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24話 人と神と

 田中は、自転車を全力で漕いでいた。


 何も考えられなかった。


 頭の中にあるのは——おばあちゃんのことだけ。


「ッ……くそっ……!!」


 街の道はところどころひび割れ、瓦が落ち、電線が垂れ下がっていた。


 揺れが収まったばかりの街は、まだ完全には混乱に陥っていない——が、それも時間の問題だった。


 病院の建物が見えた瞬間、田中はブレーキをかけることなく自転車を飛び降り、そのまま病院の入り口へ駆け込む。


「おばあちゃん!!」


 エレベーターは止まっている。


 階段を駆け上がる。


 足音が響く。


 心臓の鼓動が、うるさいほどに鳴る。


 そして、病室のドアを乱暴に開けた——


「おばあちゃん!!」


「高志!」


 おばあちゃんは、すでに看護師に支えられ、廊下にいた。


「早く屋上に!!」


「わかってる!」


 田中は、すぐにおばあちゃんの車椅子を押しながら、看護師たちとともに非常階段を駆け上がる。


 病院の廊下には、すでに避難する人々のざわめきが満ちていた。


「地震……?」「津波が来るって……!?」


 混乱した声が飛び交う中、田中はただ一心に、屋上へと急いだ。


 そして、扉を開け——


 声を失った。


「……ッ!!」


 屋上にいた人々も、皆、言葉をなくしていた。


 そこに広がっていたのは——


 崩壊していく街。


 割れた道路。倒壊した家屋。土煙が舞い上がる。


 そして——


 その遥か向こうに見えたのは、黒い壁のような波だった。


「……津波……?」


 誰かが、震える声で呟いた。


 その時、空を裂くような音が響いた。


 ——ババババババババ!!


