第10話 草原の門
先週は体調不良のため投稿できず、ご迷惑とご心配をおかけしました。
水瓶から緩やかに水が流れ、その水が女性像の体を伝い、大きな水盆へと落ちて行く。門の塔の一階には様々な理由で訪れた人々が行き交い、街中のような賑わいを見せる。一見は、どこかの役所か、それともどこかの広い公園か。門の塔の中なのかそうでないのか、惑わされてしまいそうになる。
門の塔へ入ったコウとミキは、まずは”草原の門”へ入ろうということになり、魔法のマップの一番右端にある”草原の門”があるその場所へ向かった。
<草原の門>と大きな青銅製のプレートが掲げられた草原の門の扉は、濃いブラウンの木製で、観音開きのよくある扉だ。ぱっと見ればどこかの会議室の扉のようにも見える。
この門の先に、まだ見たこともないような世界が広がっている。ここではない、どこか違う世界。コウは考えれば考えるほど、門の塔が奇妙な存在なのだと改めて確認させられた。
草原の門の前は特にこれといった人だかりはなく、今すぐにでも入れるような状況だった。
コウはここであることに気が付く。草原の門の左脇に何やら黒いボロボロのローブに身を包んだ怪しげな人物が立っているのだ。この空間には似合わない明らかに異質な存在は、ランタンのついた長い柄を持っており、先端から吊り下げられたランタンからは淡い緑色の光が薄く光っている。一体何のためにそこに立っているのだろう。不気味で怖い、とコウは思った。
「…………まり………………しい……」
ボロボロのローブの人物は、ボソボソと何かを言っているようだった。コウはその声を聞こうと、出来る限り近くへ寄って、その言葉を耳に入れた。
「……全ての始まり…………草原は旅の心を」
ボロボロのローブの人物は、しわがれた男性の声でそう言う。そしてその言葉を発したあと、何も喋らなくなってしまった。
「コウ? どうしたの?」
ミキがコウを心配して問いかけてくる。
「いや、この人が何か言ったんだけど……」と、コウはボロボロのローブの人物を指さし、
「気にしなくても大丈夫だと思う。中へ入ろう」
ミキは頭に疑問符を浮かべたような顔をしたが、コウは少し強引にミキを促した。
草原の門の黒い鉄製の取っ手を手に取り、二人は中へと入った。
草原の門の中は、薄暗い石造りでアーチ状になった通路がずっと奥まで続いていた。右側の壁にはオレンジ色の炎を灯した松明が等間隔に並べられ、その明かりが点々と奥まで伸びている。
門を開けば見たこともない草原が広がっている光景を想像していたコウは、ほんのちょっとがっかりしたが、いきなり敵に襲い掛かられるよりはマシかと思い直すことにした。
二人はコツコツと靴音を鳴らし、歩を進める。
コウがふとミキのほうを見ると、ミキは少しだけ肩を丸め、何やら不安そうな顔で両手を握っている。
もしかしたら緊張しているのかもしれない。コウはそう思い、ミキに声をかけた。
「ミキ、大丈夫?」
「だ、大丈夫……たぶん」
ミキの声は不安そうな音色が少し混じる。やはり緊張しているのだろう。
この先にはどんな世界が広がっていて、何が待ち受けているのか。平和な世界なのか、何もない世界なのか、それとも、命に危険が及ぶ世界なのか。”草原の門”と聞けば、ただ緑の草の平原が広がるだけの、何の変哲もない世界を想像するだろう。だが、門の塔の魔法で作られた世界だ。人間の想像を逸脱するような世界を作っている可能性がある。この先にある世界が明るいのか暗いのか、自分たちの行き先が天国か地獄かもわからない、まるで死後の世界へ向かっているような感覚にすらなる。ミキの不安の種はそこなのかもしれない。だが、何か気の利いた言葉を言ってあげられず、コウは思いあぐねた。
コツコツ……コツコツ……。靴音が通路内を反響する。
永遠とこの通路が続いて一生出られないのではないか、と不安にもなったが、その不安を払いのけるかのように、先のほうに小さな白い光が見えてくる。その光は次第に大きくなっていき、コウたちを包み込んだかと思うと、突然周囲の空気が変わったのだった。
二人はほぼ同時に、「わあ~!」と感嘆の声をあげていた。目を開くと、そこには広大な緑の世界が広がっていたからだ。
一面混じりけのない緑、その上には真っ青な空、絵の具をふき取ったかのような白い雲。時々優しい風が吹いたかと思うと、若草の香りが通り過ぎる。
通路を歩いていたときの不安な気持ちは、一瞬にしてどこかへ消えてしまった。たぶんこの景色が全て取り除いてくれたのだろう。コウはそう思うことにした。
「あのさ……。寝転がってみてもいい?」
ミキは少しもじもじとしながら言う。なんでも、人生で一度でいいから草原の上に寝転がってみたかったのだと言う。気持ちはわかる。
「いいんじゃない?」
