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門の塔(改稿版)  作者: 小望月待宵
第1章
3/10

第1話ー2 コウと父

 「遅くなりました!」

 コウが茨のふるさとに入るや、赤いバラのステンドグラスが施されたドアのベルがカランコロンと店内に響く。

 「大丈夫ですよ、コウ坊ちゃん」

 真っ白な布きんでグラスを磨いているヨーゼフさんが、コウにそう言った。

 

 店内にはいつもの常連さんが3人ほど。紅茶やコーヒー、サンドイッチなどを頼んで、店でのひと時を楽しんでいるようだった。

 コウは、店奥の物掛けに掛けられた真っ黒なエプロンを取り上げ、自身の体に身に付けた。

 

 「コウ坊ちゃん。ティラミス作りをお願いしてもよろしいでしょうか」

 エプロンを身に付けて出てきたコウに、ヨーゼフさんはそうお願いした。コウは、わかりました、と返事をし、さっそくティラミス作りに取りかかった。

 

 コウはまず、キッチンの棚からボウルや泡だて器などを取り出し、その次にココアや粉末コーヒー、砂糖、ビスケットを。そして、裏から卵を10個ほど。そのあとに、冷蔵庫から生クリームやマスカルポーネを取り出した。

 冷蔵庫の扉をパタンと閉めたとき、店のドアベルがカランコロンと音を立てた。お客さんが一人、ドアの前に立っていた。ヨーゼフさんがその人を招き入れ、空いている席へ案内する。そのお客さんは「コーヒーを」と静かな落ち着いた声で注文した。

 コウは、そのままティラミス作りに集中した。

 

 順序を踏んでティラミスを完成させると、ヨーゼフさんがコウの目の前にサンドイッチを差し出した。

 「そろそろ休憩のお時間です。裏でどうぞ」

 

 朝食べた砂糖バターパン以降、何も食べていなかったコウのお腹はもうペコペコだ。

 ありがとうございます、とコウはサンドイッチを受け取り、裏へ回ってサンドイッチを一口齧った。マヨネーズ、ハム、レタスを挟んだサンドイッチだ。ヨーゼフさんは絶妙な量加減でマヨネーズを挟んでおり、それがハムとレタスを程よく際立てている。空腹の胃が最高に喜んでいるのがわかる。美味しい。

 

 ヨーゼフさんのサンドイッチの余韻が残るまま、ご馳走様でした、と小声で言い、コウはキッチンへ戻った。

 

 キッチンから客席を見て、客が何人いるか確認する。現在は4人。空いてる席のテーブルを拭きながら、お客さんのカップを目視し、コーヒーまたは紅茶のおかわりがいるかどうかチェックする。3人はまだ半分かそれ以上残っていたが、1人はそろそろ底が見えそうなほど減っていた。あの濃い色はコーヒーだな。コウがコーヒーの入ったポットを取りにキッチンへ戻ろうとしたとき、その客はカップに残っていたコーヒーを飲み干し、レジの前までやってきた。おかわりを聞こうと思ったのに……なんてコウは心の中で少し残念に思いながら、その客からお金を受け取り、会計を済ませた。

 そうは言っても、他にも客はいるし、さっきの客のカップを下げて洗い物などしなくてはならない。やることは山ほどある。コウは濡れ布きんを手に、さっき帰っていった客の席へ向かった。

 

 牧場での仕事も、茨のふるさとでの仕事も、業種は違えどどちらもやりがいがあり、本を読んでいるだけではできない経験がたくさんできる。そして何より、”門の塔へ行く”という夢に、地道ではあるが着実に一歩ずつ近づいている。僕もマルコさんにように一日でも早く……そう思いながら布きんで机を拭き、カップを下げていると、店のドアベルがカランコロンと鳴った。

 

 「いらっしゃいませ。空いてる席へどうぞ――あっ! マルコさん!」

 なんともグッドタイミングだ。門の塔へ行く資金を貯めたあのマルコさんがやってきた。

 

 「ごめん。ちょっと遅くなっちまった。ここで待たせてもらうよ」

 「はい!」コウはそう返事をしたあと、カップを持ってキッチンへ向かった。

 

 茨のふるさとはピーク時を乗り切り、いつものようにゆったりとした時間が流れ始めた。

 コウは少し暇を貰ったので、マルコさんから話を聞こうと彼の向かいの席についた。

 

 「すみません! お待たせしました」

 「いいよいいよ! ――おっ! これ貰ってもいいの?」

 コウが手に持った皿の上のふわふわドーナツを見て、マルコさんは聞いてきた。

 

