17話 伊勢神宮に到着
ふぅ……。
恋愛神が、腕を組みながら大きく息を吐いた。
「いやぁ、ワイもよう働いたわ。伊勢神宮に着くまでに5カップル成立させたで。」
住吉は、その横で半ば呆れながら歩いていた。
「いやぁ……本当にやるとはねぇ。」
新幹線を降り、大和八木から伊勢市へ向かう道中、恋愛神はやることなすこと全部力技だった。
電車の中で、視線を交わし続ける男女に「お前ら付き合えや」とばかりに偶然を演出し、揺れた車体を利用して密着させる。
伊勢市行きのバスで、隣り合った二人のスマホを同時に誤作動させ、お互いの画面をチラ見する流れに持ち込む。
参道の途中で、偶然(偶然じゃない)手を重ねるカップル未満の男女に「触れたんやし、もうそれは運命や」と追い打ちをかける。
どれもこれも、神の力を惜しみなく使ったガチの恋愛強制介入であった。
そして、その成果が——
「5組成立。」
「……いやぁ、すごいねぇ。」
「せやろ?」
恋愛神は、どこか誇らしげに頷く。
「恋愛の神として、やれることはやった。あとは本人たちの努力次第やな。」
「いやぁ、努力する間もなく決まったような気がするけどねぇ……。」
住吉は苦笑しながら歩を進めた。
そして——
さぁ、着きました、伊勢神宮です。
空気が変わる。
参道の入り口には、すでに数多くの神々の気配が感じられた。
何せ、ここは神々が年に一度集う場。
「いやぁ、やっぱり空気が違うねぇ……。」
住吉は、ゆるりと息を吐いた。
広大な敷地に並ぶ木々。
神宮の荘厳な雰囲気は、普段の町の神社とはまるで異なる。
そして、すでにこの場には先発組の神々が集まり、続々と帰り支度を始めていた。
「おいおい、もうUターン組がおるやんけ。」
恋愛神が、周囲を見渡してぼやく。
そう、ここに来た神々の大半はすでに願いを伝え終え、帰り始める頃合いなのだ。
住吉は、参道の奥を眺めながら、そっと呟いた。
「なんとか間に合ったねぇ。」
時間ギリギリだったが、遅すぎるというわけではない。
問題は、これからである。
何せ、この神宮には日本中の神々が集まっているのだ。
当然ながら、揉め事が起こらないわけがない。
住吉は、ゆっくりと前を向く。
さぁ、ここからが波乱の幕開けになるのです。
恋愛神は、そんな住吉を見てニヤリと笑った。
「ええなぁ。ワクワクしてきたで。」
そうして、二柱の神々は、いよいよ伊勢の本殿へと足を踏み入れるのであった。
伊勢神宮の本殿へ足を踏み入れた途端、空気が変わった。
そこには、神々の静かな気配が充満し、重々しい雰囲気の中で儀式が執り行われている。
全国から集まった神々が、それぞれの願い事を伝え、天照大神を筆頭に御神意を仰いでいるのだがしかし……。
「辞め!辞め!本日は打ち切り!」
上空から、甲高い声が響いた。
住吉と恋愛神が顔を上げる。
見ると、空を舞う一羽のカラスが、神宮の広場の上空でぐるぐる旋回しながら見下ろしている。
「本日の受付はここまで! 以上! さっさと帰る神は帰るように!」
場内がどよめく。
神々の間に、ざわざわとした気配が広がる。
「ええ?」
「なんやこれ、終わりか?」
「いやいや、ワシまだ願い伝えとらんぞ?」
「ちょ、こっちは遥々このために来たんやぞ!」
と、周囲の神々から不満の声が上がるが、カラスはお構いなしに続ける。
「もうええやろ! 大半は終わったんやからな!」
住吉は、ため息をついた。
「いやぁ、大半っていうけどねぇ……それって結局、大きな神宮とか、権威のある神様が優先されたってだけじゃないかねぇ?」
そう、これまでに願いを伝え終えたのは、規模の大きな神社の神々や、格式の高い神々ばかりだった。
住吉のような地方の神々や、恋愛神のような後発組は、まだまだ順番待ちの状態。
なのに、「本日はここまで!」と、まるで打ち切り漫画の最終回のような宣言をされてしまったのだ。
「おいおい、どういうこっちゃ……ワイらまだ何もしてへんで?」
恋愛神が不満そうに呟く。
「いやぁ、ボクもまだ願いを持ってきたばかりなんだけどねぇ……。」
「なぁカラス、お前勝手に終わらせんなや!」
恋愛神が声を上げると、カラスは「はぁ?」とばかりに首をかしげる。
「処理が遅い? 無理もないでしょう!」
カラスは、羽を広げながら、まるで当然のことのように言い放つ。
「伊勢神宮にはな、全国の神々が集まるんや! そら、さばききれん分が出てくるのも当然やろ!」
