21話 "ド"ピンクの鳥居
翌朝。
住吉が目を覚ますと、そこには見慣れない景色が広がっていた。
「……え?」
寝ぼけたまま境内を見渡すと、今まで廃れ切っていた神社が、妙に華やかになっている。
境内のあちこちには、紅白の紙垂が揺れ、派手な提灯が並び、何やらキラキラとした装飾が施されている。
空気はどこか厳かでありながら……どうにも俗っぽい。
そして何より——
鳥居が真っピンクになっていた。
「……」
「な、何してるんだよぉ〜!!」
住吉は思わず叫んだ。
ガタガタと慌てて境内へ駆け込むと、そこには満足そうな顔をした恋愛神が腕を組み、社の前で堂々と立っていた。
「おおっ、ようやく起きたか!」
住吉は、唖然としながら鳥居を指差す。
「いやいやいや、何これぇ!? なんで鳥居がピンクなのさぁ!!」
「ピンクは恋愛成就の色や! やっぱり、神社っちゅうのは見た目が大事やろ?」
「いや、ボクの神社は恋愛の神社じゃないんだけどぉ!?」
「せやけど、お前んとこ、安産の神様やろ?」
恋愛神は、にやりと笑う。
「恋愛がなければ安産もない。つまり、安産の神社は恋愛成就の最終形態や! せやから、こういう装飾が必要なんや!」
「いやいやいや、勝手に最終形態にしないでよぉ!!」
住吉は思わず頭を抱える。
「そもそも、こんなの紫尾や大鈴が見たら怒るんじゃないのぉ!?」
「ん〜? まぁ、知らんけど?」
「知らんのかい!!」
住吉がツッコんでいると、恋愛神はポンと住吉の肩を叩いた。
「まぁまぁ、細かいことはええやん。」
「良くないよぉ!!」
「ほら、せっかくやし、お前も協力せぇや!」
「何を!?」
「決まっとるやろ。」
恋愛神は、満面の笑みで親指を立てる。
「『田中ラブ・イズ・ネバーオーバー作戦』を始動するで!!」
「……は?」
住吉は、ぽかんと口を開けた。
「いや、何その作戦名……。」
「ラブや! イズ! ネバーオーバーや!! つまり、田中に彼女作らせるんや!!」
恋愛神はバシィッと手を叩き、満面のドヤ顔を浮かべる。
「いやいや、意味わかんないよぉ……。」
「とにかく、神様の総力を上げて、田中の恋愛成就をサポートする!! そのための準備を今、着々と進めとるんや!!」
住吉は、鳥居を見て、境内の装飾を見て、社の前に積み上げられた謎の「恋愛成就セット」と書かれた札束を見て、遠い目をした。
「……いやぁ、マジで勘弁してほしいんだけどぉ……。」
しかし、すでに恋愛神の勢いは止まらない。
住吉神社、まさかの「恋愛成就神社化」計画、スタートである——。
住吉は、境内のど真ん中で頭を抱えていた。
いや、抱えずにはいられなかった。
なにせ、自分の神社が完全に恋愛成就神社に改造されてしまったのだから。
ピンク色の鳥居、境内に吊るされたハート型の絵馬、極めつけは社の前に「良縁祈願・恋愛成就の神」と大きく書かれた立て札——
「いやぁ……マジで恥ずかしいよぉ……。」
その時だった。
「やーい、お前の神社、変なのー!」
「ぐぇっ!?」
境内の外から、地元の神々がクスクスと笑いながら覗き込んでいた。
「おいおい、何だこれは!?」
「住吉の神社、完全に『縁結びの館』みたいになってるぞ!」
「なぁ、今度あそこで『恋愛成就』のお守り買ったら、彼女できるかな?」
「やめとけやめとけ! だって元は安産の神社やぞ? 何がどう繋がってるんかわかったもんじゃない!」
「うわぁぁぁぁぁ……。」
住吉は膝に手をつき、がっくりとうなだれた。
「もう終わりだよぉ……。」
しかし、その背後で、恋愛神はニヤリと笑う。
「言わせたい奴には言わせたらええねん。」
住吉の肩をポンと叩きながら、恋愛神は前を向いた。
「そんなもん、結果出したら手のひらクルクルよ。」
「……結果って?」
「決まっとるやろ。」