コウは微笑みながらそう返す。
コウの返事を聞くや否や、ミキはすぐに、ドサッ! と音を立てて若草の上へ勢いよく寝ころんだ。
「気持ちいい~! 最高~!」
ミキはまるで温泉にでも浸かったかのように言う。
そしてコウはというと、ミキの姿を見て羨ましくなってしまい、自身も同じように寝ころんだ。緑の香りが濃く、そして土の香りも混ざる。ミキが最高と言った気持ちが少しわかった。
5分ほど若草のベッドを堪能したあと、二人は立ち上がり、本来の目的へと戻る。
門の塔へ来た理由は、ただ草原に寝転がりに来たのではない。門を一つずつ攻略していき、先へ進むことだ。この門をクリアするには、まず出口を探すこと。とてもシンプルなのだが、肝心の出口の場所がわからない。
まず、周囲に何があるのか把握するため、ミキが箒に乗って上空から調べてくれることとなった。
ミキは頭のトンガリ帽子から箒を出し、地面を一蹴りしたかと思うと、グングン上空へと上がっていった。360度見渡せる限り見渡したあと、ミキはゆっくりと降下してきた。
「どうだった?」
コウはミキに聞く。
「あっちに」ミキはそう言ってコウの真後ろ目がけて指をさし、
「とっても大きな木が一本だけあった!」
それが手がかりかもしれない! と、コウが言うと、さっそくその大きな木に向かって歩き始めた。
ミキは方角がわかる魔法を使い、ある程度の方角を調べると、大きな木があった場所はだいたい北だと言った。方角がわかると、行くべき先がわかるような感覚になり、コウは少しだけ気が楽になった。
北を目指し、二人は草原をただひたすら歩く。周囲も行き先もずっと草原の緑で、特に面白みもない景色が続く。ここへ入った当初はその景色に感動していたのに、同じ景色がずっと続くことに倦み始めてきた。
時折ミキが魔法で方角を確認し、箒で木のある場所を見ながら歩を進める。
ずっとずっと遠くにある木。その木を目指しているが、本当に出口の手がかりがあるのかもわからない。だが、他に行き先らしい場所もないので、大きな木を目指す以外他ない。自分たちで決めたことなのだから進まなければならないのはわかっているが、やはり若い二人にとってこの何もない景色に苛立ちすら感じるようになってきていた。
このまま木に向かって行ってもいいのだろうか。もしかしたら、全く逆の方向に出口があったのかもしれない。いや、でも木の近くに出口があるのかもしれない。でもこのまま進んで間違いだったら? 本当に正解だと思う?
コウは自問自答を繰り返す。そして、自身がなんとなく苛立っていることに気づいた。
コウはなんとか自分の苛立ちをコントロールしようと、何か別の事を考え始めた。
この草原の景色を父さんやヨーゼフさんにどう手紙で伝えようか。一面緑色で他に何もない。一見は面白みがないけれど、何か面白いような気がする。でも歩き疲れるよ、とでも伝えようか。
コウの苛立ちがコントロールできてきたところで、ミキが突然声をあげた。
「もうヤダ! 疲れた!」
ミキはそう言うと、ドサッ! と草原の上に腰を下ろして座った。
つい先ほどまで自信の苛立ちをコントロールしていたコウは、ミキの言葉を聞いてまた苛立ちを覚え始めた。
僕だってすでに歩き疲れている。ただの草原を歩くだけで何か面白いものなど一切ないこの草原の門に対して、やっぱり最初にこの門へ入ったのは間違いだったか? 箒に乗れるようになっておくべきだったか? 色々と考えた。でも、ミキは箒に乗れるのに僕に合わせてついてきてくれる。だから僕も頑張ろう。コウはそう考えていた。だが、ミキは違っていたのだろうか。箒にも乗れない僕の事を疎ましく思っていたのだろうか。だったら自分一人だけ箒で大きな木へ向かえばよかったのでは? いや、ミキがそう口にしたわけではないのに、どうしてネガティブなことを考えているのだろう。コウは気を取り直した。
「大丈夫? 少し休憩しようか」
コウは、草原の上に寝ころんだミキにそう言う。今の自身の感情を悟られないよう、色々な感情を飲み込んで言葉を発した。
「もうヤダ! 歩きたくない!」
ミキは駄々をこねる。
「だから休憩を……」
「休んでも一緒なの!」
へつらおうとするコウの気持ちも知らず、ミキはまるで幼児がわがままを言っているかのようにそう言った。
こう言われてしまうと、さすがのコウも苛立ちが募っていく。
自分だって我慢して歩いている。ミキと違って僕は箒に乗れない。何か魔法を使って楽することだってできない。今この場に乗り物すらないのだから自分の足で歩くしかないのだ。イライラとした感情をミキに当てつけるのは違うと思って、自分の感情は飲み込んで歩いてきたのに、ミキはいとも簡単にわがままを言って僕に当たってくる。ほんのちょっとの我慢もできないのだろうか?