「だからって、途中で切るんかい!」
「知らんがな!」
カラスは、バサバサと羽ばたきながら、まるで役所の窓口のような対応を見せる。
「神々の願い事? そんなもん、並びが遅かったやつが悪いんや!」
「いやいや、そんな理不尽が通るかねぇ……。」
住吉は、ため息をつきながら腕を組んだ。
「……しかし、これ、どうしようかねぇ?」
目の前には、まだ願いを伝えられていない地方の神々が集まり、広場に溢れかえっている。
「……いや、無理矢理でもどうにかせなアカンやろ。」
恋愛神がぼやきながら、ぐっと拳を握る。
住吉は、目の前の神々を見渡した。
皆、それぞれの地元の願いを抱えてここまでやって来たのだ。
それを、「終わり!」と一言で切り捨てられるのは、あまりにも理不尽ではないか。
「……さてさて。」
住吉は、少しだけ微笑んだ。
「ここからが本当の勝負かもしれないねぇ。」
伊勢神宮の広場に、不満と焦燥の気配が満ちていく。
これより、後発組の反発が始まるのでございます。
伊勢神宮といえば、日本全国八百万の神々が集う、まさに神様界の一大イベント。そりゃもう、権威も格式も並みのもんじゃありません。
とはいえ、ここに集まる神々の規模もピンキリでございます。立派な神宮を構え、信仰が厚い神様もいれば、田舎の小さな神社でひっそりと信仰を集める神様もいる。
さて、そんな神々が一堂に会するとなれば、当然、順番というものがあるわけでございますな。
大きな神宮の神様方が優先され、格式のある神々が先に願いを伝え——
で、最後に回されるのが、後発組。
……ところがどっこい、本日は受付打ち切りでございます。
「辞め!辞め!本日は打ち切り!」
神宮の広場に響くのは、天照大神の使いであるカラスの声。
「本日の受付はここまで! 以上! さっさと帰る神は帰るように!」
これを聞いた後発組の神々、一瞬の沈黙の後——
「おいなんとかしろよ!」
「もう願い伝えるってレベルじゃねぇぞ!!おい!!」
大反発。
「おいおい、冗談じゃねぇぞ!! わしら、わざわざここまで来たんやぞ!?」
「うちの神社から、ここまでの交通費がどれだけかかったと思っとるんや!」
「伊勢参りの観光客より扱い悪いんとちゃうか!? ええんか!? ええんか!?」
「ワシらの願いはどうなるんや!! うちの村のじいさんばあさん、毎日熱心に拝んどるんやぞ!!」
「わいの神社の願い事リスト、今年だけで10ページあるんやが!? どこに提出すんねん!!」
もうてんやわんやの大騒ぎでございます。
で、運営側の対応といえば、これまたお役所仕事でございます。
「えー、みなさま、落ち着いてください……!」
「このままでは、混乱を招く恐れがあります!」
「と、とりあえず、一度お引き取り願えませんかねぇ……?」
「誰が帰るかーい!!!」
神々、怒りの鉄槌でございます。
「ちょ、ちょっと待ってください! やはり、受付の処理能力には限界がありまして……!」
「そんなこと言うなら、もっと整理券みたいなシステム作っとけや!!」
「そもそもなぁ! こうなること、毎年わかっとるやろがい!!」
「最初のほうに来た神様ばっかええ顔しとって、うちらはなんや、後回しや思てたら打ち切り!? そんな理不尽が通るかいな!!」
「来年また来いってか!? それまでうちの村のお願い全部お預けか!? そんな神社の存続、あんた責任取れるんか!?」
「うちの信者さん、ワシがちゃんと願い伝えたか確認しとるんやぞ!? 何や『すいません今年は受付終了でした』って報告しろ言うんか!? そんな神、誰が信仰するねん!!」
いやぁ、もう収集がつきません。
運営側も、なんとか落ち着かせようとするんですが——
「えー、えー、とにかくですね、まずは皆さん冷静に——」
「もう冷静じゃいられへんわ!! こんなんあかんやろ!!」
「ま、まぁまぁ! せめて列を整理してですね……!」
「列なんか作っとる場合ちゃうやろが! ほら見ぃ、もう帰りかけとる神様おるぞ!? そっちに追いつかなあかんのや!!」
「落ち着いてください!!」
「落ち着けるかーーーい!!!」
えぇ、大混乱でございます。
さて、そんな中でございますが、住吉命、のんびりと人混みの中を眺めながら一言。
「いやぁ……後発組って大変だねぇ。」
恋愛神も、呆れたように腕を組んでいた。
「まぁ、毎年こんな感じらしいで。」