 上空を、数機のヘリが旋回していた。


 テレビ中継だ。


 田中は、屋上に設置された病院のテレビモニターに目を向けた。


 画面には、速報の赤い文字が点滅していた。


『東シナ海を震源とする大地震 震度7』


『大津波警報発令』


『沿岸部の住民は直ちに避難を』


「……!」


 映像が切り替わる。


 そこには——


 海を覆い尽くす、黒い津波があった。


 それはもう、ただの波ではない。


 巨大な壁のように、陸地へと迫っていた。


「みなさん、逃げてください!!」


 テレビから響くアナウンサーの悲鳴のような声。


「くそっ……!!」


 田中は、拳を握りしめた。


 絶望に押しつぶされそうなほどの光景が、今、目の前に広がっている。


 街が沈む。


 人々が逃げ惑う。


 そして——


 神も、人も、ただ抗うしかない。


 今、この瞬間——世界が崩れようとしていた。


 「ハハハハハハ!!!」


 轟くような笑い声が、海と大地を震わせた。


 阿羅漢が、高笑いをする。


 「わかったか、これが理不尽だ。」


 黒き影を背負い、津波の頂に立つ彼は、まるで世界を見下ろす神のようだった。


 「人が抗おうと、神が足掻こうと、結果は同じだ。お前たちはただ、押し流されるだけの存在よ!!」


 住吉は、荒れ狂う波を睨みつけた。


 そして——


 その足元には、横たわる神々。


 大鈴が、紫尾が、他の神々が、倒れ伏していた。


 「……っ!!」


 住吉の拳が、震える。


 「お前の気持ちなんて……!!」


 その声は、怒りと、悔しさに滲んでいた。


 「分かりたくもない!!」


 住吉は、振り返らずに叫んだ。


 「もうどうすることもできないぞ……貴様はここで終わる」


 阿羅漢の無情な響きと共に風が吹き荒れ、雷鳴が轟く。


 「それはお前も、僕たちと同じだ!!」


 阿羅漢は目を細める。


 「……何?」


 「お前だって、神であったことを捨てきれていない……!」


 住吉は、震える足で立ち続けながら言う。


 「結果はどうであれ、お前はもう……僕と同じ、錆びれていく運命だ……そうなるんだ!!」


 その言葉に、阿羅漢の表情が歪んだ。


 「違う……違う……!!」


 彼の四本の腕が、憤怒に震える。


 「私は……!」


 だが、その声を遮るように——


 住吉が、前へと踏み出した。


 足元が崩れる。


 だが、それでも止まらない。


 たった1人で、押し返そうとした。


 住吉が、全身の力を振り絞り、波に向かって叫ぶ。


 「……ッ!!!」


 だが——


 無駄だった。


 波は止まらない。


 力の差は歴然だった。


 住吉は、一人なのか——


 いや、違う。


 その時だった。


 「まだ終わりではないぞ……!」


 紫尾が、起き上がった。


 「ッ……!」


 そして——


 「この程度で終われるわけないじゃない……!!」


 大鈴が、立ち上がった。


 そして——


 また一柱。


 また一柱と。


 神々が、立ち上がる。


 「……ッ!」


 阿羅漢が、目を細めた。


 「まだ起きられるのか……?」


 それは、信じられぬような声だった。


 ——だが。


 「当たり前じゃない。」


 大鈴は、血気盛んに笑う。


 「我々は、この地の神だ。」


 紫尾は、静かに、しかし力強く言った。


 神々が、昂る。


 そして——


 住吉の肩に、二人が手を置いた。


 「我らは八百万の神。」


 「この地を治める神ぞよ。」


 その瞬間——


 空から、光が差し込む。


 雲の切れ間から、一筋の光が降り注ぐ。


 ヘリの機体が、空を舞う。


 阿羅漢が、それを見上げる。


 「……何だ……?」


 病院の屋上で、田中は、目を見開いた。


 彼の瞳に映るのは——


 ただの自然災害ではなかった。


 そこには——


 神々の戦いがあった。


 光が降り注ぐ中——


 神々の反撃が、今、始まる。


 津波の動きが——止まった。


 それまで荒れ狂い、すべてを押し流さんとする勢いで迫っていた巨大な波が、不自然なまでに留まり、まるで見えない壁に阻まれるように、ただそこにあった。


 テレビ中継のアナウンサーが、混乱した声を響かせる。


 「……これは、いったい……?」


 ヘリのカメラが、海岸線を映し出す。


 「津波の動きが……おかしい……?」


 画面越しに、何万人もの人々が、その光景を目にした。


 そして——


 「おい待て……!?」


 カメラが、ある一点を捉える。


 「……海岸沿いに、誰かいるぞ!!」


