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1話 話のマクラ

 さてさて、皆さん。

 神様ってのは、どこにいると思います?


 まぁ、立派な神社に祀られて、大勢の参拝者に手を合わせられて、

 お賽銭がジャラジャラと入る……

 そんなイメージをお持ちでしょうな。


 ところがどっこい、この世には、

 忘れ去られた神様 ってのもおりましてね。


 かつては名のある神だったが、

 時代の流れとともに、信仰は薄れ……

 今や、誰も参らぬ、寂れた神社にポツンといる。


 え? そんな神様、何をしてるかって?

 そりゃまぁ、特に何もしておりません。



 住吉神社の神様は、神社の拝殿の縁側に寝転がって、のんびりと空を見上げていた。


「……今日も、誰も来ないなぁ。」


 金と銅のまだらになった髪が、

 春の風にふわりと揺れる。


 境内は静かで、ただ鳥のさえずりと、

 時折、どこか遠くから聞こえる車の音だけが響いている。


 ボロボロの鳥居は傾き、

 参道の砂利は雑草に埋もれていた。


 神社というより、もうただの廃墟。

 住吉は、大きく息を吐く。


「はぁ……神様も楽じゃないよねぇ。」


 そんなふうに、誰に聞かせるでもなく呟いたときだった。


 ギシ、ギシ、ギシ……


 石段を登ってくる、足音。


 住吉は、上体を起こして目を細めた。

 この神社に来るのは、あの男しかいない。


 案の定、姿を現したのは、田中 だった。

 高校の制服を着た少年が、ゆっくりと境内に入ってくる。


「今日も来たかぁ……。」


 住吉は、彼を見て小さく笑った。

 神様としての仕事はできなくても、

 この神社には、まだ「ひとりだけの信者」がいる。


 それが、なんとなく嬉しかった。


 

 ……今日は、ちょいと変わった神様のお話をしましょうか。


住吉命すみよしのみこと』 というお方でしてな。


 え? 『住吉』って言うからには、あの有名な住吉大社の神様かって?

 いやいや、違うんですよ、これが。

 同じ“住吉”でも、こっちはとんでもなくマイナーな神様でしてねぇ。


 どれくらいマイナーかと言いますと、

 信仰が薄れすぎて、神社の鳥居が斜めってるくらいでございます。


 お賽銭箱をひっくり返してみたら、

 5円玉が2枚出てきたとかね。

 まぁ、そのくらい、しがない神様 なんですわ。


 でもねぇ、本人はそのことを全然気にしちゃいない。

 毎日、境内でのんびり寝っ転がって、

『はぁ……神様も楽じゃないよねぇ』なんて呟いている。


 いやいや、あんたのんびりしすぎだろって話ですわな。


 で、この住吉命、何の神様かと申しますと、

『安産の神』 なんですな。


 えぇ、昔はそこそこ信仰もあったんですが、

 時代が変われば、神様のご利益も薄れていくもんでして。


 今や、もう誰も参らない、

 忘れられた神社の神様 となってしまった。


 そんな住吉ですが、

 唯一の信者 がおりましてな。


 それが、田中 という高校生。

 毎日毎日、神社にやってきて、こう願うんです。


『彼女ができますように』


 ……いや、いやいやいや!

 お前、安産の神にそれは違うだろ!!


