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5話 神様に向けたお願い

 世の中には、「何事もなく終わるはずだったのに、なぜか大騒ぎになる」——そんなことがよくあるものでございます。


 昨日の神々の定例集会も、まさにそれでございましたな。


「格式だ!」「商業化だ!」

「伝統を守れ!」「いや、時代に合わせろ!」


 まぁ、いつもの 「紫尾」と「大鈴」の言い合い合戦 ではあったのですがね……

 今回は少々、話が白熱しすぎまして。


 紫尾武尊しおたけるのみことは相変わらず 一本筋の通った理論派、

 大鈴尊すずなりのみことは 調子よく言葉を転がすやり手の商売人、

 そして その間に挟まれていたのが、しがない住吉命すみよしのみこと でございます。


(はぁ……やれやれ……。)


 住吉は、縁側に寝転びながら、屋根の上に目をやる。

 ほんの数時間前、ここで月を眺めながら 「めんどくさいなぁ……」 なんてぼやいていたのが、遠い昔のようでございます。


 それにしても、どうしてあの二柱は 毎回毎回、あんなに張り合う のでしょうな。

「神社の未来がかかっている」とか、そんな 大義名分 を掲げているようですが……


 ———結局は、お互いに引くに引けないだけなのでは?


 住吉は、のんびりと欠伸をしながら、境内の甘夏をもいでひとくち。

 すっぱ甘い果汁が口の中に広がる。


「まぁ、なんだかんだ言って、あの二人がいるから退屈はしないけどねぇ。」


 とはいえ、巻き込まれるのは 願い下げ でございますよ。


 ———と、そんなことを考えているうちに、

 カラン、カラン……


 おなじみの 賽銭箱の音 が響いた。


(……来たなぁ。)


 毎日のルーティンのように現れる 田中 でございます。


 住吉は、横目で田中をちらりと見る。

 手を合わせ、目を閉じ、静かに願いを捧げるその姿は、いつもと変わらないように見えるのですが……


 ———今日は、少し違う。


 住吉は、ほんの一瞬 目を細めた。


「……ふぅん。ちょっと珍しいこともあるもんだねぇ」


 田中の願い事。

 昨日までは あんなに変わらなかったのに、今日はちょっと違うんですな。


「彼女ができますように」 じゃない。


 住吉は、しばし考えたあと、

 甘夏をもうひとかじりして、

 口の中に広がる柑橘の酸味を転がしながら、


 ———ふっと、小さく笑った。



 田中の背中が石段の向こうへ消える。


 住吉は、しばらく縁側に座ったまま、その方向を見つめていた。


 (……いつもと違うなぁ。)


 そう思った瞬間、胸の奥がほんの少しだけざわついた。


 毎日、何も考えずに聞き流していた田中の願い。

 「彼女が欲しい」だの、「モテますように」だの、まぁどうでもいいお願いばかりだった。


 だが、今日の願いは違った。


 「おばあちゃんの体調が良くなりますように。」


 短い言葉だったが、その響きに、住吉はふと心を引かれた。


 神様とは、人の願いを聞くものだ。

 だが、それを叶えられるかどうかは別の話である。


 それでも——


 住吉は、静かに身を起こすと、軽く伸びをした。

 そして、田中の消えた道へ、ゆっくりと歩き出す。


 (……ちょっと、見てこようかな。)


 どこか胸の奥に、拭えぬ気がかりが残っていた。


 神様は、気まぐれなもの。

 だが、ときに、気まぐれだからこそ、動くこともあるのだ。


 住吉は、軽く草履を鳴らしながら、田中の後を追って石段を下りていった。





 「ま、まって……早すぎだろ……その乗り物……っ!」


 住吉はゼェゼェと肩で息をしながら、田中の背中を必死に追いかけていた。


 自転車というやつは、なんとも厄介な代物である。

 神様というのは基本的に歩きが基本であり、ましてや自転車に乗る機会などない。


 (あんな速いのズルじゃないか!? ボクは足しかないのに!)