恋愛神は、満面の笑みで親指を立てる。
「田中L・I・N・O(Love is never over)作戦や!」
「いやぁ、またそれかぁ……。」
住吉は顔を覆うが、恋愛神はどこ吹く風。
「ほな、田中のところ行くで!」
「えぇぇぇぇ!? もう行くのぉ!? ちょ、心の準備が……!」
「遅いわ! さぁ、行くで!」
バシッと住吉の背中を叩き、恋愛神は颯爽と境内を後にした。
さて、田中は、いつもよりゆっくりと布団から起き上がった。
特に予定があるわけでもないが、ふと、コンビニに行こうと思い立つ。
「……まぁ、飲み物でも買いに行くか。」
適当にシャツを羽織り、外へ出る。
朝の空気はひんやりとしていて、少し肌寒い。
自転車を引っ張り出し、跨ろうとしたその瞬間——
「おったで! あいつが田中か!?」
耳元で、そんな声が聞こえたような気がした。
「……え?」
田中は、思わず後ろを振り返る。
しかし、そこには誰もいない。
辺りを見回してみるが、人影はなく、ただの静かな朝の住宅街が広がっている。
「……空耳か?」
不思議に思いながらも、気にせず自転車に跨る。
そして、ペダルを踏み込んだ瞬間——
「……重っっっ!!?」
思わず声を上げた。
いつもならスムーズに走り出すはずの自転車が、異常なほどに重い。
「おかしいな……昨日は普通に乗れてたのに。」
試しにもう一度ペダルを踏み込むが、やはりやたらと重い。
「まさか、本格的に壊れたのか?」
田中は、後輪を覗き込むが、特に異常は見当たらない。
しかし、彼には知る由もなかった。
後輪の荷台には、しっかりと二柱の神様が座っていることを。
「いやぁ、すまないねぇ。乗り心地はどうだい?」
住吉が、のんびりとした口調で恋愛神に問いかける。
「おぉ、なかなか快適やん。こいつ、普段からええ自転車乗っとるんやな?」
「いやぁ……それ、本人は絶対そう思ってないよぉ。」
田中は気づかぬまま、荷台に神様二柱を乗せて自転車を漕いでいるのだった。
「……さぁて、腕が鳴るわ。」
恋愛神が、ワクワクした表情で指を鳴らす。
「いやいやぁ、大丈夫かなぁ……。」
住吉は、若干の不安を覚えながら、田中の背中を見つめた。
——こうして、田中の恋愛成就を目指す”神々の介入”が、静かに幕を開けるのであった。
その日は、なんかおかしかった。
朝、自転車に乗ろうとしたらやたらと重かったのもそうだが、それ以外にも妙なことが続く。
コンビニに入ると、店内にはいつもと変わらぬ静けさが漂っていた。
棚から適当に飲み物と菓子パンを取り、レジへ向かう。
レジには、見慣れたバイトの女性。特に会話するような間柄でもない、いつも淡々と接客してくるタイプの人だった。
だが、その日は違った。
「……え?」
商品をスキャンしていた彼女が、ふと視線を上げて田中をじっと見つめる。
「あの……?」
「……あ、すみません。」
彼女は少し頬を染めながら、慌てて視線を逸らし、会計を進めた。
「……?」
不思議に思いながらも、お釣りを受け取ろうと手を伸ばした、その時——
ふわっ
指先が、彼女の手と触れた。
「あっ……!」
彼女は軽く手を引っ込めるが、田中の手にはしっかりと小銭が乗っている。
いや、そんなに驚くほどのことじゃない。ただお釣りをもらっただけだ。
だけど——
妙に気まずい空気が流れた。
「あ、ありがとうございました……!」
「え、あ、うん……。」
何とも言えない空気のまま、田中はコンビニを後にした。
そして、その「おかしさ」はそれだけでは終わらなかった。
コンビニを出て、自転車にまたがる。
ペダルは相変わらず重いが、まぁいい。気にせず帰ることにした。
しかし、交差点に差し掛かった時——
「おっと、ごめんなさい!」
横から女子大生らしき女性が、田中の肩にぶつかる。