「いやぁ、でもねぇ……。」
住吉は、周囲を見渡しながら呟く。
「……これだけの神様が、願いを届けようとしてるんだからねぇ。」
「せやなぁ。」
「これ、なんとかしないとねぇ。」
「……せやなぁ。」
二柱の神は、ふと顔を見合わせる。
さてさて、どうしたもんかねぇ。
しかし、でございます。
この騒ぎ、そう簡単に収まるわけがございません。
結局、押し問答が続いた結果、なんとまぁ、「明日もう一回来てください」という、役所仕事もびっくりな対応を受けることになったわけでございます。
「えぇぇぇぇぇぇぇ!!!!?」
「いや、もう夜やん!! 宿どうすんねん!!」
「一回帰れってか!? どこに帰るんや!? ここからやとワイの神社まで三日はかかるで!!」
「いやいや、どう考えても今晩泊まるしかないやろがい!!」
「泊まるったって、神様が普通に宿取るんか!? いやでももうこれ泊まるしかないよな!?」
「くっそ!! 仕方ねぇ!! 自腹や!!」
そうして、後発組の神々は次々と伊勢市内の宿を探す羽目になったのでございます。
もちろん、神様だからって宿がタダになるわけもございません。
皆、普段は霊的な存在として過ごしているわけですが、こういうときに限って、人間と同じように財布を開くしかない。
「いやぁ、神様も大変だねぇ……。」
住吉命も、ぼやきながら宿を探すことになったのでございました。
さてさて、皆さま、伊勢といえば古くから「お伊勢参り」として、多くの人々が訪れる神聖な土地でございます。
特にこの時期になりますと、全国から神様方が集まってまいりまして、まぁ、まるで神様の大運動会でございますな。
それに伴いまして、伊勢の宿はどこも満室になるわけでございます。
ええ、皆さまもご存じでしょう?
「この時期、伊勢の旅館やホテルは、どこも予約でいっぱい。」
しかしですな——
満室だからといって、そこに人が泊まっているとは限らないのです。
……いやいや、何を馬鹿なことを、とお思いでしょう?
ですがね、これは昔から語り継がれている話でございます。
例えば、とある旅人のお話。
この方、急な旅で宿を取らねばならず、伊勢の町を歩き回っておりました。
「すみません、一泊お願いしたいんですが。」
「申し訳ございません、本日は満室でございます。」
どこの宿へ行っても、この返事。
観光シーズンだから仕方ないかと諦めかけた、その時でございます。
ふと目に入った、一軒の旅館。
のれんが揺れ、灯りがぼんやりと漏れている。
試しに尋ねてみると、女将が静かに言いました。
「……一室だけ、空いておりますが。」
旅人は、安堵の息をついて、その部屋に案内されました。
部屋は清潔で、布団もふかふか。
しかし、何か妙な感じがする。
妙に静かすぎるのです。
隣の部屋からの物音がない。
廊下を行き交う足音もしない。
外の喧騒すら、まるで遠ざかったような気がする。
「まぁ、疲れてるから気のせいだろう。」
旅人は、布団に入って眠ることにしました。
そして夜中——
ギシ……ギシ……
ふと、床が軋む音がする。
誰かが廊下を歩いているのだろうか。
だが、扉を開ける音もしなければ、誰かが話す声もしない。
耳を澄ませると——
スー……スー……
寝息のような音が、部屋の中から聞こえてくる。
……おかしい。
この部屋には、自分しかいないはずなのに。
旅人は、恐る恐る布団を抜け出し、部屋の隅を見渡した。
そして、気づいた。
枕が二つ、並んでいる。
「あれ……?」
自分は、一人で泊まるはずだった。
それなのに——
布団が、二組敷かれている。
ぞわり、と寒気が走る。
誰かが、そこにいる。
だが、どう見ても、もう一つの布団には誰もいない。
なのに、そこからは微かに、寝息が聞こえる。
怖くなった旅人は、慌てて布団を払い、宿を飛び出しました。
翌朝、恐る恐る宿へ戻り、女将に尋ねました。
「……あの部屋、なんだったんですか?」
女将は、困ったように笑いました。
「申し訳ございません。あの部屋、すでに神様が押さえていたようでございます。」
「……え?」
この時期、伊勢の宿はどこも満室になりますが……それは、人間のお客様だけではないのです。
もしかすると、昨晩あなたの隣で眠っていたのは、人ではなかったのかもしれませんね。
……おや、背筋が寒くなりましたか?
それでは、今晩も暖かくしてお眠りください。




