとても時間がかかったしまった二人が眠ったのは、夜が更けて数時間経ったころだった。
洗濯の魔法や、魔法を打ち消すような呪文を使ったりしたが、ローブやトンガリ帽子、革のベストは金色に輝いたままだった。だが、金色に染まった衣服たちは、意外なものですぐに元に戻ったのだった。それは、門の塔一階の中央で静かに水音を鳴らす、噴水の水だったのだ。
コウが一息を入れようと、紅茶を淹れるためシングルバーナーで噴水の水を沸かしているとき、コウはふと「この水で揉み洗いすれば落ちたりして」なんて好奇心半分で沸騰させた噴水の水を自身の革のベストに少し掛けたことがきっかけだった。まるで、特殊な洗剤でも使ったのかというほど、金色に染まった革のベストは元通りに戻っていく。深夜にも関わらず、大きな声をあげるほどコウは驚き、喜んだ。
そこから二人は、衣服や髪など金色に染まった箇所へ噴水の水をかけ乾かすという作業をしていたため、寝るのが遅くなってしまったのだ。おかげで翌朝目が覚めたときには、太陽がてっぺん近くまで上りそうという時間だった。
急いで身支度を済ませ、なんとか次の門の前にきたときにはお昼前。普通ならすでに門の中へ入っていてもおかしくはない時間だ。
まあ、こんな日もあるだろう。コウはそう呑気に思いながら、次の門を目の前にしていた。
門の塔一階、マップの右から6つ目の門、”銀の門”。
門の前に人はおらず、昨日入った金の門のことを考えると少し意外だと驚く人もいそうなほど閑散としている。
コウも同じように驚いた者の一人となったのだが、その理由はすぐにわかることとなった。
まずは銀の門の見た目からだ。
金の門が豪華絢爛でその輝きから威圧さを感じるほどの存在を示していたのに対し、銀の門はとても古びた木製の扉で一部朽ち果てているような箇所もあったりする。とてもじゃないが、その見た目から銀の門を想像できないほどだ。
両門のあまりにも対照的すぎる見た目には誰でも驚くだろう。
コウとミキは、銀の門の左側に立っている門番の話を聞こうと、門番へ近づいた。
門番は、今まで見た他の門番と同じく、薄汚れたボロボロのローブを羽織り、フードを深くかぶってその顔を全く見せようとしない。左手に持った長い柄のついたランタンをゆらゆらと揺らし、その場に突っ立っている。ランタンからは淡いグリーンの光が弱々しく点滅しながら明かりを漏らしていた。
コウとミキが門番の近くへ近寄ったとき、門番はボソボソと何か言葉を発した。
「森に住まう……山よりも……大きな……主を……倒せ……」
その声は、しわがれた老父のような声だった。
コウは門番の「倒せ」という言葉に反応した。倒すということは、何かしら戦闘があるのかもしれない。今度こそ自分自身が役に立つときがきた、とコウはそう思った。
古びた木製の門の茶色い錆びが目立つ取っ手にコウは手をかける。ゆっくりと開き、コウとミキは中へ入った。
中はまたあの長く薄暗い、壁に松明が灯された通路だ。右側の壁に煌々と燃え盛る炎をたずさえた松明が灯され、奥へと続いている。
二人はコツコツと足音を鳴らし、奥へと進む。通路は思っていたよりも短く、すぐに視界が開けた。
気が付くと、コウとミキは森の中にいた。
森と言うと、暗く、木や草が無造作に生えた鬱蒼と情景を思い浮かべるが、コウたちが今いる森はとても静かな森で、木々の間から草や苔の生えた地面に零れ落ちる陽光が美しくとても心地が良いところだった。まるでおとぎ話のような絵に描いたような森の風景に、時折聞こえる風の音、葉と葉がこすれ合う音、鳥のさえずり……。とりあえず、悪いイメージではなく良いイメージを持つ森だった。
木々の一本一本がとにかく太く、樹皮が硬い。古代からあるような森なのだろう、とコウは思った。
「あれ? 何かあるよ」
ミキがそう言って指をさす。太い木の根元に何やら人工的に作られた看板のような物が立てられていた。
二人はその看板へ近づく。
「え? 出口?」
