第12話ー2 虹の門
ぬかるんだ草原は歩けないことはないものの、足をいつもより高めにあげ、一歩前へやり、泥に少し沈んだもう片方の足を上げ、また一歩前にやる。この繰り返しは思っている以上に体力を消耗する。最初のうちはいいが、虹までの距離がわからない分精神的にも疲れる。ここではどうやら魔法が使えないため、自分たちの体力勝負となる。
コウは、ダミアンさんの店で売っていた”足が軽くなる魔法の革靴”買っておくんだったな、と後悔した。
「ねぇ。コウ。あれ見て」
歩くことに嫌気がさしはじめたコウに、ミキが声をかけた。
何かを見つけたようだ。もしかして虹か? と心が躍ったが、コウの期待は一瞬で裏切られることとなる。
「どうしたの? 虹が見えてきた?」
「違うの。私の左足のとこ、見て」
なんだ虹じゃないのか、とコウは思いながら、ミキの足元へ目をやった。そこにあったのは星の人魚の飲み物カップだった。虹の門に入った不届き者が捨てて行ったのだろうか。
「こんな場所でもポイ捨てする人いるんだね。しかも中身が残ってるみたいだし……」
「こんなところに捨てなくても、ゴミ箱探せばいいだけなのに……。まぁいいや。急ごう」
二人は、寂しく泥に沈むカップを無視して先へ進むことにした。緩い泥のせいで一歩一歩が牛歩のようになってしまっているが、確実に前へ進んでいる。ただ一つ不可解なことに気づく。前に進むにつれ、泥に沈むカップの数が増えていくのだ。
「なんだかカップのポイ捨て多くない? 歩くのに邪魔だし汚いしで、綺麗って言われてる虹が台無しよ」
ミキの言う通りだ。こんなのでは虹を見ても心の底から感動するのは難しいだろう。そしてコウはあることを思い出した。
「そういえば虹の門に入る前、門の番人が”虹の門は綺麗だったのに”って言ってたんだ。このことだったのかな」
「そうかも! 絶対ポイ捨てのことだよ! 絶対そう! ――あー! 歩きにくいったらありゃしない!」
色々なことが重なり、ミキは苛立っているようだった。
一歩一歩と歩くと、確実に増えていくゴミ。カップ以外にも、紙屑や食べ物の入れ物、カメラの残骸や服の一部……と種類も増えていった。絵に描いたように美しい虹と言われているこの世界とは不釣り合いな足元。なんとも言えない悲しいような気持ちが増していく。”虹の門は美しい”だなんて外の世界では言われているようだが、虹を見る前に幻滅する人が多くいるのではないだろうか? 美しいなどと謳う前にゴミ拾いをしたほうがよさそうだ、と父さんやヨーゼフさんの手紙に書いてやろう。コウは心の中でそう誓った。
できるだけ足元のゴミを踏まないよう気を付けて進む。気を付けて進むのだが、ゴミが多くなっていき、避けて歩くのも難しくなってきた。
それにしても、みんなこの場にゴミを捨てすぎやしないか? コウはなんとなくこの光景に違和感を覚え始めた。
するとミキが声をかけてきた。
「前のほうに何か見えるけど、あれが虹じゃない?」
コウは、ミキが指さした方向に目をやると、何やらキラキラしたものが遠くに見える。
「虹だ! 人も見えるような気がする!」
「行ってみよ!」
さっきまでの重い牛歩がセキレイのように足早となり、遠くのキラキラした場所へと二人は駆けて行った。
徐々にキラキラしたものが虹だと分かるくらい近づいたとき、コウは何かに足を取られた。
「うわっ! ……なんだ?」
足を取られた何かをよく見ると、星の人魚のカップを持った泥をかぶった大きめの石か岩に見えた。その岩はなんだか人の手指のようにも見える。少し背筋が凍るような感覚になった。
「どうしたの? 急ごう」
足を止めたコウのほうを見て、ミキは声をかけた。
「……あ、うん。ごめん」
コウは、青ざめた表情をしながらそう返事をする。
たぶん気のせいだ。泥が人の手なわけがない。そう自分に言い聞かせ、先を急いだ。
二人は泥のことなど気にせず、先へ先へと歩いていると、人だかりが見え、その向こうに大きな虹が姿を現した。
虹は青空をバックに大きな虹が弧を描いて、堂々とそこに聳え立つようにして輝きを放っている。七色ではない。様々な色が隣の色と混ざり合い、個を主張するかのようにグラデーションを見せている。
コウはその虹を見て感動はしたものの、すぐに、これまでの道中で見た泥に埋もれたゴミを思い出し、感動が半減してしまった。
虹に近づくにつれ、人だかりの中へと二人は入っていく。ほとんどが観光客であろう人だかりは、虹など目もくれず、手に持った飲み物カップなどを撮影するのに夢中になっている人がほとんどだった。
ここへ来た観光客のほとんどはカメラ撮影することを目的としているからか、二人がこの場に相応しくないような、場違いな空気をその肌で感じた。だが、二人は、門の塔を攻略する攻略者なのだ。場違いなわけがない。