「うわっ、ごめん!」
咄嗟に田中はハンドルを取られそうになりながらも、何とか踏ん張る。
「大丈夫ですか?」
彼女は、少し息を切らせながら、じっと田中を見つめていた。
「え、あ、うん、大丈夫。」
田中がそう言うと、彼女は安心したように微笑む。
「良かった……じゃあ!」
そして、そのまま何事もなかったかのように去っていった。
「……いや、なんだ?」
田中は、少し混乱しながら自転車を漕ぎ出す。
その直後、信号待ちをしていた隣の自転車の女子高生が、ちらちらとこちらを見ていることに気づいた。
「……」
目が合うと、なぜか頬を赤らめて視線を逸らされた。
「いやいやいや、なんだこれは。」
田中は額に手を当て、深く息を吐いた。
何かがおかしい。
普段ならこんなこと、絶対に起こらない。
まるで……
まるで、自分に「モテ期」でも来たかのような。
「……そんなバカな。」
田中は、人生で一度も経験したことのない現象に、困惑しながら自転車を漕ぎ続けるのだった。
その頃、田中の背後の「見えない荷台」では——
「何やっとるんや奥手坊主!!いい感じやったろがい!!」
恋愛神が、苛立ったように田中の頭をペシペシと叩いていた。
「いやぁ……まぁ、そうなんだけどぉ……。」
住吉が、困ったように眉を下げる。
「いやぁ、でもさぁ……田中、相手の好意に気づかないんじゃないかねぇ?」
「そんなん百も承知や!!せやからワイがわざわざこうしてモテ波動を送ったんやろが!!」
恋愛神は、悔しそうに歯ぎしりする。
「ほら、見てみい! あの女子高生、めっちゃ気にしとるやんけ!!いけぇ!!田中!!話しかけんかい!!」
「いやいやいや、どう考えても無理じゃないかねぇ。」
住吉は、苦笑しながら首を振る。
「田中にそんな勇気はないよぉ。」
「……ぬぬぬぬぬぬ……!」
恋愛神は、ギリギリと歯を噛みしめる。
「ええい!!このままでは田中のモテ期が無駄になる!!」
恋愛神は、バシッと住吉の肩を叩いた。
「次のチャンスが来たら、強制介入するで!!」
「えぇぇぇぇ……。」
住吉は、思わず額を押さえた。
こうして、田中の知らぬところで、神様による強引な恋愛工作が進行していくのであった——。
「パァンッ!!」
乾いた破裂音が響いた。
「……うわぁぁ!? ちょ、なんでぇ!?」
田中は驚きながら、自転車を降りた。後輪を見ると、見事にぺしゃんこになっている。
「いやいや、さっきまで普通に乗れてたじゃん! なんで今!? こんな何もない道で!?」
周囲を見回すが、画鋲が落ちていたわけでも、鋭い石が転がっていたわけでもない。何の変哲もないアスファルトの上で、唐突にパンクしたのだ。
「……しょうがない、押して帰るか……。」
そう思った矢先——
「あかん!!家にまっすぐ帰ったら、運命の出会いがなくなるやろがい!!」
どこからか響く、妙に威勢のいい声。
「えっ?」
田中はギョッとして辺りを見回すが、もちろん誰もいない。
「……俺、疲れてんのかな……。」
考えても仕方がないので、自転車を押して歩き始める。
「とりあえず、修理屋に行くしかないな……。」
修理屋に到着し、自転車を預ける。
「どれどれ……おっ、チューブが裂けてるね。ちょっと時間かかるけど、直しとくよ。」
そう言いながら、自転車屋の店主が手際よく作業を始めた。
その隣では、彼の娘らしき女性が手伝いをしている。
「お兄さん、どこかで派手に転んだ?」
「いや、何もしてないのに急にパンクして……。」
田中がそう答えると、彼女はふふっと笑った。
「へぇ、不思議なこともあるもんだねぇ。」
「……まぁ、確かに。」
すると、彼女は少し考えた後、おもむろに言った。
「……ねえ、修理の間、時間あるなら、お茶でもどう?」
「えっ?」