コウの心は、ミキへの不平不満や苛立ち、ここまで歩いてきた疲労など様々な要因が重なり、黒い嫌な感情で渦巻いていく。この感情をどう処理すればいいのか。ミキに当たってしまうのか? それとも別の何かに? どうすればいいかわからなくなってしまった。
そのときだった。この広い草原の葉を大きく揺らす風が吹いた。すーっと何かを取っ払ってしまうような強い風だった。
そして、その風が吹き終わったかと思うと、コウの心はどこか軽くなっていた。あの黒く渦巻いた感情は消え去り、今では苛立ちなど一切感じない。あの風が全部持っていってくれたのか? そんなわけないか。
コウは気を取り直し、自身のサコッシュに手を伸ばすと、水筒を取り出した。水筒の中身は門の塔一階の噴水で汲んだ水だ。
「ミキ、少し休憩しよう。この水飲んで」
コウはそう言って水筒からカップに注いだ水をミキに手渡す。
ミキはカップを素直に受け取ると、草原の上に座り直し、水を一口飲んだ。
「ミキ、ごめん。僕、ちょっと焦りすぎてたよ」
感情は出さなかったものの、ミキに対し苛立ちを覚えて、今にもぶつけそうになっていた。自身の焦りが原因だったのだ、とコウは思った。だから、今ここでミキに謝ったのだった。
「ううん。私こそごめん。駄々こねちゃって……」ミキはそう言って、コウにカップを返し、
「箒ばかり乗ってたからすぐ疲れちゃうの。これからいっぱい門を攻略するのに最初の門で疲れちゃってたら、ダメだよね」
コウはカップと水筒をサコッシュへ戻し、ミキに右手を差し出す。ミキが自身の右手でコウの手を握ると、コウはミキの体を勢いよく引っ張り起こした。
「あともうちょっとだ。頑張ろう」
ミキはコウに引っ張り起こされ、草原の上に立つと、「うん!」と答え、太陽のような笑みを向けた。
二人はそれからお互いの体調を気遣いながら、そして木の方角を確かめながら、歩を進めた。一歩一歩はゆっくりで、ときおり小さな休憩を挟みながらなので、もしかしたら牛歩よりも遅い。だが、それが一番確実で、一番の近道なのだ。
この、じれったいが確実に進んでいるような感覚にコウは意外と心地よいと思った。旅とはそういうものなのかもしれない。これこそが旅の醍醐味でもあるのかも。なんだか旅人の気持ちを一つ知ることができたような気がした。
草原のずっと向こうに、小さなブロッコリーのような物が見えてきた。あれがミキが見ていた木か、とコウは安堵と高揚感が入り混じったような気分になった。
木が見えてからは早かった。もう足の疲れなど気にもならなくなった。出口があるのかないのかなどどうでもよかった。目的地が近づくにつれ、足が勝手に動いた。
小さなブロッコリーだった木は、中くらいから、それまた大きくなっていき、とうとうコウたちの背丈よりの何百倍も大きな存在となったとき、木の根元のあたりに何か扉のような物がある物が見えた。
あれが出口だろうか? もしかしたら誰かの家かも? なんて冗談を言い合いながら、木の根元にある扉へ近づいた。
扉は観音開きの濃いブラウン木製の扉だった。門の塔の一階で<草原の門>とプレートが掲げられていたあの扉と同じ物だった。
「出口だ! きっとそうだよ、ミキ!」
コウは喜びのあまり、大声でミキにそう言った。
ミキは「ほんとだ!」と言ったかと思うと突然走り出した。もう! 居てもたってもいられない! とでも言いたげに草原を駆けて行く。まるで俊足にでもなる魔法でも使っているのか? とコウが思うほど、ミキは足早にずっと向こうへ走っていってしまっていた。
「コウ! 早く!」
ミキが一度立ち止まったかと思うと、コウにそう叫び、また走り出した。
「ちょっとミキ! 待って!」
コウは慌ててミキの後を追って走り出す。さっきまで、疲れた! と機嫌を悪くしていたミキが嘘のようだ。