 「はい、どうぞ。ヨーゼフさんが「僕たちに」って」

 「ヨーゼフさん気が利く~!」

 マルコさんはそう言ってふわふわドーナツを一つ掴み、一口齧った。

 

 ふわふわドーナツはバーオボの観光地のモミマドレの食い歩き名物として有名で、表面に振りかけられた砂糖の甘味とふわふわとした触感が女性の間で人気なのだ。

 

 「うっめ~! 俺、ふわふわドーナツ好きなんだわ」

 「それで、どうやって説得するんですか?」

 

 コウはずっと聞きたかったことをそのままストレートに聞いた。今朝、資金を貯めたと聞いてからずっとうずうずしていたのだ。

 

 「そのまま直球勝負で行こうと思ってる。俺の親父のことだ。変に曲がりくねった言い方したら、逆鱗に触れそうだし。お金をしっかり貯めたってことはもちろん伝えてね」

 

 直球勝負……。マルコさんらしい、とコウはそう思った。

 

 「いいなぁ……。僕も早く行きたい」

 「コウならすぐだろう?」

 「すぐ……ならいいんですけどね……」

 

 コウは頭にある人を思い浮かべた。コウの父、カッシオだ。コウがバイクの免許を取るときもかなり反対した父だ。一筋縄ではいかないのは目に見えている。その情景が、カッシオが言うであろう言葉が、まるで映像のように思い浮かぶのだ。

 

 「父がもう少し寛容なら……」と、コウは肩を落としながら言う。

 「それはうちも同じだよ」とマルコさんはコウを元気づけるように言った。

 「心配の裏返しなんだと思う。昔は俺も分かんなくて反抗したけどさ、今なら分かるんだ。親として子供が心配だったんだなって」

 

 「心配の裏返し……」

 コウは、父の心境はもっと複雑なものなのだと思っている。心配だけではない。何かもっと深い訳がある。その何かは分からないが……。

 

 「俺はさ、父ちゃんを喜ばせたいんだ。門の塔を攻略できるくらいの一人の男としてバンフィ家の次男坊はとても立派だって。心配をかけるだろうけど、それでも行きたいってストレートに伝えるつもり!――あ、もちろん、本当の理由は秘密にするけどね」

 マルコさんの言う門の塔へ行く本当の理由とは、ある願いを叶えてもらうためなのだ。

 

 門の塔は、完全攻略した人の願いを叶えてくれる、と言われている。約2100年前、人類で最初に完全攻略をしたガルモス・ウルローという剣士の男性は、”自分の国を建国したい”という願いを叶えてもらい、今現在門の塔がある魔法の国”聖地テルパーノ”ができたのだそうだ。その話を聞いてか、連日門の塔にはたくさんの攻略者が訪れる。もちろん、冒険をしたいなどの理由もあるだろうが、ほとんどの人が門の塔を攻略して、自身の願いを叶えることが目的なのだ。コウとマルコさんも例外ではない。

 

 「リリアーナちゃん。俺が門の塔を完全攻略したって聞いたらちょっとは振り向いてくれるかな?」

 マルコさんはふわふわドーナツをもう一つ取り、一口齧りながらそう言う。

 

 「リリアーナさんと結婚したいってお願いするんですから、願い通りになりますよ」

 コウは、当たり前じゃないか、と言わんばかりに答える。

 

 「そうかな? そうかな? ……今から不安になってきたわ」

 マルコさんは首をガクンと落としながら不安そうに言う。

 「今ですか?」と、コウは突っ込んだ。

 

 マルコさんの本当の願いは”食堂クルンゲの長女リリアーナさんと結婚したい”。何度もアプローチしているのだそうだが、一向に振り向いてもらえないらしく、何がなんでも願いが叶うのなら、と門の塔の攻略を決意したのだ。

 

 「でも、門の塔って今まで7人しか完全攻略できてないって……」コウは心配そうに問いかける。

 

 門の塔を完全攻略できたのは今まで7人しかいない。その7人は”七英雄”と呼ばれ、世界の偉人にも数えられるほど有名で偉大な存在なのだ。これまでに門の塔へ入った者は数万人以上。その数万人のうち7人しか完全攻略できなかった。その数万人のうち、途中で離脱した者、強制退場させたれた者はまだいいほうだ。中には入ったきり消息のわからなくなった者も無数にいると聞く。それほど中は危険で恐ろしい場所だ。コウは、そんな門の塔に対して恐怖心もあるが、だからこそ行きたい、行かねばならない理由がある。

 

 「俺が8人目になるんだ。いや、なってやるさ! そしたら俺は8人目の八英雄! そんな栄誉ももらえてリリアーナちゃんと結婚……できるかもしれないんだ。行かなきゃ損ってもんよ!」