 さすがの住吉命も、思わず頭を抱えました。


 「さて……っと。」


 田中は制服のポケットから 5円玉 を取り出し、

 錆びついた賽銭箱にポトリと落とした。


 カラン……。


 静かな境内に、小さく頼りない音が響く。

 田中は二拍手し、深々と頭を下げる。


「……彼女ができますように。」


 「……またそれ?」


 縁側で寝転んでいた住吉は、

 田中の言葉を聞いて、ジト目で天を仰ぐ。


「キミ、毎日来るよねぇ?」


 もちろん、田中には住吉の声など聞こえていない。

 彼は神様に真剣に祈りながら、もう一度同じ願いを呟いた。


「どうか……どうか、俺に彼女を!!」


「ボク、安産担当だからねぇ。」


 住吉は ポリポリと頭を掻く。


「まず、キミの担当は縁結びの神様でしょ?」

「それに、ボクがその願いを聞いたところで、どうしようもないし……」


 田中は願いを唱え終えると、満足したように軽く息を吐いて、

 そのまま鳥居をくぐって帰っていった。


「……ったく、懲りないなぁ。」


 住吉はのんびりと寝転び直しながら、

 どこかくすぐったいような気分になった。


 毎日同じお願いをする、この神社に唯一の信者。

 叶えられない願いだとわかっていても、

 なんとなく、その声を聞いているのは悪くない気がする。



「あの高校生め……」


 住吉は欠伸をしながら、横になったままぼやく。


「たまには500円くらい、間違って入れてくれないものかねぇ。」


 賽銭箱に落ちた5円玉は、心なしか寂しそうに見える。


「いやまぁ、ボクに入れたところで、願いは叶わないんだけどねぇ……」


 住吉は手を頭の後ろに組み、ぼんやりと空を見上げる。

 夏の青空に、モワモワとした入道雲が浮かび、

 それを背景に、一匹の蝉が大きな羽音を立てて飛んでいた。


「ん〜……今日も暑いなぁ。」


 住吉は目を細めながら、静かに目を閉じる。

 やることもないし、このまま昼寝でも──


 ブブブブブ……ッ!


「……?」


 突然、鼻先に違和感。


「……ん?」


 目を開けると、目の前に 茶色い物体。

 ゴツゴツした胴体、大きな複眼、カサカサと動く脚──


 蝉。


 それも、自分の鼻先にガッツリとしがみついている。


「…………」


 住吉は、状況を理解するのに数秒かかった。


 ブィィィィィィィィィィィィィィィィィィ!!!!


「ぅぎゃああああああああ!!???」


 蝉が突然、超音波のごとき鳴き声を発しながら暴れ出す。


「ちょ、待っ、やめっ、離れ──!!」


 住吉は 大慌てで鼻を振るが、蝉はまったく離れない。

 むしろ、より強固にしがみついてくる。


「ぃいやぁぁぁぁああ!! なんでボクの鼻ぁぁぁ!!??」


 境内に響き渡る、神の悲鳴。


 しかし、もちろん誰にも聞こえない。


 住吉は 必死に蝉を振り払おうと、拝殿の縁側で転がり回る。


「ボクは! 神だぞぉぉ!!? 神に!! こんな仕打ちが!! あるかぁぁぁ!!」


 それでも蝉は離れない。


「……いやもう、これ呪いとかじゃないの!?」


 住吉は泣きそうになりながら、ついに両手で バシバシバシバシ!! と顔を叩き始めた。


 バシバシ! バシバシ!!


 バタッ!!