「うち、お客さんによくお茶出すんだよ。のんびり待ってていいよ。」
「……あ、うん。ありがとう。」
田中は、少し驚きながらも、素直に受け取る。
しかし、その間——
「よっしゃぁ! 来たで! これは完璧や!!」
「いやいや、これはさすがに……。」
住吉が、ちょっと困惑したような声を漏らす。
「何言うとるんや!! これはもう、運命の歯車が回っとるやんけ!!」
荷台に座っている恋愛神が、興奮気味にガッツポーズを取る。
「さぁ田中! ここで『あの、よかったら連絡先とか……』とか言うんや!! さぁ言え!! 言わんかい!!」
「……。」
田中は、お茶を飲んでいた。
ただ静かに、何の気負いもなく、お茶をすするだけ。
そして——
「うん、おいしい。」
終了。
「ぬぉぉぉぉぉぉぉ!!? 何やっとんねん奥手坊主ぅぅぅ!!」
恋愛神が、地団駄を踏みそうな勢いで絶叫する。
「いやぁ……まぁ、田中だしねぇ……。」
住吉は肩をすくめた。
「お前、ほんまに奥手にも程があるやろ!! なんでこうなるんや!!」
しかし、田中にはもちろん聞こえていない。
そして、恋愛神の暴走はまだ終わらない。
修理が終わり、自転車を受け取った田中。
「……さて、帰るか。」
そう思った瞬間——
「ほな次や!!」
謎の声とともに、田中の腹に鈍い衝撃が走った。
「うぐっ……!?」
突然の腹痛に田中は膝をつく。
「おい、大丈夫か!?」
修理屋の店主が心配そうに駆け寄る。
「……ちょっと、お腹痛いかも……。」
「おいおい、大丈夫か? 近くに病院あるから診てもらうか?」
「……いや、さすがにそこまでは……。」
「気をつけてな!」
修理屋の親父に送り出され、田中はふらふらと病院へ向かう。
その頃——
「よし、病院や!! 看護師と出会わせるで!!」
「いやぁ……やりすぎじゃないかねぇ?」
住吉は呆れたように言ったが、恋愛神はノリノリである。
「いや、田中はもう普通にやっとったらアカン!! 強制的に運命の人に会わせるしかないんや!!」
病院に到着し、受付を済ませた田中。
「お腹痛いんですね? ではこちらへどうぞ。」
案内してくれたのは、優しそうな看護師の女性。
田中は少し緊張しながら診察室へ向かう。
「では、お腹を軽く押しますね。」
優しい声とともに、田中のお腹に手が当たる。
「う……。」
「ここは痛いですか?」
「……まぁ、ちょっと……。」
会話はあった。
接触もあった。
しかし、そこまでだった。
「では、お薬を出しておきますね。」
「ありがとうございます。」
田中はただ、普通に診察を終え、普通に薬を受け取り、普通に帰ろうとする。
「ぐぬぬぬぬぬぬぬ!!」
恋愛神が歯ぎしりする音が聞こえた(田中には聞こえない)。
「いやぁ、まぁ、田中らしいと言えば田中らしいねぇ。」
住吉が苦笑する。
そして何も進展がないまま病院の帰り道。
田中は、祖母が入院している病室へ立ち寄った。
「おばあちゃん、元気?」
「ああ、高志かい。元気元気。」
祖母は穏やかな笑顔を見せる。
「それより、お前さん、今日はどうしたんだい?」
「いやさぁ、今日はなんかおかしいんだよな。」
田中は、コンビニのこと、自転車のこと、修理屋でのお茶のこと、病院での出来事を話した。
祖母は「ほぉ、ほぉ」と頷きながら聞いていたが——
最後に、ふっと笑った。
「神様が見ているのかもねぇ。」
「……は?」
「高志、お前さん、最近神社にお参りしとるかい?」
「……まぁ……。」
「なら、神様もお前さんのこと、気にかけてくれてるのかもしれんよ。」
田中は、ぽかんと口を開けた。
まさか、そんなことあるわけ——
しかし、その時、ふと感じた。
背後で、誰かが笑っているような気がした。
田中には見えない、とある神様たちの笑い声が。