そしてコウは、目の前の、虹になど目もくれず、ただひたすら飲み物カップの背景に虹を写そうと躍起になっている観光者たちを哀れだな、と思ってしまった。攻略での入塔より安いとは言え、入塔料を考えたらやはり勿体ない。ただの綺麗な写真一枚でヨイネを稼ぐためなのだからなおさらだ。
「虹は綺麗だけど、ゴミのことが気になってなんだか損した気分になっちゃうね」
ミキにそう言われてコウは足元を見たが、先ほどよりかなりの数のゴミが地面に転がっていたり、泥に埋まっている。地面がゴミでできているのでは? というほどの量だった。
「やっぱり門番はこのことを嘆いていたんだね。それにしても酷いや……」
コウは泥に埋もれたカップの一つを蹴って避け、哀れに思いながらそう言う。
コウはふと周囲を見渡した。ここに来ている人ほとんどは、コウたちよりも一回り二回りも年齢が上の大人たち。このゴミ全てが、大人が落としていった物だと断言はできないが、ただ、門の塔へ入れるのはそれなりにお金に余裕のある大人がほとんどだろう。みんながそうしているからと言って自分も同じようにゴミをポイ捨てしていくなど、大人がしていいことなのだろうか?
コウもミキもまだ未成年で、大人のことはあまりよく分からないが、一体何が大人なんだろう? と考えさせられる光景だった。
「ねぇコウ。もうちょっと虹に近づいてみない? 近い場所だとそこまでゴミも多くないかも」
ミキはせっかくここまで来たんだから、とせがむように言う。
「じゃあ行ってみようか」
コウとミキは、できる限り近くで虹を見るため、虹に向かって歩き始めた。
ゴミを踏まないようできるだけ避けて歩を進める。ただ先ほどと違うのは、ゴミは少なくなってきたが、泥の表面がデコボコと波打ったようになっている。そして、時折デコボコの泥の中に枝のようなものも見える。もしも引っ掛けたりしたら怪我をしそうだ。
「なんだかボコボコしててさっきより歩きづらいね。ミキ、気を付けてね」
コウはミキにそう言う。
「うん。でも、なんでボコボコしてるんだろう」
ミキの言う通りだ。そういう地形になっているのだろうか。納得のできる答えが見つからないが、コウはそう思うようにした。
歩きづらい地面をなんとか進み、虹が二人の頭上を跨ぐような位置までやってきた。
この世にある全ての色が混ざり合い、キラキラと色を発して自らを主張している。遠くから見る気が付かなかった色もここまで来るとよく見える。そして、虹の大きさは近くに来てみてより大きさを肌で感じる。根元が太く、頭上の弧の一番高い場所は細く見える。細く見えるほど高さがあるということなのだろう。レウテーニャ魔法大学校の城壁の3倍はあるように思えた。
「結構大きいんだなぁ」
虹の間近まで来たコウは大きさに圧倒され虹を見上げたままそう呟いた。だが、ミキは地面を見つけたままじっとしている。何かあったのだろうか?
「ミキどうしたの?」コウはミキに問う。
「……ねぇコウ。あれ見て」
コウはミキが指さした方向に目線を送ると、その途端全身が凍り付くような感覚に襲われた。
「人の顔……?」
そこには、爽やかな笑顔の女性が泥に埋もれて横たわっていた。
「もしかして地面のボコボコって全部……」
コウは、周囲のデコボコをよく見た。見れば見るほど、人の顔、体のどこかや、手足など誰がどう見ても人体に見えてくる。いや、泥に埋もれた人体そのものだった。
ここに来る最中、出来る限りデコボコを避けて歩くようにしてきたが、どうやら正解だったらしい。
そして、コウは虹を見つけるまでに見ていた数々の違和感を思い出していた。
「僕……ここがどういうところなのかわかった気がする」
コウがそう言った途端、虹の近くで三角座りをしているカップルが目に入った。二人とも虹を眺めながら目が虚ろになっており、何やら様子がおかしい。
するとカップルの女のほうがボソボソと何か言い始めた。
「私……一生このまま虹を眺めていたいな……」
それを聞いてか、カップルの男のほうがボソボソと返事をする。
「俺も……」
すると、その男女のカップルはゆっくりと泥に沈み始めた。
泥に埋もれた人々、そして先ほどのカップルの異様な雰囲気……。何か見てはいけないものを見てしまったような、秘密を知ってしまったような気に、コウはなった。
そこでコウは、マッキ先生から聞いた「門の塔の魔力源」についての話をふと思い出した。
門の塔という建物は、誰かが手入れをしたという記録が残っていない。何か見えない力で門の塔が維持されているのではないか? もしもその見えない力が”魔力”だとすれば? そして、その魔力の源はどこから得ているのか?