 ついに、蝉が飛び立った。


「……ハァ、ハァ……」


 住吉は地面に転がったまま、荒い息を吐く。

 鼻の頭がジンジンと痛む。


「……神様だって、蝉は無理。」


 そんなことを呟きながら、住吉は空を仰いだ。


 ──すると、その空を、田中が歩いて帰る姿が見えた。


「……いやぁ、彼女がほしいとか言ってるけどさぁ。こんな雑魚な神様に一体なにを期待しているんだろうな……」


 住吉は大の字に転がりながら、ぽつりと呟く。


「でも蝉にすらモテるって、考えたらボク……すごい才能だと思うんだけどなぁ……。」


 青空の下、神のプライドはズタズタに引き裂かれた。



 空はすっかり 夏の色 だった。


 白い入道雲が、青空にゆっくりと広がっている。

 その雲の端が、陽の光に透けて、淡いグラデーションを作る。


 日差しは強いが、時間はすでに午後の三時。

 照りつける太陽も、昼間ほどの鋭さはない。

 風が少し吹けば、境内の木々がざわめき、

 日陰に落ちる影がゆらりと揺れた。


 地面の 砂利は熱を帯びて、じんわりと空気が波打っている。


 遠くから、蝉の声が聞こえてくる。

 ミーンミンミンミンミン……シャワワワワ……


 それが、途切れることなく続く。

 ひとつが鳴き終えると、すぐに別の蝉が鳴き始める。


 まるで、空気そのものが音を持ったような、そんな夏の午後だった。


「……なんか、腹減ったなぁ。」


 住吉は縁側で ぐうっと伸び をすると、

 ぽりぽりと頬を掻いた。


「……もう何ヶ月も、口にしてないや。」


 神様だから、食べなくても問題はない。

 でも、食べなくて済むのと、食べたくないのとは違う。


「昔は良かったなぁ……。」


 思い出すのは、かつての賑やかな境内。


 人が大勢集まり、炊かれる神饌しんせんの香りが漂っていた。

 米が炊ける匂い、海の幸、山の幸。

 神様への供え物として並べられたそれを、

 人々が「お下がり」として分け合っていた。


 住吉も、それをつまむことができた。


 それこそ、塩むすびのひとつ、焼き魚の切れ端、味噌汁の香り……。


「……いやぁ、あれは美味しかったなぁ……。」


 住吉はふと鼻をすんと鳴らして、

 ぽん、と手を打った。


「よし、決めた。」


 彼は立ち上がり、境内の奥へと足を向ける。


 昔から、この神社には 自生している甘夏の木 がある。


「……まだ、あるかな?」


 葉の隙間から覗くと、

 ぽつんぽつんと、黄色い実がなっていた。


 住吉はにやりと笑う。


「へへっ、久しぶりのごちそうだ。」


 手を伸ばし、一番よく熟れたものを選ぶ。


 ぐっと引っ張ると、甘夏はぽろりと枝を離れた。


 住吉は、それを手のひらで転がしながら、

 ざっくりと爪を立てる。


 プツッ……。


 途端に、弾けるような柑橘の香り が広がった。


「……うわぁ、すごい香りだ。」


 それだけで、唾が湧いてくる。


 住吉は夢中になって、

 両手で皮をむしり、薄皮ごと豪快にかじりついた。


 ジュワッ……!


 口いっぱいに広がる、甘酸っぱい果汁。

 すこしの苦味と、さっぱりした酸味。


「っ~~~!! これこれ、これだよ!」


 住吉は目を閉じて、味を噛みしめる。


 指先には、甘夏の汁がじんわりと染みていく。


「……うん、まだ、甘夏はボクの味方だねぇ。」


 そう呟いて、住吉はもうひと房、

 次の甘夏に手を伸ばした。



 さてさて、皆さん。

 ここまでのお話を聞いて、こう思った方もおられるでしょう。


『いやいや、神様がそこまで露骨に動き回って、周りの人間はびっくりしないのか?』


 えぇ、まことにごもっともな疑問でございます。

 普通ならば、目の前で誰もいないのに物が動いたら大騒ぎですわな?


 ところがどっこい!

 そんな心配には、まったく及ばないのでございます。


 たとえば、こういう経験はございませんか?