 スタジオの声が、ざわめく。


 「なんだ、なんで人がいる!?」


 「避難が間に合わなかったのか!? 早く逃げろ!!」


 「いや、あんな場所に立っていられるはずがない……!!」


 画面には、砂浜に立つ幾つかの影が映っていた。


 無数の神々が、波と対峙するように並んでいる。


 しかし、テレビ画面を通しても、それが”ただの人間”ではないことは明らかだった。


 「なんだ、あの……光は……!?」


 ヘリのカメラが、ズームする。


 そこにいたのは、まるで神話のような光景。


 紫尾が、燃え上がるような光を纏い、大地に足を踏みしめる。


 大鈴が、轟くような鐘の音と共に、巨大な鈴を鳴らしていた。


 そして、中央に立つは——


 住吉が、拳を握りしめながら、向こうに立つ阿羅漢を睨みつけていた。


 「……」


 人々は、その光景を、ただ息を呑んで見つめるしかなかった。


 海と空が交錯し、雷鳴が響き、神々の気配が荒れ狂う。


 アナウンサーは、震える声で叫んだ。


 「……あそこにいるのは……人間なんかじゃない……!!」


 「……正真正銘……神様……!?」


 それは、信じたくても信じられない、しかし目の前に映る光景だった。


 「神は、人間には認識できない。」


 確かに、それが理であり、常識である。


 「だが——」


 カメラが、光に包まれた神々を映し出す。


 理を超えたことも……神様の世界では、起こりうるのかもしれない……。


 その瞬間、住吉が、前へと歩を進めた。


 そして、再び拳を握りしめ、声を張り上げる。


 「一斉一同力を合わせて!!」


 その声が、天地に響き渡る——。



 1人、また1人——。


 ラジオの音が流れる。


 テレビの画面が、異様な光景を映し続ける。


 「……これは……いったい……?」


 画面の向こうで、キャスターが何かを話している。


 しかし、人々はそれを聞いてはいなかった。


 彼らが見ていたのは、ただひとつ。


 海岸に立ち、荒れ狂う波と対峙する神々の姿——。


 「……神様?」


 誰かが呟く。


 「……あれが、本当に……?」


 誰かが、胸元で手を組む。


 「……どうか……。」


 願いを込めて、手を合わせる。


 「彼らに力を……。」


 1人、また1人。


 目にした人々が、次々に手を合わせ始めた。


 都会の片隅で、家族とともにテレビを見ていたサラリーマンが、静かに手を合わせた。


 「どうか、神様たちに、お力添えを……。」


 学校の教室で、先生の背後に隠れるようにテレビを見ていた少年が、小さく呟く。


 「頑張って……。」


 病院の屋上で、田中の祖母が、目を細めながら両手を重ねた。


 「……あぁ、神様が、いるのかもしれないねぇ……。」


 その祈りに——


 呼応するかのように——


 空の裂け目が、広がっていく。


 黒い雲が、ゆっくりと割れていく。


 そこから、まばゆい光が差し込み始めた。


 「な、なぜだ……!? なぜ押し返せる!?」


 阿羅漢の声が、苛立ちに満ちる。


 「こんなもの……こんなもの無力に過ぎん!!」


 彼が叫ぶたびに、雷が鳴り響く。


 しかし——


 天から差し込む日差しは、それすらも打ち消すように降り注ぐ。


 「……神は、人と寄り添うべき存在。」


 紫尾が、光を背負いながら、静かに言った。


 「神とは、信仰に生きるもの。」


 大鈴が、誇り高く宣言する。


 「そして、人は神を忘れぬ。」


 住吉が、微笑んだ。


 一人一人が、彼らを見ている。


 そして——


 彼らの髪が、変わり始める。


 錆びた銅色だった髪が——


 鮮やかな金へと、輝きを取り戻していく。


 「これは……?」


 阿羅漢が、目を見開く。


 「なぜ……お前たちの力が戻る……?」


 住吉が、一歩前に出た。


 ゆっくりと、しかし確実に。


 「さぁ、阿羅漢。」


 光を受けながら、住吉が微笑む。


 「理不尽に抗うのは——そっちの番だよ。」


 その言葉とともに、彼の髪が完全な黄金に輝いた。


 神の威光が、大地を震わせる——。


 「おのれぇぇ!! 図に乗りおるわぁああ!!!」


 阿羅漢の怒声が天を突き抜ける。


 その瞬間、雷鳴が轟き、天はさらに暗く沈んだ。


 雨が、豪雨となって地を叩く。


 風が狂い、波が咆哮する。


 自然の怒りが、阿羅漢と共鳴するかのように猛威を振るう。


 しかし——


 住吉は、さらに前へと踏み出した。


 雨が降り注ぐ中、彼はただ真っ直ぐに阿羅漢を見つめる。


 「お前の気持ちなんて——分かりたくもない。」