コウは看板に書かれた文字を読んで驚いてそう声をあげる。
看板には【出口はこの先すぐ】と、赤い文字でご丁寧に矢印まで書き込んであったのだ。
「え? なんで?」
看板を見たミキは、首を傾げ怪訝な表情を浮かべてそう言う。
そうなってしまうのも無理はない。攻略するためにこの銀の門へ入ったのに、入っていきなり”出口はこっち”と案内されては拍子抜けしてしまう。
「さすがに罠じゃ……」
訝しんだコウは、看板の案内を疑うことから始めた。そんな都合の良いことがあるわけない。
二人は少し考えたあと、看板の矢印の先に本当に出口があるのか確かめることにした。
木の看板が立てられていた大きな木の根元を右側の道を進んでいき、少し真っ直ぐ歩いた先。そこには木製の門がひっそりと佇んでいた。
コウは襲る襲る門へ近寄り、茶色く錆びついた取っ手を持って出口を開いた。中は、あの薄暗い松明が灯された通路だ。何度もこの通路を通って来たコウとミキにはわかる。この門は正真正銘、本物の出口の門だ。
「本当に出口だ……」
取っ手に手をかけたままコウはそう呟く。
コウは考えた。このまま出口へ進んでクリアしてもいい。そのほうが早くクリアできるし、明日入る予定の門のことを考えて休息を取ることを優先することもできる。だが、何か腑に落ちない。罠じゃないとわかったけれども、どうにも納得がいかない。このままクリアとなっていいのだろうか? 何か理由がわかれば出口の看板のことなども納得できるのだが……。
このまま出口へ進むか迷っていると、ミキがそっと錆びついた取っ手に手をかけ、ゆっくりと閉めた。
「ミキ?」コウはミキのほうを向き、問いかける。
「私、納得できないよ。ちゃんとこの森のことを調べてからクリアしたい」
ミキの言う通りだ。出口の場所はわかっているのだし、この森を調べてからでも遅くはない。
二人は森を調べることにし、元の看板があった場所へ戻ろうと振り向いた。すると、数メートル先に何やら見たことがない生き物がこちらを向いて佇んでいた。
その生き物は、体毛は明るめのブラウンで、長くて細い手足にときおりピコピコと揺れる耳や尻尾と、外の世界の鹿とよく似た見た目をしているが、頭部に生えた角が少し違った。ギザギザと左右行ったり来たりした形をしており、とても力強い見た目をしている。
角が生えているということはオスなのだろうか? 年齢も若そうで、コウたちが近づくといつでも飛び跳ねながら森の奥へ逃げていきそうだ。
鹿は、コウとミキの目をじっと見つめ、看板のあった場所とは違う道へ進んだかと思うとその場で立ち止まり、振り返ってはまたコウとミキを見つめる。まるで「俺について来い」と言っているかのような素振りだ。
「どうする? ついて来いって言ってるように見えるけど」
コウはミキに問う。
「うーん。どうしよう……。コウはどうしたい?」
コウは逆にミキに聞き返され、自分の考えを整理する。
今度こそ罠かもしれないが、ここで突っ立っていても、ただ森を調べても答えらしい答えは得られないかもしれない。それならば鹿へついて行き、罠にはまるならはまる。そうでなくとも、何かしら問題が起こって解決してしまったほうがクリアしたあとの後味も良いだろうと思った。
門の塔へ入る前ならそんな考えには至らなかっただろうが、いつからか変わってしまったな、とコウは自身に思った。
「ここにいても何かわかるわけじゃないし、鹿について行こうか」
コウの答えにミキも賛同してくれ、二人は鹿の後についていくことにした。
ギザギザ角の鹿は、コウたちの歩む速度に合わせて前へ進んでは止まり、また前へ進んではコウたちを待つという行動を幾度と繰り返す。看板や出口のあった場所と比べこのあたりは人が入ってきていないらしく、進む先は獣道となっていき険しくなる。
森の太い木々の間に白い陽光がまるで零れ落ちてきているかのように、その場所を明るく照らす。木々の一本一本が先ほどよりも太くなる。太古の昔からこの自然が守られている証拠なのだろう。とても神秘的な雰囲気が森の中に立ち込めている。