「人が魔力源……」
マッキ先生の言っていたことは本当だったのか、とコウはその場で驚くと共に、より一層背筋が凍り付くような感覚になった。
そして、居ても立っても居られない。すぐこの門から出ないと。でなければ、僕もミキも門の塔の魔力源となってしまう……。
コウはすぐに、自身が見た物や考えをミキに話した。
「僕、ここに来る途中で飲み物カップを持った手のような物に躓いたんだ。あくまで僕の推測になるけど……虹の門は、門の塔の魔力源にするために人を吸収しているんじゃ……」
「そ、そんな……」
ミキは言葉を詰まらせるが、マッキ先生の話を思い出したのだろう。そして、たった今、目の前でカップルが泥へ、まるで吸収されているかのように埋もれて行く様を見たのだ。その光景を目にして、ウソだ、信じられない、なんて詭弁は通用しない。現実に起こっているのだから。
「ミキ、ここを早く出よう。じゃなきゃ僕たちも……」
コウの言葉にミキもうん、と頷く。
二人がどちらに向かおうかと、話し合おうとしたそのときだった。目の前でゆっくり沈んでいくカップルがまた何かボソボソと言っているのが聞こえた。
「私、何しに来たんだっけ……。私って誰だっけ……」
女がこう言ったあと、男のほうも何かを言っている。
「俺、誰とここに来たんだっけ……。まぁいいや……」
カップルは自分自身のことや誰とここに来たのか全てを忘れてしまっているようだった。
その様子を見ていたミキが何か思いついたかのようにコウに言う。
「もしかして、虹の門には”忘却の魔法”がかかってるんじゃ……」
「”忘却の魔法”?」
コウはミキに聞き返す。
「うん。それもかなり強めの。私たちはまだ大丈夫みたいだけど、長くここにいると危険なのかも……」
忘却ということは、先ほどのカップルのように何もかもを忘れてしまうのだろうか。
ここまでの道のり、アルバイトの日々、ヨーゼフさんやミエさん、ミナさん、ミキ、父さん、そして……。そんなのは絶対にダメだ。僕が今日まで頑張って来た意味がなくなってしまうじゃないか。泥の中を這ってでも、この門から絶対に出てやる!
コウは、その瞳に闘志の炎を滾らせ、何が何でも出口を見つけてやる。そう決意した。
だが、この虹の門の中ではミキの魔法や箒が使えない。どの方向へ進めば出口が見つかるのか、全く見当がつかない。
悩んでいる暇などなく、タイムリミットは刻一刻と迫っている。何か手がかりでもあれば……。コウの心の中は焦る気持ちでいっぱいだった。
「虹……」
ミキが何やら考え込み始めた。
「どうしたの? 何かわかった?」
「ちょっと考えてるから黙ってて!」
ミキにピシャリと一蹴され、コウは口をつぐんだ。
そうだ。自分もミキのように考えなくては。焦るなんて誰でもできる。考えるほうが難しいのだ。
コウも出口の手がかりを考え始めた。
先ほどミキがボソリと呟いた「虹」という言葉。虹……虹……にじ……ニジ……二時? そう言えば、何時の方角が、とよく言うな。でも、ここから二時の方角? どこを起点に二時を見ればいい?