 マルコさんは、意気揚々と拳を高く掲げながらそう答えた。

 「それに、コウだってそうだろ? マルサさんを見つけるためだったら危険を顧みない! 俺はコウのそういうところにいつも勇気を貰ってるんだ! だから今更なんだよ! 怖いだの危険だのなんてな!」

 

 そう。コウが門の塔へ行く理由は、”門の塔で行方不明になった母マルサを探しに行く”ため。6歳のとき母が言っていた”門の塔の呪い”。そして”門の塔へ入った理由”。その二つの謎を解くため、そして母の消息を知るため、コウは門の塔へ行こうと決意した。だが、門の塔へ入ったからといって、必ずしも母の消息がわかるわけではない。すでに門の塔の攻略を諦めて退場したまま消息を絶った可能性もあるからだ。母の消息がわからないまま完全攻略できてしまった場合は”母の行方を知りたい”とお願いするつもりでいるのだ。13歳の少年が一人で完全攻略できる可能性は低いけど……。

 

 二人はそこから家族への説得の話や、いつ、どうやって聖地テルパーノへ行くのかなど話した。

 少ししてマルコさんは帰り、コウも茨のふるさとでのアルバイトが終わった。


 

 帰宅する前に、港町リョックルにある馴染みの鮮魚店で魚と、近くの八百屋で野菜を買い、バイクに乗ってレレーンの自宅へ帰って来た。

 

 「ただいま!」

 コウがそう言って自宅の扉を開けると、父が店を閉め終え、居間に入ろうとしているところだった。

 「おかえり」

 カッシオはコウに優しい声色で返事した。

 

 「いい魚があったから帰りに買ってきたよ」

 「そうか。今日は焼き魚にしよう」

 うん、とコウは元気よく返事をし、魚や野菜を居間のテーブルへ置いたあと、荷物を二階の自室へ置きに行った。もちろん、”門の塔へ行く計画が書いてあるノート”は、カッシオに見つからない場所へ隠した。

 

 一階へ戻り、キッチンへ入ると、カッシオは料理の準備を済ませていた。

 

 「僕も手伝うよ」コウはそう言ってシャツの袖をたくし上げ、手を洗い始めた。

 「それじゃ、米を洗ってくれ。あと、サラダの野菜も」

 

 わかった、とコウはキッチンの棚の下部にある米びつを開き、3合測って、米をボウルへ入れた。ささっと水洗いしたあと、炊飯器の釜に洗った米を入れ、水を”3合”と書かれたメモリまで入れ、スイッチを押す。

 次に、さっき八百屋で買ってきた野菜を手で千切りながら、水を溜めたボウルに掘りこんでいく。野菜はこうするだけで簡単にサラダを作ることが出来るので楽だ。

 そしてコウはふと、父の方をみた。父は、ウロコを取った魚の下腹あたりに器用に切り込みを入れていく。その包丁さばきは見事なものだ。

 コウは、手で千切った野菜の水気を切ったあと、オシャレな大ぶりの皿へ盛り付けた。そして父に声をかけた。

 

 「サラダ、用意できたよ」

 「わかった。こっちももう終わる」

 父はそう返事をしながら、下腹のあたりの切り込みに指を入れ、水で濯ぎながらはらわたを取る。そして、魚の側面に切り込みを入れていた。

 

 「あとは焼くだけだね」

 「コウ、焼くのは任せていいか? 俺はスープを作る」

 「任せて!」

 コウはそう返事をし、グリルの前に移動した。


 「魚の焼き加減どう?」

 「いい具合だ。――俺が作ったスープはどうだ?」

 「とっても美味しいよ!」

 料理をし終えた二人は、食卓につき、お互いの作った物を褒め称えながら、目の前の食事を口に運んだ。

 今日の夕食は、焼き魚に、スープ、ホカホカの白米、そしてサラダだ。

 

 マルサが行方不明になってから二人はお互い支え合いながらなんとか生きてきた。カッシオは苦手な料理を茨のふるさとのマスターのヨーゼフから習い、他の家事も慣れないながらこなし、今ではヨーゼフさんに負けないほど料理がうまくなっている。コウは体調が良くなってから少しでも父の役に立ちたいと言い、カッシオやヨーゼフ、近所の人から聞いたりしながら習得した。だからと言って、二人は妻であり母であるマルサのことを片時も忘れたことはない。今囲んでいる食卓だって、誰も座っていない椅子が一脚用意されているし、料理は置いていないが、誰も口をつけないけれど、水が入ったカップがその席の前に置かれている。妻が、母がいるんだっていう存在を少しでも感じられるように。

