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20話 愛する故郷へ

 新幹線の車窓に映る景色が、徐々に夜の帳に包まれていく。


 車内は落ち着いた雰囲気に包まれており、旅の疲れを感じさせる微かな揺れが心地よい。


 そんな中、住吉は深いため息をついた。


 「……あれは流石に無理そうだったなぁ。」


 ぼそっと呟いた言葉に、隣の恋愛神がぴくりと反応する。


 「……何がや?」


 恋愛神が腕を組みながら、ちらりと住吉を見た。


 住吉は、窓の外を眺めながら、少し苦笑する。


 「いやぁ、田中のお願い事さぁ。あれは押し通せなかったよぉ。」


 「……あぁ、あの『彼女ができますように』のやつか。」


 恋愛神は、ふむと小さく頷いた。


 「押し通すつもりやったんか?」


 「うーん、ほらぁ、あんなことがあった後だからさぁ。」


 住吉は、頭を掻きながら続ける。


 「神の存続とか、神と人の関係とか、なんかすごい真面目な話をしてたじゃないかねぇ?」


 「せやな。」


 「だからさぁ、そういう大きな流れの中で、ちょっとくらい個人的なお願い事もすんなり通るんじゃないかと思ったんだけどねぇ。」


 「……お前なぁ。」


 恋愛神は、額を押さえた。


 「で、結果どうなったんや。」


 住吉は、少し肩をすくめながら、ぽつりと呟いた。


 「天照大神様の顔がねぇ……ほんのちょっと、ピクリと動いたんだよぉ。」


 「……ピクリ?」


 「うん、ほんの一瞬ねぇ。」


 住吉は、指を軽く振りながら続ける。


 「願い事を全部言い終えた後にねぇ、最後に『彼女ができますように』を滑り込ませようとしたんだけど——」


 「その瞬間、天照大神様の眉がピクリと動いたんだよぉ。」


 「……で?」


 「その瞬間にねぇ、『あ、これはやばいなぁ』って思ったから、すぐに引っ込めたよぉ。」


 「いや、お前……よぉギリギリで踏みとどまったな。」


 恋愛神はため息をつきながら、呆れたように住吉を見つめた。


 「せやけど、田中の願いか……まぁ、せやなぁ。」


 恋愛神は、しばし考え込むように顎に手を当てる。


 そして——


 「……まぁ、お前に任せてもロクなことにはならんやろしなぁ。」


 深く息を吐くと、ぐっと拳を握り締めた。


 「よっしゃ! 出張してなんとかしたるわ!!」


 「……え?」


 住吉は、思わず目を丸くする。


 「え、いやいや、キミ、何を……?」


 「何を、やないやろ!」


 恋愛神は、ぐいっと身を乗り出した。


 「お前、田中の願い叶える気あるんか?」


 「いやぁ、そりゃあ、ボクだって叶えてあげたいとは思うけどねぇ……」


 「自信あるんか?」


 「……うーん……。」


 住吉は、口ごもる。


 恋愛神は、それを見て大きくため息をついた。


 「ほれ見ぃ。そんなんで願い叶うわけないやろが。」


 住吉は、ばつの悪そうな顔をしながら、もごもごと口を動かす。


 「いやぁ、ボク、安産担当だからねぇ……。」


 「知っとるわ!! けど、恋愛がなければ安産もないやろ!?」


 「うぅん、それはそうなんだけどねぇ……。」


 「ほんなら、ワイがなんとかしたるわ!! 田中の願い、叶えてやろうやないか!!」


 住吉は、呆気に取られながらも、少しだけ嬉しそうに笑った。


 「……ありがとねぇ。」


 恋愛神は、ドンと胸を叩いた。


 「しゃーない、しゃーない。ワイの専門分野やしな!」


 「じゃあ、よろしくお願いするよぉ。」


 「任しとけ!」


 二柱の神を乗せた新幹線は、夜の街を静かに駆け抜けていった。



 ……日本の神様といえば八百万。八百万と書いて「やおよろず」、数え切れないほどおりましてな。まぁ、実際には数を数えたやつなんておらんのですが、とにかく多いんです。


 その中でも特に有名で、誰もが知ってる神様といえば——はい、そこのあなた! そう、天照大神あまてらすおおみかみでございますな。


 いやぁ、なんとも格式高いお名前でございますが、この天照大神、そんじょそこらの神様とは格が違う。なんたって日本のトップですよ、トップ。


 「伊勢神宮の大神様にして、皇室のご先祖、太陽を司る最強神」


 まぁ、要するに一番偉い神様ですわ。


 「へぇ〜、そんなに偉いんですか?」と思われるかもしれませんが、そうなんです。とにかく偉い。


 「じゃあ、どのくらい偉いんですか?」って? そりゃもう、神様界の社長ですよ。


 普通、神様っちゅうのはそれぞれの地元でせっせと働いとるもんですが、天照大神となりますと、全国の神々を束ねる存在。まぁ、いわば日本の「経営者」みたいなもんでして。


 「いやいや、でも神様が経営者って?」と思われるかもしれませんが、これがまぁ、天照大神は神様の組織運営にめちゃくちゃ長けておる。


 「毎年神様たちを伊勢に呼びつけて、願い事を聞くという、まさに神様の中の神様」


 こうやって神様たちが自分の土地で起こるあれこれを報告して、「おぉ、そなたの地ではそんなことが……よしよし、伊勢の神として見守ろう」とか、そんな感じでまとめていくわけです。