『あれ? さっきまでここにあったはずのものが、いつの間にか動いてる……?』


『あれ? 気のせいかな……』


 そう、人は得体の知れない現象を「気のせい」で片付ける生き物なのでございます。


 で、甘夏が日に日に減るこの現象、実は昔から名前がついておりましてな。


『天使の取り分』というんです。


 なんともまぁ、洒落た言い回しですなぁ。


 本来の意味は、「本来あるべきものが、自然と目減りしてしまうこと」でしてな。


 ワイン樽の中の液体が、時間とともに蒸発して減る。

 砂糖を計ったら、なぜか少しだけ減っていた。


 そういう現象を、「天使がこっそり取っていった」なんて、

 ちょっと風流に言ったわけでございますな。


 で、神様の行動も、これと同じ理屈でございます。


 たとえば、住吉命が賽銭箱の上に腰を下ろそうが、

 境内でゴロゴロしようが、

 鼻に蝉が止まって大騒ぎしようが……


 人間から見れば、『何も起こっていない』。


 たとえ物が動いても、風が吹いたようにしか見えない。

 たとえ足音がしても、ただの空耳。


 そういう風に、人間の感覚が勝手に処理してしまうのでございます。


 つまり、神様が目の前でどれだけ派手に暴れたとしても、

 人間にとっては、ただの 『自然の一部』 にしか感じられない。


 これが、神様と人間の間にある “認識の壁” というものでございます。


 ですから、皆さんももし、「さっきまでそこにあったものが、いつの間にか移動していた」 なんてことがあったら、


『あっ……これは神様の仕業かもしれない』


 そう思っていただければ、これ幸い。


「……もっとも、神様のほうは、

『え? ボク、そんなことしてないけど?』

 とか、のんきに寝っ転がってるだけかもしれませんがね。」



 住吉は縁側で寝転んだまま、天を仰いだ。


「……やれやれ、困ったぞ。」


 住吉神社の 今月の賽銭箱の収入 は、ざっと数えて50円ほど。


「いや、正確には55円か。田中が5円を11回入れたし……」


 それでも、たったの55円。

 今時自販機のジュースすら買えやしない額である。

 住吉はため息をつき、腹をぽんぽんと叩いた。


「……はぁ、腹減ったなぁ。」


 さっき甘夏を食べたとはいえ、

 人間のように満腹になるわけでもなく、むしろ余計に食欲を思い出してしまった。


「ま、神様だから食べなくても生きてはいけるんだけど……でも、食べたい気持ちはあるんだよねぇ。」


 住吉はボヤきながら、ぽりぽりと頬を掻いた。


 と、そこで。


 ザッ……ザッ……


 神社の石段を登る、足音が聞こえた。


「……ん?」


 住吉は上半身を起こして、目を細める。

 どうせ田中が忘れもんでも取りにきたのだろうと思ったが、いや、違う。


 田中なら、もっと軽快な足取りで駆け上がってくるはずだ。


 しかし、今聞こえてくるのは 重く、ゆっくりとした足音。

 そして、見慣れない人物の姿が現れた。


 都会の身なりをした、サングラスの男。


「……うっわ、なにここ。」


 男は境内を見渡し、鼻で笑った。


「マジでボロッボロじゃん。え、神社? これ?」


 住吉は目を細めた。

 感じの悪いヤツだな、と直感で思う。


「はぁ……田舎の神社ってこんなもんかぁ。ま、こんな場所に参拝するヤツなんていねぇよな。」


 男は、スマホを取り出してパシャリと写真を撮る。

 そして、画面を眺めながら クスクスと笑い出した。


「うわー、これ絶対バズるわ。『限界すぎる田舎の神社』ってタグつけて投稿しよ。」


 住吉の眉がピクリと動いた。


「……おいおい。」


「なんだこの寂れ具合、草生えるww」


「……おいおいおいおい。」


「うっわ、賽銭箱とかあんの? え、誰が入れんの? つーかこれ、賽銭盗まれてね?」


「……盗まれるほど、入ってないよ。」


 住吉は思わず拳を握った。


 しかし、もちろん男には住吉の姿も声も聞こえない。


 ただただ 好き勝手に境内をバカにし、写真を撮り、そして——。


「あー、やっぱつまんねぇわ。なんか飲み終わったし、ここに捨てとこ。」


 男は、手にしていた コンビニの袋を、そのまま賽銭箱の横にポイッと放り投げた。


「……!!」


 住吉は、はっと息をのむ。


 そのまま、男は 一銭も入れずに、鼻で笑いながら神社を後にした。


「……くそぉ……!! 馬鹿にしやがって……!!」


 拳を握りしめ、神様とは思えないほど悔しそうな顔をする住吉。


「賽銭くらい入れろよ!! 田中ですら5円は入れてんだぞ!!」


 住吉はしばらく怒り心頭だったが——。


 ふと、男が捨てた コンビニ袋 に目を向ける。


「……ん?」


 中を覗くと、空の弁当箱、コンビニのおにぎりの包み紙、そして……。


「……シェイク?」


 住吉は、しばらくそれをじっと見つめた。


 コンビニのシェイク、飲みかけだが、まだ半分くらい残っている。


「……これは、つまり……?」


 住吉は ゴクリと喉を鳴らした。


「……甘味だ!!」


 神様でありながら、落ちていた食べ物を拾い、

 住吉は 狂喜乱舞しながらシェイクを両手で抱えた。


「はぁぁぁぁ!! 久しぶりの甘味!! これよ、これ!!」


 ストローをじっくり見つめた後、気にせず口をつけ——。


 チューーーッ。


 冷たい甘さが、口の中に広がる。


「っ……っっま!!! まっっっま!!! うまぁぁぁぁ!!!」


 住吉は、天を仰ぎながら 全身で歓喜を表現する。


「神様が、ここまでプライドを捨てられたら、大したもんだなぁ……。」


 そう、まるで 遠い目をしながら、自分で自分を嘆くように呟いた。


 でも、手はしっかりと、シェイクのカップを握りしめていた。


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