 

 焼き魚に箸を入れたとき、コウはふと”門の塔”のことが頭に過った。今日の父なら話しても大丈夫そうだと思ったのだ。そして、意を決してその言葉を口から出した。

 

 「あのさ、父さん」

 「ん? どうした?」カッシオは、スープをスプーンで掬ったところだった。

 

 このタイミングでほんとに切り出してもいいのだろうか……。コウは一瞬躊躇し、少し間を置いた。そしてカッシオの顔色を窺いながら、また口を開いた。

 

 「あの、さ……。”門の塔”ってどんなところなの?」

 

 意を決して口から出た言葉がかなり遠回しな言い方どころか、ただ”門の塔”について質問しただけになってしまった。明らかに不自然だ。もっとうまい言い方をすればよかった、とコウは後悔した。

 

 「……どうしてそんなことを聞くんだ?」

 

 少しの沈黙のあと、カッシオはそうコウに聞いた。コウの不自然な質問に怪訝な顔をしている。

 

 「あ、えっと……その……。今日、マルコさんから聞いてさ。近いうちに”門の塔”に行くんだって」

 

 「……」

 コウの不自然な質問や明らかに泳いでいる目を見てか、カッシオは黙り込んでしまった。

 

 先ほどまでの陽気な空気とは打って変わって、まるで氷で出来た部屋の中にでもいるような、芯を凍らせるような冷たい空気が居間を占領している。そこらにいる野良猫にもわかるほど空気が悪くなってしまった。

 コウが口をパクパクさせ、何かフォローを入れようとしたそのとき、カッシオは、焼き魚に箸を入れ、身をほぐし、口へ運んだあと、言葉を発した。

 

 「”門の塔”のことは今後一切話すな」

 「ど、どうして……」と、コウ。

 「どうしてもだ」

 カッシオは強い口調でそう言ったあと、黙って夕食を平らげ、自室へ戻ってしまった。


 

 部屋へ戻って来たコウは、隠していたあのノートを取り出し、開いた。

 

 ――門の塔とは?――聖地テルパーノまでの道のり――七日間講義を受講できる学校……。

 門の塔へ行くため、アルバイトや家事をこなしながら、合間を見つけては国立図書館へ行き資料という資料を漁った。役に立ちそうと思ったことは小まめにノートへメモした。それがこのノートだ。

 

 あの言い方だと、カッシオはコウが門の塔へ行くことに必ず反対するだろう。でも、コウは門の塔へ行きたい。母を探しに。母を見つけるという願いを叶えるために。せめて居場所でもわかれば……。どんな最期だったかわかれば……。母が死んだ、なんて最悪の可能性は考えたくない。だが、門の塔という場所はその最悪の可能性は大いにあり得る場所なのだ。そんな場所へコウは行こうとしている。父が反対する理由は自身でもハッキリわかっているのだ。それでも、コウは門の塔へ行きたいと思っている。

 

 「僕がもっと……強ければな……」

 コウは開いていたノートを閉じ、絶対に見つからない場所へ隠した。そして、ベッドへ横たわり、天井を見つめる。

 明日も早くから牧場のアルバイトだ。朝起きて、朝食を用意して、バイクに乗って……。

 

 コウはそのまま眠りについた。

 


 『今朝の天気は晴れ、ときどき曇り。降水確率は10パーセント。雨の心配はないでしょう。陽ざしが少し強いので、昼間はサングラスがあると快適に過ごせそうです。次は――』

 

 コウは身支度をしながらラジオウムから流れる天気予報を聞く。雨の心配がないなら、今日はいつも通りウシたちを放牧に出せるな、と今日の仕事のことを考える。

 

 この”ラジオウム”は、コウが10歳の誕生日のときにヨーゼフさんから頂いたものだ。全身シルバーのブリキでできており、”ラジオウム”という名前の通り、鳥のオウムのような姿かたちをしている。ラジオを流す機能はもちろん、時間になれば鳥のような声で鳴き、タイマーの役割をしたりする。どういった原理で動いているのかは知らないが、どうやら魔法石で半永久的に動くようになっているらしい。

 

 『今朝のニュースです。観光街モミマドレで窃盗。海の国アクドゥア王国籍の30代の男、逮捕――』

 コウはラジオウムの電源を切り、そのまま自室を出て行った。

 

 

 モミマドレへの配達をこなし、レレーン小学校の配膳室へやってきたときのことだ。

 コウが牛乳のボトルをせっせと運んでいると、別のバイクのエンジン音が聞こえてきた。

 