行く先を阻むように生えている植物を見ると、外の世界では絶対見ない植物だった。葉は丸く広がっているのに、葉脈が平行なのだ。
葉の面積が広いものは、効率よく光合成を行うため出来る限り多くの日光を浴びるよう大きな葉をしている。光合成することで作り出した栄養を葉全体に網目状に張り巡らせた葉脈を使って栄養を茎や根に送るようにしているのだが、どうもこの門の中の植物は違うらしい。その理由こそはわからないが、あのギザギザ角の鹿といい、この銀の門の世界は外の世界と酷似しているようでどこかが違う。やはり魔法で作り出した世界だからなのだろうか。ただの複製だから少し違う箇所が出てくるのか、外の世界とは仕組みがまるで違う世界なのか。こればかりは時間をかけて研究をしなければわからないのだろう、とコウは思った。
ギザギザ角の鹿は一定の距離を保ちつつ、二人が迷ってしまわないよう案内を続けてくれる。ときおり二人に向ける眼差しがどこか優しくも感じる。
獣道で歩くのは大変だが何か意味があるものだと思い、二人は歩みの速度を変えず、鹿の後をついていった。
看板や出口のあったあたりからかなり深い場所までやってきた。もう自力で元の場所には戻れないだろう、というほどだ。
木々の太さは先ほどよりもまた太くなっていることが目に見えてわかる。樹皮がとても厚くて硬く、木の高さもとても外の世界の木とは比べ物にならないほどとても高い。この木一本から何軒の家が建ち、何千本の杖が作れるのだろう。もう想像ができないほどだ。
ギザギザ角の鹿の後を追いかけていると、突然大きな音が二人の耳に入った。
その音は地を揺らすような大きな音だ。でも何か嫌な予感は不思議としない音だった。
すると、突然森が開けた場所にたどり着いた。
だが、その開けた場所には何かがいる。そうすぐにわかるほど、とてつもなく大きな何かがそこにあった。
ギザギザ角の鹿は、開けた場所にいる何かに近づいて行く。怖がる様子もなく、その大きな何かを真っ直ぐ見つめ、ゆっくりと歩を進める。
開けた場所にいる大きな何かは少し動いたかと思うと、また大きな音を立てる。その音は先ほど聞いた大きな地を揺らすような音と同じだった。その大きな何かが生きている生き物でその生き物の寝息なのだと、このときコウたちはやっと気が付いた。
鹿はその大きな何かの数メートルというところまで近づいている。もしもこれ以上近づくと何かあっては逃げられないという距離だ。
「ど、どうしよう……。あの鹿さんに何かあったら……」
ミキは、ギザギザ角の鹿の様子を目で追いながら慌てふためく。
「鹿を助けよう!」
コウの呼びかけに、ミキはうん! と返事をし、二人は鹿の元へ駆けだした。
大きな何かにもし襲われても、ミキの魔法やコウの剣で対処し、すぐに逃げられればなんとかなるはず。
コウは、頭の中でもしものときのことを何パターンかシミュレーションしながらギザギザ角の鹿の元へ駆け寄った。
すると、コウたちの気配に気づいてか、先ほどまでじっとしていた大きな何かが目を開いた。その目は夜空に浮かぶ月よりの何倍も大きく、オレンジ色の瞳の中央にある縦に長い猫のような真っ黒な瞳孔が少し小さくなったかと思うと、コウたちの姿を捉えた。
「そこにいるのは誰だ?」
大きな何かは目でコウとミキ、ギザギザ角の鹿から視線を逸らさずに問いかけてくる。その声は視線の先の相手を凍り付かせるのではというほど鋭い。
コウとミキは動きを止め、なんとか視線から逃れる方法を考えたが、鋭い視線は逃そうとしてくれない。もう逃げられない、とすぐに悟った。
コウは逡巡したのち、間をおいてから口を開いた。
「あ、えっと。寝ているところを邪魔してしまい申し訳ございません。僕たち怪しい者では……」
コウがそう答えていると、目の前にいるギザギザ角の鹿がまた動き出し、大きな何かへ近づいていこうとする。ミキがなんとか止めようとしたが、鹿は動きを止めなかった。