 住吉は文句を言いながら、石畳の道を駆ける。

 普段のんびりと過ごしている身には、この全力疾走がなかなかに堪える。


 途中、田中が角を曲がるのを見て、住吉も必死に方向を変える。

 足はすでにガクガクで、頭の中は「バスに乗ればよかった、金があればな……」の後悔でいっぱいだった。


 そして——


 田中が自転車を止めた場所。


 そこに立っていたのは、白く大きな建物。


 住吉は、息を切らしながらも、掲げられた看板に目をやる。


 水門病院


 病院。


 ——なるほど、そういうことか。


 住吉は、すべてを理解したように静かに息を整えた。


 田中が願った「おばあちゃんの体調が良くなりますように」。

 その意味を、ようやく本当の意味で理解した。


 (……ふむ。)


 住吉は、田中の背中を見つめながら、ゆっくりと歩みを進めた。



 病院の自動ドアが音もなく開く。


 田中は、自転車を停めたあと、迷いなく建物の中へと入っていった。


 住吉はそれを見届けると、自らもそっと後を追う。


 ——とはいえ、堂々と歩くわけにはいかない。


 何せ、神様は人間には見えない。


 普通に歩いていたところで、誰にも気づかれることはないのだが……それでも、なんとなく「ついていく」という行為に後ろめたさを感じた。


 (いやいや、別に悪いことをしているわけじゃないよね……? ただ、田中の様子を見に来ただけ……うん。)


 自分で自分を納得させながら、住吉は壁の隅をすり抜け、影から影へと移動していく。


 田中は受付で何かを話し、それからエレベーターに向かった。


 住吉は、さっと柱の後ろに隠れる。


 (ほう、乗り物を降りたと思ったら、また乗り物か……。)


 神社にいると、こういう文明の利器にはあまり縁がない。

 バスや電車には乗るが、エレベーターに乗る機会は滅多にないのだ。


 田中がエレベーターの扉の前に立つ。

 ボタンを押すと、すぐに「ピンッ」という軽い音が鳴り、扉が開いた。


 住吉は、その扉が閉じるギリギリの瞬間に、さっと滑り込む。


 田中のすぐ後ろに立つ形になったが、当然ながら田中は気づかない。


 ——だが。


 (なんだろう、この気まずさ……。)


 小さなエレベーターの中。

 田中は何も気にしていないが、住吉は妙に緊張する。


 まるで、人間の世界に紛れ込んだ幽霊のような気分だった。


 エレベーターが静かに上昇し、やがて「チンッ」と軽い音が鳴る。

 扉が開くと、田中は迷うことなく廊下を進んでいく。


 住吉は、さっと足音を忍ばせながらその後を追った。


 (怪しいものではないのだけどねぇ……。)