 「コウ! おはよう!」

 マルコさんだ。いつもより声が明るく大きい。

 

 「おはようございます!」

 

 コウがそう返事すると、マルコさんは颯爽とバイクを降り、コウへ駆け寄って来た。

 

 「父さんから許可が下りたんだ! 門の塔へ行けるぞ!」

 マルコさんは、とても嬉しそうな表情でそうコウに伝えた。

 

 「お、おめでとうございます!」

 コウは元気よく祝福したが、心の中では複雑な心境だった。

 

 自身は説得どころか、「門の塔の話はするな」と口止めされてしまった。だが、マルコさんは父親と向き合い、しっかりと話し合って許可を取った。自分ももっと向き合わないと。せっかくここまで来たのに、父という壁に阻まれてしまっては……。

 そのあと、コウは牧場へ帰る道でもずっと父をどう説得するか、とそのことばかり考えていた。

 

 そして、牧場の仕事を終え、茨のふるさとでのアルバイトをしているときだった。

 ピークを乗り越え、少し余暇ができたとき、コウは思い切ってヨーゼフさんに計画のことを打ち明けることにした。

 

 「あの、ヨーゼフさん」

 「どうかしましたか? コウ坊ちゃん」

 ヨーゼフさんは優しく尋ねてくれる。その声色は、コウの心を柔らかく包み込んでくれるようだった。

 

 「その、実は相談があって……。僕、門の塔へ行きたいんです」

 

 ヨーゼフさんは、真っ白な布きんでグラスを拭く手を一瞬止めた。そしてまたグラスを拭く手を動かし始め、口を開いた。

 「門の塔ですか……」

 

 「はい。僕、どうしても母さんを探しに行きたいんです」

 父にもこれくらいストレートに打ち明けられれば良かったのに、と自分の口から出てきた言葉を聞いてコウは思った。

 

 「お父様……カッシオ様にはお話になられたのですか?」

 

 「実は、昨日話そうとはしました。でも、「門の塔の話は二度とするな」って言われてしまって……」

 コウはそう言った後、少し俯いた。

 

 キッチンから遠くの席にいる一人の客がいる中、外からのちょっとした物音が少し聞こえる程度の店内は、どこか緊張しているようなそんな空気が流れている。

 

 少し悩んだ表情をしたあと、ヨーゼフさんは口を開いた。

「カッシオ様ならそう言われるでしょうな……」

 

「母さんが行方不明になったから、ですか?」

「それは……カッシオ様ご本人に聞かないとわかりません」

 ヨーゼフさんはそう言うと、次のグラスを手に取り、拭き始めた。

 

「そうですよね……」

 コウがそう返事をしたときだった。赤いバラのステンドグラスが施されたドアが開き、カランコロンとドアベルが鳴り、来客を知らせた。

 

「いらっしゃいませ!」

 

 コウが新しく来た客を案内しようとキッチンから出ると、そこには父のカッシオが立っていた。

 

「と、父さん……。――あ、空いてる席にどうぞ」

 コウは一瞬動揺したが、気を取り直し、カッシオを客として案内した。

 

 カッシオは窓側の席に腰かけた。メニューをみて少ししてから、コウを呼んだ。

「コーヒーと、ティラミスを一つ」

 コウはかしこまりました、と返事をし、ヨーゼフさんに注文を伝えたあと、冷蔵庫のティラミスと棚に仕舞っているスプーンを取り出し、トレイの上に置いた。

 

 少しすると、ヨーゼフさんは白いティーカップ入ったコーヒーとミルクとトレイに置いた。そして、コウに耳打ちするように「私が持って行きますね」と言い、そのトレイを持ってカッシオのテーブルへ向かった。

 

 なんとなく緊張が走る空気の中、コウはキッチンからちらっとカッシオを見た。カッシオは、コーヒーに少しのミルクと角砂糖を一つ入れたあと一口啜り、そのあとコウが作ったティラミスをスプーンで掬って口へ運んだ。あのティラミスをコウが作ったとは父は知らないはず。とは言え、こうして父に食べてもらえるとなんとなく嬉しかった。

 

 茨のふるさとでのアルバイトを終え、コウはリョックルの市場で夕食の材料を買い、自宅へ戻った。

 

 「ただいま……」

 小さな声でそう言いながら、玄関の扉を静かに開け、恐る恐る中へ入る。静寂がコウを迎えた。

 

 「あれ? 父さんいないのかな?」

 どの部屋も人の気配がなく、明かりも漏れていない。父はまだ帰ってきていないのだろうか。

 

 コウが居間へいくと、テーブルに一枚のメモ用紙が置かれていた。父の書置きらしい。そこにはこう書かれていた。


 