 まぁ、簡単に言うと、「会議に呼ばれたけど、一言も発言しないで終わるタイプの神様」ですな。


 いやいや、これは決して悪口ではなく、天照大神は何でもお見通し。何を言わずとも全て分かっている。


 ただ、問題なのはですね、この天照大神、

 めちゃくちゃ怖いんです。


 いや、見た目はお美しい。何しろ神々しさというものが桁違い。光をまとい、その存在だけで場の空気が引き締まる。


 しかし、ひとたびお怒りになられたら、そりゃもう神々も震え上がるわけでして。


 伝説によれば、昔、天照大神がスネて天岩戸に引きこもったとき、日本中が闇に包まれたとかなんとか。


 いやいや、これが普通の神様だったら「ちょっと家出してました」ぐらいで済む話なんですが、天照大神の場合はそうはいかない。


 なんせ太陽そのもの。お隠れになられたら、日本が夜になっちゃうんです。


 神様ってのはありがたい存在ですが、こうしてみると、なかなかめんどくさい存在でもありますなぁ。


 さてさて、そんな最強の神様の御前に、わが住吉命すみよしのみことと、恋愛専門の都会神が出向いたわけでございますが……


 いやいや、そりゃあもう大騒ぎでございました。


 異変の中心でありながら、願い事の紙束を抱え、最後に「彼女ができますように」なんてお願いを滑り込ませようとする住吉命。


 さすがにこれには天照大神様も眉をピクリと動かされまして、住吉命も「あ、これはアカン」となったわけでございます。


 いやぁ、あの時の住吉命の顔ときたら……いやいや、それはまた別の話でございますな。


 さてさて、新幹線はいよいよ二柱を連れて、晴れて凱旋するわけですな。


 いやぁ、田舎から都会に出て、伊勢まで足を伸ばし、全国の神々と顔を合わせ、さらには恐ろしい阿羅漢と対峙し、天照大神の神威を受け、帰りの新幹線に揺られている。


 これほど波乱万丈な神様もなかなかおらんでしょう。


 さぁ、ここから先、住吉命の地元では何が待っているのか。


 まぁ、きっとまた騒がしいことになるんでしょうが、それはまた引き続きお楽しみください。



 夜の帳が降りた境内には、冷たい空気が漂っていた。


 住吉神社の鳥居の前には、待ち構えていた地元の神々が集まっていた。


 中心に立つのは、紫尾と大鈴。


 「思ったより、ずいぶんと早い帰りだな。」


 紫尾が鋭い視線を住吉に向ける。


 「何かし損じたのか? まさか……何もせずに蜻蛉返りしたわけではあるまいな?」


 「まぁ、確かに早すぎるわねぇ。」


 大鈴が扇子を開き、パチンと閉じる。


 「普通なら数日は滞在するものよ。それがたったこれだけの時間で帰ってくるなんて、どう考えてもおかしいわ。」


 「……」


 住吉は苦笑しながら肩をすくめた。


 「いやいやぁ、そんなに信用ないのかねぇ。」


 「ない。」


 紫尾が即答する。


 住吉は「あぁ……」とわずかに顔を曇らせながらも、すぐににこりと笑った。


 「でも、願い事はちゃんと伝えたよぉ。」


 その言葉に、一瞬、空気が緩む。


 「……本当なのか?」


 紫尾の視線が、わずかに揺れる。


 「まぁ、やることやってきたって言うなら、それでいいけどね。」


 大鈴も、ふぅと息を吐き、ようやく警戒を解いた。


 そして、安堵の空気が漂い始めたその時——


