7話(高2メイ張本4)『正直者』
ベッドに座るこちらを睨んでくる少女が、芯人にはひどく弱っているように見えた。
身体的な弱さではない。心が歪で、ぼろぼろで、脆い、それを隠すため、表に出さないため、彼女はこちらを睨んでいる、そんな風に芯人は感じた。
爽やかな風が外から病室の窓を通り、新鮮な空気が病室を満たした。
「私、来て欲しいなんて言ってないんだけど」
「来ないで、とも言われてないからな、張本」
ベッドに座る少女、張本真実は屁理屈はやめなさい、と言って眉をひそめた。
「私になんの用かしら、私、こう見えてあなたの相手をするほど暇じゃないの」
「ならさっそく本題に入ろうか」
張本はさっさとしてちょうだい、と言って足を組んだ。その様子に芯人は舐められているような気がしたが、気にせず口を開く。
「張本、心臓の病気を患っているんだろ?」
直後、張本の鋭く芯人を睨んでいた目が大きく見開き、口は開いたまま閉じず、驚いたような表情を芯人に見せた。
「なんで……それを、知っているの……」
「誰かから聞いたわけじゃない、ちょっと予想したんだ」
まあ可能性は低いとは思ってたんだけどな、運が良かった、と言って芯人は張本の前に立った。
何故、芯人は張本真美が心臓の病気を患っていると思ったのか、それは芯人が死にかけた二度、車に襲われたことと、宙を舞うイチゴ大福による窒息が関係していた。
奇怪の目的が単純に芯人を殺すため、ということなら『魂の叫喚』から奇怪を生み出した人間を特定することが極めて困難だったため芯人と無帰はそっちの線を追うことを諦めた。
奇怪は別の意図があって芯人を殺そうとしている、そう仮定すると、芯人が死にかけた車による事故、イチゴ大福による窒息には一つの共通点があった。
脳死だ。事故による頭の怪我や酸素が脳に送られないことにより人は脳死する。
そして連想ゲームにより連想された脳死、から更にまた連想する。芯人が、脳死をすることを望む、つまり『魂の叫喚』で芯人が脳死をすることを望む人間、得をする人間は誰か?
「張本は、心臓移植をしたかったんだよな」
張本は息を飲み、目を閉じ、呼吸を整え、ゆっくりと口を開いた。
「ええ、そうよ」
張本真美が認めた。己が心臓の病気を患い、心臓の移植が必要なことを認めた。
だがそれで終わりではない、ゴールではない、奇怪に芯人を脳死させることを、張本真美に止めさせなければならない。
「張本、奇怪って知っているか?」
「きか、い?え、何よそれ」
「なら私が話しますよ、お前」
芯人と張本しか居なかったはずの病室に、十四歳、十五歳くらいの白いロングスカートを着ている小柄な奇怪、無帰が急に現れた。先程までいなかった空間に突如生まれた、そんな感じだった。
「キャー!」
張本が突然現れた無帰を見て、悲鳴をあげた。無理もない、何もなかった空間に急に人、正確には人の形をした奇怪が現れるなんてファンタジーの世界でしかありえない。びっくりするのも当然だ。
無帰に驚き、完全に固まっている張本相手に、無帰は奇怪の説明をどんどん進める。芯人が知っている奇怪の全ての情報を説明しているため、時間がかかるし、かなり複雑だ。だが無帰が奇怪について話し終えると、張本は頷いて。
「大体は、わかったわ。だけど……ちょっとまだ混乱してる……けど急に人間、えっとあなたは奇怪だっけ?が現れるなんて信じるしかないわよね」
張本はベットの上で頭を抱え、情報を整理するためブツブツと独り言を言い始めた。そしてようやく落ち着いたのか、口を閉じた張本に芯人は話しかける。
「それでなんだが……張本、俺が脳死して、俺の心臓が欲しいって『魂の叫喚』を出した。つまり願ったのか?」
張本は全力で首を横に振って答える。
「あなたの心臓が欲しいなんて願ってないわ、ただ……」
「ただ?」
張本は一呼吸して、口を開く。
「私は、正直者の心臓が欲しい、そう願ったの」
張本はどうして正直者の心臓が欲しい、と願ったのか語り始めた。
今年の四月、芯人と張本のクラスでは国語のテストがあった。その国語のテストは今後の成績に大きく関わるらしく、多くの生徒が必死にテストに向けて勉強していた。授業と授業の間ですら必死にテストの勉強をするぐらい、芯人と張本のクラスはその国語のテストに重点を置いていた。
テスト当日、頭の良い張本は時間を多く余らせ、空欄を埋め終わった。元々私立些細高校は頭の良い高校で、頭の良い生徒が集まるのだが、その中でも勉強に関しては優等生の張本は周りの生徒よりも早く問題を解き終わった。余談だがこの日、芯人と前島竹は山に用事があり学校に来ていなかった。
それまでは良かった、それまでは良かったのだがその後、張本は地獄のような時間を過ごすことになる。
テストが終わった後、クラスメイトの一人が挙手した。
「望月くんがテスト中、右から張本さんのテスト用紙を見ていました」
クラスがザワついた。女子の一部ははひそひそと周りと望月への陰口を言い始め、男子の一部は大きな声で望月へ罵声を浴びせる。
「は?私たちはしっかり勉強してたのに」「卑怯だよね」「おーい、お前ただでさえ暗いのに勉強も出来ないのかよ」「普通にゴミでしょ」「きも」「今後喋んないでほしいわ」「ていうか転校しないかな」「学校辞めちまえよ」「真実ちゃんも可哀想」「そのメガネはカンニングするためか?」「死んでくれよ」「関わるのやめよ」「いつかやると思ってたぜー」「何考えてんの」
国語教師が望月に本当にカンニングをしたのか問い詰めると、大人しい生徒である望月は涙を流しながら黙り込んでしまった。