大きな何かがギザギザ角の鹿の姿を捉えると、「なんだお前か」と言う。
その声色はとても優しく、なんだかホッとするような気さえする。先ほどの鋭い声色とは全く真逆だ。
大きな何かは、突然何かを察したかのように大きなため息をその尖った鋭い口から吐いた。
「この人間たちを連れてきたのはお前だったのか……」
大きな何かは、ギザギザ角の鹿にそう問いかける。
ギザギザ角の鹿は、「そうだよ」と答えるように、大きな何かにスリスリとすり寄った。
一体何が起こっているのだろう。
コウとミキは目の前で起こっている光景が全く理解できず、唖然とした。
コウたちの状況に気づいてか、大きな何かはすぐ声をかける。
「すまない。こいつがお前たちをここまで連れてきてしまったようなのだ。――見たところ攻略者のようだが、随分と若いな」
コウとミキはすぐ自身の自己紹介を、その大きな何かにした。
「そうか。俺の名は銀竜。この銀の門の主だ」銀竜さんはすぐに視線をギザギザ角の鹿へやり、
「こいつはこの森の魔法生物だ。俺の事を気にかけてくれていてな。君たちをここへ連れてきたのもそういうことだろう」
「そういうこと、とは?」
コウが銀竜さんに聞く。
「俺に元気になってほしいんだとよ。誰かと話せば元気になると思ってるみたいなんだが、年寄りの竜が今更元気になるわけないってのにな」
銀竜さんは、自虐するようにそう言う。
だが、その近くで銀竜さんを見るように佇んでいるギザギザ角の鹿は、ときおり心配そうな視線を銀竜さんに向ける。
コウはふと、銀竜さんの体へ目をやった。
山のような大きな体は汚れやコケが付着していてどこかみすぼらしい。”銀竜”という名前から銀色に輝く美しい鱗を持った姿を想像するが、その面影などまるでない。大きな手や腕もやせ細っており、力強さもなく、ギザギザ角の鹿が心配してしまうのがわかるほどだった。
体の汚れ具合や手や腕の痩せ方を見ていると、長く食事を取っておらず、体も全く動かしていないことが窺える。このままだと死んでしまうのではないか、とコウは思った。
すると、先ほどからずっと黙り込んで何やらモジモジとしているミキが、突然顔を上げ、銀竜さんの大きな目を見据えたかと思うと、とんでもないことを口にした。
「あの! 掃除させてもらえませんか?」
ミキのその言葉を聞き、コウも銀竜さんも啞然とした。
いきなり何を言い出すのだ、とコウはミキを制止し、銀竜さんへ背を向けコソコソを耳打ちをする。
「ミキ! いきなりどうしたの?」
「だって、銀竜さんの体の汚れ、すっごく気になるもん。もう居ても立っても居られないの」
「でも、いきなり掃除だなんて……」
「しょうがないじゃない。気になるもん」
「しょうがなくはないよ……」
コウの制止を振り切り、ミキはまた銀竜さんのほうへ向き直って口を開く。
「お願いします。もう我慢できないんです。掃除は私とコウだけでやりますから――」
「えっ? 僕も掃除するの!?」
まさか自分まで掃除をさせられるとは思わず、コウはミキに聞いた。
「当たり前じゃない! 攻略の同行者でしょ?」
ミキはコウに答える。
「ちょっと待って。確かに同行者だけど、掃除はミキのワガママでしょ?」
「ワガママで悪い? これが私の性格だもん」
ミキは開き直る。
すると、銀竜さんは突然大きな笑い声をあげた。
二人はその大きな笑い声にビクリと反応し、銀竜さんのほうへ視線をやると、銀竜さんは笑いを鎮めた。
「おっとすまない。二人のやり取りが面白くてな。――掃除なら勝手にやるといい。だが、俺の体は山よりも大きい。とてつもなく時間がかかるぞ」
銀竜さんはそう言ってオレンジ色の澄んだ瞳をミキへ向ける。
「ええ! 大丈夫です! 時間はたっぷりとありますから!」
ミキは元気いっぱいに答える。
コウは、自身の同意のないまま掃除に参加することとなり、呆れかえるしかなかった。