コウが考えあぐねていると、ミキが「あ!」と大声をあげた。
「何か見つけた?」
コウはすぐさまミキに問いかける。
「二時の方向だよ!」
ミキは答える。
だが、さっきまでコウも同じことを考えていた。
「僕も同じことを思ったけど、どこから見て二時なのかって疑問が……」
コウがそう言うと、ミキはコウの右斜め前を指さし、「よく見てよ! 二時の方向!」
ミキにそう言われ、コウは二時の方向を見た。
「あ、え? 門?」
コウとミキの右斜め前方に、さっきまでなかったはずの門がそこに立っているのだ。
「そう! ――ほら行くよ!」
ミキに促されるがまま、コウは突然現れた門へ向かった。
泥はまるで、二人の足を吸収するかのように沈ませる。一歩一歩が重いが、今は目の前に出口が見えているので、泥のことなど気にもならなかった。
コウの少し前を行くミキが、まるで飛びつくようにその取っ手を掴み、門を開いた。
開かれた門の中へ、その後に続いていたコウが飛び込み、そのあとにミキも飛び込んだ。
「ふぁー!」
「なんとかなったー!」
ほぼ同時に二人はそう声をあげた。
この虹の門の秘密を知ってしまった二人は、早く門の塔へ戻ろうということになり、すぐに通路を歩き始めた。
壁に掛けられた松明が、左側の壁に沿って点々と奥へ連なる。壁を反響して、二人の足音が響く。今日の足音は、いつもよりリズムが少しだけ早い。早く門の塔へ戻りたいという気持ちが表れているのだろう。
「ね、コウ。私、ちょっと思ったんだけど」ミキは口を開く。
「泥に埋もれてた人の数……数十人って規模じゃなかったよね?」
コウはミキにそう言われ、あのとき見た光景を思い出す。
確かに、泥に埋もれてしまっていたらしい人の顔や手足などは数百人……もしかしたら数千人に上るのかもしれない。あの一帯の泥のほとんどに人の形を感じ取れた。
「うん。数えきれない人があそこに埋まってるのかも……」
「でもね、虹の門の中で泥に人が埋まってるなんて話聞いたことがなくて……」
ミキは俯いてそう言う。
コウはミキの言いたいことを理解しようと考える。
あれだけの人が泥に埋まっていて、虹の門が危険だという話は確かに聞いたことがない。新聞や門の塔のことを取り扱った本など、よくよく思い返すと、そういった記載はなかった。ただ「虹がとても綺麗」と書かれている記憶しかないといっても過言ではない。
そしてコウはあのときミキが言っていた”忘却の魔法”のことを思い出した。
「まさかとは思うけど、みんな忘却の魔法のせいで、中で何を見たか忘れてしまってるんじゃ……」
コウのその言葉に、ミキは肩を強張らせ、自身の両腕を擦り始めた。
「魔力源が必要だから、中で見たことを忘れるようにしてるのかな……」
ミキの言葉に、コウは門の塔は虹の門はまるで生きているかのように、どうすれば魔力源の供給を得続けることができるか、思考している。そんな風に思えてきた。
これ以上虹の門のことについて考えても、コウたちの力ではどうすることもできない。そして、こんな門は早くクリアするに越したことはない。
二人の歩は、また一段と早くなった。
二人の目の前に、また門が見えてきた。今度こそ門の塔へ戻るための門だ。
コウが取っ手を握り、その門を開く。
まずミキが先へ進み、コウがそのあとに続いた。
「これで終わりだね!」
コウがミキにそう言うと、
「え、何が?」
ミキはとぼけたようにそう答える。
「えっと……クリアしたじゃないか」コウがミキにそう言うと、
「あれ? 何をクリアしたんだっけ?」
二人は顔を見合わせ、あれ? あれれ? と何度も頭を捻る。今まで自分たちが何をしていたか全く思い出せなくなったかのように。
「と、とりあえずクリアしたんだよ。何かの門を」
「う、うん! そうだよね! きっとそう!」
二人は何かをクリアしたらしいことはなんとなくわかってはいるが、やはり思い出せなかった。
「まあ、いいや! コウ! 晩御飯にしよ!」
「う、うん! そうだね! 僕、食料棚に行って来るよ!」
ミキがわかった! と答えると、コウは食料棚へと向かう。
その食料棚の道中、サコッシュからあのマップを取り出した。
よく見ると、虹の門と書かれた場所に星マークが記されている。クリアの証なのはわかっているが、はて? 虹の門なんていつ入って、いつ出てきたのだろう。何か綺麗な虹を見たような記憶は微かにあるが……。やっぱり何も思い出せない。
「ま、いっか。クリアできたんだし」
コウはそう言って、マップをサコッシュへ仕舞うと、食料棚からいくつか食材を取り、噴水の近くにいるミキの元へ向かった。
「虹の門。楽しみだわ! 早く写真撮ってテルスタにあげた~い」
「いっぱいヨイネつくかしら?」
「つくわよ! 虹の門だもの!」
食料を手に持ったコウとすれ違った観光者の女性二人がそう話す。
虹の門が、まさか人を魔力源として吸収している門だとも知らずに。