 そう思いつつも、やはり気になってしまう。


 そして、田中が足を止めたのは——


 病室の前 だった。


 田中は、深く息を吸うと、そっとドアを開けた。


 住吉は、その隙間からそっと中を覗き込む。


 そこには、白いベッドに横たわるひとりの老人の姿。


 田中の おばあちゃん だった。


 病室の中は、静かだった。


 田中がそっとドアを閉めると、ベッドの上の老婆がゆっくりと顔を向ける。


 「おぉ、高志かい……」


 かすれた声。それでも、孫の顔を見た瞬間、少しだけ目元がほころんだ。


 「よぉ、ばあちゃん。調子はどう?」


 田中は努めて明るい声を出す。


 「まぁ、ぼちぼちさねぇ……。あんたは元気そうだねぇ」


 「そりゃそうさ。ほら、俺、若いし?」


 得意げに胸を張ってみせる田中に、ばあちゃんはくすっと笑った。


 住吉は病室のドアの隙間から、静かに二人を見つめていた。


 「今日は学校はどうだったんだい?」


 「んー、まぁいつも通りさ。あ、でもな、ちょっとした事件があったんだぜ。あの先生がさ……」


 田中は椅子に腰掛けると、学校であったことをぽつぽつと語り始めた。

 授業の話、友達の話、どうでもいいようなくだらないこと。


 けれど、それを聞いているばあちゃんの顔には、ほんの少しだけ色が戻っていく。


 病室の無機質な空気の中に、温かい時間が流れていた。


 「それでなぁ、もうすぐテストなんだけどさ、まぁ俺なら余裕だよなぁ!」


 「おやまぁ、あんたがそんなこと言うなんて、雨が降るねぇ」


 ばあちゃんは笑う。田中は、ちょっと気恥ずかしそうに頬をかいた。


 そして、不意に、少しだけ真剣な顔になった。


 「なぁ、ばあちゃん。……絶対、元気になれよ?」


 ばあちゃんは、一瞬だけ驚いたように孫の顔を見た。


 「……おや、田中」


 「だってよ、元気になってもらわなきゃ困るんだよ」


 田中は少しだけ視線をそらしながら、それでも言葉を続けた。


 「ほら、俺、そのうち彼女連れてくるからさ」


 ばあちゃんは目を瞬かせる。


 「……まぁ!」


 「ま、まぁな! 俺、学校じゃモテモテだし……たぶん……」


 田中はわざとらしく胸を張る。


 「へぇ、そんなにモテるのかい?」


 「そ、そうさ! もう、クラスの女子が放っておかないんだから!」


 「まぁ、それは楽しみだねぇ」


 ばあちゃんは、楽しそうに目を細める。


 田中は、しばらくばあちゃんと他愛ない話を続けたあと、そろそろ帰る時間だと立ち上がった。


 「んじゃ、また来るからさ!」


 「はいはい、待ってるよ」


 手を振るばあちゃんを見て、田中は満足そうに病室を後にした。


 ドアが閉まり、病室が再び静かになる。


 その様子をこっそり見届けていた住吉は、ふぅっと小さく息を吐いた。


 (……なるほどねぇ。)


 田中が、毎日神社で祈っていた理由が、ようやく分かった。


 いつもの「彼女できますように」ではなく、

 今日は 「おばあちゃんの体調が良くなりますように」 と。


 住吉は、そっと田中の後を追いながら、ぼんやりと考えていた。

(まぁ、神様だからって、なんでもできるわけじゃないけどねぇ……)

 そう思いながらも、住吉はほんの少しだけ歩く速度を早めた。




 その夜、豆電球の灯の下で、住吉はあぐらをかいて天井を眺めていた。


 田中のお願い事だ。

「彼女ができますように」じゃなくて、「おばあちゃんの体調が良くなりますように」。

 なんともまぁ、願いというのは移ろうものだねぇ。


 住吉は、ぼんやりと指先で畳をなぞりながら、小さく息をつく。


(……どうにかして、叶えてやりたいなぁ。)


 そう思った。

 だけど、神様ってのは便利屋じゃない。

 願いを聞くのが仕事だけど、叶えるのはまた別の話で。


(それに、ボクの神通力なんて、たかが知れてるしねぇ……。)


 のんびりと天井を仰ぎ見ながら、住吉は口の中で柑橘の余韻を転がす。

 さっき食べた甘夏の酸っぱさが、まだ微かに残っていた。


 昔なら、こういう願いはすんなり叶えられたのかもしれない。

 でも今のボクに、それをどうにかする力なんて……いやいや、そんなことを考えても仕方がないか。


 住吉は、ふぅっと息を吐くと、ごろんと寝転がった。


(叶えられない願いもある。でも……。)


 そこまで考えたところで、住吉はぱちりと目を開けた。

 夜の静寂の中、神社の天井に映る豆電球のぼんやりとした光が、妙に眩しく感じる。


(まぁ、できる範囲で、ちょっとくらい手を貸してやってもいいかねぇ。)


 住吉はゆっくりと体を起こし、ふわりと髪をかきあげる。

 そして、のそりと立ち上がると、夜風の吹き込む縁側へと足を向けた。


 神様は気まぐれなものだ。

 だからこそ、気まぐれで動くこともある。


 住吉は、夜の空を見上げながら、小さく笑った。

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