張本は考えた、本当は大人しい生徒である望月くんはカンニングなんてしておらず、クラスメイトの勘違いではないか、自分からはカンニングをしていないと、その大人しい性格から堂々と言えないのではないか、と。
張本は手を挙げて、みんなに堂々と言った。
「私は望月君はカンニングをしてないと思います」
助ける義理はなかった。そもそも張本はあまり友達がいる方ではなかったし、望月とも最低限の会話しかしたことが無かった。だがこれ以上この騒動が続けば次の授業が遅れてしまう可能性があったし、自分のせいで望月が責められているようで気分が良くなかった。
張本の発言でクラスが更にザワついた。何故、カンニングをされた側である張本真実が望月を庇うマネをするのか、クラスメイト達はヒソヒソと張本に聞こえないように話し合い、男子生徒の一人が声をあげた。
「共犯なんだ!張本はわざと望月にテスト用紙を見せて、カンニングさせたんだ!」
クラスメイトの面々がなるほど、だったり、確かに、と言い納得していく。
「違う、私は望月君にカンニングさせてないわ。第一そんなことをする義理がないもの」
教室はカオスな状況に陥った。教室にいる半分程度のクラスメイトは静観の姿勢を見せたが、張本の言葉を聞いてもなお、残りの半分のクラスメイトは罵詈雑言を張本に浴びせた。普段は教室に前島竹がいるためこのクラスでは目をつけられないようにほとんどの生徒は大人しいのだが、前島竹が学校に来ていない今、その反発でこれまでのストレスが爆発したのだろう。
もう収拾がつかないと判断したのか、結局この後、望月が自分一人の犯行だ、と自白したことにより張本真実への疑いは表面上は晴れた。だが裏ではそうもいかなかった。
表では張本真実へ普通に接する生徒がほとんどだが、その裏では未だに張本真実を疑っている生徒や陰口を言う生徒が何人も何人も、何人もいると張本は感じた。実際に自分が陰口を聞いた訳ではない。だが『感じる』のだ。話をしていると、相手がどこか自分を見下しているような、嫌っているような、そんな雰囲気を感じる。
そんな時、そのストレスもあってか張本の持病が悪化した。心臓の病気だ。元々かなり重い病気で張本はよく入院と退院を繰り返していたが今回は医者にこう言われた。
「これは、心臓移植の必要がありますね」
「だから、表裏のない、正直者の心臓が欲しい、そう願ったのか?」
芯人の発言を受けて、張本はゆっくりと頷いた。
「ええ、私の体に、私を攻撃してきたあのクラスメイト達のような裏のある、嘘つきの心臓を入れたくなかったから」
「なら僕は正直者だから、張本が心臓移植をするために、奇怪が僕が脳死をするように仕向けたってことか?」
芯人はここで生じた疑問を張本に投げかける。単純な疑問で、素朴な疑問。だけれどこの疑問が解決しない限りは、今芯人が口にした仮説は成立しない。
「どうして奇怪は僕が正直者だって奇怪は判断したんだ?僕がなにか正直だったところを奇怪が見たのか?」
張本は窓の外の沈みゆく夕日を眺めた。
「最初にこの病室に来た時に言っていたわよね、暇だったから、ここに来たって」
確かに言った。芯人が病室に来て、何故来たのか張本に聞かれた時に、芯人は正直に、何も飾らず事実を言った。
「あの言葉、嬉しかったのよ。嘘偽りのない、あの言葉が。クラスメイト達と違ってあなたの飾らない性格が、正直な性格が、私は嬉しかった。だからきっと私が生んだ奇怪はそれを見て、あなたを正直者と判断したんだと思うわ」
暇だったから、という言葉が正解だったのか、芯人には分からない。だけれどその言葉で張本を元気づけれたのなら良かった、そう芯人は思った。
「いい雰囲気の中、失礼します」
空気を読んでいたのか、注目を集める登場からは想像がつかないくらい影が薄くなっていた無帰が口を開いた。
「話を本筋に戻させて頂くと、正直者の心臓が欲しいという『魂の叫喚』をあなたが取り消さないと、お前、芯人が永遠とあなたが生んだ奇怪に襲われるんですよ」
張本はゆっくりと自分のペースで深呼吸して無帰に質問する。
「分かってる、『魂の叫喚』を取り消すわ。どうすればいいの?」
「心から、『魂の叫喚』を否定すれば『魂の叫喚』は『魂の叫喚』ではなくなります。『魂の叫喚』を叶えたら消える奇怪は、そもそも『魂の叫喚』が無くなっているのですから叶えることが出来なくなり、消えていきます」
つまりは、正直者の心臓を願わなければ解決ということです、そう言って無帰は張本を見つめた。無帰は相変わらず無感情に見える無表情だったが、張本は違う。もう諦めたような、もういいのだと覚悟を決めたような表情をしていた。
「でもそしたら、張本の心臓は!」
「黙りなさい、お前」
無帰が手で芯人の口を抑えた。『魂の叫喚』を取り消したら、芯人は無事で、張本に移植する心臓は無くなる。
そんなことは張本も承知だ。張本は自分のせいで他人が傷つくこと、迷惑を被ることが嫌いだ。それは張本は幼少期から心臓の病気ののことで父親に苦労をかけてきたためだった。
張本は口にはしなかったが無意識ではあるものの、『魂の叫喚』によって芯人を殺しかけたことに罪悪感を覚えている。責任を感じている。
そのため『魂の叫喚』の取り消しを了承しているのだ。そこに芯人の張本への心配は不要だ、無帰はそう判断した。
張本は手を組んで目を閉じた。
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