 「いやぁ〜、ほんまに田舎神ってのは心配性やなぁ〜。」


 バシッ!


 突如、恋愛神が紫尾と大鈴の肩をガッシリと抱いた。


 「ちょっ……!!」


 紫尾が眉を寄せ、即座に腕を振り払おうとするが、恋愛神はまるで気にも留めない。


 「まぁまぁ、ええやんええやん! ワイは都会の恋愛専門神、こいつとは伊勢で縁ができたもんや!」


 「……だから何だ。」


 紫尾が低い声で睨みつける。


 「突然馴れ馴れしく絡んでくるとは、礼儀というものを知らんのか?」


 「まぁまぁ、そんな怒らんといてや。」


 恋愛神は、ニヤリと笑いながら、紫尾の肩を軽く叩く。


 「いやぁ〜、ほんまに芋臭い神様やなぁ!」


 「……は?」


 「……何だこいつ?」


 紫尾と大鈴の目が細くなる。


 「いやいや、悪い意味やないで? なんちゅうか、こう……地元愛が強すぎるというか、都会に染まってないというか、慎重すぎるというか、素朴というか!」


 「……褒めてるつもりか?」


 紫尾の声がさらに低くなる。


 「いやぁ〜、まぁ、田舎特有の頑固さと純粋さが出てる感じで、逆に可愛いわ!」


 「……」


 「……」


 「こいつ、殴っていいかしら?」


 「許可する。」


 紫尾と大鈴が、即座に拳を握り締めた。


 「いやいや、待て待て!」


 住吉が慌てて二人を制止するが、恋愛神はニヤニヤしながら、まったく気にしていない。


 「まぁまぁ、安心せぇや!」


 恋愛神は、紫尾と大鈴の肩をポンと叩く。


 「こいつは、やる事やって帰ってきたんや!大したもんやったで?」


 その言葉に、紫尾と大鈴の動きが止まる。


 「……そうなのか?」


 紫尾が、改めて住吉に目を向ける。


 住吉は、小さく頷いた。


 「うん、ボクなりにねぇ。」


 「……ふぅ。」


 紫尾は、少し考えた後、大きく息を吐いた。


 「……ならば、それ以上は問うまい。」


 「まぁ、ちゃんとやることやったなら、それでいいわ。」


 大鈴も、ようやく肩の力を抜き、扇子を閉じた。


 「でも、ちょっと待ちなさいよ。こいつ、何者なの?」


 ようやく気を取り直した大鈴が、恋愛神を指差す。


 「お前、何勝手にこの地に居着いてる」


 紫尾も改めて睨みを利かせるが——


 恋愛神は、まったく動じない。


 「ワイは都会の恋愛神! この度、住吉のお節介に付き合って、こっちに顔出したんや!」


 「……まぁ、お節介なのは確かね。」


 大鈴がじと目で住吉を見やる。


 「ほんでな、せっかく縁ができたんやし、ちょっと滞在させてもらおうか思てな!」


 「……滞在?」


 紫尾の眉がピクリと動く。


 「お前、どこに泊まるつもりだ。」


 「そらまぁ、住吉んとこやろ?」


 「ちょっ……ボクのとこ!?」


 住吉が目を丸くするが、恋愛神は涼しい顔をしている。


 「なんや、お前んとこ、寂れとるんやろ? ちょうどええやん、都会の風でも吹かせたるわ!」


 「……こいつ、ちょっと放り出した方がいいんじゃない?」


 「真剣に考えてる。」


 紫尾と大鈴がひそひそと話し合う。


 こうして、新たな騒動の火種を抱えつつも、住吉の帰還は迎えられたのだった。

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