 阿羅漢が、歯を食いしばる。


 だが、住吉は続けた。


 「けど……今なら分かる。」


 雨が彼の肩を打ちつける。


 風が、彼の髪を揺らす。


 その黄金の髪は、今、確かに輝きを増していた。


 「僕は神様だ。」


 住吉の言葉が、静かに大地に響く。


 「だから——お前のことも。」


 「寄り添ってやるよ。」


 阿羅漢の目が見開かれた。


 怒りではない。


 絶望だった。


 まるで、それこそが彼にとって最も恐ろしい言葉だったかのように。


 そして——


 その時だった。


 雷鳴の中、一筋の光が天から落ちる。


 だが、それだけではなかった。


 さらに——


 さらに強い光が、住吉のもとに降り注ぐ。


 まばゆい輝きが、彼を包み込む。


 それは——


 人々が、心を揃え、心から「頑張れ」と口にした瞬間だった。


 ひとつの声が、次々と広がっていく。


 「頑張れ!!」


 「負けるな……!!」


 「頼む……!」


 テレビの前で、ラジオを握る人々の声が、同じ想いとなり、ひとつになる。


 その願いが、住吉へと注がれる。


 その祈りが、彼の背を押す。


 神々が、住吉を見た。


 紫尾が、大鈴が、その他の神々が——


 そして阿羅漢ですらも、その光を見た。


 「そんな……そんな、理不尽じゃないか……」


 それは、神の完成。


 悪も、善も、理不尽すらも理解し、全てを受け止める者。


 それこそが——


 住吉命。


 彼の目が、強い光を宿す。


 彼の姿が、まさに神の化身としての威光を放つ。


 住吉は、そっと目を閉じる。


 「……今まで、いろんなことがあったね。」


 「人が君を忘れたり——思い返したりもあったかもしれない。」


 「だけど僕らは——」


 「弱いから、手を取り合うしかないんだと、今思う。」


 そして、彼は目を開けた。


 その瞳は、まばゆく輝く黄金。

 住吉は、両手を阿羅漢に向ける、その手はまるで腕に飛び込んでくるのを待っているようだった。


 「手を取りあう、だから――僕らは1人じゃないんだ」


 「「「「――いけぇぇぇぇぇぇぇ!!!」」」」


 人と神と……全ての想いを込めた叫びが、大地を震わせる。


 神々から黄金の光が爆発する。


 その瞬間——


 津波が砕け散った。


 まるで、大地を覆い尽くそうとしていた黒い壁が、ひとつの神威によって弾き飛ばされるかのように。


 波が裂け、雷鳴が掻き消える。


 雨が止み、風が静まる。


 阿羅漢ごと、その災厄は——破壊された。


 そして、空に大きな穴が開いたように、光が一筋——天から、静かに降り注ぐのだった。




 「——え?」


 ヘリのカメラマンが、思わず息を呑んだ。


 津波が押し寄せ、絶望的な光景を映し続けていたカメラの視界が——


 突然、まばゆい閃光に包まれたのだ。


 「な、なんだ!? 眩しい!!」


 操縦士が驚きの声を上げる。


 機体の計器が一瞬揺れたかと思うと、窓の外が白一色に染まった。


 目を細めながら、カメラマンは必死にレンズを覗き込む。


 しかし、次の瞬間——


 全てが、消えていた。


 「……うそだろ。」


 ヘリの中の誰もが言葉を失う。


 海岸に押し寄せていたはずの巨大な津波。


 そこに立ち尽くしていた”何か”——まるで神々のような存在。


 そして、天空を貫いた黄金の光。


 すべてが、まるで最初からなかったかのように——


 一瞬にして、消えていた。


 ヘリのアナウンサーが、震える声で中継を続ける。


 「た、ただ今……津波が……」


 「……消えました!!」


 「え? 何言ってんだ、津波が……?」


 管制からの通信が混乱した声を返す。


 「津波が……消えた……? そんなバカな!」


 カメラが再び海岸線を映す。


 そこには——


  ただ、静かな海が広がっていた。


 「い、今の光は……?」


 「……見間違いじゃない……確かにあそこに何かがいた……」


 カメラマンが、揺れる手でレンズを調整する。


 だが、そこにはもう何も映っていなかった。


 神々の姿も、波の壁も、光も。


 すべてが、消えていた。


 「……あれは、一体……何だったんだ……?」


 ヘリの中で、誰かがぽつりと呟いた。


 その声は、電波を通じて全国へと流れた。


 しかし、画面の向こうで、その光景を目撃した人々の中には——


 確信を持つ者がいた。


 ——あれは、きっと。


 ——神様だったのではないか、と。

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