  帰りは遅くなる。夕食は先に食べなさい。

  夜更かしはしないこと。

                   カッシオ


 

 父さん遅くなるのか……、とコウは思いながら、買ってきた物をキッチンへ置き、夕食の支度に取りかかった。

 

 コウは袋からブロッコリーやニンジン、鶏肉などを出した。次に、冷蔵庫から先日ガスマン牧場でわけてもらった牛乳とバター、野菜庫から玉ねぎやじゃがいも、そして、キッチン上部の棚から小麦粉を取り出した。

 

 コウは野菜を洗いながら昨夜のことを思い出す。「門の塔のことは話すな」。父の言葉が頭にこだまする。

 

 「話すくらい、いいじゃないか……」と、コウは野菜を切りながら、自身の気持ちを吐露した。

 

 どうして門の塔の話すらしてはいけないのだろう? 危険な場所だから? 母さんが行方不明になった場所だから? 僕が興味を持ってしまうといけないから? ――コウは自問自答を繰り返す。

 

 コウは、大きな鍋に牛乳を入れ、沸騰するまで待つ。

 それにしても、父はどうして今日は遅くなるのだろう? 特に街の集まりや偉い人と食事があるだなんて言ってなかった。もしかして、自身と話したくないからでは……?

 

 コウの中に嫌な感情が渦巻く感覚がした。

「嫌なことを考えるのはよそう……」

 

 今は、どうやって父と門の塔のことについて話し合うか、門の塔へ行くための説得をどうすればいいか、それだけを考えよう。

 コウは、沸騰した牛乳の入った鍋に、材料を投入した。


 ◆


 「コウ坊ちゃんは、”門の塔”へ行きたいようです」

 洒落たグラスに入った淡いグリーンのカクテルを差し出したヨーゼフは、カウンターに座るカッシオにそう言った。

 

 ここは茨のふるさと。昼はコーヒーや紅茶を楽しむ喫茶店、夜はお酒を嗜むバー、と昼と夜で違う顔を持つ店だ。

 

 昼間、カッシオがこの店へやってきたとき、ヨーゼフはコーヒーとティラミスを持って彼のもとへ運んでいったときだった。

 「話があるので今晩店に来てください」と、ヨーゼフはカッシオにこっそり伝えたのだ。

 約束通り、夜になってカッシオはここへ来た。ヨーゼフは、あまり酒を好まないカッシオのためにアルコール度数が低いカクテルを用意し、コウのことを伝えた。

 

 「ですが、カッシオ様がその話すらさせてもらえない、と坊ちゃんは嘆いておられました」

 ヨーゼフは顔色を変えず、真っ直ぐな目でカッシオにそう言った。

 

 カッシオは、その淡いグリーンのカクテルを一口飲み、口を開いた。

 「門の塔は危険です。マルサですら帰って来られなかった場所なのに、コウ一人でなんて……」

 

 「確かにそうですね」とヨーゼフ。

 

 「だから行かせるわけにはいかない。そのためにあの場所の話すらさせないように口止めしたんです。前に、うちの店にあったあの場所に関する書籍も全て隠しておいたのに……。どうして……」

 カッシオは、グラスを置き、右手を強く握りしめた。

 

 「それだけ、母君であるマルサ様に会いたいのだと思いますよ」

 「……」カッシオは黙って俯いた。

 

 ヨーゼフは一瞬間を置き、「坊ちゃんはご自身で色々と調べられたようです。あとは、バンフィ農場のご子息のマルコさんと情報交換をしたり……。もう坊ちゃんを止めることはできないと思います」

 

 「ヨーゼフさんは、どうしようと思っているのですか?」

 カッシオはゆっくりと顔を上げた。

 

 「協力しようと思っています。それがマルサ様から最後に言われた約束ですから」

 カッシオは、ヨーゼフから出た言葉に一瞬ハッとしたあと、苦い顔をして口を開いた。

 

 「そうですか……」

 

 「まだ考える時間はあります。少し時間を置いて冷静になってから坊ちゃんと話し合ってみては?」

 ヨーゼフは真っ白な布きんを手に取り、グラスを拭きながらニコリと微笑んでそう言った。


 ◆


 あれから数日。

 

 毎日のアルバイトと家事をこなしながら、コウはいつもと同じ日常を過ごす。だが、たった一つだけいつもと違う部分がある。父のカッシオと会話という会話をあまりしていないことだ。