ミキを追って木へどんどん近づいて行く。木は想像していたよりも大きく、そこに立っている。樹齢は何百? いや、何千年、何億年という単位なのではないか、というほどその幹は太く、樹皮が厚い。幹の近くになればなるほどその枝に携えた葉の緑が深くなっていく。コウはその木を見て、美しい、と思った。
「コウ! こっち! 早く!」
すでに木の根元あたりにいるミキが、何かを見つけたのか、コウに早く来るよう急かす。
コウが急いでミキにいる場所へ行くと、そこには<門の塔>と書かれた青銅製のプレートが掲げられた門があった。
「鍵もないみたい」ミキは鉄の取っ手を持ち、
「このまま入れば戻れるのかな?」
「他に何もないし」コウは周辺を見渡し、
「たぶん出口で合ってると思う。入ろう!」
コウにそう言われ、ミキは門を開いた。中はあの薄暗い石造りの通路だった。
先にミキが入り、その後へ続いてコウが入る。コウは一瞬、草原と木を見た後、門を閉めた。
薄暗い通路の左側の壁には、火の灯された松明が掛かっており、通路のずっと奥まで点々となって続いている。二人はコツコツと足音を響かせながら通路のずっと先を目指して歩き始めた。
コウはふと草原の門のことを思い返した。
気が付けば草原の中にいたとき。その美しく広大な草原に感動し、これからどんなことが起こるのだろうとワクワクしていた。だが、ミキが見つけた大きな木を目指して歩いていると、その道中の辛さや疲労感で嫌気がさし、一度は後悔の念や何もかもに腹立たしくなった。
これから幾度となくこういったことがコウたちを襲うだろう。出口までの道のりが遠いだけではない。鍵や出口がなかなか見つからない、敵が強くて前へ進めない、その他の障壁に当たってしまうことだってたくさんあるだろう。旅とは、門の塔を攻略するとは、自分たちの思うようにいかないことなのかもしれない。そして、失敗や挫折を繰り返し、それでも自分の足で立ち上がり何度も挑戦して、出口を見つけ出す。
草原の門では、ただ歩いただけのように思えるが、ここで得られた物はとても大きかったようにコウは思った。
何本もの松明を通り過ぎ、十数分ほど歩いた頃、目の前に濃いブラウンの木製の門が見えてきた。
「ここが本当の出口……でいいんだよね?」
ミキは恐る恐るコウに聞く。
「……また草原だったりしてね!」
コウはそう言うや、鉄の取っ手を持ち、勢いよく開いた。
一瞬眩しくなったかと思うと、そこには人々が行き交う広いフロアだった。門の塔の一階だ!
二人はすぐフロアへ出て、扉を閉めた。
「これで、クリアなの?」
ミキは不安そうに聞く。
コウはすぐにサコッシュの羊皮紙を取り出すと、<草原の門>と記された場所を確認した。
まるでコーヒーの染みが広がるかのように、<草原の門>と記された場所に★マークが浮かび上がる。このマークがクリアの印らしい。
「ミキ! 見て!」
コウはすぐさま羊皮紙をミキに見せた。
「これでクリアなのね! よかった~!」
ミキは、クリアしたことに安心したのか、その場にへたり込んでしまった。
「ミ、ミキ、大丈夫?」
コウは焦ってミキに近寄り、すぐ肩を貸そうとした。
「だ、大丈夫。なんだかホッとしたら力が抜けちゃって……」
初めての門で緊張していたのもあるのだろうか、クリアしたことで気が抜けてしまったらしい。
ミキのその姿を見て、コウも少し気が抜けてしまいそうになった。
だが、ここでただへたり込んで過ごすわけにはいかない。しっかり休息も取らねば。明日も明後日も、そのまた次の日も、門を攻略していかなければならない。だからこそ、しっかりと休息を取って備えなければ。
そこでコウは、ミキが動き出すある魔法の言葉を思いついた。一か八かだが、絶対に効果はあるだろう。そんな言葉だ。
「ミキ。……夕飯にしよっか」
コウがミキにそう言うと、
「うん! お腹ペコペコなの! 夕飯にしよ!」
ミキはそう言ってすぐさま立ち上がり、早く! とコウを急かして食料棚のほうへ走って行こうとする。
思っていた以上の効果を発揮した”魔法の言葉”にコウは驚きつつも、ミキを追って食料棚へと向かった。