 というのも、挨拶や何かしら必要のある会話はするのだが、コウが少しでも”門の塔”のことを話そうかという雰囲気を出すと、カッシオは逃げるように部屋へ隠れてしまうのだ。こうも機会を与えてもらえないとなると、説得はおろかカッシオの心境を知ることもできない。それでもコウは小さなチャンスを逃すまいと、アンテナを張り巡らせながら日々のやるべきことをやっていた。

 

 コウは、モミマドレや他の配達を終え、最後にレレーン小学校の配膳室まで来ていた。ここに来ると、ほぼ必ずマルコさんと会う。

 バイクを置き、冷蔵庫の扉を開けていると、やはりマルコさんのバイクの音が聞こえてきた。

 コウは配膳室から顔を覗かせた。

 

 「おはようございます!」

 

 マルコさんはバイクを傍に止めた。

 「おはよう! ――コウ! 聞いてくれ! 日取りが決まった! 来週発つことにした!」

 とても嬉しそうな声と顔をしてマルコさんはそう言った。

 

 「おめでとうございます!」

 コウはできる限り笑顔でそう答えたが、心の中では悔しさと焦りが支配していた。

 

 マルコさんが羨ましい、自身だって父さえ説得できれば……。そう思いながら、コウは目の前の仕事に集中し、マルコさんに別れを告げ、レレーン小学校を後にした。

 

 コウが牧場のバイトを終え、一度自宅へ戻ると、居間にはカッシオがいた。

 カッシオにどうしたのか? と聞かれ、少し荷物を取りに来ただけだよ、とコウが答えると、そうか……、とカッシオは何か物言いたげな雰囲気でそう答えた。

 

 そうしてコウは二階の自室へ荷物を取りにあがったあと、すぐに茨のふるさとへと向かった。


 ◆

 

 コウが出て行き、バイクを走らせたのを確認すると、カッシオは深いため息を吐いたあとテーブルに突っ伏した。

 先日門の塔の話はするな、などと言ってしまった手前、自身からあの場所について話すことなど許されないのでは、とカッシオは口を開くどころか、逃げてしまうようになってしまった。自身のあまりにも不自然で愚かな行為に苛立ちを覚える。

 

「俺から話さなきゃいけねえのにな……」

 

 カッシオはそう呟いたあと、思い立ったかのように突然立ち上がり、自身の書斎へ向かった。


 ◆

 

 茨のふるさとのアルバイトを終えたコウは、バイクを自宅の脇に起き、自宅のドアを開いた。

 

 「ただいま……」

 

 父と気まずいままだが、家には帰らねばならない。重苦しい雰囲気は気のせいだと振り払い、コウは二階の自室へ上がった。

 自室へ入り、ふーっと深く長いため息をついたあと、荷物を置いた。すると、コンコンとドアからノック音が鳴った。

 

 「……コウ、いるのか?」

 ドアのノックを鳴らしたのはカッシオだったらしい。コウに用があってわざわざ訪ねて来たようだ。

 

 「ど、どうしたの」

 少し動揺しながらもコウは返事した。

 

 「少し話があるんだ。夕食のとき話そう」

 そう言うと、カッシオは階段を降りていった。

 

 話ってやっぱり”門の塔”のことだよね……、とコウはすぐに気が付いた。だが、父のことだ、門の塔には行かないでほしいと言われてしまうのだろう。帰って来たときよりも、心が重くなった。

 

 コウは頃合いを見て、一階の居間へ降りて行った。すると食卓にはカレーやサラダなどが用意されていた。カッシオが夕食の準備をしてくれたらしい。

 

 「さあ、座って」

 カッシオはコウを椅子に座るよう促した。

 

 コウがその場所に座ると、カッシオは目の前に座った。

 

 「えっとだな」カッシオは思い立ったように口を開いた。

 「”門の塔”のことなんだが……」

 

 「あ、えっと……それならもういいよ。うん」

 コウは自身が思っていることを心に仕舞いこみ、そう言った。

 

 「いい、とはどういうことだ?」

 

 「その……もういいんだよ」コウは思考を巡らせながら言葉を紡いだ。

 「急に門の塔の話なんてするから父さんだってビックリするよね……」

 

 「確かにビックリはしたが――」

 

 「やっぱりそうだよね。だから、もういいんだ。本当にごめんなさい」

 コウの心はグチャグチャだった。どうせこの場で計画のことを話しても行かせてはもらえない、だったらもう初めからなかったことにしよう。そう思い、話を早く切り上げるため、カッシオに謝罪した。

 

 「どうして謝るんだ?」カッシオは少し戸惑ったような表情でそう質問した。

 

 「あ、いやビックリさせちゃったから……」コウはそう言うと俯いた。

 

 「わかった。謝罪は受け入れよう。それと、俺からも謝らせてほしい。――ここ数日お前のことを避けていたことと、「門の塔の話はするな」と言ったことを、だ」

 カッシオはそう言うと、椅子から立ち上がり、頭を深くコウに向かって下げた。

 

 「と、父さん!?」

 

 「本当に、すまなかった」カッシオは微動だにせず、顔を上げようとしない。

 

 「父さん、お願いだから頭をあげて。もとは僕が悪いんだし」

 

 「いいや。コウは悪くない。息子が”門の塔”の話をしようとしただけであんなに怒る親がいていいものか」

 

 「えっと……。――せっかくのカレーが冷めちゃうよ。ずっとそんな姿勢だと食べられないじゃないか。だから、頭あげて椅子に座ってさ、食べよう? ね?」

 コウは、とりあえず父に頭をあげてもらいたい一心でそう言った。

 

 カッシオは、わかった、と渋々頭を上げ、椅子に座り直した。

 

 お互いの小皿にサラダを取り分け、少し冷えてしまったカレーを前にして、話は次の段階へと進んだ。

 

 「それで、どうして”門の塔”の話をしようと思ったんだ?」

 カッシオは、ヨーゼフからコウの計画の話を聞いていたが、こればかりは本人から直接聞いたほうがいいだろうと思い、知らない体でそう切り出した。

 

 「その……言っても怒らないよね?」コウは恐る恐るそう言う。

 

 「内容にもよるが、怒らない」カッシオは低い声色でそう答えた。

 

 「……僕、門の塔へ行きたいんだ」

 

 「……どうしても、か?」カッシオは真剣な眼差しでコウの目を見つめて、そう言った。

 

 「うん。母さんを探しに行きたいんだ。そのためにアルバイトも一生懸命に頑張ったんだ。お金も、もうちょっとで目標金額まで貯まりそうなんだ」

 銀色のスプーンを握った右手が少し震えている。コウはそのまま続けた。

 「だから、お願いします! 門の塔へ行かせてください!」

 

 コウはスプーンを置き、目の前の父に向って深く頭を下げた。テーブルに乗ったサラダやカレーたちはまるで二人の傍観者、父は裁判官になったかのようだった。居間にはシーンと静寂だけが響く。コウの心臓は早鐘を打ち、その静寂を邪魔するかのようにうるさかった。

 

 少し間を置いた後、カッシオは口を開いた。

 

 「わかった――」

 

 「ほんとうに?」コウは、カッシオの言葉に食い気味に突っ込んだ。

 

 「わかった、とは言ったが、今のまま許可することはできない」カッシオは、低い威厳のある声でそう答えた。

 

 そんな……、と言いながら、コウは頭を上げ、椅子へ座った。

 

 「簡単に諦めるんだな」

 

 「だって、許可できないって今言ったじゃないか」コウは少し憤慨したような口調で答えた。

 

 「俺の言う”今”とは、”約束事がない今”と言う意味だ」

 カッシオは、先ほどより表情を柔らかくしてそう言う。

 「門の塔へ行くにあたって、いくつか約束事を決めよう。それを守ることを条件に許可する」

 

 「その、”約束事”って?」コウは緊張しながら聞いた。

 

 「一つ目は、”必ず生きて帰ってくること”。二つ目は、”命の危険を感じたり、難しいと思ったら無理せず攻略を中断して戻ってくること”。この二つだ」

 

 ”必ず生きて帰ってくること”、”命の危険を感じたり、難しいと思ったら無理せず攻略を中断して戻ってくること”――。この二つを守るだけでいいだなんて簡単だな、などとコウは思わなかった。門の塔とは、いつでも命の危険が待ち受けている、そんな場所なことは重々承知している。それでも、母を探しに行きたい。そのためなら、父の言うことを守る。必ず生きて帰って来よう。父さんのためにも……、とコウは思った。

 

 「わかった。約束するよ。それに、それくらい危険な場所だって、図書館や父さんの書斎の本で知ってるから」

 

 俺の書斎にまた入ったな? と、カッシオははにかみながら笑い飛ばした。そして、カッシオはスプーンを手に取り、続けた。

 

 「俺の書斎に入ったことは置いといて――コウ、母さんのことを頼む」

 

 「わかった。絶対に見つけて、生きて帰ってくるよ」

 

 コウは、とうとうカッシオから門の塔へ行く許可を貰った。夢にまで見た門の塔。やっと行くことができるんだと、胸の高鳴りを父に悟られないよう仕舞いこみ、スプーンを手に取った。

 

 カレー冷めちゃったね、と二人は笑い合い、夕食を取り始めた。

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